鶴見達、第七師団から逃げた水城は、アシリパを先頭に走っていた。
白石と谷垣は合図のない逃亡に遅れてしまったのか、後ろに付いて来ていない。
「水城こっちだ!こっちから出るぞ!」
「逃げ先に当てがあるの?」
先導するアシリパの足は、まるで道が分かっているかのようだった。
聞けば足に迷いがないように、アシリパは頷く。
「ここ通り抜けられるぞ」
案内されたのは貯蔵庫だった。
恐らく酒屋の倉庫のような物だろうか。
大量の米が置かれており、裏口のような場所から入った水城達は、そのまま大量の米俵を横切って、本来の入り口で出ていく。
「あ!いたいた!」
しかし、そこには第七師団がいた。
特徴的な両頬にあるホクロと、そのホクロにどういう意図かは水城は全くこれっぽっちも分からないが、ホクロを頭に棒人間が走った刺青が彫られていた。
顔は整っており、その男以外に後ろには誰もおらず、水城達を探してバラバラになっているのだと水城は頭の中で考える。
しかし、そんな悠長に考えている間にも男…鯉登と同じく鶴見に心酔している宇佐美は間髪入れず水城に向けて銃を放った。
宇佐美は水城を殺す気だった。
そういう命令も受けているのもある。
しかし、何より、あの尊敬してやまない鶴見に気に入られ、勧誘されていながらも、それを無下に断った。
それでも鶴見からの(宇佐美からしたら)寵愛を受けているのが、気に入らないのだ。
そんな宇佐美の事情など水城は知らないし、興味もない。
宇佐美に嫉妬されているとも知らない水城は、呑気に男一人だと状況を把握しながらも、咄嗟に宇佐美の銃を己の銃の底で叩き、銃口を逸らす。
放たれた銃弾は建物の柱に当たった。
水城を怪我、または殺すのは失敗した。
しかし、宇佐美は失敗を悔やむ前に次の行動に移る。
銃の弾を入れ替える暇はないと判断し、水城に向けて肘を叩きつけた。
その肘は見事水城の顔に当たり、水城はその衝撃で鼻血が出た。
しかし、痛みなど感じないように水城は宇佐美のコートを掴み、そのまま宇佐美を持ち上げ地面に叩きつける。
顔面から倒れた宇佐美を水城は容赦なく顔を蹴りつけた。
宇佐美は水城に蹴られ口や鼻から血を垂らしながら、水城の足を手で受け止め、腰に差していた銃剣を抜く。
だが、その剣は水城に刺さる事はなく、上から米俵が宇佐美の上に降って落ちてきた。
宇佐美は水城しか見ていなかったため、アシリパの応援に気づいていなかった。
米一粒は軽いが、それが何百、何万、と重なるとかなりの重量になる。
その米が詰まっている米俵を二つも上から落とされた宇佐美は、流石に動けなかった。
「急げッ!!集まってくるぞ!!」
ぴょんと米俵が積まれている上から降りながらのアシリパの言葉に、水城は鼻血を拭いながら出ていこうとするアシリパの後を追う。
しかし、先ほどの銃声によって居場所を気づかれてしまい、近くにいた第七師団の兵士が水城を見つけてしまう。
仲間を呼ぶ軍人に向かって水城は落ちた米俵を片手で投げつける。
重さと勢いで、米俵に体当たりされた兵士は後ろへ吹き飛ばされてしまった。
「行け行けッ!!」
アシリパを急かしながら、水城は後ろから第七師団を来るのを警戒していた。
しかし…
「止まれッ!!」
月島が近くにいたのか、逃げる水城に向けて月島は少し離れた場所から銃口を向ける。
「逃げられんぞ!!杉元ッ!!」
月島の声に、ハッと水城は月島の方へと顔を向ける。
無意識か、月島の傍に彼がいないのか探す。
しかし、そこには月島と数人の軍人しかおらず、そこに月島以外の顔見知りはいなかった。
それに安堵する暇はなく、水城は月島の制止を無視し走る足を止めない。
そんな水城に月島は、躊躇なく銃を撃った。
渇いた音と共に水城の肩から血飛沫が散る。
それは月島の銃弾が水城の肩に当たった証拠だった。
月島の銃弾を皮切りに、周りにいた第七師団の軍人たちが続けて水城に向かって銃を放った。
