(272 / 274) 原作沿い (272)

水城に重いパンチを一発入れられ、房太郎は胃液が逆流する気持ち悪さに顔を顰める。
しかし、すぐに拳銃を取り出し水城に向けた。
だが、拳銃を向けられても水城はすぐさま拳銃を上から握り締める。
勿論、ただ握っているだけではない。
拳銃はハンマーという部分で、弾の底部を叩いて火薬を爆発させ発砲となる。
水城はリアサイトとハンマーの間に手を入れる。
そうすることで、指が障害物となり発砲できなくした。


「うおッ」


房太郎が次の動きをする前に、水城はすかさず剣を抜き、房太郎の指を斬り落とそうとする。
だが、それを寸前のところで房太郎によけられてしまったが、房太郎から拳銃は奪えた。
拳銃を奪われた房太郎は蹴りを一発水城に入れる。
水城が避ける前にその蹴りは水城の腹に入り、水城は後ろに吹き飛ばされ柵に当たった。
柵に背中を打つ水城に、房太郎は転がっている錨の紐を掴み、思いっきり水城に向かって叩きつけるように振り下ろす。
その降ってくる錨を水城は前転するように避ける。


「大丈夫かッ!!」

「!、アシリパさん…!怪我はない!?」


するとアシリパが階段を上がり、姿を現す。
下は下で郵便配達人が暴走しており、仲間を殺された生き残った房太郎の手下が配達人を殺す気でいた。
アシリパはそれに気づき、配達人を弾を見つけたと言って誘い込み川に落として逃がした。
アシリパが上がってきたのと同時に、手下も姿を現した。


「海賊さん!下で暴れてた郵便配達人は金置いて逃げました!」


その報告に、房太郎は川の方へ視線をやる。
確かに、身一つで配達人らしき男が川を泳いでいるのが見えた。
ならば、後は邪魔をする目の前の女を消すだけ…そう思い、水城に視線を戻すと、水城はアシリパを見ていた。
『そこから動かないで』と言ってアシリパを安全な場所に留める水城を見て、房太郎は微かに目を見張る。
先ほど自分を殺す事しか考えていなかったような女が、少女には安堵と心配を見せていた。
なのに、アシリパが一歩階段を下がりこれ以上入ってこない事を確認し、自分に振り返る水城は、先ほど自分と対峙していた表情に戻っていた。
その切り替えの早さに房太郎は驚いていた。


「杉元ッ!!聞きたいことがあるだろがッ!!」


すると、白石がタイミングを見計らい間に入り込む。
水城は白石の言葉に、肌を刺すような殺意を和らげ、房太郎から奪った拳銃を川へと投げ捨てた。
白石が間に入った事で殺し合いは一時停戦となり、房太郎は水城に向かい合う。


「お前…杉元っていうのか」


そう聞く房太郎に水城は答えない。
だが、こちらを睨むその瞳に房太郎は目を細め笑った。


「さっき言ってた『暗号は解けない』ってウワサ…詳しく聞かせてくれ」


白石は水城の傍に移動しながら、房太郎が言っていた事を聞く。
暗号は解けないとは、そのままの意味だろう。
なら、その根拠があるはず。
それを聞くと、水城と殺し合ったわりには案外簡単に話してくれた。
房太郎が暗号がもう解けないと思ったのは、一年ほど前。
札幌にいた頃、若山というヤクザに会って聞いたのだという。
若山という名前に既視感を覚えるが、顔をはっきりと思い出せない。
しかし、すぐにアメリカ人が運営する牧場で赤毛のヒグマ三頭と戦った時いた囚人だと気づく。
あれほどインパクトがあった二人なのに、これまでも色々ありすぎて置くに仕舞い込んでしまったらしい。


「俺は殺して引っ剥がすつもりで近づいたのさ…だが、親分の手下に囲まれちまった」


あの時は若山と、姫と呼んで愛でていた恋人の仲沢しかいなかったが、当然ヤクザの親分ということで手下もいたようだ。
あの時、手下はどこにいたのかは分からないが、若山は手下含め複数おり、当時は房太郎は一人。
当然、数に勝てるわけもない。
男色を利用して近づいたが、魂胆を気づかれ逆に皮を引っ剥がされそうになった。
だが、若山は房太郎の皮を剥がさなかった。
それは何故か…無駄だと気づいたからだろう。
若山は言った。

