(8 / 10) 転生パロ (7)

その個室には水音だけが響いていた。
壁が薄いのか、両隣から客の楽しそうな声が籠って聞こえる。
白石達の声も聞こえるので、あちらはあちらで盛り直したのだろう。
ひとえに、今世も人好きする性格で生まれた白石のお陰なのだと、水城は尾形とのキスで呆けた頭の隅で思う。
その間も尾形からのキスは繰り返し与えられる。
深かった口づけは浅い口づけに変わっており、余韻を楽しむように、ちゅっちゅっ、と可愛いリップ音を奏でながら尾形は水城とのキスを楽しんでいた。
水城が大人しいのを良い事に、尾形は時計が取れたばかりの手を水城の胸元に伸ばし、はだけている服の隙間から指先を入れる。


「だ、だめ…まって…っ、ここ…お店、だから…」


しかしその手を水城が止めた。
尾形も流石に居酒屋で盛るのはマナー違反かと思い、渋々だが素直に手を退いた。
浅い息を繰り返す水城を落ち着くまで待つ。
しかし、今まで我慢していた感情が止まるわけがなく、唇にするのを我慢はするが、頬などに何度もキスをする。
水城は尾形と体を重ねていた頃でも、恋人同士のようなやり取りはしなかったのもあってか、気恥ずかしくなって頬を更に赤く染める。
頬にキスをするという、色っぽさもない仕草一つでも頬を愛らしく桃色に染める水城に、尾形は愛し気に目を細めた。
この腕にしまい込まれている女をどれだけ欲したか。
この腕に大人しくしている事がどれだけ奇跡的な事なのか。
きっと誰も分からないだろう。
頬や口端にキスをするだけでは我慢できなくなった尾形は、首筋に唇を寄せた。
れろっと舐められた水城はビクリと肩を揺らしたが、ただ触れるだけの口づけを繰り返されると肩の力を抜く。
水城だって、百年越しに再会した彼に触れられてその気にならないわけがない。
場所が場所でなければ即受け入れていただろう。
しかしここは居酒屋だ。
本来ならキスだってマナー違反にも等しい行為だ。
それに初夜はもっと甘く切なく、ロマンチックな雰囲気でしたいと水城は小さい頃から憧れていた。
水城は腕力どころか、今世でも少女趣味は健在だった。


「水城…一つ、いいか?」


水城を堪能するのにこんな短い時間では満足できない。
だが、ここはただの飲み屋だ。
止まらなくなる前に、尾形は理性が働くうちに水城を愛することをひとまず止めた。
前世で少女趣味だった水城の事だ…今世でも少女趣味は変わらないだろうと尾形にはお見通しだった。
だから少女趣味の水城のために、尾形は勉強をしなければならない。
少女趣味の女が満足して体どころか全てを捧げてもいいと思えるような演出を勉強する時間が必要だった。
正直、少女趣味なんてこれっぽっちもない尾形からしたら拷問的な時間ではあるが、愛する女の嬉しそうな笑顔を見るためならどんな地獄でも成し遂げる事が出来そうな気がする。
しかし、一つ、確認すべきことがあることを思い出す。
尾形の愛にうっとりとさせて、彼の肩に頭を預けていた水城は尾形に声を掛けられ、視線だけ尾形へと向ける。


「お前、婚約とか言ってたよな…」


『あ』と水城は声に出さずに呟いた。
水城は尾形が何が言いたいのか、呆けた頭でも理解し、意識が醒めていくのを感じる。
肩に預けていた頭を上げて、水城は『あー…』となんて言おうか迷う。
しかし、尾形と関係を結ぶ中では避けられない事でもあると覚悟を決めた。


