水城達は何とかギリギリで船に乗り込むことに成功した。
馬は乗れないのでその場に置いていく。
運が良ければ飼い主が見つかるだろう。
「もうすぐ出港するってよ」
傷だらけの軍人、坊主頭の男、アイヌ民族の少女、そして顔立ちから外国の男…怪しさ満載の組み合わせだ。
しかし、少し多くの金を払って何とか乗る事が出来た。
人気のない場所を求めると、自然と船尾に落ち着いた。
血を出しすぎた水城の体に毛布を掛け、低体温になるのを防ぐ。
白石が『後で弾を取りださねえとな』という独り言のような言葉に、水城は言葉なく頷く。
反応したことに白石はホッと安堵の息をつく。
「しかし…こんな酷い傷なのに…お前どうやったら死ぬんだよ…」
息も絶え絶えではあるが、生きていることに安心したのか、いつもの憎まれ口を零す。
そんな白石に水城は小さい声で『うっさい』と憎まれ口には憎まれ口で返した。
「水城…」
そんな白石とのやり取りを見ながら、アシリパは神妙な表情で水城を見つめた。
言わなくても水城はアシリパの言いたい事が分かった。
「アシリパさん…大丈夫…こんな傷じゃ私の魂は抜けていかないわ…まだまだその時じゃない…」
水城の言葉にアシリパは何も言わず、俯いてしまう。
傷ではっきりしない意識の中でもアシリパの不安を感じ取ったのか、覇気のない声で水城は安心させるように言った。
安心させるようにとは言いつつも、水城本人もこんなところで死ぬ気はない。
この言葉は自分に言い聞かせてもいた。
白石は俯くアシリパを見ていると、後ろにいたヴァシリが座ったまま柵に近づくのが見えた。
「どうした?頭巾ちゃん?」
何やら水城達に振り返ってどこかを指さし、フンフンと鼻息を荒くするヴァシリに、白石は双眼鏡を貸してもらって覗く。
ヴァシリがしきりに指を指している方向を双眼鏡で覗けば…そこには軍服を着た男が片膝を突いているのが見えた。
第七師団の姿にギョッとさせた白石だったが、男があるものを見つけたのに気づき、更にギョッとさせる。
「やばい!!一人こっちに来るッ!!」
第七師団の兵士は、水城の塞ぎきれなかった血痕を見つけてしまった。
白く凍り付いた地面に血痕はさぞ映えただろう。
船に伸びる血痕に、第七師団の男は船を止めにこちらに向かってきているのが見えて白石は焦る。
「撃てッ!!パーン!!やれ!!お前なら当てられるだろ!!見つかったらアシリパちゃん以外みんな殺されるぞ!!今なら仲間の兵士も近くにいねえ!!」
白石はロシア語は分からないが、必死に撃つようヴァシリに伝える。
身振り手振りで伝える白石の必死さは伝わったのか、ヴァシリは肩にかけていた銃を構えた。
「足だぞ!!足を狙え!!」
銃を構えるヴァシリに、水城の傍にいたアシリパがヴァシリの足を叩く。
人を殺すことを是としないアシリパは追えないように足を狙わせようとする。
ヴァシリはアシリパを見た後、兵士の方へ銃を構え…一発放つ。
「足に当てたか?」
アシリパは確認しようとするが、図体のでかいヴァシリの体が邪魔で確認ができない。
白石は『よくやった』と言って労うように肩を何回か叩いた。
水城は痛みを感じながら、白石の反応からして殺したのだと察したが、アシリパには黙っていた。
銃声は辺りに響いたが、船員には気づかれなかった。
音としては届いていたが、それが銃声だとは思っていないようだ。
客を全て乗せ終え、船長の掛け声に船はゆっくりと動き出す。
「やった!!樺太脱出だ!!奴らから逃げきったぞッ!!」
ゆっくり動き出した船はスピードを速め、港を出る。
港や街が遠ざかり、そこで白石は肩の力を抜く。
白石が出向前に聞いた情報によれば、ここから稚内まではあと三時間もあるらしい。
「しかし…まったく…よりによってあんなところで逃げようと決めるなんて…」
白石は頭の天辺を気にしながらポツリと呟く。
あの弓に唯一矢を受けたのは白石だけだった。
皆避けたが、白石だけ、弓矢を頭の天辺に刺さった。
その後がくっきりとあるが、毒を仕込んでいないのでジンジンとした痛みだけで済んだのは幸いだろう。
「鶴見中尉達に引き渡されてしまえば厳重に監視されて逃げる隙もなくなっていたはず…それに…多分、私は実家に戻されて…私の意思関係なく音之進と結婚させられて…家に閉じ込められてた…」
