水城は頭を撫でられる手に意識が浮上し、薄っすらと瞼を開ける。
寝る前にアシリパと一緒に寝ていたのもあり、その手を水城はアシリパだと思った。
「なぁに、アシリパさん…もう着いたの?」
起こされたのもあり、水城は寝ぼけていた。
アシリパが先に目を覚まし、暇しているため自分にちょっかいをかけていると思っていた。
ふふ、と思わず笑みを浮かべていたが―――
「おはよう、水城」
その声に水城はいっきに目が覚めた。
ハッとさせ息を呑み、弾かれるように体を起こす。
そこには愛らしい少女――――ではなく、一人の男がいた。
その男には見覚えがある。
いや、見覚えどころか、忘れたくても忘れられない男であった。
「……おにい、さま…」
アシリパがいたそこには、水城の義兄…吉平がいた。
吉平はアシリパが寝転んでいた同じ場所で片肘をつき、驚き尻もちをついたように座り込む水城を愉快そうに見上げていた。
「ア、アシリパさんは…」
水城と寝ていたのは確かにアシリパだった。
そもそも目の前の兄はすでに死んだはず。
辺りを見渡すと客でにぎわっていた大部屋には誰一人おらず、客なんていなかったように荷物すらない。
その場には水城と吉平しかいなかった。
そこで水城は冷静になる。
尾形に頭を撃たれ気を失っている間に見た兄の夢を思い出し、水城はここがすぐに自分の夢の中だと気づいた。
死んだ兄を目の前に困惑していた水城の表情は、夢だと気づいた途端冷静を取り戻し、神妙な表情を浮かべる。
そんな水城の表情の変化に吉平は愉快そうに目を細め笑う。
「今更何の用で現れた」
「『今更何の用で現れた』?」
水城の問いに、吉平はクツクツと笑いながら横になっていた体を起こし、胡坐をかき片肘を膝につけ頬杖をつき水城を見る。
その目は面白い物を見るような愉快そうな目を向け、その視線に水城は不快感を感じる。
「相変わらず可笑しなことを言う子だ…ここはお前の夢だぞ?」
吉平は自分の夢を見ているのはお前だと言っていた。
確かに夢は他人が侵入できるわけではない。
夢は現代でも解明されておらず、将来実現させたいと思っている事など願望や願いを見ているとも言われており、一連の観念や心像、睡眠中の幻覚とも言われている。
それが本当ならば、この夢も、目の前の吉平も、水城の望んだ夢だと言えるだろう。
水城は自分で墓穴を掘ったと悔し気に唇を噛んだ。
強く噛む水城の唇を見て吉平は水城の顎に指をかけ、親指で唇を触れ、水城が唇を噛むのをやめさせる。
吉平の指に水城は目の前の男へと視線を向け、吉平は優しい目で水城を見つめていた。
「お前は俺の物だ…お前であっても戦い以外で傷をつけるのは許さない」
うっとりと顎にかけていた手で頬に触れ、愛おし気に撫でる。
水城は吉平の理想の女だった。
傷がつけばつくほど美しくなっていく水城に、吉平はいつの間にか骨抜きにされた。
他の男達もそうだろう。
水城に惚れこむ男達は水城の瞳に魅入られる。
ギラギラと雄々しく敵意に鋭く輝き睨みつけるその瞳をまっすぐ向けられたら吉平や尾形や土方のような男達は忘れられなくなる。
普通の男ならば殺意を向けられている時点で水城を恐れる。
だが、彼らのように一部の男達その真逆だ。
一部の男達の共通点は一つ。
ギラギラと向けられる殺意や、靡かない猛獣である水城の心をこの手でへし折り、自分にしか従わない懐かない従順な犬にしたい。
水城を狙っている男達は、そう思っている。
そしてそれをやり遂げたのは吉平、ただ一人だけだ。
吉平よりも情を交わした尾形でさえ、水城は己のリードを吉平から奪い尾形に渡すことはなかった。
勝手な事を言う吉平に、水城は隠すことなく不快感をあらわにし睨みつける。
ギロリと睨みつける水城に吉平はうっとりと見惚れた。
水城は知らないのだ。
吉平も尾形も、土方も…水城の飼い主になりたがっている男達にギロリとした睨みは逆効果だと。
