鶴見はこの日、機嫌が良かった。
戦争に勝ったとか、いい事があったとかではない。
否、いい事はあった。
第一師団の小隊長、川畑吉平が死んだのだ。
敵対はしていないがお互い邪魔な存在だった男が死んだ…それだけで鶴見の足は軽くなるというのに、神は鶴見に更なる褒美を与えてくれたらしい。
「鶴見中尉殿!こちらです!!お早く!!」
ご機嫌だと気づいているのは、月島や親しい部下達だけだろう。
鶴見は上手く隠し、部下に呼ばれ急いで向かう中尉を演じていた。
自分を急かす男は第一師団の軍曹だ。
吉平の部隊とは違う小隊の軍曹が、なぜ、第七師団の鶴見を呼ぶのか。
それは…
「これはこれは…随分と暴れてくれたな…杉元一等卒」
案内された一室には屍が転がっていた。
正確に言えば気絶した男達だ。
まだ生き残っている者達はじりじりと得物を追いつめるものの、恐怖からか仕掛けようとはしなかった。
狭くも広くもない部屋に転がる男達を見渡しながら鶴見は目を細め、得物…杉元水城へ視線を向けた。
水城は後ろに手を回し縄で拘束されているというのに体格が自身の倍あるであろう男達を次々と伸していった。
まさに不死身の杉元と呼ぶに相応しい圧倒的な力に鶴見は心が揺さぶられる。
だが、水城も無傷というわけではなかった。
水城は先の戦いで負った傷が暴れたせいで開き、傷を負っている片足からは止めどなく血が流れ出ては辺りの床を血で染めていく。
肩や腕の傷も開き、軍服の紺色を血で更に濃くしていた。
後ろに控える月島が思わず『杉元…』と痛々し気に呟くのを鶴見は耳に入れる。
月島は鶴見の命令もあったが、この暴れ馬を気に入っていたのだ。
そんな気に入っている部下の痛々しい姿はさぞ彼には心が痛い光景だろう。
その水城本人はそんな月島を気にもとめずギロリと鶴見を睨みつける。
敵にばかり与えていたであろうその不死身の殺意に鶴見はまるで恋をしたかのように胸が高まった。
「う、せろ…!私に構うな…!!」
漫画ならば鶴見の背景には点描や花が咲き乱れていたに違いない。
それほど鶴見は水城に惹かれていた。
だが、ジーン、と感激している暇はなく、部下達に不審がられる前に威嚇する水城に肩をすくめてみせる。
「構うなと言っても我々は君を捕らえなければならない…それが何故か君にも分かっているだろう?」
「罰は受ける…でも私に触らない事が条件だ…服も脱がないし肌も見せない…」
鶴見は水城の言葉に『まあ無理もないな』と思う。
水城が暴れたのは、はっきり言えばそこで顔をボコボコにされ転がっている上官が悪い。
あの邪魔な男が死に、その所有物であった水城は今、飼い主を失っている状態だ。
多くの上官がこの美しい獣に首輪を嵌めたくて仕方ないのだ。
しかし水城は前の飼い主が死んでからまだ日は浅いもののまだ新しい飼い主を決めていない。
吉平が抜けた穴を塞ぐために派遣された上官にはとりあえず従っているようではあった。
その上官が、そこに転がっている男だ。
恐らく吉平との噂を耳にしていたのだろう。
自分も吉平のようにこの美しい男を情人にしてやるつもりだったらしい。
しかし水城は吉平を嫌っているようであれでいて懐いていたらしく、その上官の誘いを断り続けた。
秘書官のような事を命じられれば従い、八つ当たりのような雑用も黙々とこなしていた。
流石吉平の元で一等卒ながら付き従えていただけあって気遣いも出来るらしく、暫くは新しい上官も従順な姿に満足していた。
だが、その我慢も限界が来たようだった。
傷だらけとはいえ水城は容姿端麗である。
体つきも男にしては線が細く華奢で抱きしめれば丁度すっぽりと入り込むだろう。
月島曰く、女のような軟かい体をしているとも聞いている。(月島の名誉のために言うが、転倒しそうになった水城を支えただけである)
水城に関係を迫るくらいだからセクハラだって当然あったはずだ。
そんなまさに女のような男が常に傍にいるのなら、禁欲性活を強いられている軍人が我慢できるはずもなかった。
上官は水城を襲い、そして返り討ちにあったのだ。
物音を聞いた兵士が駆けつけ水城を取り押さえることが出来たが、水城は抵抗し、今に至っているらしい。
第七師団の鶴見が呼ばれたのは第一師団の上官たちが情けなくも水城に次々に伸されてしまい、引き腰だったから他の師団に助けを求めたのだ。
