(9 / 27) 軍人時代 (09)

寅次はチラリと雪乃を見る。
女性にしては背はある方だが、男性にしては低い雪乃は寅次と並ぶと小柄に見える。
そこで同期達の噂もつい納得してしまう。
背の高い男達の中に端麗の女顔の小柄な男がいればそれはそれは性欲のいい的にもなるのだろう。
鼻歌を歌わんばかりの雪乃に寅次は『呑気なものだ』と内心呆れたような溜息をつく。


「ここはあまり使われてないから人に聞かれたくない話には丁度いい」


そう言って雪乃が案内したのは建物の端にある一室。
周囲は静まり返っており、人の気配はない。
今はあまり使われていないのが埃の溜まり具合で分かった。
あまり使われていないため誰かが鍵をかけ忘れたのも気づかず放置されているのか、雪乃は鍵を使わずにその一室の扉を開けて入る。


「よく知っているんだな」


その言い方や迷いなくドアノブを捻るその様子はまるで事前に知っているかのようだった。
脳裏に同期の下世話な噂話が浮かび、思わず責めるような言い方をしてしまう。
しかし言ってしまった事に悔もうとすでに後の祭りだ。
雪乃はチラリとも寅次を見ず『うん、まあね』とだけ零し、閉めたドアに中から鍵を掛ける。


「えっと…改めて久しぶりだね、寅次…元気だった?」


気まずい空気を感じながらも雪乃は再会を純粋に喜び、軍帽を取る。
軍帽を取れば当然軍人なのだから坊主頭だった。
それを見て寅次は切なく感じた。
坊主頭にする女はいない。
それもカモフラージュされているのか、軍帽をとっても誰も雪乃が女だと疑わなかった。
しかし女性の骨格までは隠せないのか、それとも寅次は雪乃が女だと知っているからか、坊主頭でも雪乃は女にしか見えなかった。


「まあ、元気だ…雪乃も元気そう…でもないな…」


雪乃の言葉に頷いて見せ、同じく聞こうとしたが雪乃の姿を見て『元気そうで安心した』とは言えなかった。
雪乃は顔半分が包帯で埋まっており、包帯に微かに滲む赤色が痛々しかった。
寅次は自分の顔を指さし、それが雪乃の顔に巻かれている包帯だと雪乃も気づき苦笑する。


「もう慣れた…体中も傷だらけでさ……もう傷一つなかった頃の自分さえ思い出せないくらいだよ…まあ、嫁に行く気ないしいいけどね」


今回の傷は少しずれていれば危うく左目を失う所だった。
失明は免れたがその代償は顔に残る大きな傷跡だった。
変態医者から顔に傷が残るよと言われても雪乃はもう何も思わなくなった。
それほどこの体は傷だらけだったのだ。
それに顔にはすでに二つの傷痕が残っているのだから一本二本線が増えても変わらない程度の認識しかない。
もう誰とも結婚する気がなく恋愛もする気がない雪乃は傷が増えようとどうでもよかった。
しかし寅次は違ったようで、雪乃の言葉に顔を顰めて見せる。


「馬鹿を言え…お前は傷が残ってても別嬪だ」

「えー?本当にぃ?別に気を使わなくてもいいんだよ?」


寅次の言葉を疑っていても顔はニヤついていた。
何だかんだ言って雪乃も女だし、褒められるのは嫌いではない。
それにもう恋心はないとしても初恋の人に別嬪だと言われて嬉しく思わない女はいないだろう。
ご機嫌な雪乃に寅次も気が緩んだのかフと笑みを浮かべ『嘘じゃない』と言った。


「雪乃は今も昔も、別嬪だ…お前、知らないだろうけど…村の男連中はみんなお前を狙ってたんだぞ」

「え…えぇ…嘘ぉ…」

「俺がそんな嘘をつくと思うか?大体俺と梅子がどれだけ苦労してお前を狙う奴らを追い払った事か…村長だって孫の嫁にって他の連中を牽制してたしな…それもあれだぞ?孫の嫁になったら自分も手を出す気だったんだぞ」

