(3 / 29) 少女時代 (03)

ここ数日、鯉登はあまり機嫌がよろしくなかった。
その原因は今日くるはずの存在である。
まだ目に見ぬ叔父の養女だという女児に鯉登は嫉妬していた。
秋彦は尊敬できる男であり、叔父だ。
その叔父である川畑の血を継ぐ男児とは反りが合わないが、しかしそれでもその実力は買っている。
どんな事情があるかは知らないが尊敬できる叔父の養女になった運のいい女児に鯉登は嫉妬していた。
勿論それは父にも母にも気づかれており、両親は咎めるでもなく微笑ましく見ているので正直居心地が悪くその八つ当たりもあった。
今日という日をどれだけ来るなと思ったか。
父の悪い冗談で、実は叔父だけが遊びに来てくれるのでは?とどれほど思ったか。
だが、現実というのはそう甘くはなかった。


()しかぶいじゃっど、音之進…元気じゃったか?」


どんなに来ないでくれと思っても時間や日にちは非道にも進むし、この家に訪れたのは叔父と叔母だけではなく養女も一緒だった。
鯉登はその養女を見て嫌な顔一つでも送ってやろうかと思ったが、一緒に来た叔母の手に繋がっている養女の顔を見て鯉登は目を丸くし驚愕の表情を浮かべた。
しかし叔父の声かけにハッと我に返り、背筋を伸ばし尊敬する叔父と叔母に挨拶を返した。
そんな甥に叔父は目を細め頭を撫でた。
そして新たに迎え入れた娘に振り返り、こちらに来るよう手を伸ばす。
それに釣られて鯉登もそちらへ目線を移す。


「さあ、雪乃も挨拶(えさっ)しやんせ」


養女は薩摩弁を理解しているのか、養父の言葉に頷いた。
義母に背中を押されたのもあり、緊張した面持ちで一歩一歩義父に歩み寄り頭を下げる。


「は、はじめまして…二年前に川畑家に引き取られました川畑雪乃と申します…以後お見知りおきください」


鯉登の前に現れたのは鯉登よりも少し背の高い少女だった。
その幼い顔は整っており綺麗な顔つきをし、黒く美しい髪と宝石のような美しい琥珀色の瞳を持っていた。
頬は桃色に、唇はほんのりと赤く染まっていた。
立場的に美容を気にしている美女や苦労していないのが目に見えて分かる美少女で見慣れている鯉登でも息を呑むほどだった。
ただ、生まれながらのお嬢様と違いは肌の色だろうか。
小麦色とは言わないが、色白ではなく、所謂健康な日本人の肌の色であった。
少女は何度も練習したらしく、緊張しているのかたどたどしい挨拶だが、大人たちはそれはそれで可愛く見えるらしい。
父も母も、そして叔父夫婦も微笑ましく雪乃と名乗った養女を見つめていた。
鯉登も雪乃を見つめていた。
じっと見つめ、何も言わない鯉登に雪乃も流石に不信に思ったのか首を傾げて鯉登を見つめた。


「音之進さん、雪乃さんに挨拶なさい」


何も言わず棒立ちの息子に母が慌てて挨拶するように声をかける。
それにやっと我に返った鯉登は幼い頃から教えられた挨拶をする。


(…?)


鯉登の挨拶に少女はにこりと笑う。
それを見て鯉登は胸の当たりがきゅっと締め付けられるような感覚に陥った。
胸元に手をやりながら鯉登は『病気か何かだろうか』と首を傾げていた。
チラリともう一度雪乃を見れば鯉登の両親と話しているのが見えた。
鯉登は両親や叔父夫婦の会話さえ耳に入らずただジッと視線を雪乃に向けていた。
だが鯉登はその笑みに違和感を感じた。


「音之進さん、雪乃さんにご無礼のないようにね」


母の言葉に鯉登は自分が別世界にいたことに気付く。
ハッとさせ母を見上げれば美しく笑みを浮かべ息子の頭を撫でた。
鯉登はその言葉を理解するのに少し時間がかかった。
内心『は…は!?はあ!?』といつもの猿叫を叫ぶ暇さえないほど驚いていたが、そんな息子をよそに母は雪乃に『音之進さんをお願いね』と笑みを向け父や叔父夫婦共々出て行った。
鯉登は頭上に『????』と浮かべながら唖然と出てく両親たちを見送った。
雪乃も両親たちに静に頭を下げ見送っていた。
しかし、残されたのは状況を把握できていない鯉登家嫡男と、川畑家の養女…そして、沈黙である。
無情にも扉はパタン、と閉められ、頭の中が真っ白になっていた鯉登はくるりと静かに振り向く雪乃に思わずビクリと肩を揺らす。


