(8 / 27) 軍人時代 (08)

「あそこにいるの…あの不死身の杉元じゃないか?」


寅次は同期の言葉に指さす方へ目をやる。
普通は『不死身』と名高い男がいると反応を示すものだが、寅次は『杉元』、という名前に反応した。
それは彼に同姓の幼馴染がいたからだ。
その幼馴染とは幼い頃に別れて以来会う事はなく今に至っており、その幼馴染は女性の為こんな戦場にいるわけがない。
それは分かっているが、ずっと心残りだったのもあり寅次はついその不死身と名高い男の名に反応してしまう。
『不死身の杉元』、とはその名の通りどんなに死ぬであろう傷を負っても数日後には平然と戦場を駆け回っている姿からそう名付けられたらしく、寅次はそれを聞いて周り同様感心していたし、一目会ってみたいと興味もあった。
その噂の人物が丁度見える場所にいるのだ…同期たちは興味津々にその男へ視線を送っていた。
寅次の視界にもその男の姿が映るが、彼は後ろを向いており、背中しか見えなかった。
残念だと思う反面、意外だった。


「遠目だからかもしれないが…なんか、小さいな…」


同期の言葉に寅次は首を縦に振る。
同期の言葉通り遠くにいるから小さく見えるかもしれないが、しかし、寅次達が想像していたよりもその背中は広くもなく大きくもなかった。
下手をしたら自分達よりも狭い背中なのかもしれないと思う程その姿は小さく映った。


「そういえば、杉元って川畑中尉の情人だって噂、本当なのか?」


何となく同期達と彼を見ていると、ふと同期の1人が呟きその場は一瞬静まり返った。
不死身の杉元と言えば驚異的な回復力が最も有名だが、実は川畑中尉の愛人という噂もある。
それは一介の一等卒が中尉のお付きのように傍にいる事が多い事や、川畑中尉の彼への対応も原因だろう。
川畑中尉は彼と接する時普段以上に穏やかな表情を浮かべ、彼に触れる事が多い。
それから彼は川畑中尉の愛人なのではないかという噂が立ったのだ。
しかし、それはただの噂ではない。


「俺さ…見ちゃったんだ」

「何を?」

「杉元と川畑中尉がキスしているの」


その言葉にまた誰もが口を閉ざした。
火のない所に煙は立たぬという言葉があるように、噂だからといって100%ただの噂だというわけではない。
同期のように二人がいい雰囲気だった場面や濡れ場など目撃談があるからその噂は風化せず残っているのだ。


「ってことは…不死身の杉元って美形って事か?」


女ッ気がないのだから男同士で抜き合いはよくある話だ。
よくある話ではあるが、やはりその気を向けられるのは顔が整った男達だ。
自分達のような男くさい顔には上官は見向きもしない。
川畑中尉といえば、彼を傍に置くまで男色の気配はなかったらしい。
それを聞けば彼がどれだけ魅力的なのだろうかと更に興味を引かれる。


「最近は花沢少尉ともあの花壇で話してるの見るな」

「かー!これまた美形を相手に…なんなんだろうね、美形は美形を引き寄せるのかねえ」


全く羨ましくはないが、自分達も相手にするならば顔が整った方がいいというのはやはり男としての性なのだろうか。
彼はまだ美形と決まったわけではないが、花沢少尉と言えば眉目秀麗・成績優秀・品行方正を求められる旗手の役割を担っており、旗手として選ばれたところから分かるが、まさに眉目秀麗な見た目をしている。
血筋も家柄も申し分なく、川畑中尉も花沢少尉ほど顔は整っているわけではないがまあまあ女受けはいい顔だろう。
その上家柄もいいときたものだ。
彼には何か魅かれるモノがあるのだろうかと寅次は同期達の会話を聞きながら思う反面、少し不快に思った。
勿論彼にではなく下世話な話を喜々として話す同期達にだ。
下っ端である一等卒が中尉に逆らえないのは自分も重々承知しているため、少し彼に同情していた。
彼が好んで体を売っているのなら同情はしないが、そうでないのなら同じ男として哀れに思う。
同期達も根っから同性を性的に見る事はなかったはず。
だがこの状況下で性欲が沸き上がるのは無理もなく、その対象が自分よりも階級が下の人間で、尚且つそれが美形ならばなおの事性欲の対象となるのも無理もないのだ。
その中に妻子持ちや、妻子を愛している者もいるだろうが、やはり男は性に弱い生き物らしい。
ただ寅次のように身持ちが固い人間も少なからずいるのは確かだ。


「おい、今度は尾形上等兵だぞ」


彼に興味があれどそれは性への興味ではなく、同じ男として、そして同じ階級として特別視されている彼自身への興味だ。
下世話な話で盛り上がっている同期達の声を耳から耳へ流していると、新たな登場人物が現れたらしい。
そちらに目をやれば第七師団の尾形が彼に近づいているのが見えた。
しかし彼は尾形には気づかず花壇に視線を向けている。
そうしている間に尾形は彼の軍帽を奪い、彼と楽しそうに話し始めた。
彼の反応からして尾形に揶揄われているようだった。