「実は…私も尾形を探してて一度も恋人を作った事なくて…心配したお父様とお母様が見合いを勧めてきて…」


今世では前世の両親とは別人だったが、それでも両親の一人娘として愛情を与えられ、それを水城も受け入れて返していた。
家族仲はとても良かったと過去を振り返りながら水城は思う。
だが、前世の業か…車で走っている時に対向車が水城達が乗る車にぶつかってきてしまい、両親は水城を残して他界。
その際、水城の体には前世と一つも欠けることなく同じ傷痕が刻まれた。
そのせいで、孤児となり施設にいた水城は貰い手も中々見つからず、施設からも腫れ物に触れるような扱いをされてきた。
その中、引き取ってくれたのが前世でも命を救い愛情を与えてくれた川畑秋彦と静子だった。
彼らは前世の記憶がなかったが、今世でも愛情を与え、娘として愛してくれた。
あの問題だらけの息子達も同じ長兄と次兄として生まれ変わっており、最初は警戒したが、どういうわけか…彼らは『普通にいい人』となって生まれ変わった。
水城は最初こそ気持ち悪いと思ったり、何か裏があるのではと思ったが、彼らが本当に前世の業など引き継がず、川畑家の人間として恥ずかしくない人間に成長しているのだと気づき、今は普通に仲の良い兄妹である。
水城は記憶を持ったまま生まれ、自由に一人で行動できるようになった年齢からずっとアシリパや白石…そして尾形達を探していた。
アシリパ、白石、キロランケ…と一人二人見つかると後は芋ずる式に土方や鶴見達とも出会う事が出来た。
しかし、どうしてか…尾形だけは中々会えなかった。
尾形よりも海賊房太郎の方が早くに再会できたというのに、尾形だけが水城の前に現れなかった。
正直、あんな関係だったため、自分を見つけても会うつもりはないのかもしれないと思っていた。
しかし、この気持ちを蓋をするにも水城も尾形も拗れすぎていた。
百年も仕舞い続けた気持ちは、重なり続け、現代になって溢れてしまった。
尾形を愛しすぎて水城は他の男とは付き合う気すら起きず、今まで誰の手垢もついていない。
水城としては別にそれに支障はなかった。
静秋に会えないのは寂しいが、どうしてもパートナーを見つけて尾形がいない寂しさを埋める気なんて起きなかった。
しかし、周りはそう思っていないらしく、いつまでたっても娘に男の気配がない事を逆に心配した母が父に相談し、見合いを勧めてきたのだ。
丁度水城も尾形が見つからない疲労していたため、両親の顔を立てる意味もあり、一度は見合いを受けた。


「…会ったのか?」

「うん…私も尾形が見つからなくて疲れてたから…アシリパさんも付き合わなくてもいいから一度会って話してみたらどうだって…前世を知らない人間と遊ぶのも気分転換になるだろうからって…」


尾形の問いに水城は静かに頷いた。
その頷きに尾形は溜息をつきそうになるも、止める。
尾形が溜息をつく資格はない。
自分は水城を重ねていたと言っても、水城以外の何人もの女と寝たのだ。
水城は見合いで自分以外の男と会ったが、寝てはいない。
どちらが世間一般的に責められる側に立つかは、考えるまでもないだろう。
しかし…


(アシリパめ…)


壁の向こうで未成年なのに酒を煽っているであろうアシリパに向けて、尾形は恨みの念を送った。
アシリパも別に水城と尾形を別れさせたくて言ったわけではないのだろう。
本当に見てられないほど疲弊していたのだろう。
だから、アシリパは見てられず、本当に気分転換の意味で見合いを勧めたのだろう。
そのため、水城は悪くはない。
見つけられなかったのはお互い様だし、何より水城を速く見つけてやれなかった自分の責任でもある。


「どんな奴だった」


何となく聞きたくて、問いかけた。
それを水城は責めているのだと勘違いしているのか、目線を泳がせ、尾形の機嫌を伺うように上目で見つめる。
あざとい。
とても、とても、あざとい。
そして可愛い。
尾形は不機嫌だった機嫌がそれだけで直っていく自分の現金さに気づく。
水城も素直ではなかったが、尾形も素直ではなかった。
機嫌を直したことなど水城に気取らせず、ジッと黒い瞳で水城を見つめた。
水城はその瞳に気まずげに視線を逸らしながら、答える。


「えっと……まあ、社長で…好青年風で…とても礼儀正しい、良い人だった…かな…」

「ほう?俺とは正反対だなぁ?さぞお前の乙女心に刺さったんじゃないか?ん?」


『怒らないから素直に言え』、という尾形の表情はニッコリと笑っていた。
その笑みは、とても爽やかな笑みだった。
しかし、尾形という男を知っている人間からしたらその表情とは裏腹に、その笑みの裏に尾形がどのような感情を感じているのかが分かるだろう。
勿論、水城も尾形が表情そのままの感情を浮かべているとは思っていない。
自分は好いてもいない女と散々遊んでおいて自分は許されないのか、と水城は尾形の浮気(?)を許したものの、自分だけ責められるのに納得がいかなかった。
水城はそっぽを向き、


