(11 / 27) 軍人時代 (11)

雪乃は腹を立てていた。
あれから雪乃は営倉ではなく吉平の寝室に押し込められた。
そこで何度も達し休憩する暇なく行為を続けるという生き地獄を味わった。
恐らくそれが吉平が下した雪乃への処罰なのだろう。
それは誰が見ても明らかに贔屓であるが、雪乃本人からしたらまだ営倉行きの方がマシだった。
まだ営倉ならば罰せられている間、戦争に向かう事はないが、雪乃はその間も戦場に立ち、よほどの大怪我でなければ行為を強制された。
その間はたった数時間、下手をしたら数十分しか眠れなかった。
やっと吉平の気も済んでいつもの日常に戻れたというのに、まだ寅次は戻ってきていない。
喧嘩を吹っ掛けた相手全員はすでに営倉から帰って来たというのに、だ。
それを知った雪乃は腹を立て吉平の執務室へ向かった。


「どういう事か説明しろ!!」


ノックもなく勢いのまま扉を開ければ、仕事をしていた吉平が机に向かっていた。
吉平の部下、即ち雪乃の上官が書類を渡していたが、頭に血を上らせている雪乃はそんな事どうでも良かった。
吉平の部下の1人である曹長が不躾な訪問に眉を顰め雪乃を睨む。


「杉元一等卒!中尉殿にその態度はなんだ!!」

「うるさい!こっちはそれどころじゃないんだ!!」

「な…ッ!貴様…!!中尉殿に目を掛けられているからと調子に乗るのも大概にしろ!!」


本来なら二人でも雪乃は吉平に対して敬語を意識して使っているのだが、今回は頭に血を上らせその意識も消えていた。
雪乃の態度は軍隊ではあまりにも酷く、即重営倉行きだ。
曹長は雪乃が女だという事も、吉平の義妹だというのも知っており、吉平の信頼できる腹心である。
鶴見の部下達が鶴見に心酔しているのと同じように、曹長も吉平を心酔しており、だからこそ吉平に気に入られているのが気に入らなかった。
あからさまな接触はないが、その目は明らかに馬鹿にしたような目で雪乃は面倒ごとを避けるためこの曹長にはあまり近づくことも声を掛ける事もしない。
だが、今の雪乃はそれどころではないのだ。
怒鳴る声を無視し雪乃は机に呑気に座る義兄に詰め寄る様に歩み寄り、バンと執務机に手を叩くように置く。


「なんであいつらは軽営倉で寅次が重営倉なんだ!!!重営倉に押し込められるほどの事はしていないだろう!!」


今雪乃は曹長を相手にしている暇はない。
寅次は営倉に送られたが、それが刑罰が厳しい重営倉に送られたと知り雪乃は怒鳴り込んできたのだ。
怒りを露わにし上官に突っかかり自分を無視をする一等卒に曹長はプライドを傷つけられ、腹を立てて雪乃の肩を掴み上官に噛みつく部下を止めようとした。
しかし、それを吉平が手で制し止める。
吉平は何も言わず曹長に席を外すよう命じ、曹長は上官の命令に従うしか他になく渋々執務室を後にした。
曹長が扉を閉め、足音が消えなくなったのを見計らい吉平はこちらを睨んでいる義妹を見上げる。
その顔は恐々しているわけでも焦ってもおらず、相変わらずの笑顔の仮面を被っていた。


「彼は一等卒でありながら上官の僕に手を上げた…本当は僕だってお前の幼馴染をここまで責めるつもりはなかったんだがな…場所がまずかった…人を殴るのなら人がいない場所でしなければ…」

「だから重営倉に送ったっていうのか!!本来なら重営倉は三日間の刑罰のはずだろ!!なぜ寅次を解放しない!!」

「僕は上から可愛がられているからね…一等卒ごときが僕に手を上げた事が許せなかったんだろう」


吉平の言葉に雪乃は『ふざけるな!』とまた机を叩く。
その衝撃で部下が淹れてくれたお茶が揺れ、少し机を濡らす。
そもそも営倉に送る権限は中尉の吉平にはない。
権限があるのは独立の指揮権を持つ連隊長・大隊長だ。
それでも上からお咎めがないという事は上の人間も吉平の手が届いているという事だろう。
今更それに驚くことはないが、本来なら重営倉は健康面を考えて三日が限度だとされている。
なのにその三日はとうに過ぎており、例え上官を殴ったからといえどあまりにも酷すぎると雪乃は訴える。
吉平はお茶で書類が駄目にならないよう書類を纏め引き出しに入れながら溜息をつく。


