(255 / 274) 原作沿い (255)

翌朝。
川畑家のある布団に比べれば、宿の布団は煎餅布団と言ってもいいくらいの差があった。
とは言え、その辺にあるボロ宿に比べればいい布団ではあるのだが、如何せん、静子は生まれながらの令嬢だ。
カナはこんな布団で静子が寝れるのか心配ではあったが、それは杞憂に終わった。
娘が生きている事が色々静子を元気さを取り戻せたのか、ぐっすりと眠れたようだった。


「さあ!今日から頑張りましょう!カナ!」

「はい!」


今日から聞き込みを開始する。
荷物は昨夜泊まった宿に置いている。
暫くあの宿を拠点に動くことになるだろう。
勿論、盗まれて困るような物は持ち歩いている。


「でも、なんだか不思議ね…」


まだ朝という事で人は日中ほど多くはない。
それでも働いている人や、通りすがりは少なくない。
歩いていると、ふと静子がしみじみと呟く。
その呟きにカナは静子を見る。
静子は微笑みを浮かべ、街並みを見渡していた。


「この街には少し前まで雪乃さんがいて生活をしていた…そこに私達がいるなんて…不思議な感じがするわ…」


雪乃は生きていた。
姿を変えて、男として新しい人生を歩んでいた。
娘は新たな人生として、この北海道を訪れ、息子と二人で暮らしていたのだ。
どんな関係でアイヌの少女と金塊を探す旅をしているかは分からないが、この土地に、娘がいたのだ。
そんな土地の土に、今は自分が立っている。
娘が死んだと思っていた頃には考えられない事だ。
それが不思議な気持ちにさせた。


「聞き込み、頑張りましょう!カナ!」


カナも不思議な気持ちだった。
慕っていた主人が新しい人生をこの地で過ごすと決め、最近までここに住んでいた。
鹿児島と北海道は遠い。
だけど行けない距離ではない。
そんな場所にいたとはカナも思っていなかった。
しんみりとさせる静子にカナはなんて答えたらいいのか分からなかった。
しかし、何か答えなければと思って言葉を探っていると、静子が話題を切り替えるようにグッと手を握って笑う。
しみじみとしていたのが嘘のような笑顔に、カナは静子のやる気を削ぐわけにはいかないと思い、『はい!』と真似するように手を握って笑い返した。


「ですが…聞き込みと言ってもどこから聞き込みすればいいのでしょうか…」

「そうね…手掛かりになるのは、このアイヌっていう民族の少女だけだわ…」

「では、アイヌの集落を知っている方を探しましょう」


手掛かりと言えば、今静子の手にある雪乃と一人の少女が写っている写真と、鯉登経由で雪乃が北海道の小樽という場所で生活をしていたという情報だけだ。
手紙から得られる情報と言えば、アシリパというアイヌの少女に世話になっているということだけ。
だが、北海道は広い。
小樽で生活をしていたというのが分かっただけでも上等だろう。
少女の名前も分かっているし、写真もある。
きっと気の遠くなる作業になるかもしれないが、気長に聞き込みをすればいつか必ず辿り着くと二人は信じることにした。


「その集落をご存じな方ってどこにいらっしゃるんでしょうね?」


カナは腕を組みウンウンと唸りながら考える。
雪乃の過ごした場所は分からないが、アイヌの民族が関わっているというのならアイヌの民族を探していけばいい事だ。
とはいえ、言うのは簡単だ。
そのアイヌの集落を知っていて尚且つ案内してくれる人がどこにいるのかが問題なのだ。
そもそも二人は探し物の経験が浅い。
金持ち特有の世間知らずさも相まって、まずどこから探したらいいのか分からない。
ただ、カナは一瞬頭に浮かんだ場所があった。


(いやいや…流石にあそこにはいないでしょう…お嬢様を貶すわけではないけど、流石にあんな傷を負って体を売るなんてこと………ない…と言い切れない…)


それは売春宿だ。
昨日、お茶を貰う際にカナはカナなりに宿の人たちに聞き込みをしていた。
見せた写真に写る少女と女性を知っている人間はいなかったが、そこで客同士が話していた『売春宿』という言葉が耳に入った。
それを聞いた時、不快に感じた。
元々カナは異性に対してトラウマを持っている。
今は短時間なら一人で聞き込みが出来るほど吹っ切れたものの、そのトラウマの恐怖は深いところまで根付いている。
売春しなければ生活できない女性には同情している。
だが、売春などせずとも生活でき、代々から川畑家に仕えている由緒正しい使用人の出のカナにとっては売春など汚らわしいものにしか見えなかった。
正直そんな場所に慕っている主人が働いていたなんて思いたくはないが、否定もできない。
鯉登曰く、男装して生活していたというので、働いているというよりは通っていたかもという可能性もあるが、その可能性こそありえないだろう。
売春宿と言えば性行為をする場所だ。
そんな行為をする場所で、服を脱がない以前に、女性の中にイチモツを入れない男は明らかに怪しいだろう。
目隠しをし、女性の体を縛り、道具を使用する…という選択もあるが、そこまでして売春宿に通う必要性はあるのだろうか。
売春宿に通うという行為は女性と気づかれたくない雪乃にとってはリスクが高いはず。
それに世の中、性欲の薄い男性だっているし、男が必ず売春宿を利用するとは限らない。
この選択の可能性はあまりにも現実離れしている。
だが、決してゼロとは言い切れないのも現実だ。