「水城!!!」
水城は咄嗟に床に倒れ頭を守りながら蹲る。
それでも容赦なく第七師団の銃弾は水城に向かって放たれる。
撃たれた水城にアシリパは駆け寄った。
自分の身が危ないなんて考えが思い浮かばず、アシリパはただただ撃たれて血を流す水城に駆け寄った。
しかし、それが功を制した。
「撃つなッ!!アシリパに当たる!!」
鶴見がアシリパに利用価値を見出している内はアシリパの命は保証される。
暗号が解かれない限りはアシリパの体に第七師団の銃弾が当たることはない。
そんなアシリパが水城の傍に駆け寄ったため、水城を殺しにかかっていた銃弾の嵐は止んだ。
「水城!立てッ!!」
蹲って動かない水城に、アシリパは顔を青ざめる。
せっかく再会したというのに、水城は瀕死の状態。
アシリパは、水城を殺したくて第七師団から逃げる選択をしたわけではない。
しかし、水城の口からは微かだが呼吸しているのが見えた。
それに安堵していると…
「動くな、アシリパ」
鯉登が水城とアシリパの元へと歩み寄り、アシリパに銃口を向けた。
鯉登の声に、ハッと顔を上げる。
鯉登は水城が血だらけで倒れているというのに、何故か冷静だった。
…いや、アシリパを見る彼の目は、凍えるように冷たい目でアシリパを見下ろしていた。
「逃げればこうなることは分かっていたはずだ」
「…っ」
「大人しくしておれば時間がかかろうともいずれ私が便宜を図って雪乃に会わせてやったというのに…」
鯉登の言葉に、アシリパはキッと睨む。
水城とアシリパを引き離すというのは、鯉登も賛成だった。
元々水城を巡って争っていた仲だ。
喧嘩するほど仲が良いとは言うものの、本人達は決して仲がいいなんて微塵も思っていない。
お互いがお互い厄介で邪魔なだけという認識だった。
しかし、アシリパが望めば…雪乃が望むというのなら、時間がかかったとしても、いずれ鯉登が鶴見に頼み込み一度だけでも会わせてやってもいいくらいの情はあった。
「何をやっている!!近づくな鯉登少尉!!離れろ!!そいつは―――」
鯉登が部下を数人連れて、水城とアシリパに近づいているのに気づいた月島が叫ぶ。
一瞬月島の声に、アシリパから気を逸らした鯉登は、ドスッと鈍い衝撃が体に走った。
同時に強い痛みが肩に走り、そちらを見れば今まで蹲っていた水城が顔を血飛沫で汚しながら、鬼の形相で自分を見つめているのが見えた。
水城はうずくまって動かなかったのは、怪我をしたからではない。
第七師団の隙を伺っていた。
敵意は隠し、隙を伺い逃げ出すために。
例えそれは相手が恋人だからと抑えることはない。
水城は恋人であっても殺意を押さえることなく、今まで愛し合い体を重ね合った鯉登の肩を、容赦なく刺した。
「私は不死身の杉元だ!!!」
鯉登が口を開いた。
その口からは自分の名前が奏でられるだろう。
しかしそれを遮る様に水城は気合を入れるように叫んだ。
少尉を刺され、後ろに控えていた部下が銃口を水城に向けて放つ。
しかしそれに気づいた水城が咄嗟に鯉登の肩を刺した銃剣から手を放し、張り手で逸らして外させる。
その際相手の銃剣を抜き取り、その銃剣を相手の頬に差して返した。
「雪乃―――」
鯉登が名を呼んだのと同時に、水城は刺した相手の銃を奪い振り回す。
その隙を狙われ、水城の脇腹に銃剣が突き刺した。
水城は痛みに顔を顰めることもなく、グッと剣を押し込もうとする軍人の銃剣の剣を取り外し、その軍人の腹を一発蹴り、その頭を手に持っている銃の銃床で上から叩きつけるように振り下ろした。
一人、また一人と第七師団は倒れるが、水城は休む暇なく再び銃を振り回し銃床で相手を伸していく。
周りを囲む軍人たちが倒れたのを見て、水城は背中にアシリパをぶら下げながらその場を逃げ出した。
「……、…」
その後ろ姿を鯉登はただ何も言わず見送った。
何も言えない、と言うべきか。