「……………」

「……………」


チクタクと時計の秒針の音だけが響く中、両者無言を突きとおしていた。
しかし雪乃が手を差し出し、その手を鯉登は目を瞬かせながら見つめた後雪乃の顔を見る。


「えっと…改めてはじめまして、私雪乃って言うの…音之進くん、でいいんだよね?」

「…気安(ここいや)()っな」


改めて自己紹介する雪乃がにっこりと笑うとまたどうしてか胸の当たりが苦しくなるのを感じた。
だがそれは嫌な奴を相手しなくてはいけないからだと思い込むようにし、音之進はその手に触れずそっぽ向いた。
叔父夫婦にチクられるのを考えれば猫を被った方が得策ではあるが、薩摩隼人として猫を被るってヘラヘラするなど屈辱でしかなく、幼いながらに不器用な男児である鯉登には出来なかった。
その突き放すような言葉に雪乃はカチンと来たようで、ムッとさせたがそっぽを向く鯉登の手を無理矢理握る。
手を取られた鯉登は目をカッと見開き驚きのあまりいつもの猿叫を零しながら雪乃へ目をやる。


「な、ななな…ないをすっど!!?お、女から男に触るっなんて不埒や!!!!」


顔を真っ赤にして手を振り払おうとするも意外と雪乃は力が強いのか振り払えず二人の腕は大きく上下に振られるだけだった。
キエエエと叫びながら必死に逃げようとする鯉登に雪乃はもう意地だった。
ぐっと手を強く握りぐいっと顔を近づける。


「お名前はなんと仰るんですか!」

「な、名前!?それ今()っ必要あっとか!?」

「私は自己紹介したので音之進くんもするのが礼儀でしょう?」

「名前を呼んじょいんじゃっですでに知っちょっだろ!!!じゃっで()必要なか!!!」

「お・な・ま・え・は・な・ん・と・お・っ・しゃ・る・ん・で・す・か」

「〜〜〜〜ッッ」


鯉登はテンパっていた。
なぜこんなにも混乱し、なぜか顔が熱くなっているのか分からないが、これ以上相手にしてられない(鯉登談)と、こちらが折れてやろう(鯉登談)ともう一度名乗った。
雪乃はそれで満足したのか『音之進くんね』とにこりと笑みを浮かべ、やっと離れた。


「じ、じゃっで!!気安(ここいや)()っなと()ているだろ!!」

「でも鯉登だったらおじ様やおば様と被るし…お父様達は私の友達として君を紹介したから名前で呼ばないとお父様達にいらない心配かけるし……それに君、私より年下でしょ?音之進くんの方が自然じゃない?」

「自然も不自然もあるか!!大体(たいがー)年下って()てもそう変わらんだろ!!おいは認めんからな!!!」


指を指しぎゃあぎゃあと喚く鯉登に雪乃はニコニコと笑っているだけだった。
何が可笑しいんだと問い詰めたいが、またさきほどのような事をされたら心臓が持た…ではなく、屈辱なのでやめた。
とりあえず触れられた手が何故か熱がこもっているように熱いので片方の手で擦るだけにしておく。


「………」


熱い手を擦りながら鯉登はチラリと雪乃を見る。
雪乃は『何しようか』と座布団の上に腰を降ろし、テーブルに肘をつきながら父達が帰ってくるまでの時間つぶしをどうするか問う。
鯉登へ顔を向けたので、鯉登が雪乃を見ていた事に気付かれ鯉登は思わず『キェ…』と声を零し慌てて目線を逸らした。


「ち、父上達はどけ()たんだ?」


何?、と問われるのが嫌でついそう零せば雪乃は目を瞬かせ小首をかしげる。


「あれ、聞いてないの?お父様とおじ様はお仕事、お母様とおば様は買い物に行ったよ」

「…………」


聞いてない…と鯉登は思った。
が、それはただ単に雪乃に気を取られ過ぎて父達の会話が耳に入っていなかっただけだった。
聞いてないぞと言いかけた言葉をきゅ、と唇を噛み呑み込んだ。


「薩摩って何か面白い物とかある?」


鯉登はそう問われ適当に脳裏に浮かんだ物を告げる。
鯉登も雪乃も上流階級だし、まだ幼いため保護者や付き添いなく出掛けるのはできない。
ポツポツと話して何とか落ち着いた鯉登はもう一度雪乃を見た。
『へえ』やら『ふーん』やらどう聞いても適当にしか聞こえない返事をしながらも雪乃は初めて来た土地の話を楽しそうに聞いていた。
先ほどのわざとらしい笑顔とは別に本当に楽しそうに笑うその笑顔にまた頬が熱くなったが、気のせいだと思う事にしながら雪乃を見つめた。