(売春宿には絶対に近づかないようにしないと…)


カナだけならまだいいが、流石に生粋のお嬢様な静子にそんな日本の闇ともいえる場所を見せれるわけがない。
意味が分からず深く首を突っ込んでショックを与えたくはない。
母や祖母から静子を任されている以上、カナが静子を守らなければならないのだ。


「まずは朝食を食べましょう!腹が減っては戦はできぬと言いますからね!」


まずは腹ごしらえをしようとカナは提案する。
偉人は素晴らしい言葉を残してくれた。
確かに、空腹ではいい考えも浮かばないし体力ももたない。
カナ達にとって聞き込みは戦にも等しいのだ。
カナの提案に静子も空腹を感じていたのか、お腹を擦りながら『そうね』と笑って同意した。


「何を食べたいですか?」


仲がいいと言っても主人を優先するのが使用人である。
そう問えば、静子は『あのね』と気恥ずかしそうにもじもじさせる。
どうやら何か食べたいものがあるらしい。


「宿の人に教えてもらったのだけれど…その、北海道にはニシン蕎麦っていうお蕎麦があるらしいの…身欠きニシンが乗ってるお蕎麦で、とても美味しいんですって」


宿にいたとき、名物の食べ物を教えてもらい、ニシン蕎麦の話を聞いてから食べたくなったらしい。
ニシン蕎麦は北海道と京都の名物料理だ。
それぞれアレンジやだし汁の違いはあるものの、身欠きニシンが乗っているのは同じだ。


「ニシン蕎麦ですね!分かりました…えっと、ニシン蕎麦のお店は…」

「美味しいお店も教えてもらったからそちらに行きましょう」


カナは静子の行動力に驚いた。
元々静子は令嬢らしい慎ましさがあったが、明るく行動力はある方だった。
だけど雪乃が死んだと聞かされてからは部屋に籠って沈んでいたため、こうして明るく笑い、元気な姿を見せてくれるのは久々だった。
つい最近まではあれほど落ち込んでいたというのに、娘が生きていると知っているだけでこうも変わるのかとカナは驚いた。
病は気からと言うが、それは嘘ではないようだ。
頷くカナに静子は『確か、こっちみたい』と先導して歩いていく。


「ここよ」


そう言って案内されたのは店が連なる場所だった。
ボロさが気になるが、我慢できないわけではない。
ただ、周囲には何故か店の傍で艶めかしい女性達が立っていたり、強面の男が立っているのが気になった。


(待って…ここって…)


カナは女が男に甘えるように寄り添って店の中に入るのを見て、ここが避けようとしていた場所だと分かり、主人を止めようとした。
しかし、元気を取り戻した静子の行動や判断は早かった。


「ごめんください、やっていますか?」


カナが止めようとするもすでに遅く、暖簾をくぐって静子は店内に入ってしまった。
まさに、あっと言う間である。
入ってしまったのは仕方ないとカナは覚悟を決めて店内に入る。
店内はいたって普通のお店ではあったが、そこが性のお店というのを分かっているからか、怪しく見える。
店主らしい女性は若くはなく、小じわが目立っていた。
店主はジロジロと静子とカナを見た後、席に案内する。


「ニシン蕎麦二つお願いします」


メニューは色々あったが、宿の客がニシン蕎麦が美味しいと聞いて静子はそれにすでに決めており、カナもそれを頼んだ。
『あいよ』と言って席を離れた店主を見送った後、カナは店内を見渡す。


「ここのお店、恋人の方達に人気なのかしらね」


静子も同じく店内を見渡していたのか、こそりと周りに聞こえないようカナに小声で声をかけてきた。
カナはなんて答えていいのか分からず苦笑いを浮かべ『そ、そうですね』と返した後、もう一度店内を見る。
店内には男一人の客がポツポツいたが、多くは男女の客だった。
男性に甘える仕草から恐らく女性は店の人なのだろう。
カナは顔を顰めそうになり、顔を背けて見ないようにした。
彼女達も生活のために体を売っているのは理解しているのだが、理性では分かっていてもトラウマが邪魔をしてしまう。