なぜ鶴見かと言えば、偶然鶴見を見かけたからだ。
鶴見はこの時ばかりは神に感謝した。
飼い主を決めず放浪とする猛犬をどうやってこの腕の中に閉じ込めるか…そればかり考え、丁度気晴らしに外に出ていたからだ。
「安心しなさい、私は君に意味もなく触れることはない…君が嫌がる事はしない」
さあ、おいで…と鶴見は腕を広げ待ち構える。
気持ちの悪い上官に関係を迫られ無理矢理触れられれば誰だって嫌悪するよな。
自分は同情しているし決してそんな上官のように不埒な思いをお前に向けないよ。
―――そう鶴見は水城にアピールする。
しかしそれが全て真実なわけではなかった。
確かに男を抱く趣味は鶴見にはないが、愛でる趣味はある。
手札は多い方がいいが、何より鶴見もこの飼い主を失った獣を手元に置き、周りに自慢したいのだ。
あの不死身の杉元は自分の物なのだと、周囲に知らしめたいのだ。
水城はそんな鶴見の下心に気付いているのかいないのか…警戒を解く様子はない。
仕方ないと鶴見は水城が懐いているからと連れてきた月島に目配せをする。
優秀な彼はすぐに鶴見が何が言いたいのか理解し、鶴見の後ろに控えていた体を前に出そうとした…その時…
「何をやっている!!!」
邪魔が入った。
怒鳴り声を上げながら部屋に入って来たのは第一師団の中隊長、少佐の階級を持つ男だった。
用事で出掛けていて帰ってきたところだったのか、騒動に気付き駆け付けたらしい。
鶴見は部屋に木霊するほど声を荒げる少佐に内心舌打ちを打ちながら事情を説明した。
勿論全面的に上官が悪い事も伝えた。
だが少佐は転がる上官を見た後ギロリと水城を睨みつけ近づいていき、水城の頬を殴りつけた。
少佐は大柄の身体を持ち、誰が見ても力に自信があるタイプだった。
実際殴ったその力は他の男達とは比べ物にならず、ガタイがいい男でも少佐に殴られれば倒れるだろう。
だが水城は倒れかけたものの、踏み止まる。
馬鹿力のせいで口を切ったらしく、水城の男にしては小さい口からは赤い血が垂れていた。
それを見て鶴見はお気に入りを傷つけられた不快感に眉間にしわをよせる。
「貴様!!一等卒でありながら上官に手を上げるとは何事だ!!いいか!例え貴様が不死身ともてはやされようと俺は贔屓しないぞ!!」
鶴見は少佐の言葉を聞き『ああ、なるほど』と納得する。
この少佐は偏見の塊だということを、鶴見は理解した。
鶴見の説明を聞けば普通ならば水城に同情する。
流石に暴れるのはやりすぎだと叱る程度で済むだろう。
だがこの少佐はたかが一等卒如きが『不死身』と二つ名を貰い、少佐の同僚や上官達が手放しに褒め讃えているのが気に入らないのだろう。
自分の恵まれた体格と力から、水城の女のような見た目を馬鹿にしているのだろう。
だから事情を説明しても全て水城が悪いと思い込む。
(こういう男の下にはつきたくはないものだな…部下の評価も出来んとは…それでよく少佐になれたものだ)
軍隊は力が全てだというが、実際力だけでは上には上り詰める事は出来ない。
知識や頭脳、運、そして人格がなければ部下はついてこない。
それをこの男は分かっていないのだ。
鶴見はすぐ上の上官が扱いやすい馬鹿でよかったと思いながら少佐が水城の腕を掴もうと手を伸ばす姿を見つめていた。
止めたい気持ちはあるが、この馬鹿に絡まれた猛犬がどう動くのか興味もあった。
「ッ―――触るな!!」
水城はその手を拒んだ。
捕まえようとするその手から水城はひょいっと軽く交わし、抵抗する水城に少佐は更に怒鳴り声を上げる。
「上官に向かってなんだその態度は!!」
「罰は受けるさ!だがな!私に触るな!服を脱がすな!私の肌を見るな!!それが条件だ!!」
「何を戯言を言っている!?罰せられる側の貴様がなぜ我々に命令するのだ!!一等卒ごときの貴様はただ我々の命令を聞いていればいいのだ!!!」
「あ"!?聞こえなかったのかクソ野郎!そのマスかくしか役に立たない汚い手で触るなって言ってんだ!!」
「き、貴様ァ!!」
一瞬何を言われたか理解できなかった少佐だったが、それを理解した瞬間、みるみる顔を真っ赤にさせる。
部下の前で恥をかかされたと顔を真っ赤にし逆上するように声を上げ、怒りのまま少佐は水城の首を絞める様に掴み、壁に押し付ける。
