(4 / 27) 軍人時代 (04)

雪乃は同じ師団であり別の小隊の上官に使いを頼まれ、義兄の部屋へと向かっていた。
少ないが書類を運びながら雪乃は『私一等卒なんだけど』と思いながら歩いているとあっという間に義兄の部屋の前に辿りつき、ノックをするとすぐに返事が返ってきた。
義務的な会話を交わしながら入室の許可を得た雪乃は部屋に入りまず目につくのは一人の青年だった。


「どうした、水城」


雪乃は上官に言われた書類を渡す。
義兄と二人きりならば砕けた言い方でも咎められないが、見知らぬ青年がいるのなら部下らしく受け答えした方がいいと吉平に言われた通り机の上に適当に置く。
来客がいるのなら少し後から来た方が良かったかもしれない。
そう雪乃が思いながら退室しようとした時…義兄は雪乃を引き留め、向かいに座る青年に雪乃を紹介した。


「丁度いい…勇作くん、これが噂の不死身の杉元だ」


一瞬青年に紹介された雪乃は『は?』と言いかけた。
突然見ず知らずの青年に紹介された雪乃は青年に目をやり、表情には出さないが驚いて見せる。


(珍しい…この人が他人にこうも好意的とは…)


青年は第七師団の軍服を着ており、階級は少尉。
吉平とは一つ下の階級だが、この若さで少尉ならば恐らくお坊ちゃんなのだろう。
そんな青年に吉平は穏やかな表情を浮かべていた。
そこに雪乃は驚いた。
吉平は両親をも騙す猫の皮のお蔭で、品行方正に見られている。
確かに、義兄は誰にも分け隔てなく接する人間だ。
しかし、その皮の裏では自分に対しての損得を計算している狡猾さを上手く隠している。
本当の意味で彼が優しく接するのは、自分に対して利益をもたらす人間と、懐に入れた人間…雪乃を含めた部下たちだけだ。
彼は利益に繋がる人間だと思われた人間には、狡猾さは息をひそめ、優しさと驚くほどの寛大さを見せる。
それでも、雪乃は驚いていた。
目の前の青年に対する義兄は、まるで心を許している友人のように裏があるようには見えない雰囲気や表情を浮かべていたのだ。


(この人に千景以外の友人がいたとは…)


義兄とのやり取りを見る限り、軍医である千景は義兄の友と分類される位置にいるのだろう。
彼との会話には遠慮も裏もないように思えた。
雪乃は青年との会話を見て、千景以外にも友人という存在が存在していたのかと驚いていた。
少なくともこの青年は義兄にとって利益をもたらす人間なのだろう。
少尉の階級を持つ青年に雪乃は敬礼をしようとしたが、それを青年に止められた。


「敬礼は不要ですよ…こちらでは私はただの来客ですしここには吉平さんの知り合いとして来たのですから…むしろ名高い貴方なら私の方が敬礼すべきでしょう」

「し、しかし…」

「ああ、まだ自己紹介がまだでしたね…花沢勇作と申します」


敬礼を手で制して止める青年に雪乃は戸惑うが、そんな雪乃をよそに勇作と名乗った青年は立ち上がり握手を求めた。
勇作の苗字に雪乃は既視感を感じた。
しかしこれ以上上官を無視するわけにもいかず、雪乃は思い出せないまま握手を受け入れた。
他の軍人に比べて勇作はその整った容姿に似合った雪乃寄りのすらりとした筋肉の少なそうな体をしている。
だが、やはりそれでも男は男なのか、女の雪乃と比べて勇作の手は大きくて厚くがっしりしていた。
それは勇作も感じたのか、雪乃の小さく薄く繊細な手についマジマジと雪乃を見る。
その目線に雪乃は『何か?』と問えば勇作は慌てて手を放し謝った。


「すみません……想像していたよりも…その…」

「不死身と呼ばれながら女々しいって?」

「き、吉平さん!そんな言い方彼に失礼ですよ!それに私はそんな事言っていませんし思っていません!」


そうは言うが勇作も思ったのだろう。
だからこそ吉平の言葉に慌てふためいているのだろう。
だが、女々しいと言われても雪乃は実際性別は女である。
男として一生過ごすつもりもないため、雪乃は失礼と思う事も怒るようなことでもなかった。
勇作はチラリと雪乃を見たが、苦笑いを浮かべているだけだったためホッと安堵する。


「水城、勇作くんがご実家から送られたお菓子を譲ってくれたんだが折角だからお前も頂いていきなさい」


先ほども吉平の知り合いだと言っていたので、二人はそれなりに良く知る仲なのだろう。
これ以上穏やかな義兄という気味の悪い現象から逃げ出したいと思っていると、思いがけない言葉に雪乃は目を瞬かせた。
チラリと勇作を見れば、目と目があった彼は『杉元殿もどうぞ』と笑みを浮かべ進めてきた。
吉平だけならまだしも、人のよさそうな勇作を無下には出来ず、雪乃は断るという選択肢を失った。


