(259 / 274) 原作沿い (259)

時間も時間だからと、静子とカナは後日マカナックルの案内でアイヌの村に行くことになった。


「やっと雪乃さんを知っている方と接触できたわね、カナ」


布団を敷き終わり、眠る前に一息つこうとお茶を淹れる。
カナの入れたお茶はいつも美味しいのだが、何だか今日は特別美味しいと感じた。
いや、カナのお茶だけではなく、お昼に食べた料理も夜食べた料理も、特別美味しいと感じた。
どれも川畑家に比べるとレベルが低い物ばかりだが、上機嫌という調味料が質素な物でも上等な物へと変えたのだ。
カナは静子の言葉に呑んでいたお茶を喉の奥へとしまい込み、頷く。


「そうですね…私はもっとかかるのかと思っていました」

「ええ…私もよ…これもきっと神様の思し召しだわ」


静子は特別キリスタンと言うわけでも信心深いわけではないが、娘が生きていたという奇跡を知ってからは時々神様に感謝を述べるようになっていた。
心配になるほどではないが、静子にとって娘が生きている事やそれを知る事も偶然や必然であっても今まで信じてもいなかった神に感謝するほどに奇跡的なものだったのだろう。
カナはチラリと静子を見る。
カナは今日、静子がどうして鹿児島に帰らず静かに療養しながら娘を待たなかった理由を知った。
聞きたくてもカナが聞けなかった事を、他人だからこそ聞き出せた男にカナは感謝しかない。


(奥様…)


カナは嬉しいという感情の前に、切なく感じた。
静子は雪乃に絶縁をされる覚悟を持ってここにいるのだ。
この選択肢は愛する娘と一生会えなくなるかもしれない。
娘の足取りを追い、娘にそれを知られるかもしれず、絶縁されるかもしれないという覚悟が必要な事にカナは切なくなり、悲しくなった。
そして、自分の覚悟が足りなかった事や、配慮が全く足りなかった事を反省した。
カナは静子がここに来たのは、衝動的なものだと思っていた。
正直体調を崩してすぐに帰ることになるだろうとも思っていた。
カナは軽い気持ちでこの地にいたのだ。
主人は娘と絶縁される覚悟でこの地を訪れたというのに。


(神様…どうか…どうか、奥様とお嬢様の縁をお切りにならないでください…)


まるでお祈りをするように、カナはギュッと手を握り締めた。



◇◇◇◇◇◇◇



昼過ぎ。
二人はマカナックルと約束した時間に間に合うよう宿を出る。
当然だがマカナックルにも生活や家族があり、リズムがある。
彼が指定したのは昼過ぎの時間帯。
昼食を済ませ、カナ達は約束した時間と待ち合わせ場所に向かった。
そこにはすでにマカナックルが立っており、二人は慌ててマカナックルの方へと駆け寄る。


「マカナックルさん!ごめんなさい…遅くなってしまって…」

「いや、俺も今来たところだから気にしないでくれ」


嘘か本当かは分からないが、彼の言葉に静子とカナは胸を撫でおろした。
マカナックルは静子とカナを見る。


「この先は整備されていない道なんだが、大丈夫なのか?」


『勿論、ゆっくり歩くが』と続けるマカナックルにカナは静子を気遣うように見つめたが、静子は頷いた。


「お気遣いありがとうございます…最近は体調を崩すこともなく、杖ももう使う事なく歩く事ができておりますのでご心配ありません」


静子は最近まで寝たきりだったせいで足腰が弱く、杖がなければ満足に歩けなかった。
しかし、愛娘が生きていると知るや否や静子の体調はみるみると戻り、完治したわけではないがほぼ完治に近い。
病は気からというが、まさに静子は気持ちで体調を戻していった。
静子は気遣ってくれたマカナックルにお礼を言い、安心させるようにニコリと笑って見せた。
静子はやっと愛娘と繋がる人物と出会えたのだ。
その縁を無駄にはしたくはなかった。
そのため、わざわざ着慣れた着物ではなく、動きやすい洋服を購入した。
マカナックルはその気持ちを察してくれたのか、それ以上言わず、さっそく村に案内するため歩き出した。