「刺さんないわよ…だってその人、尾形じゃないもの」


そう答えた。
水城の言葉に尾形は目を見張り、水城を見る。
しかし、水城は尾形の視線に気づいていない。
そして自分の発言の意味も気づいてない。


(こいつは……百年経っても変わんねえな…)


水城は明治時代の頃も無意識に尾形の心をかき回す。
それが百年も経って、生まれ変わっても変わらなかった。
とんでもない告白された尾形は、水城に気づかれないように息をつき、百年前から癖になっている前髪をかき上げて心を落ち着かせる。
何だか自分ばかり水城に翻弄されているようで、面白くなかった。


「それで?…おめでたい日ってのはなんだ?婚約したとかも言ってたな?まさか他に見合いの相手がいたってわけじゃないだろうな?」

「ち、違うわよ…寅次と梅ちゃん…えっと……私の幼馴染二人が婚約したからその祝いにアシリパさん達と飲んでたの」


婚約に関して二つ、疑問に思っていたことがある。
一つは水城の婚約。
それに関しては全く問題ないと発覚し、『見合い相手にはもう会うなと念押ししねえとな』と頭の端で思いながら、もう一つ気になった事を聞く。
それは、酔っぱらっていた時に言っていた言葉である。
あの時は水城が婚約したのかと思い、ついカッとなってしまったが、どうやらそれは尾形の勘違いだったらしい。
幼馴染…特に寅次という男の名に尾形はピクリと反応する。


「寅次…あいつか…」


先ほどまでご機嫌だった気分が急降下するように沈んでいくのを感じる。
暖かかった心が、水城と会う前のように冷えていく。
寅次、という男は尾形も覚えがある。
前世の時、一度だが会って話もした。
直接顔を合わせたのは戦場だったし、一度だけだったが、実は遠目で何度も水城と二人でいるところを目撃していた。
あの頃は義兄のせいで水城は常に孤独だった。
女を隠し、義兄との契約もあったのもあるが、それでも、自分ではなく他の男に気を許した笑みを浮かべるのが気に障った。
鬼神として人を魅了してきた水城は、誰もが欲しがる存在だった。
それは戦力としてもそうだが、女としてもそうだ。
しかし、水城は誰にも靡かず、元飼い主だった吉平の死後も吉平に忠誠を誓い、アシリパでさえ飼い主として首輪を掛け直すことは出来なかった。
それなのに、だ。
水城は吉平以外の誰にも従わないと思っていたのに…寅次という男は首輪もリードもなく水城を動かした唯一の男だった。
その中に梅子の存在もあった。
梅子のため、寅次のため…水城は愛した男ですら動かすことができなかったのに、二人の為に金塊を探しに北海道に来て命を賭けた戦いに自ら身を投じた。
尾形は寅次という男の名に目をすっと細める。
水城と再会して光を灯っていた目が、一瞬で前世と同じ冷たく黒く淀んだ瞳へと戻っていく。
尾形の雰囲気が変わったのに気づき、尾形の頬に手をやり宥めるように撫でる。


「なぁに?尾形さんは、寅次に嫉妬してるのかなぁ?」

「……あいつは前世から何かと気に入らん」


水城の手が心地いい。
気分も少し和らいだが、それでも燃え上がった嫉妬心は中々鎮火してくれない。
頬に触れる水城の手を、上から重ねるように触れ、手の平にキスをした。
尾形は寅次に嫉妬している。
それは前世からの感情である。
水城は、誰にも靡かない猛獣だ。
懐いていたアシリパでさえ手綱を握りきれなかった。
尾形は無意識に水城を偶像化していたのかもしれない。
誰にも捕らわれず、誰にも靡かず、誰にも従ず、誰色にも染められない存在だと、敵対し殺し合う仲だったとしても、水城は誰の手にも触れさせることのない存在だと思っていたのかもしれない。
それが"ただの"幼馴染二人のためだけに、水城はその男の意思を引き継ぎ北海道までやってきた。
誰にも染められないと思っていた存在はその実…二人の幼馴染の色に染まっていたのだ。
あの時は、それが不快でならなかった。
嫉妬心を隠さない尾形に水城は苦笑いを浮かべる。