―――入れ墨の暗号は解けねえぜ

そう思っているのは本心かららしく、若山も脱走してすぐに一人の囚人を殺して皮を入手していた。
しかし、若山は茨戸の賭場で負けた際出来てしまった借金のカタにせっかっく入手した皮を出してしまった。
そして、その皮はヤクザから土方側へと渡っている。
房太郎は理由を聞いた。
無駄だと気づいているからか、若山は簡単に話してくれた。


『どこかの海で溺れ死んで魚のエサになるかもしれねえし山奥でヒグマに食われるかもしれない…あるいは…変な野郎がふざけて台無しにするかもしれねえってことよ』


その言葉に房太郎は納得してしまう。
入れ墨を入れて脱走するほどだ。
例え自由になりたいためだとしても、少しは金塊の事は信じていたのだろう。
だけど、途中で無駄だと気づいた。
だから目の前に金塊の手がかりである房太郎の皮を剥がさなかったということは、それだけの確信を持っているという事だ。
幸い、掘られる事もなく、命を無駄にされることもなく、こうして房太郎は生きている。
殺されはしなかったが、房太郎も皮を集める気はなくなった。
水城も白石も、房太郎の言葉を聞いて街で聞いた飴売りの言葉と、今の話が繋がっている事に気づく。


「だから俺も刺青人皮を集めるのはやめた!」

「それで…アイヌが隠したっていう場所は分かったの?」


入れ墨を集めない理由は分かった。
話を聞いていて、水城も納得するところが多く感じられた。
確かに水城が金塊争奪戦に参戦することを決めた際、金塊の話を聞かせてくれた囚人の一人はヒグマに襲われて死んだ。
二瓶も金塊には興味示さず、山に生き山で死ぬような人間だった。
辺見も、水城達との戦闘の結果とは言え、辺見は危うくシャチのオモチャとなり海の藻屑に消えるところだった。
姉畑だってそうだ。
姉畑も危うくヒグマに食い殺されるところだった。
水城達はただ運が良かっただけなのだ。
岩息もそうだが、金塊を求める人間よりも、金塊に興味がない人間の方がはるかに探すのに苦労する。
後僅かになったとはいえ、水城達が知らないところで刺青人皮は失っているかもしれないのだ。
刺青人皮を探すのはやめたと言う房太郎に、白石は探りを入れた。
しかし、房太郎も馬鹿ではないのか、探りに気づいており『さあ、どう思う?』と曖昧に答える。


「確かに埋蔵金に近づくことは出来るが近いからって簡単に見つけられるような場所にのっぺら坊が隠すとは思えねえ…懐に入ったはずの小銭だって見つからない時もあるだろ?」


例え話ではあるが、上手い言い回しではある。
房太郎は改めて白石と水城を見る。
水城の警戒心は一切解かれていないが、房太郎は毛が逆立っているような水城に目を細めて笑い、二人の後ろへと回り込み、二人の肩に腕を回す。


「だからよ、手を組まねえか?シライシは面白いから好きだったんだよなぁ」


房太郎の言葉に二人は感情を動かすことなく、視線だけを房太郎に向ける。
監獄にいた頃に白石とは知り合いになった。
親しいかと問われれば、まあまあ親しいかな程度ではあるが、出会ってお互いの皮を巡って殺し合うほどの仲ではない。
それに監獄にいた頃から白石は面白い男だと思っており、性格も好ましく感じている。
そして、房太郎は水城へ視線を向ける。


「杉元みたいな強い女はもっと好きだ」


そう言って房太郎は肩に回していた手で水城の左頬から顎まで伸びる縦一線の傷を撫で、唇に触れる。
その手つきは海賊と呼ばれ盗賊紛いな事をする男にしては優しく、水城は色を含まれているのに気づく。
しかし、水城は怪訝そうに房太郎を見た。


