水城達は何とか鶴見達から逃げることができた。
その安心感からか、白石の腹が鳴る。
「なんかホッとしたらお腹空いたね…」
「
トッカリなら氷の上で寝てるかもしれない…探せ、水城」
ついに座り込んでしまった白石の呟きにアシリパは辺りを見渡す。
アシリパの言葉に水城はサッと双眼鏡を手に持って覗く。
相変わらずアシリパには忠犬のゴリラを見ながら白石は『魚で良いんだけどなぁ』とケチをつける。
ふと下を見ればあるものに気づく。
「おや?なんかちっこいのがいっぱい泳いでる!なんかカワイイ!」
丁度そこには穴が開いており、その穴から数匹の小さい生き物が泳いでいた。
穴の中に手を入れる白石の可愛いという言葉に、見た目は訳あり美女、中身はゴリラと少女趣味が同居している水城が反応した。
アシリパのためにアザラシを探していた水城は可愛いもの見たさに白石の元へと歩み寄る。
「クリオネだ!雑誌で見た事あるわ…『流氷の天使』って書かれてたの…ハダカカメガイっていう貝殻のない貝の仲間だってさ」
「じゃあナメクジの仲間じゃん!」
水城が穴を覗いでみると、雪乃だった頃に見た『少女世界』という少女を対象の雑誌に載っていた生き物が泳いでいた。
透明で円錐形の体に、大きな頭を持ち、羽を優雅に羽ばたかせるように泳ぐ姿は、神秘的だった。
その名は、クリオネという。
和名は水城が言った通り、『ハダカカメガイ』といい、漢字にすると『裸亀貝』と書く。
クリオネは『流氷の天使』と言われるだけあって愛らしく美しい生き物ではあるものの、その食事方法は結構エグイ。
天使とは程遠く、悪魔のようである。
食事は頭の部分でする。
それもパッカーンと開けて『バッカルコーン』と呼ばれる6本の触手が飛び出し、餌を触手で押さえつけ捕獲。
じたばたと暴れるのも構わずゆっくりと餌の養分を吸収して食べるという。
その姿はまさに悪魔である。
しかし、少女雑誌にそんな事書けるわけではなく、可愛い部分だけをピックアップして書いていた。
そのため、水城はクリオネは天使にも悪魔にもなる事を知らない。
愛らしい姿で泳ぐクリオネに、白石と水城はウフフとほのぼのとさせていた。
しかし、ほのぼのしているのは良いが、それだけでは腹はふくれない。
グウと白石のお腹が鳴った。
「クリオネって食べれないのかな?アイヌの調理法でなんか美味しくいただく方法はないの?」
和人はクリオネは食べない。
しかしアシリパと旅をしてきて、数多くの和人が食べない動物を食べてきたため、アイヌだったらクリオネの調理法を知っているのではないかと白石は期待した。
しかし、その期待はアシリパの笑顔で跳ね返された。
「ない!私達はこの生き物を食べないからアイヌ語の名前もない」
「食べない生き物は名前もつけてもらいないのね…」
「可愛いんだからつけてあげて〜?」
アイヌ語がない、ということは興味も持ってくれていないという事にもなる。
まあ、アシリパのいた場所は海側ではなく山の中に集落があったので、それも関係しているのかもしれない。
もしかしたらエノノカなどの樺太民族なら、別名があるのかもしれない。
アシリパ達は流氷に乗って北海道へと戻るため、白石が船を降りる時拝借したボートのオールで漕ぎながら進む。
アハハウフフと和気あいあいと笑い合っていた。
その姿を白い影がじっと見つめているのに気づかないまま――…
◇◇◇◇◇◇◇
白石はお箸を手に、ちゅるんと一口食べる。
しかし、
「臭いッ!!」
あまりの異臭に思わず口に入れた物を吐き出してしまった。
それはクリオネだった。
空腹に耐えきれず、食べれるかもわからないクリオネを白石は食べようとした。
だが、クリオネは美しく愛らしい見た目に反して、臭いらしくクリオネを吐き出した白石はもうそれ以降見向きもしなくなる。
「鶴見中尉達は船の稚内まで先回りしてるはずだから出来るだけ遠回りして裏をかかないと…」
「過酷だな…」
お腹も減るし、休む時間すらなく、やばいやつらに追われて歩き続けるしかない。
世知辛い世の中である。
雪に紛れるよう白いシーツを全員被り、いつ道がなくなるか分からない流氷を水城達は前だけを見て進んでいた。
そのせいか…後ろに迫る危機には気づいていない。
「アシリパさん」
鶴見やキロランケの考えは彼らにしか分からない。
水城達が考えたって彼らの思考は読むことは出来ない。
ふと、水城はアシリパを呼ぶ。
アシリパは水城の呼びかけに顔を上げた。
しかし、水城はアシリパの方ではなく、前方を見つめていた。
「あの時…キロランケになんて言ったの?ひょっとして…暗号を解く方法が分かったの?」
水城は声を落として問う。
水城達を追い抜いて前方を歩くヴァシリが日本語を理解できていないのは知っているし、最後尾を歩く白石を信用していないわけではない。
ただ、内容が内容なだけに自然と小声になってしまった。
「……うん」
「…!!」
アシリパは答えるか否かを考える。
しかし、アシリパは水城を信用し、頷いた。
その頷きに水城は目を見張る。
「本当なの………それは…何だったの?」
「それは…」
しかし、その先を言うのを戸惑った。
水城の事は信用はしている。
水城が暗号の解き方を知って自分を出し抜き裏切るとは考えていない。
だが、今言うべきか迷っていた。
それを察してか、水城はアシリパへ振り向き笑みを見せた。
「いや…アシリパさんに任せるよ…その時が来たら教えてね」
そう言って笑みを見せる水城に、アシリパは頷いて返した。
そう。
今は言うべき時ではないのだ。
(水城はとても優しい女だから暗号の解読法まで知ったら…やっぱりまた私を置いて一人で金塊を探しに行ってしまうだろう…魂が抜けるまで…一人で戦って傷つくんだろう…)
水城の笑みに、アシリパは心が痛んだ。
一度、水城は自分を想い、自分から離れた。
そして第七師団に捕まり、拷問にかけられた。
傷の場所も、傷をつけられた方法も違うのだが、アシリパにはその時の姿と重なって見えた。
そして、先ほども。
第七師団の兵士達から受けた傷で顔まで血で赤く染まっている。
元気に歩いているが、本来ならこうして歩くのも辛いはずの傷だ。
暗号の解き方は分かったが、それを知ればきっと水城はまた自分から離れるだろう。
裏切りではなく、アシリパを想ってあえて裏切りとも思える行動に移すのだろう。
(暗号の解き方を教えない事で水城は私から離れない…弾除けとなってこの女を守れるのは私だけだ…私が強力な盾となる…)
あの時、水城の背中に張り付いて逃亡した時、銃弾は止んだ。
それはアシリパが水城の背中にくっついていたからだ。
でなければ、あの時に水城は銃弾を受け死んでいただろう。
月島達が銃口を水城に向けながらもアシリパにも当たると撃てなかった。
そしてそれを見て、アシリパは自分が水城にとっての盾になれる事を知る。
(いざとなれば…そう…『道理』があれば…―――私は杉元水城と一緒に地獄へ落ちる覚悟だ)
脳裏にある男の姿が浮かんだ。
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