「……あんのエロじじい…」

「ガキ大将だった清七だって村長の力を振りかざして雪乃は俺の物だって勝手に言ってたしな」

「………」


村の男連中、と言っても当時子供だった男達だ。
まだ幼かったとはいえ村では数少ない女の取り合いは良くある。
その中心にいたのが雪乃と梅子だ。
2人とも顔が良かったのでよく狙われていた。
梅子は自覚があったため寅次もおりなんとか自身で回避は出来たが雪乃は無自覚だった。
そんな雪乃を梅子と寅次は心配し、無自覚な雪乃を守るため動いてくれていたらしい。
確かに村長は自分を贔屓している様子だったらしく『成長すると美人になる』と言ってジロジロと雪乃を見ていた。
その孫である清七も事あるごとに絡んできたし『お前は俺のだからな!』と言ってきていた。
思い返せば気づくのに、あの当時は気づかず、今初めて知り雪乃はショックを受けた。
守ってもらっていた事さえ気付かなかった自分に腹が立った。
雪乃が『気付かなくてごめん…』と謝れば寅次は苦笑いを浮かべ頭を撫でた。


「俺も梅子も雪乃といると楽しかったからな…三人の世界を他のやつらに土足で踏み込んでほしくなかったんだ」


だから謝るな、と言う寅次がとても男前に見えた
いや、それでなくても男前なのだが、今なら抱ける気がした。(お前が抱くのかよと言う突っ込みも聞こえた気がした)
今目の前にいる寅次の笑顔と、幼い頃の寅次の笑顔が重なり、雪乃は視界がぼやけていくのに気づき慌てて目を瞑って我慢をする。


「梅ちゃんは、元気?」


気を逸らすようにもう一人の幼馴染、梅子の事を聞く。
梅子も雪乃の大切な幼馴染で、子供の頃はがさつだった雪乃とは違い大人しい可愛い子だった。
寅次が軍人となり、一人村にいる梅子が気がかりだった。
雪乃がそう問えば、寅次は胸ポケットから一枚の写真を取り出し雪乃に差し出した。
その写真を受け取り見てみれば雪乃は目を丸くして驚いた。


「これ…」

「俺達実は結婚したんだ…もう子供もいる…男の子だ」


写真には立っている寅次と、その傍で座っている梅子と思われる美人、そして、その梅子の腕に抱かれている赤子が写っていた。
雪乃は所謂家族写真を見て驚いてはいたが、すぐに穏やかな笑みへと変わった。


「そう…やっぱり梅ちゃんと寅次…一緒になったんだね」


分かっていた事だった。
もう何年も村に帰っていなかったのだから二人が夫婦になるのも分かっていた事だ。
しかし雪乃には寂しさも、悲しさも、悔しさもなかった。
あるのは喜びと祝福したいという友人としての感情。
そこにはもう寅次への淡い恋心はなかった。
穏やかに笑う雪乃に寅次は照れくさそうに頬を掻く。
それがまた幸せそうで、雪乃は梅子が羨ましいと心から思った。
きっと兄と取り引きをしなければ…兄が雪乃に手を出さなければ、今頃梅子と同じく愛する人を想う幸せを一身に感じていれただろう。
写真に写る子供は今は大きくなっているらしく、顔を見る限り父親似だ。
雪乃は写真を見ながら無意識に腹に手を当てた。
そこは赤ん坊が宿る子宮だった。


(私もこんな事にならなかったら、音之進の赤ちゃんを産めたのかな…)


やはり雪乃も女である以上、結婚して子供を産みたいという願望は諦めても奥底には残っていた。
どうせ想像するならば好いた相手との子だ。
音之進となら何人でも産んでも構わないが、1人目はやはり跡取りの男の子が欲しい。
音之進に似た薩摩隼人。
女の子も欲しいな。
音之進の血が入っているんだからきっと美人な子に育つだろう。
きっと音之進は父親である平二と同じく子煩悩となるのだろう。
子供達を見守りながら自分も音之進も年を重ねていって、いつか息子達や孫たちに囲まれて天寿を全うするのだろう。
―――本当はそんな人生を送りたかった。
けれどその幸せな人生は雪乃自身が蹴ってしまいもう叶わない夢となった。