「どう言えばお前は納得するんだ?僕は本当の事を言っているというのに…」

「寅次を今すぐ解放しろ!!それ以外に私は納得しない!!」


寅次を重営倉に送った事自体納得いくものではないが、過ぎた事を言っても始まらない。
重営倉は三日のうち二日ずつ飯と水と塩だけを与え、寝具すら与えらない。
だからこそ三日が限度だとされているのだ。
寅次はまだ若く体力があるとはいえいくらなんでも健康面での心配もあるが、精神的にも心配である。
自殺防止にベルトや紐類は全て没収してから入れられるとはいえ追い詰められた人間がどんな行動に移るのか…戦場を経験している雪乃も読めない時がある。
だから今すぐ出せと雪乃は訴えたが、それを吉平は我が儘だとしか受け止めていない。
首を振り溜息をつくその仕草は、可愛い妹の我が儘に手を焼く兄そのものだった。
その余裕ぶる姿が余計に腹が立つが、今吉平を殴ったとしても吉平が雪乃を罰するとは思えない。
罰するとしてもまた永遠とも思える性行為が続くだけで寅次を救えない。


「私はずっとあんたの命令に従ってきたじゃないか!敵に突っ込めと命じられれば従った!あんたの性処理だって文句言わずにしてきただろう!!!なら少しは私の我儘を聞いてくれてもいいじゃないか!?」


軍に入り吉平の下に付いてから雪乃は従順な部下を演じてきた。
最前線に立ち敵に武器なしで突っ込めと言われたらそうしたし、何人の敵を殺せと言われたらその言われた数の敵を殺してきた。
体のどこかに怪我を負えと言われたらわざと攻撃を受けて怪我を負った。
見てられず千景が吉平に苦言を零すほどの怪我だって負って吉平の趣味に付き合った。
行為中に傷が開き血が足りなくなって気絶した事なんて何度もあった。
本来なら性行為は取り引きの条件には入っていないのだ。
だが入隊したら命令を聞けという条件に承諾してしまった以上、吉平との性行為を受け入れるしかなかった。
それも雪乃は一度として嫌だとは言わず、求められれば求められただけ受け入れた。
吉平が雪乃から求めてほしいと言われたら誘惑だってしたし外でだって受け入れた。
雪乃が女なのを隠すため人前ではしなかったが、もししろと命じられれば恥を捨てもした。
雪乃は本当に吉平に尽くしてきた。
嫌そうな態度は隠しはしなかったが吉平を雪乃は受け入れ続けたのだ。
その褒美くらい吉平から貰っても罰は当たらないだろう。


(処理、か…)


吉平は雪乃の言葉に目を伏せたが、雪乃に気付かれる前に視線を雪乃へと戻す。
吉平はこちらに睨みを利かす雪乃に目を細め笑い、立ち上がって近づく。


「ならばご褒美を上げようか」


雪乃は吉平のその言葉に全く嬉しさの欠片も浮かばなかった。
あの義兄にしてはあっさりしすぎるのだ。
雪乃を軍に入隊させる時は、雪乃に傷跡を残すため承諾したため決断は早かったが、雪乃が望んだ内容に吉平の利となるものは一切入っていない。
いくら雪乃へのご褒美だとしても決断が速いのだ。
もっと渋るかと思った雪乃は何か裏があると怪訝さを隠さず吉平を見つめた。


「……条件はなんだ」


怪訝さを表すように低い疑う声に吉平は大げさに肩をすくめてみせ悲しむように眉を下げ溜息を大きくつく。


「ああ、雪乃…お兄様は悲しいよ…人の好意をすぐに疑ってしまうなんて…」

「好意…?あんたが自分に利のない話にそう簡単に乗る人間じゃないのは自分がよく知ってるだろ……薄ら寒い芝居はいいからとっとと条件を言え…私は今あんたの猿芝居に付き合っている余裕はない」


睨む義妹の言葉に吉平は仮面を捨てる。
人のよさそうな笑顔が静かに無表情へ変わったが、その表情はどこか怒りにも見えた。
睨みつけてくる義妹の頬に吉平はそっと触れ、眉をひそめた。


「あの男がそれほど大切なのか」

「当たり前だ…寅次は私の大切な幼馴染なんだ…寅次だけは死なせたくない」


寅次には自分と違って帰る場所がある。
待ってくれる家族がいる。
梅子のためにも、息子のためにも、寅次だけは死なせたくはなかった。
それを聞き吉平の眉間のしわは更に深まり、そして…


「あの一等卒はお前の新しい男か」


吉平のその言葉に雪乃はカッとなって吉平を殴り飛ばした。
倒れた拍子に大きな音が出たが、曹長に人払いも命じたので誰も駆け込んでくることはなかった。
吉平は『――っ』と声にならない痛みに顔を顰め鼻から出てくる血を手で拭う。
的確に鼻を狙うその拳は吉平が知る限りどの力自慢の男よりも強烈だった。
正直女とは思えないその力に『本当に女か?』と思ったのは否定しない。