「貴様は痛めつけないと分からないらしいな!!俺に楯突いたことを後悔させてやる!!」
そう叫び一発二発、重い拳を腹に入れようとグッと拳を握り力の限り気に入らない部下を粛正しようとした。
だがそれに気づいた水城は腹に拳が入る前に唯一自由に動かせる足を少佐の腹に一発蹴りを入れた。
まだ華奢さから水城の力を見縊っていた少佐はその見た目に反した力に水城から手を放してしまった。
流石力自慢なだけあって倒れはしなかったが、一等卒如きに殴られただけで後ろに下がったという情けない姿を部下達に見られ自尊心だけは高い少佐は更に羞恥に顔を真っ赤にした。
もう彼にとって水城はプライドをズタズタにされたという敵意しかない。
水城に怒鳴り声を上げようとしたその時、いつのまにか水城が懐に入り込み、水城の瞳に写る殺意に『ひゅ』と思わず喉を鳴らした。
水城は一瞬怖気づく少佐を気に留めず両手が使えないため口を大きく開け少佐の首元に噛みついた。
――が、首に噛みついたわけではなく、襟を咥えただけだった。
水城はそのまままるで背負い投げをするように足を引っかけバランスを崩した体を投げ落とす。
ガッガッ、と倒れた上官に水城は更に顔を何度も踏みつけて追い打ちをかける。
裸足ではないため少佐の顔からは血が飛び散り、鶴見は周りが息を呑むのを感じる。
そんな周囲とは真逆に鶴見は水城を見る目をまるで子供のようにキラキラと輝かせていた。
先程のまるで重力や体重を感じさせない技に鶴見は思わず拍手を送りかけたが流石に自重した。
とりあえず放置は愚策と判断し月島に命じる。
「月島、止めろ」
その命令に後ろに控えていた月島が『やめろ杉元!!』と叫び水城を後ろから抱きしめて引き離そうとする。
命令しておいてなんだが、月島に触れられても抵抗しないところを見て鶴見は年甲斐もなく嫉妬しそうだった。
「杉元!もうやめてやれ!!」
「離せ!!こいつだけは許さない!!!こいつだけは…!!こいつは私の腹を!腹を殴ろうとしたんだぞ!!!殺してやる!!こいつだけは私が殺してやる!!!」
「わ、分かった!分かったから!!少佐はもう気を失っている!!これ以上やればお前もタダではすまされんぞ!!」
正直止めろと命じれたが水城相手に止められる自信はあまりない。
月島は尾形のように銃が上手いわけでも水城のように不死身なわけでもなく、ただちょっと喧嘩の強い普通の男だ。
月島は自分をそう思っている。
だが月島も殺さんばかりの水城を放っておけず暴れる水城を抱きしめて止める。
少しずつだが少佐との距離を離す事が出来た。
水城は暴れたせいか息を荒くしながらやっと月島の言葉に従い落ち着き始めた。
「ぅ…っ」
しかし水城は嘔吐くように声を漏らし、抱きしめている月島を振りほどきその場に蹲った。
「杉元?どうした?」
先ほどまで暴れ馬のように暴れていたのに突然大人しくなり蹲る水城に月島は心配になり声をかける。
いつまでも蹲る水城に月島も心配になり近づこうとした時、水城の口から嘔吐物が吐き出された。
突然吐き出した水城に月島は驚き慌てて駆け寄った。
「おい!杉元!!大丈夫か!?」
先ほどまで暴れ回っていたのに突然吐き出し、月島は何かの病気かと心配する。
吐いたと言っても最近は食欲がないと言っていたせいか固形物は見当たらない。
ただ胃液らしい酸っぱい匂いが部屋に籠る。
「急いで担架を持ってこい!!」
「は、はい!!」
たかが吐いただけとはいえ、水城は鶴見のお気に入りの1人だ。
水城自身が避けていたし、多くは吉平に邪魔をされてしまい、彼とは接触はそれほど多くはなかったが突然吐き出して心配しないわけがない。
近くにいた部下に担架を持ってくるよう指示をしながら鶴見も水城に駆け寄る。
月島が心配そうに背中を擦ってやっていたので鶴見もそれに習って水城の背中を擦ってやろうとした。
しかし…
「ざ、わる"、な」
その声に鶴見は手をピタリと止める。
胃液で喉をやられたのか、その声はかすれていた。
だが冷や汗を流し蹲りながら睨む水城の姿は弱っては見えなかった。
目の前で部下が嘔吐しているというのに、鶴見は弱りながらも威嚇する目の前の獣に目を奪われた。
(ああ、やはり…なんて美しい獣なのだろうか…)
鶴見は男達が女として水城を欲しがる理由が分かった気がした。
18 / 27
← | 目次 | 表紙 | →
しおりを挟む