水城は鈍いのもあるが、軍人として戦争を経験しているが故に、強い者に惹かれる者は理解できても、猛獣の心をへし折りたいという者を理解していない。
頬に触れる吉平の手を水城は苛立ちを込めて叩き落とす。
ジンジンと痛む手をひらひらと振って吉平はニコリと笑う。
「すまない、少し苛めすぎたようだ」
吉平のその顔は、すまないと思っている男の顔ではない。
水城と話せることが嬉しいのか、ご機嫌だった。
舌打ちを打ち、不機嫌さを隠しもしない水城に吉平は目を細め、水城の胸元に指をさし、指先が水城の胸元に触れる。
「俺はずっとお前の中にいる…だから俺はお前の夢でお前に会える…お前が嫌がろうが、どれ程俺を拒絶しようが、俺はお前と一つになった」
そう言いながら吉平はトン、と軽く叩くように指で押し、水城はドサリと後ろに倒れた。
水城は吉平の言葉に唖然としていたが、軽く押されただけでは倒れるほど放心状態になったわけではない。
だが、水城の意思と関係なく、水城の体は仰向けに倒れた。
後ろには木の床だったはず。
だが、倒れた水城の頭には柔らかい何かがクッションになったように痛みはなかった。
水城はハッと我に返り、目の前に広がる光景に目を丸くした。
目の前に広がるのは見慣れた天井だった。
(私の部屋の…天井…)
見慣れた天井とは、水城が雪乃だった頃、川畑家にあてがわれた部屋の天井だった。
気づけばその場は船内ではなく、川畑家にある自身の部屋に変わっていた。
しかし驚きもすぐに収まる。
今見ているのは夢だと認識しているからだろう。
いつの間にか服装も寝間着に変わっており、夢だからか体にあった傷痕は綺麗に消えていた。
そう、今の水城は…―――吉平に家族や恋人から引き離されたあの日を吉平によって再現されていたのだ。
浴衣の袖を捲り、あるはずの傷がない綺麗な肌を見ていると、視界に吉平がぬっとあらわれた。
「退け」
今、水城は吉平に覆い被さるように組み敷かれていた。
退かせたければ退かせばいい。
しかし体が動かなかった。
これも夢だからだろう。
水城は自分を押し倒すように覆い被さる吉平に不快感から睨みながら低く唸るように言った。
不快感をあらわにし睨む目すら吉平をただ興奮させるだけだと水城は気づかない。
自分の下でギロリと睨む水城に、吉平は機嫌のいい笑みを浮かべ、水城の衿の隙間から手を差し入れ胸元を露にさせる。
やはり露わになった肌に傷はなく、胸も今ほど大きくはなくくびれもあまりない。
傷がない事から薄々気づいていたが、やはりこの体は19歳の頃の体に戻っているようだった。
「うーん…やっぱり駄目だな、この姿は」
そう吉平が零した瞬間、水城の体に傷が現れた。
すっと浮き上がるように傷が現れるのと同時に、身体にも変化が現れる。
19歳にしては大きかった胸は更に豊満となり、腰もきゅっと引き締まる。
水城の体は現在の年齢まで成長した。
自分の夢なのに、この夢の主導権は吉平が握っているようだった。
自分の夢なのに吉平に好き勝手され水城は不愉快になり、水城は眉間にしわを寄せる。
そんな水城など気にも留めず、吉平は浮き上がった傷痕をうっとりと見下ろし、首元にある銃弾の痕に触れ、首元から露わになっている胸元までの傷を全て撫でるように触れる。
その触れ方は優しく、そして愛おしげだった。
しかし、水城にはそれが気持ち悪くて仕方なかった。
「うん、やっぱりお前はこの姿が一番美しい…いや、違うな…傷が増える度にお前は更に美しくなる…今も勿論美しいが、今は発展途上というべきかな…水城…ちゃんとアイヌの少女を守っておやりよ?危険から遠ざけるのではなく、庇ってやりなさい…そして傷を増やしなさい…お前は傷があればあるほど美しさが増すからね」
性的に触れてはいるが、性行為はするつもりはないのか、胸も傷に触れるだけで揉むことはなかった。
それは水城にとって良好ではあるが、この状況は好ましくはない。
どうせ押し倒され触れられるなら、好き合っている鯉登がいい。