「寅次は幼馴染だよ?梅ちゃんっていう美人な恋人もいるし……尾形が嫉妬する所なんてないでしょ?」


水城からしたら、尾形がまさか自分を偶像化していたとは思ってもみないのだろう。
水城は普通の人間だと思っているのだ。
性別を隠して戦争には行ったが、それ以外は普通の女で、普通の母親だと。
しかし尾形含め、周りは決していそう思っていない。
普通の女ならば、尾形も鶴見も土方も…男達はこんなにも水城に惹かれることはなかった。
鬼神であるからこそ、その輝きを男達は求め、執着していたのだ。
それなのに、水城は自覚がない。
それが今世でも継がれているようで、尾形は決して他の男に隙を作らせないことを心に決めた。


「だがお前…明治ではそいつに惚れてたんだろ」


頬を撫でる自分の手に気持ちよさげにしていた尾形の言葉に、水城は『ゔ…』と言葉を詰まらせる。
そんな水城に、尾形は『ほれ見ろ』と不機嫌な目を細めて水城を見た。


「た、確かに…その…明治の時は寅次に惚れてたけど…そんなの昔の事よ?それも10歳(とお)になる前の事だし…戦場で再会した頃にはもう寅次への恋愛感情なんてなかったわよ…金塊を命がけで探したのだって…梅ちゃんがもう一人の大事な幼馴染だったからで…もう初恋なんて破れて吹っ切れてたわ」

「その割には白石や俺の『いい人』という揶揄には否定もしなかったなぁ?あ?」


『うぅ…』と水城は追い詰められた。
前世でも今世でも、水城は別に浮気をしたわけではない。
今世でも水城は寅次と梅子の幼馴染に生まれた。
新しい家族に引き取られ、色々と余裕が出来た頃に水城は静子達にお願いし、寅次と梅子と再会を果たした。
彼らとは学校や会社は違えど幼馴染として今世を謳歌しているのだ。
明治の時は寅次に未練がなかったとは…やはり吹っ切れていても即答はできなかった。
だけど流石に今世になってまで寅次に横恋慕なんてできない。
水城は不機嫌丸出しで嫉妬している尾形の頬をぎゅっと挟むように触れる。


「もう…寅次に嫉妬しないでよ…確かに明治の頃は未練がなかったって言い切れないけど……でも…私…尾形と出会ってからはあなたしか見ていなかったのよ…もう寅次への未練なんてこれっぽっちも残ってなんかいないわよ…未練なんて明治の頃、あなたが綺麗に吹き飛ばしたんだから…」

「…っ」


水城の言葉に尾形は息を呑んだ。
これは立派な告白だ。
いや、プロポーズと言ってもいい。
なんという、殺し文句だろうか。
水城は殺し文句を言った自覚はないものの、恥ずかしいことを言っていることくらいは自覚しているのか、照れ隠しのように尾形を睨む。
しかしその頬に紅が差したように染まっているのだから逆効果だろう。
尾形は、あの頃の事を思い出し、更に堪らなくなる。
感情そのままに、水城の唇を乱暴に奪った。


「っ!?、んっ、ん、ぁ…や…っ!」


情熱的ではあるが、乱暴なキスに水城は驚き、尾形から顔を逸らそうとした。
しかしそれを尾形が許してはくれず、顎を掴まれ固定される。
顔を上に向けられ、水城は天を仰ぐような体勢や、口を塞がれているのもあって、息苦しさに足をバタバタさせた。
余裕のないキスに水城は息苦しいのだと、顎に触れている尾形の手を叩いて知らせる。
それが功を奏したのか、奪うような乱暴なキスはすぐに止んだ。