「寅次を馬鹿にするのも大概にしろ!!今度寅次を貶せば殴り殺してやる!!」


川畑家のお嬢様だった頃では考えられないほど今の雪乃は変わった。
初陣で人を躊躇なく殺せたことは驚いたが、よくよく考えれば『あの時』も敵と見なした『あいつら』を躊躇なく伸したのだからこれは持って生まれたものなのだろう。
その性質は正に軍人の家系に適していると言っていいだろう。
惜しまれくは雪乃の性別が女だということだろうか。
初陣で返り血を浴び、怪我を負ってもすぐに復帰する義妹を見て吉平も雪乃の素質に驚いた。
雪乃が男で父が生きていたのならさぞ喜び、川畑家当主は雪乃に指名していただろう。
じんじんと痛む鼻を無視しながら吉平は雪乃の怒号など他人事のように聞きながらそう思う。
ただ、雪乃がこれほど怒りを露わにしたのは初めて見たという物珍しさがあり、そして、腹立たしさもあった。


「お前にとってあの一等卒はそれだけか」

「…あ?」

「友人以上の感情はないのかと聞いている」

「あるわけないだろ…寅次には妻も子もいるんだぞ…」

「妻も子もいなければお前はあの男に落ちていたのか」

「ッ―――お前…!」


幼馴染だ友人だというが、実際はどうだ。
雪乃は幼馴染で友人だった鯉登と見事想いが通じ合い恋仲になったではないか。
幼馴染を、友人を、馬鹿にするなというが、あそこまで親しくされては疑うのも無理はない。
男女の関係に友情は成り立つか、成り立たないかなど吉平には興味はないが、雪乃があの男をどう想っているのかが重要であった。
懲りない吉平に雪乃は腹を立て胸倉をつかみ、殴ろうとしたが――


「俺の子を産め」


その言葉に雪乃はピタリと動きを止めた。
睨んでいたその目は丸くなり吉平を唖然と見つめていた。
胸倉を掴んではいるが、女の背丈と男の背丈では差はあり、雪乃を吉平は見下ろしながら続ける。


「俺の血を引く子供を産め…それがあの男を解放する条件だ」


雪乃は言葉を失った。
誰に言っているんだと思ったが、この場には自分しかいないし、そもそもこんな戦場に女はいない。
吉平は言ったのだ。
―――子供を産め、と。
それが条件だ、と。
それを理解した瞬間雪乃は目の前が真っ赤に染まり、気づけば吉平は再び床に倒れていた。
雪乃は肩で息をしグッと拳を握りしめながらギロリと吉平を睨みつける。


「子供産め…?ふざけるな!!私はお前と夫婦になるのが嫌だからこんなところにいるんだ!!確かにお前の命令を聞く事が条件だったが!だからといってそこまで許すほどお前に従順ではない!!!私は一生子供は産まないと決めた!!音之進の子供でもだ!!!」


雪乃が男装してまで戦場に立つのは、鯉登以外の男と一緒になるのが嫌だったからだ。
目の前の男の妻になりたくなくて、目の前の男との間に子供を、鯉登以外の男の子供を宿すのが嫌だったから、ここにいる。
散々してきた性行為だってちゃんと避妊していたのだ。
性行為しろと命じられた時も避妊を絶対条件として雪乃は受け入れたのだ。
それが今更子供を産めと言う。
雪乃は取り引きが成立した瞬間に帰る家を失くし家族も失くし…愛する人さえ失くしたというのに。
これはあきらかに契約違反だ。
吉平は鉄の味しかしない口から血を吐き出しながら立ち上がり雪乃を見下ろす。
その目は怒りで燃え上がっている雪乃とは違い、冷たく冷静そのものだった。


