不死身の杉元。
その名で呼ばれるようになってそう経っていない。
そもそもそう呼ばれる要因である日露戦争は始まったばかりだ。
今日もみんなギリギリで生き、そして死んだ者はその場に捨て置かれる。
出来るだけ連れて帰りたい思いは誰だってあるが、全員が全員帰国できるわけではない。
「これがあの、不死身の杉元か…」
その声に雪乃はハッと我に返る。
雪乃は義兄と歩いていた際声をかけられ、その相手と義兄が話している間意識を別の方へ飛ばしていたようだった。
自分が思いに耽っていたと気づき慌てて目の前に立つ男を見た。
男は端麗な顔つきに紳士らしく髭を生やしていた。
そんな男の後ろには鼻の低い男が控えていた。
規律が最も重要視される軍の人間の前で考え込む失態に雪乃は内心舌打ちをしたが、幸いにもその場にいる者達に気付かれた様子はない。
女だと気付かれないように常に帽子を深く被っているおかげだろう。
雪乃は己の二つ名を呟く男に『はっ』と返答し、顔を微かに上げ背筋を伸ばす。
男はまじまじと雪乃を頭の天辺から足先まで見る。
「ふむ…異名の割には華奢な体をしているのだな」
その言葉は雪乃にとってもう数えるのが面倒なほど聞いた言葉だった。
女性を完璧に男性に見せるのはやはり無理がある。
世の中どんなに鍛えても筋肉が付きにくい男や、女顔の男は多くいる。
だから誤魔化せる程度の男装は出来た。
だが、やはりガタイのいい男達の中にいると顔の傷も含め華奢で小柄な雪乃は目立ってしまうらしい。
それも異名が不死身とつくせいか、雪乃は筋肉達磨の大男を想像される事が多い。
だから男の言葉はさして珍しいものではなかった。
男の呟きに吉平が苦笑いを浮かべる。
「よく言われます…やはり不死身と名がつくせいでしょうね」
「しかし、彼の功績は私の耳にも届いている…華奢の身体だが実力は確かなのだろう」
うんうん、と何かを納得するように小さく頷く男を雪乃はただぼうっと見つめていた。
実は先ほどまで吉平に弄ばれ、あまり意識が安定しないのだ。
それも戦場帰りのうえ、傷を負って…だ。
まあ吉平の趣味からして"だからこそ"燃え上がったのだろうが。
正直傷が開きジクジクと痛むので早く医務室に行きたいのだが…それが許されないのが下っ端である。
内心『早く話し終わらないかなー』とか『井戸端会議のおばちゃんじゃないんだから…』とか上司に向かって失礼な事を思っていると、視界に男の手が入り込んだ。
どうやらまた考え込んでしまったようで、男は雪乃の顎に指をかけようとしていた。
雪乃はそれをぼうっと見つめていた。
しかし、吉平がその手を止める。
「鶴見中尉殿…これに何をなさるおつもりで?」
雪乃に触れようとした男、鶴見の手首を吉平が掴んで止めた。
吉平は笑っていたがその奥では鶴見を睨んでおり、鶴見も表向き笑みを浮かべていた。
しかしその場はまるで戦場で睨み合うように凍り付き、雪乃は無意識にゴクリと喉を鳴らす。
いくら中尉同士とは言え、年齢も軍人歴も実力もあちらの方が上。
流石に軍法会議には掛けられるほどのものではないが、2人の中尉の不仲は士気や作戦に関わるかもしれない。
雪乃も、鶴見の後ろにいる男も、緊張した面持ちで2人を見つめていた。
その沈黙はそう長くはなかったが、雪乃や鶴見の後ろに控える男にしてみれば長かった。
その沈黙を破ったのは鶴見だった。
「いやぁ、申し訳ない!不死身と名高い彼の顔をよく見たかったので、つい」
鶴見はパッと花が咲くように笑った。
その笑みと言葉に吉平もいつもの好青年の仮面をかぶり『そうでしたか』と鶴見から手を離し、頭を下げ謝罪をする。
「こちらこそ失礼な態度をしてしまい申し訳ありませんでした…ただ、これは女顔とこの華奢さ故入隊当時多くの者に言い寄られまして…鶴見中尉殿の御前で相応しくはない言葉なのですが…襲われかけたこともありまして……そのせいか私の前以外で顔を晒すのを嫌がるのです…無礼と承知で申しますがあまりこれに声をかけるのはやめていただきたく…」
「それは申し訳ない事をしました」
勿論、嘘ではない。
入隊当時普通の二等兵と同じく雑魚寝をして軍人生活していたが、あまりにも女顔+男にしては華奢な体だったため、女っ気がなくいつ死ぬか分からないストレスからくる欲情のいい的となった。
襲われそうになったのを吉平の手の者に救われ、それ以来雪乃は一等卒でありながらも吉平の付き人のように傍に控える事になった。
ただこれは吉平が仕組んだものの一つだ。
身内でもない限り突然中尉がまだ不死身とつく前の普通の二等兵を傍に置くのは不審すぎる。
だから女顔で華奢な体を持つ雪乃を男どもの中に放り込み、襲われるのを待った。
誰がどう見ても雪乃は女顔の優男のため、部下を守る上司としての名目を吉平は作ったのだ。
それでもやはり立場が立場だし、吉平の趣味もあり、戦場以外は贔屓されてはいるが、その代わり戦場では一般の一等卒と同じ立ち位置で生死の境目に突っ込んでいる。