「……なんで女だって気づいた?」


怪訝とさせて呟いた水城の言葉に、房太郎どころか白石さえも目が点となって水城を見つめた。
白石は水城の意味の分からない天然さに思わず『はわわ…』と零し、口を手で隠してしまう。


「なんでって…え…待って……マリモじゃないね???もうマリモレベル超えてるね????もう絶滅危惧種だね????ラッコかな????」


水城は白石の言葉に『あ゙ぁ゙?』と凄むが、白石はラッコに凄まれても怖くはない。
むしろ驚きすぎて恐怖は感じなかった。
水城のフォローを入れるとすれば、夢見が悪く自分を気にかける余裕がなかったというべきか。
全く理解していない水城に房太郎はクツクツと笑いを零し、水城の着物の隙間に指先だけを入れる。


「こんなイイモン見せつけられて女だって気づかない馬鹿はいないだろ?」


すり、と親指で水城の胸元を撫でる。
男に負けず劣らない力がありながらも、水城の肌はしっとりとしていて吸いつくような柔らかさを持ちつつも、しっかりと房太郎の指を押し返す弾力も持ち合わせている。
ただ触れているだけでも、抱いてきた女達以上の素晴らしい肌を房太郎に感じさせてくれる。
水城の肌は、牛山と尾形が太鼓判を押すほどなのだ。
それに服の上からでも分かるほどの豊満。
貧乳巨乳と強い拘りがなければ、この豊満な胸を前に黙っていられる男はいないだろう。
水城は房太郎の手元を見て、身なりを整えていなかった事にやっと気づく。
しかし、ここでヒロインや他所様の素晴らしい夢主人公のように『きゃー!』と叫び、顔を赤くし肌を隠すような可愛さなどゴリラ兼ヒロインである水城は持ち合わせていない。
スチェンカの際、恋人である鯉登の前でさえ半裸でも平然としていた女だ。
水城は『触るな』と言わんばかりに、房太郎の手の甲を抓った。
房太郎は『いてて』と言いながらもその顔は決して痛がってはおらず、無反応な水城を愉快そうに見つめる。


「なぁ、いい案だと思わねえ?俺はお前らの事気に入ってるしお前らも無駄に怪我をしたくないだろう?」


色には全く動じない水城に気分を害することなく、逆に機嫌は良くなる。
そんな房太郎に水城は『男ってよく分からん…』と思いつつ、まだ停戦状態なため態度は崩さず房太郎の動きを目で追う。


「モメるぜ〜?分け前で」


房太郎の誘いに、白石は『はは』と笑う。
高圧的な態度ではない房太郎ではあるが、やはり同じ金塊を巡って争うとしている相手だ…そう簡単に信用はできない。


「上級の家臣はどうだ?俺の国の」


信用しないのは、最初から分かっている。
だから房太郎は手を組む際の水城達に対する利を答えた。


「また訳の分からん事を言う奴が現れた…」


しかし、その利は全く現実味のないモノだった。
国と言われても戯言だとしか思えない。
国を作ることは比較的簡単だ。
誰の物でもない土地を用意し、その土地を国だと宣言し、周りが認めればそれが国だ。
細かいことはあるが、大雑把に説明すればそうなる。
しかし、それを分かっていても誰が国を作ろうと思うのだろうか。
全然信じようとしない水城達に、房太郎は外輪の上に乗り、演説を始める。


「どこか暖かい東南アジアの小さな島で俺は王様になる!果物作ってよその国に売って通貨には俺の顔が刻印されたりな!子供をたくさん作って俺の家族の国を作るんだ!いいだろ?」


房太郎の語る夢を聞いて、白石は『はは』と乾いた笑いを浮かべた。
『いつもそれ言ってたな』と言ったので、その場で思いついた話ではないのだろう。
どうやら本気で家族の国を作る気だと分かり、水城は帽子の唾を下げて小さく笑う。