ジンジンとした痛みが肩を襲う。
「鯉登少尉殿、診せてください」
座り込む鯉登に月島が歩み寄る。
何の反応もない上官に、月島は返事を待たず勝手に傷口を見る。
「月島軍曹!追え!!逃げられるぞ!!」
後ろから来た上官、特務曹長の菊田が鯉登に構っている月島に命じながら通り過ぎる。
しかし、月島はそれに応えるわけでもなく、鯉登の傍にいた。
ふと菊田を見送っていると、鯉登が肩にある銃剣を抜こうとしているのを見てその手を止める。
「抜かないでください」
「…行け…月島…私は、いい、から…」
軍医がいない以上、むしろ刺された剣は抜かない方がいい。
抜けばその傷口から血が溢れてしまい、止血できる状況ではない今は無駄な血を流すだけだ。
自分に構うなという鯉登の言葉を、月島は聞くことはなかった。
「いつも感情的になって突っ走るなと注意していたでしょう」
昨日は素直に聞いてくれていたのに、なぜ今になって指示を無視したのか。
やはり、恋人の危機に黙っていられなかったのだろうか。
そう月島は思う。
傍から見ても水城と鯉登は仲睦まじかった。
こちらが居た堪れないほどに。
こちらが、嫉妬するほどに。
それを考えていると、横を鶴見が通り過ぎた。
「………」
鶴見は鯉登に声をかけるでもなく、チラリと見ただけですぐに視線を逸らし、彼から姿を消す。
それを月島は視線で追う。
月島から見ても、鶴見は何を考えているのか分からない上官だ。
だが、それでも今の鶴見の感情は少し読み取れた。
(杉元…お前、厄介な相手に好かれたものだな…)
鯉登など見向きもせず、鶴見が見つめるのは、ただ一つ…水城だ。
鶴見の鯉登を見る目。
そこに部下思いの中尉はなかった。
鶴見の視線は、鯉登自身ではなく…水城に刺された銃剣に向けられていた。
鶴見は表には出さないが、興奮していた。
いや、興奮だけではない。
逃げられた事への苛立ちだってあったし、逆に無感情も存在していた。
ただ、一つだけ言えるのは…更に水城に対する執着が強くなった事だろう。
月島からの電報で鯉登と水城が恋仲に戻った事は知っている。
だからこそ先ほどの水城に興奮していた。
(不死身と言えど所詮は女だな)
鯉登の肩に刺さっている銃剣を見て、鶴見はそう思う。
きっと普通の人間は、恋人を刺した水城を非難するだろう。
だが、鶴見はむしろその逆…鯉登がどれほど水城に愛されているのかが見てとれた。
部下は容赦なく殺しているのに、恋人である鯉登には急所を外している。
それがその証拠だ。
そこに鶴見は、水城の鯉登への愛を感じていた。
それと同時に、そう思ってしまう自分の異常さに内心笑ってしまう。
どうしようもなく、あの狂犬が欲しいのだ。
手元に置くだけでは満足できない。
吉平のように…いや、吉平以上に水城の首に頑丈な首輪をつけてその手綱の輪っかを常に手首に通していたい。
そこに劣情はない。
水城は勿論魅力的な女性だ。
顔が整っており、身体だって悪くはない。
状況が状況ならば、きっとモテていただろう。
だが、鶴見は水城を性の対象として見ることはない。
枯れているわけではないのだ。
ただ、鶴見が欲しいのは『女』ではなく、『杉元水城』が欲しいのだ。
嗚呼、病んでるな…、と自分の思考に対して鶴見はそう感想を述べる。
そう、病んでいるのだ。
自分も、吉平も…そして、恋人を躊躇なく刺せる水城も。
戦争を経験した人間は全て病み、そして狂う。
「せっかく杉元のために驚く贈り物を用意していたというのに…無駄になってしまったな」
可愛い可愛い犬には、何もしていなくても褒美を用意したくなるのが、親馬鹿な飼い主というものだろう。
鶴見はチラリと自分が乗ってきた船へ視線をやりながら、残念そうには思えない口調でそう零した。
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