――マカナックルの言う通り、そこは街のように道が整備されていなかった。
アイヌは自然と共に生活をしているため、整備されていない山中を二人は歩いている。
一応マカナックルが女性でも歩けるような道を選んで案内してくれてはいるが、それでも山の厳しい洗礼は免れない。
静子とカナは、洋服と普通の靴を選んでよかったと思う。
流石に着物ではここまで進むのは難しかっただろう。


「大丈夫か?」


マカナックルは歩いては後ろを振り返るのを繰り返しながら歩きなれた道を進む。
何度目かの問いに静子とカナは頷いて見せた。
見た目通り育ちの良い二人にとって山道は相当厳しいため、二人は息が切れていたのだが、弱音は全く吐かず、疲れを見せながらもよくマカナックルに付いて来ていた。
それを見て、マカナックルは内心感心していた。
正直弱音を吐かれるのを覚悟をしていたのだ。


「あと少しだから頑張れ」

「は、はい…」


はあはあ、と息を荒れながら静子は笑って頷いた。
しかし、その笑みは疲れからか引きつっているようにも見える。
昨日、静子は病み上がりだと聞かされ心配だったが、その心配は無用だったらしい。
とはいえ、カナも心配なのか静子を気遣うように歩いていた。
暫く歩いて、マカナックルは静子とカナの体調を気遣い休憩を入れた。


「あの子も…こんな道を歩いていたのかしら…」


適当な場所に座り込み、息を整えながら静子はふと零した。
その呟きに傍にいたカナは静子を見る。
静子は辺りを見渡していた。
山とは縁のない暮らしのためか静子は物珍しそうに山の中を見つめていたが、恐らくそれだけではないのだろう。
勿論珍しいのもあるが、娘も通ったことがあるかもしれない道という興味もあるのだろう。
カナが答えるよりも前に、マカナックルがその呟きに返す。


「どうだろうな…この道以外にも街に繋がる道はあるからなぁ…だが、一度か二度は通った事あるかもしれないな」


マカナックルの言葉に静子は『そうですか』と胸に手を当て目を瞑り零した。
娘がこの道を通ったかはマカナックルが分かるわけがない。
娘は彼と行動を共にしているわけではなく、彼の姪と行動を共にしていたのだ。
だが、静子はマカナックルの言葉を素直に受け止めることにした。
この道をあの子も通ったと思えば、つらく感じる山道も平気に思えたのだ。
カナも静子に習ってそう思うことにした。
静子は前向きに今の現状を受け入れている。
それをカナも習い、受け入れることにした。
カナはチラリとマカナックルを見ては、何かを言いたげに口を開いた。
しかしその口をすぐに閉じ、言葉を飲み込む。
―――アシリパ様はどんな方ですか?
カナはそうアシリパの叔父であるマカナックルに聞こうとしたのだが、やめた。
一番の理由は勇気がなかった。
そして、怖かった。
アシリパという人物を知るのが怖かったのだ。
別にアシリパが何かをしたとか、アシリパに恐怖を感じているわけではない。
…いや、正確には恐ろしいとは思う。
彼女の立ち位置は本来鯉登と自分だったのだ。
アシリパは雪乃に彼女のためなら何を犠牲にしても惜しくはないと言われるほど、雪乃の信頼を得ている。
アシリパに立場を奪われ、もう雪乃とは昔のように戻れないかもしれないという恐怖はある。
しかし、今は彼女を知る事自体に恐怖を感じていた。


(駄目だ駄目だ!奥様が前向きに考えてられているのに仕える私が沈んでいては失礼だわ!!カナ!しっかりしなさい!)


パシン、と頬を叩いて自分を一喝する。
静子は前向きに考えられているが、カナはその真逆だった。
村に近づけば近づくほど、カナは雪乃やアシリパを考えてマイナスな感情へと引っ張られてしまう。
そこにあるのはやはり恐怖だった。
気合を入れるようにグッと拳を握りしめたが、休憩が終わり出発するという静子の声に返事を返し降ろしていた腰を上げた。
気持ちを切り替え、先に進んでいた二人の元へと駆け足で向かった。

259 / 274
| 目次 | 表紙 |
しおりを挟む