「ならば訂正しよう…―――川畑家の血を引く子供を産みなさい」


その言葉に雪乃は息を呑む。
吉平は今、焦っていた。
吉平は雪乃がすぐに根を上げると思っていた。
頑張っても一年程度しか持たず、すぐに根を上げて自分の妻となると見縊っていた。
だが蓋を開けてみればどうだ。
雪乃は今や一等卒ながらにして『不死身の杉元』と呼ばれるほど力を得て周囲を認めさせたではないか。
体中に傷が残る事は喜ばしい事だ。
だが、あと少しで雪乃は満期を迎え除隊してしまう。
そうなればせっかく原石から磨き上げ宝石となった雪乃に逃げられてしまう。
だから吉平は部下を使って寅次に喧嘩を吹っ掛け、人目がある場所で雪乃に手を出した。
雪乃が寅次に特別な友情を抱いているのと同じく、寅次も雪乃を大切にしているのを知っていた。
読み通り寅次は雪乃に手を出す上司に怒り、吉平が望む通りの行動をしてくれた。
後は抱き込んだ上層部に頼み寅次を重営倉に放り込めば自然と雪乃は罠にかかってくれる。
寅次はいい人形だったのだ。
その代償として雪乃に二度も強烈なパンチを貰ったが、雪乃が手に入るのなら安いものだ。
そして更に雪乃を追いつめるための先ほどの言葉。
雪乃は母と川畑家に弱い。
表情を強張らせた雪乃に吉平はゆっくりと近づき、傷だらけの吉平好みの雪乃の頬に手を当て顔を覗き込むように見つめる。
出来るだけ優しく、出来るだけ甘く、吉平は囁く。


「お前も知っているだろう?俺は普通の女は抱けないと……俺は中尉といえど戦場に立つ身だ…いつ死んだって可笑しくはない…愚兄は勘当され刑務所、父は事故で死に、娘も他界…残った川畑家の…父の血を受け継ぐのは俺だけとなった…あの母が血が惜しいからと愛娘を傷物にした愚兄を呼び戻すなんてしないだろう…ならば……後は言わなくても分かるね?」


川畑家の血を受け継ぐのはもう吉平しかいない、だからその血を守るためにお前も協力しろ―――吉平はそう言っていた。
だがそれはただの建前だ。
本音は雪乃をどんな手を使っても手に入れたいからだ。
その本音を読み取れず、吉平の言葉に雪乃は顔を顰めながら呟く。


「……子供だけ産むのなら私でなくても傷を持つ女などいくらでもいるだろ」


吉平は口内で『お前は何も分かっていない』と言った。
やっと見つけた理想の女が雪乃だった。
もう雪乃を味わってしまえば傷が一つ二つしかない女では勃たない。
実際たまには別の女で口直しをしようと傷のある女で遊ぼうとしたが、全く使い物にならなかった。
もう吉平の体は雪乃しか役に立たないのだ。
ならば雪乃を手に入れればいいと考えるだろう。
しかし不死身の杉元と名高い彼女が早々死ぬのも想像できないし、根を上げるのも想像できない。
雪乃はもう立派な日本兵だった。
なら強行突破といくしかなかった。
吉平は雪乃の同様からか、瞳が揺れているのを見て内心含み笑いを浮かべ、雪乃の耳元に口を近づける。


「雪乃、俺はね、母さんを悲しませたくはないんだ」


雪乃に唯一本物の愛情を与えた両親の名を出せば体を強張らせた。
相変わらず雪乃は川畑家と両親に弱いようで、そこは変わっていなくてどこか安心した。
ああ、やっと落ちる…と思っていた吉平だったが、雪乃からは何も返答がなく怪訝とさせ雪乃を見る。
雪乃は揺らいでいるようだった。
負けてもいないのに吉平の子供を産むのは嫌だ…しかし母に孫を、家に血を残してやりたい…だが、吉平は嫌だ…そう考えがぐるぐると回っていた。
そんな雪乃を見て吉平は意外そうに片眉を上げる。
母と川畑家を出せば雪乃はすぐに承諾すると思っていた。
しかしあの男はよほど雪乃にとって大切な存在なのか、雪乃は迷っていた。
だがそれは吉平にとって取り入る隙となる。
吉平はわざと溜息を大きく吐き、雪乃の頬から手を放し背を向ける。


「残念だよ雪乃…これであの一等卒は営倉の中で衰弱死することになるなぁ」


背を向けながらも雪乃が息を呑むのが分かった。
その気配にあと一押しだと雪乃に振り向きながら吉平は雪乃を追い込む。


「たった一言だ、雪乃…たった一言、お前が『はい』と言えば彼は今すぐに営倉から解放される」

「………」


雪乃は吉平の言葉にグッと拳を握る。
寅次を使って自分を追い込もうとしているのは気づいていた。
だがまさか子供を産ませたいがために寅次を重営倉に送ったというのはあまりにも非道ではないか。
もし雪乃が勝負に負けたのなら考えるよりも頷く方が速いだろう。
この男の子供でも、誰とも分からない男の子供でも産み育ててみせよう。
だが、雪乃はまだ弱音を吐いていない。
まだ取り引きは続いているのだ。
それなのに子供を産めというのは納得できるものではない。
しかし、そうしている間にも寅次は衰弱し……
雪乃は『やられた』と思った。
恐らく、雪乃が寅次と再会した時点で罠にかかっていたのだろう。

雪乃に、選択肢はなかった。

11 / 27
| 目次 | 表紙 |
しおりを挟む