「ありがとうございます、ご一緒させていただきます」


来客用に置かれているソファは二つ。
長椅子で机を挟んで配置されているそのソファにはすでにそれぞれ勇作と吉平が座っている。
向かい合って座っているため雪乃の座る場所はもはや決まっているようなものだ。
雪乃は内心嫌々ながらにっこりと笑う義兄の隣に座った。
テーブルに置かれているのは、日持ちする和菓子だった。
送られたのはいいが1人では食べきれず、久々に吉平とのんびりと話したかったというのもあり手土産に持って来たらしい。
だから雪乃一人増えても支障はないとのこと。
渋々同伴した雪乃だったが、この時代、そしていつ死んでも可笑しくはないこの場所で、砂糖と言う貴重物資をふんだんに使用された食料というのはやはり心躍るものがある。
上官二人が手に取り食べたのを見送った後雪乃も甘味に手を伸ばす。


「…!」


雪乃は一口それを食べ、目を丸くしながら瞬いた。
その美味しさに雪乃は思わず口元に手をやり、目を輝かせながら和菓子を見下ろした。


「花沢少尉殿、とても美味しいです」

「それはよかった」


現代とは違い、砂糖は勿論調味料は貴重品だ。
そのせいか甘味系は贅沢品であり、軍人となってから食べる機会も減った。
そう思うとお嬢様生活は普通ではなかったんだなと思う。
久々に食べる甘味に目を輝かせながら勇作にそう告げれば、彼も喜んでもらって嬉しいのか微笑みを浮かべた。
雪乃がまるで女性のように目を輝かせながら美味しそうに食べるのでもっと与えてやりたいと思い、勇作は箱ごと雪乃に差し出した。
『まだありますからどうぞ』と言う勇作に雪乃は食い意地が張っていると思われたと気恥ずかしそうに頬を染め首を振った。


「い、いえ!私はこちらで十分ですので…どうぞ花沢少尉殿と川畑中尉殿がお食べください!」

「そんな遠慮はいりませんよ…私達は貴方の上官ではありますが今は立場は忘れてください…今ここにいる花沢勇作はただの1人の人間です」


どうやら勇作はあまり階級を気にしない人間らしく、むしろ階級関係なく雪乃や吉平と接したいらしい。
それは分かった。
だが、かと言って流石に『はいそうですか』と簡単に階級を無視して上官を扱えない。
それも相手はこの若さで少尉となった坊ちゃんなのだ。
後ろに力のある父親の影があると思うと中々崩した態度にはなれなかった。


「遠慮せずいただきなさい…戦場で甘味を食べれるなんて普通の一等卒では味わえない事だぞ?」


雪乃の周りには吉平と千景を筆頭に変な人間しかおらず、勇作のような普通そうな人間はいない。
むしろ勇作は雪乃にとって貴重な人間にしか見えない。
そんな貴重な人からの送り物を一介の一等卒ごときが手を出していいのか迷っていた。
しかし義兄の言葉もあって雪乃は言葉に甘えることにした。
恐る恐ると手を出す雪乃に勇作は微笑ましそうに見つめていた。


「そういえば…彼は元気かな?」


勇作は目の前で美味しそうに食べてくれる雪乃をニコニコ顔で見つめていたが、ふと吉平から声をかけられ、雪乃から吉平へと視線を向ける。
『彼』の部分に身に覚えがなく、勇作は首を傾げた。
その仕草に吉平はチラリと雪乃を見たがすぐに勇作に視線を戻す。


「音之進くんだよ」


そう吉平が述べた瞬間、隣からむせる音が聞こえた。
勇作が『大丈夫ですか!?』とその音の主、雪乃に声をかけるのを視界の端で見ながら吉平もそちらに目をやる。


「なんだ、行儀が悪いぞ」

「っ、もう、しわけ…ありません…」


吉平の冷めた声に雪乃は何とか文句を飲み込み謝る。
勇作にも謝罪をすれば、こちらは心配してくれて荒みそうな心がなんとか保てた気がした。
雪乃はお茶を飲んで落ち着きながら内心溜息を吐く。


(やっぱり性格悪い…)


雪乃は他人事のように思っていた。
誰だろうとも思わず久々の甘味に舌鼓を打っていたのに不意打ちを食らった。
吉平は雪乃がいるから鯉登の話を出したのだろう。
じりじりと雪乃の心を弱らせるために。
雪乃がむせて話が途切れたからか、もう一度勇作に問う。
勇作は雪乃の気持ちなど知らず、『そうですね』と思い出す。