「ん?なに?」

「ファ!?な、(ない)がだ」

「さっきからじっとこっち見てるじゃん…何か言いたい事でもあるの?」


見られたことに気付かれた鯉登だったが、雪乃の問いに慌てるでもなく、ふと父達がいないからと質問をする。


「…お前、ないごて叔父上の養子(よし)になった?」


この質問はまだ10にもなっていない幼い鯉登でも父達大人の前ですべきではないと理解していた。
鯉登は幼いながらも父親の地位によってそれ相応の教育をされていた。
元々頭がいいというのもあって同じ年頃の子供達に比べて大人びてもいた。
その鯉登の問いに雪乃はキョトンとさせたが、考えるように鯉登から視線を外し、女中の淹れたお茶を見つめていた。


「うーん…言いたくないかなぁ」

「は!?なんで()ごちゃねんだ?(ない)()きらん理由(じゆ)でもあっとか!?貴様(きさん)、叔父上達を騙しちょっんじゃねやろな!?」


雪乃の言葉に鯉登は思わずガタリと立ち上がる。
幼くとも頭がいいため、言いたくない理由がある=何か理由がある=叔父たちを騙している=ということは金や地位目的だった、と繋げ、ギロリと雪乃を睨んだ。
その睨みに雪乃は目を瞬かせたが、ふと微笑みを浮かべた。
その笑みは仮面の笑顔ではなく自然と現れた笑みだった。
その笑みに鯉登は疑っているのに思わずドキリとさせグッと言葉を飲み込んだ。
それでも大切な叔父と叔母が騙されていると思うことで気持ちをとどめた。


「音之進くんはお父様達の事、大好きなんだね」

「あ、当たい前だ!!尊敬できる(しきっし)人じゃっでな!!ちゅうか名前で()っなって()てるじゃろう!!苗字で呼べ!」


『えー、どうしようかなぁ』とニヤニヤと笑う雪乃に鯉登は『キエエエ』といつものように鯉登は猿叫を叫んだ。


「ないごて()きらん!!(ない)かやましい事でもあるんやろ!?もしや貴様(きさん)…!川畑家の財産(しんで)目当てだな!?」


再び指さす鯉登の言葉に雪乃は姿勢や態度を崩さず『不正解』と言った。


「財産なんて興味ありませーん」

「嘘をつくな(つっな)!!!()ごなら(かた)いがなっはずやろ!!!」

「だって、教えるほど私達信頼ないし…そもそも"鯉登君"、私を疑ってるでしょう?そんな相手に話せるほどこの話し、軽くないし」

「ぐっ…」


反論の余地なし、とはこの事である。
確かに鯉登は雪乃に認めないと言ったし、雪乃が川畑家に養子として迎え入れられた理由を聞くにしては相手の信頼を得られていないのは確かだ。
うぐぐと唸る様に座り直す鯉登に雪乃は肩をすくめた。


「まあ、でも財産とか地位とか興味ないのは本当だよ?それだけは信じてほしいな」

信じがなっか(信じられるか)

「信じてよ…大体さお父様達にはもう跡取りがいるし、女は家を継げないじゃん…まあ川畑家の血が流れてる親戚を養子にするとか方法はいくらでもあるけど…私はお父様達が死んだら家追い出されるんだし…財産とか地位とか狙う理由ないじゃん?もし財産目当てだったらもっと大人になってから狙うし」


あはは、と笑って見せる雪乃の笑顔は鯉登には泣きそうな顔に見えた。
この時代は現代に比べて女性の地位は低い。
それどころか長男以外の男兄弟はタダ働きは当然だったほど現代と比べ物にならないほど酷かった。
時代背景からして女性が家を継げないのは仕方ないにしても、鯉登は『家を追い出される』という言葉に何も言えなかった。
川畑家には二人の息子がいる。
その母方の従兄達と鯉登は親類ではあるが気が合わないのか仲はあまり良くはない。
年齢が離れているためなのもあるが、親類とは言えあまり関わりたくない人間に入る。
だから雪乃の言葉は否定できるようなものではなかった。
もしかしたら雪乃の考えすぎかもしれないが、そう思えないほど鯉登は彼らとの関わりはあまりにも薄かった。
雪乃は大人しくなった鯉登を見て信じてくれたとホッと安堵した。

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