水城は、白石の言葉で、自分がどれだけの事を見て見ぬふりをしようとしていたのかに気づく。
きっと白石の言葉がなければ、アシリパの覚悟がなければ、水城はアシリパと引き離されていただろう。
アシリパは冷たい場所で軍人に厳重な監視で過ごすことになり、そして、恐らくは水城は実家に帰されたはず。
水城は決して第七師団には入らない。
鶴見の味方にもならず、恋人であるはずの鯉登の味方にもならない。
水城はアシリパだけの味方なのだ。
そのため、水城は邪魔でしかない。
邪魔されないよう、鶴見は鯉登との結婚を急がせ水城を鯉登家に縛り付けようとするだろう。
妊娠さえしてしまえば水城は決して無理はできないだろうし、鯉登も本心は今すぐにでも水城を縛り付けたいだろうから、水城が望んでも外は出してくれないだろう。
水城さえ封じてしまえば、あとはトントン拍子だろう…そう鶴見は考えているはず。
白石も厄介と言えば厄介だ。
白石は脱出や脱獄のスペシャリストではある。
だからこそ、二人がアシリパの傍にいては困る。
だが、所詮は脱獄犯と元軍人だ。
アシリパ、水城、白石…その三人が揃えば脅威にはなるが、バラバラにさえしてしまえば軍人である鶴見達の敵ではない。
だからこそアシリパと引き離し、最も厄介な不死身を鹿児島に閉じ込めようとしていたのだろう。
飼い主になりたがってはいたが、鯉登と結婚してしまえばいつでも会いに行ける…鶴見は手元に置くのを諦め、妥協したのだろう。
水城の予想は白石も納得しているのか、頷いて返した。
「まあ、確かに杉元と離してどこかに監禁するつもりだったみたいだし…アシリパちゃんを囚人狩りに連れ回す必要なんて奴らには全く無ぇよな…杉元だって鯉登ちゃんと和解したっていう名目があるんだから、実家に帰されることだってありえる」
白石は水城の事情は知らない。
なぜ、男装してまで戦争に参加したのか。
なぜ、戦争から帰ってきたというのにまだ男装しているのか。
なぜ、女の身でそこまでして金塊を探すのか。
何となくは水城も話していたが、詳しくは知らない。
だが、自分なんかに比べてご立派な理由があるのだろう。
水城はもう一人ではないのだ。
両親なんて出されたら大抵の人間は逃げ道を失う。
例え慎重にならなければならない関係だとしても、それをいとも簡単にやってのけるのが鶴見だ。
脳裏に母の顔を浮かべた水城は、目を瞑ることで母への罪悪感を誤魔化した。
「私達だけで金塊を見つけられたら使い道は私達で決められる」
アシリパは水城と出会ってからずっと、ブレることのない信念を持っている。
アシリパの矢尻には毒がついていなかったし、弓の達人であるアシリパがわざと天へと矢を放つ事で、鶴見達が避けれるようにしていたのがその証拠だ。
水城はまっすぐアシリパを見上げた。
「アシリパさんなら自分の信じるやり方でアイヌを守る道を探してくれると私は信じることにしたわ」
アシリパを見上げるその琥珀色の瞳には、光が灯っていた。
アシリパはその瞳と、水城の言葉に嬉しそうに笑みを浮かべる。
「それはいいけど…どうやって俺らだけで金塊を見つけんのよ?」
やっといつもの二人に戻った事は、白石も安心だ。
だが、問題は山積みなのが現状だ。
船に乗って逃げたのは良いのだが、キロランケと尾形が抜けた今、一番金塊に遠い存在なのは自分達なのだ。
相手は鶴見だけではなく、土方もいる。
いや、下手をすれば息をひそめた新勢力があるかもしれない。
とにかく、金塊の存在を知っているのは何も自分達だけではないのだ。
その強敵達を掻い潜り、時には出し抜かなければ、アシリパ側の勝利はない。
とはいえ、金塊のカギとなるアシリパが自分達の味方なので、決して金塊から遠のいているわけではない。
白石がそうぼやいていると、水城達が乗る船の傍で海が大きな水しぶきを上げた。
「うわあ!!追っかけてきた!!!」
鶴見達がついに駆逐艦を使い、追いかけてきた。
爆発音と水しぶきに、乗客達は驚き次々に出て来る。
中には戦争が起きたのかと慌てる者もいた。
(伯父様…)
水城は駆逐艦にいるであろう伯父を思い浮かべる。
結局、伯父には一言何も言わず別れてしまった。
それは鯉登も同じだが、彼とは多くを語り合った。
伯父も自分達親子を心配していたのに、一言でも鯉登に言伝でもいいから残しておけばよかったかと思う。