「どうした?腹を抑えて…お腹が痛いのか?」


思いに浸っていたが、寅次の言葉に雪乃は思考の波から帰る。
寅次は至って純粋に心配していたのだが、その言葉があまりにも場に沿わず、雪乃は思わず笑ってしまう。
突然笑い出した雪乃に寅次はキョトンとさせた。
それが雪乃には可愛く見えた。


「お腹は痛くないよ…ただ、道が違ってたなら私もお母さんになれたのかなって思っただけ…」

「雪乃…」


雪乃の言葉に寅次は神妙な顔を見せる。


「なあ雪乃…お前、どうして軍人になってるんだ?お前が女だっていうのは間違いないだろ…役所に間違えて男として届けたにしても検査で気づかれるだろ…」


その問いに雪乃は笑っていた表情が消えていく。
顔半分包帯で巻かれているのもあり、そして雪乃の顔が整っているのもあり、無表情のようなその顔に寅次はゾクリとさせた。
しかしそれを察知したように雪乃は苦笑を浮かべ、寅次は気づかれないようにホッと安堵の息を吐いた。
しかし雪乃の事情を聞くとその表情は怒りへと変える。


「なんだよそれ!!川畑中尉は何を考えてんだ!!雪乃も雪乃だ!!なんでそんな無謀な事を言った!!!そのオトノシンって奴の事が好きなら何が何でも中尉から逃げ出してオトノシンって奴に助けを求めるべきじゃなかったのか!!」


寅次は怒りのあまり雪乃の肩を掴み怒鳴り声を上げる。
雪乃は突然怒り出した寅次に目を瞬かせ呆けていた。
そんな雪乃をよそに寅次は雪乃の手を取り部屋を出ようとする。


「寅次!?どこに行くの!?」

「上にこの事を報告するんだ!!」

「!――待って!そんな事したら私ここに居られなくなる!!それに私が女って知られたらお兄様と結婚することになるわ!!それが嫌だから私は男に扮しているのに!!やめて!!」

「嫌なら嫌って言えばいいだろ!!行き場所がないのなら俺の家にいればいい!俺は軍人で留守がちだからお前がいたら梅子も安心する!だからもうこんな事しなくていいんだ!!」


寅次は上流階級の事は分からない。
受けた恩を返したいというのは分かるが、だからといって男に扮して命の取り合いを進んでやりたがる雪乃の気持ちは分からない。
せっかく徴兵がない女に生まれたのだから、その恩恵にあずかればいい。
家がないのなら自分の家で暮らせばいい。
生き別れた幼馴染との再会に梅子も喜び、息子もきっと雪乃に懐くだろう。
それに……梅子の傍に雪乃がいてくれれば除隊した後も安心して留守に出来る。
一人で住みたいというのなら寅次も探すのも手伝うし、少ないが援助だってしてやれる。
何も雪乃は女の身で命の取り合いなどしなくてもいいのだ。
いや、する必要はないのだ。
大切な幼馴染の取り引きに乗って女に戦争をさせる川畑中尉に寅次は怒りどころか憎悪を感じた。
川畑中尉以外の上官、それも分かってくれそうな上官を頭の中で浮かびながら嫌がる雪乃の手を引き部屋を出ようとした。
しかしその手を雪乃は振り払う。
手を振り払われ振り返った寅次は数歩後ろに下がる雪乃を見る。
雪乃は複雑そうにしながらも嬉しそうに、そして悲し気に笑っていた。


「寅次の気持ちは嬉しい…私もこんな事にならなかったら梅ちゃんや二人の子供に会いたい…でも、駄目なの…」

「どうしてだ!会いたいのなら会いに行けばいいだろ!雪乃はこんな場所似合わない!雪乃が戦う理由だってないはずだ!男装してまで!その手を血で染めてまで!雪乃があいつのために命を懸ける必要はないはずだ!!」