「カナ?どうしたの?」


店に入ってから俯いて静かなカナに、静子は首を傾げる。
ここまで馬車を利用していたとはいえ、長時間の旅は初めてだ。
そのため、慣れない旅に体調が優れないのかと思い心配して声をかけた。
しかし、カナは『なんでもありません』と首を振って笑う。
その笑みが無理矢理浮かべているように見えて、静子は店を出ようかと提案しようとした。
しかし、カナに声をかけられ遮られてしまう。


「もしかしてここを紹介された方って男性の方ですか?」

「え?…ええ、そうよ…二人の男性の方が教えてくださったの」


カナは静子の言葉に『なるほど』と頷いた。
何を納得したのかは分からないが、調子の悪そうなカナに店を出ようという提案をもう一度するよりも前に注文していた蕎麦が運ばれてしまい、また遮られた。
カナは二人分の箸を抜き取り、『美味しそう!』と笑う。
店の内容はどうであれ、初めて見るニシン蕎麦は美味しそうに見えた。


「あ、そうだ…すみません、アイヌの集落に行きたいのですが…集落への道を知っている方をご存じないでしょうか?」


無理矢理かもしれないが、食欲があるのなら体調もそう悪くないかもしれないと判断し、静子もカナから渡された箸を受け取って割る。
食べようかとしたが、ふと、静子は店主の女性にアイヌの集落を知る人物の事を聞く。
店主は考える素振りも見せず、『知らないねぇ』と言ってお盆を持って奥へと消えてしまった。
売春宿だから女の客は利益にはならないためか、対応は他の男性客達と比べて冷たかった。
彼女達だって生きるため金を稼がなければいけないので仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないが、それにしては態度が露骨すぎると思うのは育ちの良さだからだろうか。
店主の態度にムッと腹を立てながらも、自分を落ち着かせるように残念そうに溜息をつくのを装って息を吐き出した。


「やっぱりそう簡単にはいきませんね…」

「まあ、最初だものね…」


出だしから挫けそうになったが、雪乃がいた街だからと言って雪乃の情報が多くあるわけがないのは承知で来たのだ。
落ち込んでばかりはいられない。


「ニシン蕎麦を食べて、お腹いっぱいにして、次行きましょう!次!」


元気な静子の声に、カナは釣られたように笑顔を浮かべた。
二人は鹿児島にはないニシン蕎麦に舌鼓を打つ。
客から紹介されるだけあって、味は確かに悪くはなく、美味しく頂けた。
二人は食べた事のない郷土料理を堪能した後、お金を払って店を出た。


「確かに、美味しかったわね」


満腹となり、静子は笑顔でお腹を擦る。
食事をして満たされるなんて雪乃が死んだと聞かされて以来なかった。
空腹が満たされるという行為はこんなにも幸福感を味わえるのかと静子は思い出す。
食べている内に時間も進み、朝よりも人の多さが目立ってきた。


「あの二階って何があるのかしらね」

「え゙…」

「多くのお客様がお食事された後に二階に上がっていたの…それも恋人の方や男性だけだったり…あの二階って何があるのかしら?」


静子の問いにカナは『あ…あー…えっとぉ…』と答えるのに迷う。
まさかこれからあの客達はムフフな事をするんですよ、恋人だと思ってる女性の方は商売の方で、男性だけなのもこれから女性を買うために上に行ったんです―――なんて説明ができるわけがない。
なんて言ったって相手は根っからのお嬢様育ちの方なのだ。
娼婦という存在は知っているだろうが、お嬢様な静子と娼婦は遠い存在である。
何よりも、夫の友人はいざ知らず、静子の夫である秋彦は妻一筋で浮気など一切なかった男性だったのだ。
恐らく静子は意味は知っていても実際に娼婦を見たことはないのだろう。
こうして貧しい街にいるのだって、理由がなければ寄り付かない場所だ。


「それに…この辺りって女性が働いている店が多いのかしら…外で呼び込みしているみたいだし…」

「あー…はい、そうみたいですね…」


蕎麦屋が多いことから、静子は外で声掛けしている娼婦や男性達を蕎麦屋で働いている女性達と思っているらしい。
勘違いしているのなら、その設定で進めよう。
真実を知る事だけがいい事ではない。
そう思い、カナは早くここから去ろうとした。


「あの、一つお伺いしたいのですが…」

(〜〜〜〜お、奥様ァァァ!!!)