「……なんでみんな…国なんてそんな大きいものを背負いたがるのかしらね…」


夢物語にしか聞こえない房太郎の言葉に、水城は鶴見や土方を思い出す。
それぞれ目的は違えど、根本的な目的は同じだ。
大きいものをわざわざ背負いたがる男達に、水城は理解が出来なかった。
そもそも水城の目的は、彼らのように国を憂いているわけではない。
そう思うのも、彼らが男で、水城が女だからかもしれない。


「杉元…家族は?」


夢を否定されるのは慣れている。
それイコール、腹が立たないわけではないが、否定的な水城の呟きに房太郎は問う。
その問いに水城は首元に触れた。

―――約束を違えてはならない

脳裏に一瞬だけ、あの夢を思い出す。
まだあの息苦しさを思い出すほど、あの夢は現実感があった。
約束なんて吉平が死んだ時点で無効だ。
水城は弱音を吐かず、満期ではないが無事に軍を抜ける事が出来た。
ならば、水城は吉平から解放されたはず。
そう…解放されたのだ。

―――私は鯉登家の嫁として相応しくはないでしょう……私はあの方とは添い遂げるつもりはありません

兄に言った言葉が頭に浮かぶ。
その言葉を聞いて兄は水城が本気だと気づく。
そして、兄は言った。

―――もしも満期まで生きていられたらお前を自由にしよう…川畑家とお前は何の関係もなくなる

水城の首の跡は吉平の手ではなく…自らの手だった。
後ろに薄ら笑いを浮かべている一人の男性の気配を感じた。
水城は、回答を待つ房太郎の目をまっすぐ見つめ…


「別に…いないけど…」


そう言った。
その言葉に白石とアシリパが水城を見る。
水城はその視線に気づきながらも気づいていないふりをした。


「兄弟もいないのか?孤児か?捨て子か?」


本来なら家族はいるものだ。
家族が、両親がいなければ誰が水城を産むというのだろうか。
だが、こんな世の中だ。
家族がいない人間は、現代に比べて多い。
人には話したくない事情が一つ二つはある。
それを初対面でズケズケと聞いてくる房太郎に、水城はいい加減鬱陶しく感じた。
特に、水城は家族の事にはあまり触れてほしくはないから余計に。


「煩いわね…質問ばっかりやめてくれない?」


人の事情を土足で踏み荒らさんばかりの房太郎に、水城は機嫌を更に悪化させていく。
そのピリピリとした空気を水城から感じ取ったのか、白石は少し水城から離れる。
普通の男なら不機嫌を隠さない水城に質問を続けることはないのだろうが、やはりここまで生き残った猛者なのだろう…房太郎は不機嫌な水城に気づきながらも更に問いかけてきた。


「どのみち終点の江別まで逃げ場はないんだからお互いもっと知り合おうぜ」

「私が興味があるのはあんたの持ってるアイヌの情報だけなんだけど」


全く房太郎に興味を示さない水城は、仲間でもなんでもない房太郎の言葉を切って捨てる。
きっと仲間ならもっと対応が違っていたのだろう。
決して話そうとしない水城に、房太郎はある仮説が生まれた。


「ひょっとして家族全員を殺したとか?」

「…………」


一つの仮説。
それが家族の殺害。
女にしては男に負けじと強いのもあるのだろうが、尊属殺という言葉があるように、人間は親から生まれ親に育てられたからと言って家族を殺さないわけではない。
初対面、そして人を殺す事に戸惑いはない房太郎だから平然と問えた。
その房太郎の問いに水城は黙り込んでしまう。
その沈黙がやけにリアルで、水城の強さや怖さを知っているから、白石はぎょっと水城を見る。


「え?殺したのか?」

「殺してないわよ」


『失礼ね』と否定した水城に、白石はホッと胸を撫でおろす。
水城が思い浮かべている『家族』とは、川畑水城ではなく、杉元雪乃の頃の…血の繋がった家族である。
あの夢が…吉平の言葉が頭から離れない。
もう死んだのに、本来ならあんな約束無効になっているのに…どうしても吉平と交わした約束を無効にすることが水城には出来なかった。
話はこれで終わりだとギロリと房太郎を見た水城を、房太郎は何も言わずジッと見据えていた。
その視線がどうしても無視する事が出来ず、水城は視線を下へ向け、房太郎から送られる強い視線から目を反らしながら呟いた。