『あいつ』とは吉平の事だろう。
今まで自分達は生き残れたが、それはただ単に運がいいからだ。
運が悪ければ今頃砲弾や敵に殺されこの世にはいない。
生と死が簡単に己の運で決まるこんな場所に女がいていいわけがない。
敵の血で手を汚すのは男で十分である。
男尊女卑でも女尊男卑でもないが、こんな死にもの狂いの毎日を雪乃にも味わってほしいわけではなかった。
寅次の気持ちは雪乃に十分届いており、もう何年も会っていないのに、初対面にも等しいのに、こうして本気で怒って心配してくれるのが雪乃にはとても嬉しかった。


「ありがとう、寅次…でも大丈夫…」


何が大丈夫なんだ!と怒鳴りたかった。
だけど雪乃の表情を見て、雪乃の何もかも諦めたような笑みを見てしまった寅次はその怒鳴り声すら上げれなかった。


「雪乃…聞いてくれ…実はな…」


だから雪乃に全てを打ち明けた。
この何もかも諦め生にしか縋りつくものがない大切な幼馴染をこのまま放っておけなかった。
雪乃は満期除隊となった後、恐らく誰とも結婚せず生涯を終えるつもりなのだろう。
人生は人それぞれで、その人が納得しているのなら寅次が口出しする資格はない。
だが、どうしてもそうは思えなかった。
好いた男がいるくせにその男とも結婚する気がないのだ。
それはどれだけ辛いのか。
どれだけ悲しく、苦しいのか…梅子と言う妻を貰った寅次にはきっと分からない。
だけど好いた者を想いながら諦める辛さくらいは理解できる。
だからこそ、何か生以外に縋りつけるような物を得てほしいと思った。
それが妻だ。
梅子は年々視力が落ちており、このままいけば目が見えなくなると言われた。


「梅子の目を治すには200円必要なんだ…だから俺は除隊したら北海道に行くつもりだ…その間家を空ける事になるからその間梅子と息子を頼みたいんだ」

「北海道?なぜ北海道に?」

「北海道にはまだ砂金が取れると聞いた…恩給だけじゃ梅子をアメリカに連れていけないからな…」


噂レベルだが、その噂があるうちは100%偽りだとは言い切れない。
自分にはすぐに金が必要なのだ。
必要費はおおよそ200円掛かると言われている。
現代に置き換えると、200円は数百万円となり、軍人だったとは言えたかが庶民ではそんな大金一生かかっても稼げるわけがない。
だからこそそんな眉唾ものに齧りつくしかなかった。
そのためには北海道に行かなければならず、その間家を空けなければならない不安もある。
だから雪乃が梅子や息子を自分の代わりに守ってくれれば寅次も安心して家を空けれる。
それを伝えれば雪乃は梅子の病気にショックを覚えていたが、それよりも雪乃も雪乃で不安があった。


「私なんかでいいのかな…息子くん、突然現れた傷だらけの女を怖がらないかな…」


それは不審者として嫌われないかという不安だ。
寅次が分かったのなら、梅子もきっと雪乃を気づいてくれるだろう。
だけど二人の子供がこんな傷跡だらけの女をすぐに受け入れるか分からなかった。
二人の子供なら、雪乃にとっても大切な存在だ。
そんな存在に拒絶されたらきっと雪乃は立ち直れない。


「大丈夫だ…最初は怖がるかもしれないけど雪乃は優しい女だ…それを息子も気づくさ」


雪乃の見た目は確かに女らしくなく、傷痕もあってヤクザのようだ。
初対面では怖がられるだろうが、雪乃と接していればいずれその雪乃の内面に気付きその警戒心は和らぐはず。
それを伝えれば雪乃は表情を穏やかにしながらも『そうかなぁ』と不安げに呟く。
優しいと言ってくれて嬉しい反面、やはりまだ不安なのだろう。


「分かった…私、寅次の代わりに梅ちゃん達を守るよ…」


考えるように暫く黙り込んでいた雪乃だったが、真剣な寅次の表情に本気だと分かってくれたのか頷いてくれた。
その頷きと、その頼りになる言葉に寅次は安堵の息をついた。
これで寅次の家族を置いていく事への不安は消えた。

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