「ば、か…」

「煽るお前が悪い」


浅い息を繰り返しながら酸素を取り入れる。
憎まれ口を零す水城に、尾形はニヤリと笑いながら返す。
煽るというが、水城自身、煽った自覚はない。
自分が悪いと言われ拗ねたように唇を尖らせる。
その拗ねた様子に、尾形はご機嫌取りに尖らせている可愛い唇にキスを送った。
『そんなんじゃ誤魔化されませんからね!!』と、ムスッとさせるも、ちゅっちゅっと戯れのようなキスに水城の頑なだった心は次第に解れていく。
頑なだった唇が次第に柔らかくなり、少し隙間を作る様に開けられたのを見て、尾形は目を細める。
自分を誘惑するように開けられたその口に、尾形はゆっくりと舌を入れた。
無意識に開けられたようだったため、水城には拒まれると思ったが、水城は大人しく尾形を受けれ入れただけではなく、水城からも尾形を歓迎するように舌を絡ませてきた。
今度は水城の好むような甘く優しいキスをしていくと、水城の機嫌は直っていく。


「んっ…、もう…」


最後にリップ音をさせながら唇を離せば、水城は『しょうがないなぁ』と言わんばかりに溜息をつく。
そんな水城も可愛くて、尾形はまた軽いキスを送った。


「ん、ん…キス、ばっかり…ンっ…」

「しょうがないだろ…ここじゃそれ以上できないんだ…これでも我慢してるんだぞ…」


さっきからキスばかりを繰り返す彼に水城は不満を零す。
不満そうに零すものの、水城も尾形とキスは嫌いではない。
むしろ好きで、水城だって積極的にキスをしていたい。
だけど、何度も言うがここはホテルでもどちらかの自宅でもない。
周囲からは楽しそうに盛り上がる客の声が聞こえるのだ。
その声が熱で蕩ける脳を冷静に戻させる。
文句を言いながらも、水城も尾形に触れるだけのキスを返しながら、彼の顎を撫でる。
そこはかつて自分が負わせた傷痕があったはずだった。
しかし、水城は事故を起こすことで前世の業を引き継いだが、尾形はそうではないようだった。
そこのところの基準は人間である水城達には計り知れないということなのだろう。


「我慢、してるのは…私だって、そう…」

「じゃあホテルに行くか?金を置いてけばあいつらも文句はないだろ…ホテルが嫌なら俺の家でもいい」


金だけ置いても文句の一つ二つをアシリパが言うだろうが、白石とキロランケからは何も言われないはず。
むしろ『昨夜はお楽しみでしたね』と某ゲームのセリフをそのまま尾形に言うだろう。
アシリパも水城が幸せであれば、比較的大人しいはず。
会社の連中だって、上司の色恋沙汰などにわざわざ首突っ込むような馬鹿はいないだろう。
女達が不安要素だが、昔関係を持っただけで女房面するような勘違い女など相手にしてられない。
尾形は一応これでも我慢してはいるのか、水城の肌に触れることはなかった。
しかしそれが焦らしているようで、更に水城は体が火照ってしまう。
舌を入れて絡める尾形に、水城は首を振って拒む。


「ん…っ、ン…だめ…私、実家、暮らし、ンん…、だ、から…っぁ…」


水城の言葉に尾形は引かなければならなくなった。
お互いいい大人なのだから、実家暮らしであろうと門限なんて関係ないはず。
場所が問題なら、一人暮らしの尾形の家に行けばいいだけの話だ。
しかし、水城とはいずれ結婚するつもりである。
まだ付き合って1時間も経っていないのに、尾形はすでに水城との将来を考えていた。
そのため、水城のご両親からの印象を悪くしたくはなかった。
そう理性がギリギリの頭で打算し、何とかギリギリの理性で踏みとどまる。
キスをやめ、尾形は水城の首筋に顔を埋めて深い溜息をつく。
その溜息に水城は苦笑いを浮かべる。
首筋にかかる息にくすぐったく思いながら、彼の頭を優しく撫でる。
その手に気持ちを落ち着かせたのか、尾形の体から力が抜けていくのを感じた。


「水城…」


酔っぱらった時に、もう以前名乗っていた『水城』ではなく、本名である『雪乃』なのだと伝えたのに、尾形はいつまでも水城と呼ぶ。
水城も白石達から『雪乃』ではなく『水城』と呼んでおり、水城も白石達に水城と呼ばれた方が落ち着いているので訂正しないでいた。
ポツリと呼ぶ尾形に、水城は彼の頭を撫でながら『ん?』と優しい声で返事をした。
尾形は水城の首筋から顔を上げて、水城をまっすぐ見つめる。


「結婚しよう」


尾形の言葉に水城は目を丸くした。

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