「す、杉元!どうするんだ!?」
じっと小さく見える駆逐艦を見つめている水城を、アシリパが見つめていた。
水城はそんなアシリパに気づかず、焦った白石に声をかけられハッと我に返る。
「どうするもなにも…もう私達4人しかいないんだから何とかするしかないでしょ」
そう言って水城は銃を杖代わりに立ち上がり、ある場所へと向かった。
その後ろをアシリパが続く。
水城が向かった先は操縦室だった。
軍艦からの指示に、操縦室はどよめいでいた。
「『直ちに機関を停止せよ』――とのことです船長…」
「ああ?何のつもりだ?」
部下の報告に、船長は怪訝な顔をした。
軍艦なのは分かったが、なぜ、軍人が一般の船を追いかけ砲弾を撃ってくるのかが分からない。
とは言え、こちらには民間人が多く乗っている。
船長は部下に停まるよう言いかけた…が。
「止めないでくれ」
突然血だらけの軍人が銃を構えて割り込んできた。
血だらけの軍人の後ろには、アイヌの少女がおり、異色の組み合わせだ。
血だらけの人間を目の前に動じない人間などおらず、船長は開けかけた口を閉ざす。
しかし、呆気に取られた船長達をよそに軍人は言葉を続けた。
「奴らの目的はこの女の子だから撃沈する気は絶対にない」
その言い方からして、どうやら軍人に目をつけられている原因はこの異色の二人組のせいらしい。
突然の事であるため、船長の頭はまだ混乱していた。
だが、船長は軍人…水城を頭の先から足先まで見る。
「あんた血まみれじゃねえか…ただ事じゃなさそうだな…」
内心、よくこんな血だらけの姿で船に乗れたな…とは思うのだが、まだ混乱しているのだろうか。
目の前にいる軍人は、体だけではなく、服にもべっとりと血がこびりついていた。
その姿は素人の目でも明らかに何か訳ありで追ってきている軍人と戦ったことが容易に考えられるような姿だった。
船長の問いに水城は首を振る。
「訳は聞かない方が船長さんのためだ…」
いかにも訳あり。
いかにも面倒ごと。
水城の姿や言葉から面倒な気配しかしない。
普通なら面倒ごとに巻き込まれたくなくて、軍人さんなんかに目を付けられたくなくて、水城を突き出すのだが…
「よっしゃ!そもそもよぉ民間人を乗せてる俺の船に向かって脅しでもいきなり砲撃してくる奴らの命令なんぞ聞いてやる気なんかねえんだよ!」
船長は水城を突き出さないという選択肢を選んだ。
頷いた船長を見て水城はホッと安堵の息をつく。
相手は軍人だ。
戦争を経験し、自分達のために戦ってくれた。
それはそれは頭が下がる存在だ。
だが。
それでも、だ。
この船は戦艦でもなければ敵船でもない。
一般人と荷物を乗せた普通の船だ。
この二人がどれだけ犯罪者であろうと、何かしでかしたであろうと、民間人を乗せている船を威嚇としても砲撃してきたことに船長は腹を立てていた。
「全速前進!!」
船長と同じ腹を立てている船員もいるだろうが、軍人を恐れる船員もいる。
一部の何か言いたげな目線を無視し船長は命じる。
船長の指示に船員は世話しなく動き出し、それと同時に船の速さも増した。
「とはいえ…距離は5千メートルくらい離れてるが向こうの駆逐艦の方がずっと速いんだよな…すぐに追いつかれちまう!」
そもそも、同じ海に浮かぶ船と言えど、軍艦と連絡船では制作目的も構造も違う。
速さはあちらの方が上である。
それを聞かされ、水城は考える。
鯉登が嫌いなわけではない。
母と再会したくないわけでもない。
ただ、水城はアシリパと白石と共に金塊を探すのを決めたのだ。
何がどうなろうと、アシリパから離れるわけにはいかないのだ。
そのためには今は鶴見率いる第七師団と伯父である平二の軍艦から逃げ出さなければならない。
「あの流氷の帯を突っ切って向こうの海へ行けないか!?時間を稼ぐんだ!!」
「はあ!?砕氷船じゃねえんだぞ!!流氷に突っ込んだら沈没しちまうだろ!!」
水城の無理難題を船長は全て却下する。
水城はどこか薄くて行けそうな場所はないかと言うが、素人の無茶ぶりにどこに幅100メートルもある場所があるんだと船長は怒鳴りつける。
この時期は北海道のオホーツク海沿岸まで流氷が来ており、水城の提案は夢物語のような無茶ぶりだった。
水城は船長に『見てみろ!!』と怒られながら渡された双眼鏡で確かめた。
確かに薄そうな場所はどこにもない。