そしてそのまま情を交わしたい。
吉平と尾形と何度も体を重ねたが、水城はあれほどまでに気持ちが良く、心も身も満たされるような行為は初めてだった。
思い出す度に体が熱くなるほどに、鯉登との行為は一方的な行為しか知らなかった水城にとって夢心地だった。
それが無理ならば、尾形の方がマシである。
殺す気でいる尾形に触れられる方がマシなほど、水城は吉平を拒絶している。
またどちらかの子供を産まなければならない事になったのなら、水城は迷わず尾形の血を選ぶだろう。
それは勿論吉平も気づいており、吉平はその感情ごと水城を好いているほどの性癖の持ち主である。
水城は独りよがりにうっとりとしている吉平に、唾を吐くごとく悪態をつく。
「気色悪い…あんたの性癖は死んでも治らないのね…閻魔様も獄卒達もあんたの気色の悪い性癖にはお手上げなのかしら?」
鼻を鳴らす水城の悪態に、吉平は不快感をあらわにするでもなく、怒ることもなく、にっこりと笑みを深めた。
その表情は不快感よりも嬉しさを現れていた。
吉平の笑みを見つめながら、水城は『ほんと、とことん気が合わない奴ね』と心の中で愚痴る。
吉平の本性を知ってから、水城は吉平の笑みは全て胡散臭く見える。
いや、胡散臭いのだろう。
吉平は水城を傷つける事以外の笑みは全て偽物なのだ。
吉平は傷を一つ一つ慈しむように触れ、その手を水城の頬へと伸ばす。
頬にある傷跡をなぞるように触れ、そのまま唇をなぞる。
「本当に…お前は美しいな……お前の腕の中で死ねるとは冥利に尽きる」
冥利が尽きる、とは大雑把に説明すればこれ以上幸せはないという意味である。
だが、吉平が言うにはその言葉は軽すぎた。
吉平が一体どんな善を積んだというのだろうか。
母や鯉登達を諦めさせるために闇商人から雪乃に似た背格好の孤児の少女を買い、雪乃の目の前で生きたまま焼き殺した。
その遺体を母達に見せ、雪乃を消した。
水城を作り出し、男装させ、戦場で多くの人間を殺させた。
無理矢理水城を犯し子を成そうとした。
水城の人生を、雪乃の人生を台無しにした。
きっと水城が知らないだけで、水城以外の多くの人間をも不幸にしてきたのだろう。
冥利とは恩恵の事だ。
吉平が受ける恩恵などありはしない。
罰や恨みなら底なしにあるだろう。
だが、確かに誰もが一人で死んでいく戦争の中、想いが伝わっていない相手だとしても、人の腕の中で静かに死ねるのは冥利なのかもしれない。
だが、世の中そう上手くはいかないものだ。
「確かに人の腕の中で死ねたあんたは幸せだったのでしょうね…でも残念だわ…私は尾形の子を産んだ…あんたの子種は尾形に負けたのよ」
『ざまあないわね』、と続ける水城は嘲笑を浮かべていた。
吉平は子供を望んでいた。
水城を縛り付けるために、自分の血を受け継いだ子供を産むことを、水城を脅すほど望んだ。
だから水城の中に一滴でも多くの子種を注いだのだ。
浮気されていると分かっていても、その分多く水城の中に子種を注いだ。
だが、結局多く注いでも、水城と体を重ねた月日が浮気相手よりも長くても、吉平の子種よりも尾形の子種の方が強かったということだ。
水城の体に宿った子供は吉平ではなく尾形の血を選んだ。
それはきっと静秋がした、初めての親孝行なのだろう。
吉平は水城の中に血も存在も残すことが出来なかったのだ。
繋がっているのは、魂と言う不確かな物のみ。
水城はそれを嘲笑う。
だが、吉平の表情はピクリとも変わらなかった。
「残念?何が残念なんだ?俺は言ったよな?俺は子供の血が誰の血であろうとどうでもいい…お前が誰の血かも分からない子供を育てる姿がたまらなくそそられる」
確かに、水城の息子が尾形の血を選んだのは残念ではある。
だが、それはそれで興奮するし、浮気相手の子供でも母親ごと囲うつもりだった。
それに、水城は鯉登を愛している。
なのに、水城は尾形の子供を産み、育て、愛した。