しかし、復活した静子の行動力をカナは舐めていた。
客寄せ兼用心棒として外に出ている男性に静子は声をかけた。
カナは心の中で叫びながら、ギロリと静子を見下ろす男に慌てて静子の元に駆け寄った。
トラウマうんぬんは主人の危機に忘れていた。


「あ?」


静子が話しかけたのは、坊主頭にヒゲを生やした厳つい男だった。
声を掛けられて返事をしただけだが、それが凄んでいるように見えるのはその厳つい容姿のせいだろうか。
あまり見た目で判断したくはないが、トラウマ持ちのカナは顔を青くさせた。
だが、静子はその生粋のお嬢様育ちのせいか、危機感も感じずのほほんと笑いかける。


「アイヌの集落に行きたいのですが、行き方を知っている方をご存じありませんか?」

「アイヌゥ?」


怪訝な顔もまた怖い。
ギロリと睨むような男の怪訝とした顔を向けられているというのに、静子はニコニコと笑っていた。
カナは静子の傍に駆け寄りながら、静子の心臓は鉄で出来ているのではないか…と思った。
男はアイヌという言葉を聞き、顎を撫でながら考える。
その様子を見て、ニシン蕎麦の女店主の顔を思い浮かべる。
あの店主は静子の質問を考えず答えていたのに、目の前の厳つい男は考えてくれていた。
考えてくれている分、目の前の男の方が好印象に思えた。
強面なだけで静子の話をちゃんと聞いている男に、カナは少し警戒心を解く。


「アイヌの集落は知らねえし知ってる奴も知らねえなぁ…」

「そうですか…」


二人目も駄目だった。
長丁場を覚悟してはいるものの、得られる情報がないのはガッカリしてしまう。
あからさまにガッカリと肩を落とす静子に、はたと男は思い出したように声を零す。


「ああ、でも…アイヌなら時々獲った獲物を売りにこの街に来てるぞ」

「!、それは本当ですか!?」


まさかの情報に静子は男にズイッと迫るように近づいた。
後ろからカナが『お、奥様っ!』と慌てた声が聞こえない静子はキラキラとした目で男を見上げる。
周囲にはいない上品な女性に迫られ、男は思わず一歩後ろに下がり、何度も頷いた。


「小樽にはアイヌの集落が近くにあるから猟で獲った動物を交易店に売っているのをよく見るからな…アイヌの事ならアイヌのそいつらに聞けば一番早いと思うぞ」


男の言葉に静子は『まぁ!』と嬉しそうに胸元で手を組み笑みがこぼれた。
店を出て見かけた一番目立つ強面の男にダメ元で聞いてみたが、まさかの情報に静子は気分が高まっていく。
まさに僥倖である。
静子が情報を教えてくれたお礼を言った後、そばから離れようとした時ポツリとまた男が呟く。


「アイヌか…そういや、あの兄ちゃん達ここんとこ見てねえな…」


そう呟いた男に、振り向きかけた静子は視線をやる。
男は静子ではなく、思い出している様子で空を見上げていた。
男の言う『兄ちゃん達』とは誰なのか、静子には分からない。
ただ、聞き逃したらいけない気がした。


「あの…兄ちゃん達って…」

「ん?ああ、いやな…少し前にアイヌの少女と傷のある男がこの辺をうろついてたんだよ…それが二人共ここ最近見てねえなぁって思ってな?」


アイヌの少女、そして、傷のある男…静子はそれが娘達だと気づいた。
アイヌの少女や、傷のある男なんて、探せばその辺にもいるだろう。
だが、他人である確率は恐らく低い。
静子はカナを見る。
カナも同じことを思っているのか、静子を見ていた。
『まあ、第七師団に捕まったって話だし…』と男が続けた言葉で確率が上がった。
お互い顔を見合わせた後、静子は恐る恐ると男に声をかける。


「その男性の方って…陸軍の軍服を着ていて…顔に三本の傷ありませんでした?」

「ああ、あったな…顔にデカデカと三本の傷が…ありゃ戦争で負った傷だろうな…」


『勿体ねえよなぁ、顔は結構整ってて色男だっていうのによ』と続く男に静子は体をフルフルと震わせる。
寒さからではなく、感激で体が震えていたのだ。


(あの子の!あの子の知っている方!)


今まで鯉登からしら雪乃の情報は得られなかった。
しかし鯉登は雪乃の事は知っていても、自分達と離れていた間の事は知らない。
静子はその部分が知りたくてわざわざ北海道に留まっていたのだ。


「あ、あの!!あの子の事もっと教えてくださいっ!!」

「はあ!?あ、あの子…?」

「なんでもいいんです!教えてください!」

「な、なんなんだよいきなり!あの子ってあの兄ちゃんの事か!?それならわりぃが俺はそんなにあの兄ちゃんの事は知らねえよ!知ってるって言っても一言二言話すだけでお互い名前も知らねえし…」


急にテンションを上げて迫る静子に、男は数歩後ろに下がる。
だが、その開けられた隙間は、静子にすぐに埋められてしまう。
興奮したように捲し立てる静子に、カナが後ろで『落ち着いてください!奥様!』と言っているが聞く耳持っていない。
というよりは聞こえていなかった。

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