「いいから船首をあの流氷の帯に向けるんだ!私を信じろ!!」
しかし、それでも水城は逃げなければならない。
今鶴見に捕まるわけにはいかないのだ。
今捕まって鯉登と夫婦になり鹿児島に返されれば、きっと水城は後悔する。
その後悔は死ぬまで悔やみ、悔やみながら水城は死ぬのだろう。
これ以上汚い大人の欲のせいでアシリパを…アイヌ達を傷つけたくはなかった。
だからこそ、素人ではあるが無茶ぶりをする。
その切羽詰まった表情や迫力に、船長は負けた。
仕方なく、危険を承知で水城の言う通り流氷の帯へと進行を変えた。
その後ろを駆逐艦が追う。
駆逐艦は一般人が乗っているのも関わらず、連絡船に砲弾を浴びせた。
水城の読み通り、アシリパに死んでは困る鶴見は決してこの船を沈めることはない。
脅しではあるが、そのおかげで目の前を阻んでいた流氷の帯に割れ目ができた。
水城は唖然としながらも、乗客の悲鳴やざわめきにハッと我に返り、グッと拳を握る。
「や……や、やった!!読み通り!!逃げた鼻っ面目掛けて撃ちまくると思ってたのよ!!」
明らかに予想外の奇跡。
しかし、水城はそれを自分の手柄にした。
それを知ってか知らずか…白石は『流石杉元!!脅し行為に造詣が深い!!』と褒めてるんだか貶しているんだか分からない言葉をかけた。
水城は後者として受け入れ、坊主頭を一発叩いた。
「よし!!速度を上げろ!!このまま逃げるんだ!!」
グッと握り、そのまま逃げるため、船長に速度を上げるよう、おど…伝える。
一気に速度を上げる連絡船に、鶴見達が乗る駆逐艦も追う。
しかし、駆逐艦も連絡船同様砕氷船ではないため、目の前に立ち塞がる流氷の帯に立往生していた。
それを双眼鏡で見て水城と白石は高笑いを上げる。
「なんかあいつらモタついてるみたいだぜ!」
「流氷が動いて帯の割れ目が塞がったんじゃないの?よしよし!!いいわよ!このままいけば逃げきれる!!!」
駆逐艦には愛しの恋人が乗っているというのに、水城は(主に鶴見に向かって)ざまあと笑った。
とまあ、ここまでくればオチは読めるだろう。
鶴見の助言によって、水城達の逃げ道を作ったのと同じく、流氷を砕き始めた。
「やべぇ…!流氷を砕いてる!!」
「追いつかれるのも時間の問題か…!!」
双眼鏡を持つ手も思わずグッと強くしてます。
まだ距離はあるものの、このまま流氷を砕き終われば、駆逐艦の速度では追いつかれるのは目に見えていた。
どうする、どうする、と水城はこれまでにないほど頭を動かす。
しかし、焦っているためか、いい案が浮かばない。
そして焦る…その繰り返しだった。
「……よしッ!シライシ来い!!」
「えっ!?なに!?」
「白い布を集めるぞ!!」
流氷を砕いていく駆逐艦を見ていたアシリパは、ふと提案を思いついたのか白石を呼んで船内に消えた。
水城は白石がいるならと、駆逐艦の様子を双眼鏡で監視する。
―――暫くして、駆逐艦はついに流氷を砕き終わり、自慢の速さで連絡船に追いついた。
「出て来い!杉元佐一!!」
第七師団達が乗り込むのを、船長である平二が見送る。
その後ろで音がしたので振り返ると…一人の少女が船内に続くドアを開け、その隙間から顔を覗かせていた。
その少女に、平二が『危ないから中にいろ』という意味で手を上げて見せれば、意味は通じたのか、チラリと連絡船を見た後中に入っていった。
少女にはあまり乱暴なところは見せたくはないため、平二は中に消えた少女にホッと安堵の息をつく。
「杉元達が逃げた!!」
乗り込んだ第七師団の兵士達が声を上げてそう鶴見達に伝える。
降参と両手を上げる船長曰く、ついさっき降りたらしい。
しかし、緊急時に使用されるために積んでいる短艇が一つも欠けず残されていた。
だが、船内を探しても水城の姿どころか、アシリパ、白石の姿すらなかった。
船内にも姿がなく、第七師団の兵士は船長に銃口を向ける。
「どこかに隠したのか!」
「隠す義理なんてねえよ!!あっちで停止した時あいつら勝手におりたんだ!!流氷の上を歩いて逃げてったんだよ!!!」
船長の言葉は信じられないが、本当だった。
船長は嘘は言っていない。
嘘、は。
―――水城は見事、鶴見から逃げる事が出来た。
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