それが吉平の性癖に深く刺さった。
しかし、それでもやはり一人の男として、好いた女との間に自分の血を継いだ子供は欲しいものだ。
その為ならば、何でもした。
もし吉平が生きていたのなら、あの後水城が逃げたとしても地の果てまで…いや地獄の底まで追いかけ、犯し、今度こそ自分の血を選んだ子供を孕ませていただろう。
吉平の言葉に、水城は改めて目の前の男は狂っていると再認識する。
そんな水城をよそに吉平は己の手を水城の首に添える。
それはまるで首を絞めるようだった。
「だが…水城、お前は俺との約束を違えたな?」
締め付けてはおらず、添えているだけだが、首を絞めるように触れられている事に水城はゾッとさせた。
だが、まだ主導権は吉平にあるため、水城は体が動かなかった。
吉平の目に水城は背筋が寒くなる。
水城を見てはいる。
だが、吉平の目に光が感じられなかった。
死んでいるから当たり前だが、先ほどまで光を感じられたのに、今は黒く濁っているように見えた。
「やく、そく…?」
少しずつ手に力が入れられていく。
その手に水城は顔を強張らせる。
普段ならその手を振り払うくらいの気力を持っているのに、夢のせいか恐怖しか感じられなかった。
まるで普通の女に戻ったように水城の力は抜けていく。
これも主導権を握る吉平の仕業だろう。
抵抗されれば吉平は勝てない。
だから夢の中では縛り付ける。
ぐぐぐ、と少しずつ力を入れ、苦しいのか水城は顔を顰める。
そんな水城の耳元に吉平は唇を寄せ、内緒話をするように小声で呟く。
「お前は言ったよな―――鯉登音之進とは添い遂げるつもりはない、と」
「…ッ」
グッと一気に力を入れられた。
気管が圧迫され、脳に酸素と血が送られず水城は苦しむ。
その苦しむ様も吉平には魅力的に見えた。
生きていた間に首絞めセックスも経験してみたかったな、と頭の端に考える程度には、吉平は狂った人間であった。
「尾形百之助と添い遂げたのなら、俺も流石にここまで咎めはしないさ水城…だが、お前は俺との約束を破ろうとしている…それは許されない事だ…いくら俺が故人だとしても…約束はまだ生きている…違うか?違わないよな?もし違うとすればお前は今ここにはいない…違うのなら、お前はあの気狂いの愛犬になっていただろう…気狂いの愛犬になっていないということは、お前は俺との約束に縛られているんだ…俺が死んで解放された?違うよなぁ?俺が死んだ事でお前と俺は完全に一つになれたんだ…お前は俺であり、俺はお前だ……お前は身も心も全て俺の物になった…あいつの物ではない」
気狂い、とは鶴見の事を指しているのだろう。
吉平は死んでも鶴見の事は毛嫌いしているらしい。
好いた女にちょっかいを出し、横から攫った尾形よりも。
だが、それ以上に鯉登という男の存在は、吉平には夢にまで出て来るほどには許せないようだ。
それはそのはず。
好いた女である水城が愛しているのは鯉登音之進という男であって、自分ではないのだ。
昔から吉平は鯉登を心底嫌っていた。
水城は首を絞められ、顔を顰め、真っ赤にさせ、苦しさに呻く。
腕や足は動けた。
吉平が無抵抗はつまらないと思ったのだろう。
それに疑問も感じる余裕はなく、水城は両手で首を絞める吉平の手首を掴み、バタバタと足をバタつかせる。
しかし、首を絞められている苦しさからか、それとも夢だからか、上手く力が入らず、吉平が跨って上に乗っているせいで足をバタつかせても吉平はビクリとも動かなかった。
「この約束を結ばせたのは俺ではない…お前だ、水城…だからこそお前は約束を違えてはならない…お前の首輪に繋がっているリードは今も俺が持っている…お前はまだ…いや、お前は一生、俺の犬だ…それを忘れるな―――いいな、杉元一等卒」
その言葉と共に、水城は意識を失うように視界が暗闇に包まれる。
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