「うっわ…すげえな…顔に包帯巻いてるぜ」

「そういやこの間の戦場で重傷を負ったとか聞いたな…それで付けられた傷だろ」

「でもそれって四日前だったよな…普通あんな怪我で退院させるか?」


同期達は横顔から見える包帯に度肝を抜かされたらしく、容姿よりもそちらに注目していた。
戦場にいる以上、よほど上の階級でなければ銃を持って敵をなぎ倒す。
中尉であってもそれは変わらないが、やはり中尉と一等卒では扱いは違う。
彼は川畑中尉に贔屓されてはいるが、同じ一等卒の軍人と共に戦地を駆け回っており、そこに皆が妬み羨む贔屓は見られない。
だから中尉に贔屓されていても彼は死んでも可笑しくない怪我を負う。
普通ならば寝込むほどの怪我でも彼ならその異名に恥じぬ回復力ですぐに退院してしまうらしい。


「あーあ…俺も美形に生まれたかったなぁ」

「なんでだよ…美形なら上官の相手をしなきゃいけなくなるんだぞ?」

「だからだよ…別に男とやりたいとかじゃないんだけどさ、美形なら女を選び放題だし、上官に目を付けられても贔屓っていうそれ相応の報酬があるだろ?俺らとあいつは同じ一等卒なのに病室なんて個室だぞ?扱いが全然違うしさ…なんか不公平だよなぁ」

「ああ、なるほど…確かにそれはあるな…掘られたくないけど俺も贔屓されてぇわ」

「きっと川畑中尉に高級娼婦のいる店とかに連れて行ってもらえてるんだろうな」

「それはないんじゃないか?だって杉元って川畑中尉の情人だろ?あの様子じゃ川畑中尉は杉元に骨抜きにされてるし逆に連れていかんだろ…連れてくとしたらあそこにいる尾形上等兵とか鶴見中尉とか月島軍曹だろ」

「は?なんでそこで鶴見中尉と月島軍曹が出て来るんだ?あの人第七師団だろ」

「お前知らねえの?杉元のやつ鶴見中尉も垂らしこんでるって噂だぜ」

「月島軍曹も親しそうに話してるの見た事あるしな」

「マジかよ…あー!本当羨ましいわ!俺も上官たちを手の平で踊らせて楽してぇー!」


好き勝手言っているが、これは全て彼らが聞いた噂であって真意は不明だ。
だが噂されるほど彼らの繋がりはあるのは確かなようで、同期達は本人に聞こえないのをいい事に好き勝手言って笑った。
しかし寅次はそんな同期達の会話は耳に入ってこなかった。
同期達の会話よりも寅次は彼に釘つけになっていた。
それは彼に惹かれたとかではない。


「雪乃?」


寅次は彼の顔を見てからずっと否定した。
そんなわけがない、と。
そんなはずがない、と。
こんなところにいるわけがないんだ、と。
だが、思わずそう呟けばその声は遠くにいるはずなのに上官を見送る彼に届いたのか、寅次の呟きに彼はこちらに振り向き…


「寅次…」


彼が自分を見て目を丸くし驚いた表情を浮かべ、自分の名前を零した。
それはまるで自分を知っているように。
否、彼は自分を知っているのだ。
彼、不死身の杉元は…――――自分の幼馴染なのだから。
なぜここに、と包帯だらけの幼馴染を呆気に取られて見つめていた次の瞬間、衝撃を受ける。
倒れそうだったが、軍人に入ってから鍛えたお陰か何とか倒れるのは免れた。
呆気に取られたまま胸元へ目線を落とせばそこには軍帽の天井が視界に映る。
それが帽子だと気づく前に胸元に抱き着いた彼…雪乃は離れ寅次を嬉しそうな顔で見上げていた。


「寅次!!ね、寅次でしょ!!」

「あ、ああ…」

「うわぁ〜っ!!寅次だ!!本物の寅次だっ!!」


よほど嬉しいのか寅次の手をギュッと握りしめた。
表情どころか体全体で喜びを表現する名高い不死身の杉元に同期達は寅次とは別の意味で呆気に取られていた。
さきほど猥談紛いな事で馬鹿にした相手の姿に拍子抜けしたのだろう。


「寅次も第一師団なんだ!私もなんだ!」

「そうみたいだな…不死身の杉元って呼ばれてるとか…」

「もう!そんな二つ名言わないでよ!恥ずかしいからさ!」


雪乃は寅次との数年ぶりの再会にはしゃいでいた。
面倒臭い上司に絡まれて参っていた心も一気に晴れ、嬉しいという感情のみが残っていた。
しかしそれに対して寅次は困惑を強くする。


「でもお前なんでここにいるんだ…だって…お前…おん―――」


女だろ?、という言葉は雪乃によって塞がれた。
口元に一指し指を当て雪乃は寅次の言葉を遮った。
それに寅次は目を瞬かせたが雪乃は笑みを深めるだけだった。
その笑みは子供の頃と違い大人っぽく、思わず寅次はその笑みにドキッと胸を高まった。


「これから何か用事ある?」

「い、いや…昼も食べ終わったし何もすることはないぞ?」

「そう…じゃあ、積もる話もあるしさ…2人で話したいな」


雪乃も昼食を食べ終えたため、丁度良かったと笑う。
二人きりで色々と話したい事があるという雪乃に寅次は考えるまでもなく頷いた。
寅次もなぜここに雪乃がいるのか、色々と聞きたい事があった。
雪乃は『寅次を借りるけどいいかな?』と同期にそう問い、同期はまだ思考が追いついていないのか何度も頷いて返す。
寅次と雪乃はお互い話しながら建物の中へと消えた。

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