雪乃は『すまない、悪気はなかったのだ』と謝る上官に慌てて礼をし返す。
なんとかその場は第七師団と第一師団の間に亀裂が入る事は防げたが、2人の『あはは』と笑い合う声を聞きながら雪乃と男はお互いの顔を見合い、お互いの上司に溜息をついた。
勿論安堵の溜息だ。
「しかし、不死身と呼ばれるほど強い部下がおられるとは羨ましいですなぁ」
「それを言うならば鶴見中尉殿の方が羨ましいですよ…彼をはじめとする優秀な部下をお持ちですから」
お互い見え見えのお世辞だと分かりつつも笑い合う。
鶴見が雪乃を褒めれば、吉平も鶴見の傍にいる男を褒める。
この男も優秀な男だと吉平は嫌味なしにそう思う。
確か元は囚人だったか、と頭の端で思い出しながら男を見ていたが、男に気付かれる前にすぐに鶴見へと視線を戻す。
鶴見は他にも多く優秀な部下を持つが、一番厄介だと思うのは銃を得意とするあの山猫だ。
何を考えているか全く読めないうえに気配さえ消し遠くから確実に狙いを定めてくるのだから厄介以外にないだろう。
その性格は捻くれており、あの素直な弟と半分血が同じなのかと問いたくなるほどだ。
しかし優秀だと認めても鶴見の部下達を欲しいとは思わない。
鶴見の手垢がついた"物"など吉平は土下座されても欲しいとは思わなかった。
吉平にとって鶴見は厄介者だ。
優秀だと認めてはいる。
だがお互い腹に一物を抱え、どちらも協力者となりえない相手。
敵対関係にはならないだろうが、まさに鶴見と吉平の関係は目の上のたん瘤である。
自分同様多くの優秀な部下を手中に収めている目の前の男を吉平は誰よりも警戒していた。
◇◇◇◇◇◇◇
鶴見との話しもそこそこに吉平は雪乃を引き連れて去っていった。
その後ろ姿を鶴見は見送るが、その視線は吉平ではなく、吉平に付き従うように寄り添う"彼"の背だった。
「あれが不死身の杉元、か…」
「想像とは違いましたね…なんというか……その…」
「女性的、だったな」
自分の呟きを拾ったのは、後ろで控えていた男…月島だった。
月島は上官の前で言っていいのか迷っていたが、月島の感想を代わりに鶴見が答え、月島は鶴見の言葉に無言で頷いた。
鶴見はもう一度彼らが去っていた方へ目をやる。
杉元水城。
彼は徴兵令で集められた一人で一等卒であるが、不死身の杉元という二つ名を所有している。
小柄で華奢な体を持つ、二つ名とは真逆な外見を持っている。
顔も帽子を深く被っているためはっきりとは見えなかったが、見た限りでは整っていた。
そしてまず最初に目につくであろうあの整った顔を我が物顔に残るあの傷跡。
傷は男の勲章と言うが、あの女のような風貌にあんな派手な傷跡は少し憐れに思う。
(軍人でなければさぞ女にもてたであろうに…)
世が世ならあのような風貌は異性にモテていたはず。
だがこの時代、そんな恵まれた風貌の男でも戦場に借り出され生と死が隣り合わせのこの場所にいる。
それを鶴見は憐れんだ。
たった性別を間違えただけでこうも運命は違うものなのか、と。
鶴見は、不死身の杉元、という人物の情報を早い段階で耳に入れていた。
最初は不死身とは何とも大袈裟な二つ名を貰ったものだと思ったが、不死身と呼ばれる男が何度も普通ならば死んでいるであろう重傷を負いながらも驚異的なスピードで回復し数日後には戦場に戻っていくという報告を何度も聞けばその二つ名も納得するものへと変わっていった。
鶴見も月島もその報告と二つ名から大男を想像していた。
しかし実際会ってみればその真逆…まさに女と言っていい優男だった。
ただ、なぜか心ここにあらずな雰囲気であったがその足の軸はぶれないところから見るに華奢だからと馬鹿には出来ないだろう。
下手をすれば自分の力自慢の部下達を簡単に伸せそうだ。
鶴見は彼を思い出しながらついでにその傍にいた者も思い出し、くつくつと笑う。
「鶴見中尉殿?」
思い出し笑いのように笑い出す鶴見に月島は思わず声をかける。
月島の声に鶴見は『いや』と笑いながら答える。
「あれほどの独占欲を見せつけられてしまったら…我慢ができそうにないなと思ってな」
その言葉の意味を月島は理解した。
全てを話さずとも理解する男だからこそ、鶴見は月島を気に入っていた。
月島は内心『また悪い癖が…』と面倒臭そうに上官を見つめ、表情は変わらないものの月島との長い付き合いで彼が何を思っているのか分かる鶴見は笑みを深めた。
「欲しいなぁ…不死身の杉元…欲しい…」
そうポツリと呟くが、月島は何も言わない。
鶴見は心底思った言葉を思わず呟いてしまうくらい彼を気に入った。
そしてもう一人、自分と同じく彼を気に入っている者の静かな殺意とも思える気配を思い出しながら鶴見は愉快そうに笑った。
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