「人前では気丈に振る舞っているのですが…やはりまだ傷は癒えていないようですね…」


『傷』と言う言葉に雪乃は鯉登が何かの事故で傷を負ったのかと思い心配になった。
しかし今ここにいる雪乃は『杉元水城』という軍人の『男』だ。
徴兵令によって集められた一般人であり、鯉登との関係はない。
心配だと思っても、気になっていたとしても、聞くのは不自然となる。
しかし気にならないわけがなく、雪乃はあきらかに食べるのが遅くなっていた。


「そうか…あの子は妹を心から愛してくれていたからね……妹を亡くして一番辛いのはあの子なんだろう…」


吉平のその沈んだ声は雪乃から聞けばわざとらしかった。
しかし、その言葉に雪乃は食べるのを止めた。
固まったまま口の中にあった甘味をゴクリと飲み込むと勇作が悲しそうな表情で笑った。


「そうですね…私は吉平さんの妹さんには会った事がないのですが音之進くんからは話には聞いていましたので…音之進くんもいつか妹さんに会わせてくれると約束してくれたんですが…あんな事に…私も会うのをとても楽しみにしていたので残念です…」


そこで雪乃は思い出した。
花沢という苗字に既視感を覚えていたのは、何度か鯉登からその名を聞いたからだ。
父と叔父と同郷の出の軍人の名を雪乃は一度どころか何度も聞いた事がある。
父達は友人でもあるらしく、あちらも東京に住まいを移しているためか会う事はなかった。
確かに、雪乃も鯉登にいつか勇作に会わせると言われた事を今思い出した。
ああ、この人がそうだったのね――と雪乃は吉平と笑い合う勇作を見ながらそう思う。
でもそれ以上は考えないようにした。
考えてしまうと鯉登を必要以上に思い出し、心がポキリと折れそうだったのだ。
今までは会えなくても手紙のやり取りがあり、正月や連休での帰省があった。
だが今雪乃は死んだことになっている。
自分が進んだ道とは言え、もう一生彼と会えず声や姿さえ見れないと思うと弱音を吐きそうだったからこれまで考えないようにしていた。
それが、これだ。
雪乃は心の底から吉平の性悪さに呆れ返った。
しかし、嬉しくもあった。


(音之進…まだ、想ってくれているのね…)


もう会う気はないとはいえ、あれほど長い片思いの末結ばれた恋は中々冷めない。
だが…再び雪乃は思い出した。


「あ」


頭の奥に仕舞いこんだそれを思い出した雪乃はついぽろっと声を出してしまった。
その声に吉平と勇作が雪乃を見る。
2人の視線に雪乃は慌てて立ち上がり敬礼をする。


「も、申し訳ありません!これから軍事訓練がある事を忘れておりました!!お二人の恩恵を無下にするようで申し訳ありませんが失礼します!!」


雪乃はなんとかそう述べ、2人の許可を得て退室した。
慌しく出ていった雪乃に勇作は呆気に取られ、扉を暫く見つめていたが、くつくつとした笑い声が耳に届き、その声の主である吉平へと視線を向ける。


「吉平さん?」

「いや、すまない…勇作さん、あれはどうだった?」


なぜ笑うのか分からず勇作だったが、その問いに首を傾げる。


「どうとは?」

「想像したよりも美しかっただろう?」


勇作は吉平の言葉に無意識に頷いた。
勇作の頷きを見て吉平は満足そうに笑った。
吉平とは長い付き合いだが、彼はここまで嬉しそうに笑った顔は初めて見た。
だからか、勇作は更に雪乃に興味が沸いた。
しかし…その笑みは妖艶な笑みへと変わる。


「だがな、勇作くん…あれが一番輝くのは共寝をした時なんだ」


その言葉に勇作は自分の息が止まったのが分かった。
共寝、とは一つの寝床に一緒に寝ることではあるが、それが決してただ単に一緒に寝る事ではない事くらい勇作も分かるし、大人になった。
旗手として験担ぎで経験がないとはいえ、やはり興味がないわけではない。


「そ、そう…ですか…」

「君が旗手でなければ勇作くんにもあれの美しさを知ってもらえたのだがな」


相手が勇作でなければ旗手でも雪乃をけしかけただろう。
だが、相手の後ろには父の友人であり中将が付いている。
その父が息子に験担ぎを強いているのに自分がそれを破ったとしれば、勇作の父からどのようなお叱りがくるか分からない。
父の友人にしてはいい趣味を持つ勇作の父とはすぐに気が合い、父には言えない事も話した。
その事から彼は協力者ではあるが、だからとそうやすやす怒らせていい相手でもない。
本当に残念そうに呟く吉平に勇作の頬は赤らみ、言葉を詰まらせ、俯く。
その様子が童貞臭くて更に吉平は笑みを深めた。
そして、あきらかに勇作が完全に雪乃に興味を示し、吉平は愉快そうに目を細めた。

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