「……結核よ…もう、いいでしょ、こんな話…」


房太郎の視線に負け、水城は吐き出した。
結核に罹るのはこの時代、珍しくはない。
だが、初めて聞いた話にアシリパは何も言わないまでもジッと水城へ視線を向ける。
水城の家族は健在だ。
だが、それは川畑雪乃の家族であって杉元雪乃ではない。
川畑家を思い出すたびに吉平が出てきてしまい、水城は今彼らの事は考えたくはなかった。


「じゃあ、分かるだろ?俺の家族も全員疱瘡にやられたんだ…地元のみんなが俺と俺の家族を疎んで…誰も話しかけない…触れてもくれない…故郷に居場所は無くなった」


同じ境遇だと知り、房太郎は親しみを感じたのか、水城の肩を抱く。
引き寄せられ顔を覗き込むように見つめる房太郎の目を水城は黙って見つめ返す。
しかし、その脳裏にはフラッシュバックのように村にいた時の事を思い出していた。
疱瘡も結核も、この時代では死に直結する病だった。
ただそれだけだったのならまだよかったのかもしれない。
死ぬのは誰だって怖いが、何より恐ろしいのはどちらも感染するという事だ。
どちらも人から人へ感染するから、一人でも感染者が出ると最悪村が全滅する。
それがなくとも、人の本性は恐ろしいものだ。
昨日まで可愛がっていた近所の人たちが、鬼の形相で幼い子供を村から追い出した光景は大人になった今でも鮮明に覚えている。
その中に梅子と寅次の両親もいた。
水城は幼くして人の怖さをその小さな身で学んだ。


「夢を持って前向きに!!いつ自分が疱瘡にかかるか怯えて暮らすのは止めにしたのさ!そのおかげか俺にだけは感染しなかった!気持ちではね除けたんだな!」


房太郎は家族を病で亡くし、その悲しみに暮れる暇はなかった。
故郷の人間達から迫害を受け、一人残った房太郎は思うのだ。
『自分の国を作れば誰も自分を追い出せない』と。
そうして、国を作り王になることを決めたのだ。
それから前向きになり、暗く辛い過去があったように思えないほど房太郎は笑って語った。
笑顔の下にはきっと同じ境遇の人間ではない者には分からないほどの苦労があったのだろう。
そんな笑う房太郎を見つめ、水城は再び房太郎から視線を外し、目を伏せた。
脳裏に昔の記憶が過った。
杉元家にいた頃の記憶。
母も兄弟も失い、もう父しかいなかった頃、父も結核にかかって寝込んでしまった。
幼い水城では世話をしきれなかったが、子供にしてはよく父の世話をしていたと思う。
父の布団は頻繁に洗濯して干しても、吐血ですぐに赤く染まってしまう。
結核は当時も多くの人間の命を奪ってきた。
療養所もあったが、いつも満室で、金持ちでもない水城達一家は父含む誰一人まともな治療を受けた事はない。
だから父も励ます水城に療養所の空きを期待するなと言ったのだろう。
父は言った。

―――結核に捕まるな

―――自分のために生きるのは悪い事ではないんだぞ、雪乃…

そう言って父は水城に看取られ、命を引き取った。
その後、水城は村の人たちに追い出された。
その記憶が房太郎との会話でふと浮かび上がった。
昔の記憶が蘇っていた水城が黙り込み大人しいのを良い事に、房太郎は水城の肩に回した手で頬を優しく撫でる。


「金塊を見つけたら杉元は自分の幸せのために何をするつもりだったんだ?」

「なにを…」

「何か夢はないのか?」


房太郎の問いは特別おかしなことを言っているわけではないのだろう。
だけど、水城には意外な問いだった。
されると思っていなかった質問。


「……夢…」


呆然とさせながら水城はそう小さく呟く。
その呟きはアシリパ達には届かず、生き残った房太郎の手下の声にかき消されてしまった。

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