(20 / 27) 軍人時代 (20)

「お前趣味悪すぎぃ」


病室に入るや否やそう男に悪態をつかれ雪乃は『あァ?』と凄む。
その睨みに悪態をついた男、千景は『ひぇ〜こわいよぉ』と可愛くもないブリッコを見せられ雪乃は更に睨みを強くする。


「やだぁ…なんか機嫌悪い?女の子の日?」


千景は死姦するくらいだから図太い。
ちょっとやそっとじゃへこたれず、ふざける千景に雪乃はイライラが積もるばかりだった。
とりあえず『生理は止まってる』と素直に答えれば千景から『ええ…素直ぉ』と返ってきて雪乃はもう相手にするのが面倒くさくて無視をする。
背を向けるように横になる雪乃に千景は椅子を引き寄せて座りながらカルテを床頭台に置く。


「さっきお前の浮気相手に会ったんだけどさ…お前、もうちょっと男を選ぼう?いくらなんでもあれはないわ」

「尾形が来てたの?」

「ああ、あの浮気相手、尾形っていうんだ…うん、来たよ…見舞いに来たって言ってたけど…あれだね、お前が妊娠してるか探りにきたね」


千景は浮気相手の名前を初めて聞いた。
吉平ももう死に軍を辞めるからもう隠す必要はないと思ったのだろう。
ただ相手が千景だからというのもある。
千景は雪乃の背中を擦ってやりながら先程の会話を伝えた。
だが雪乃からは『そう』とだけしか返ってこなかった。


「もし妊娠していたとしてその後子供はどうするんだって聞いたわけよ…そしたらなんて言ったと思う?」

「里子に出す」

「残念、違うんだよなぁ……お前の浮気相手、俺の質問には答えなかったんだよ…はぐらかされたわけ…お前に関係あるのかって…」

「………」


千景の言葉に雪乃は何も答えなかった。
つわりで疲れ果てているのか、それとも千景には分からない感情が渦巻いているのか。
どちらにせよ千景には関係のない事だ。


「お前あんなのがいいわけ」

「どういう意味?」

「あの浮気相手、タガが外れてる」


千景が背中を擦ってくれて気持ちよさに雪乃はうとうととしはじめていた。
ここ最近つわりのせいで夜も満足に眠れず食欲すらわかず雪乃は妊娠してから何キロか痩せてしまった。
水分さえとる気も起きず、千景曰く妊娠悪阻ではないかと心配していた。
雪乃は千景の言葉に横を向いていた体を寝返りを打ちながら千景の方へ向ける。
千景を見ればいつものおどけた表情ではなく真剣な表情を雪乃に向けていた。


「あれはやめとけ…ありゃ旦那にも父親にも向かんぞ?」

「尾形と一緒になるつもりはないから心配ご無用…まあ、もう軍を離れるから会う事もないだろうし…」


一応医師として付き合いは長いため雪乃には少し情があった。
だから悪い男に引っかかっているであろう雪乃を心配しているのだが、雪乃の言葉に『そりゃそうか』と納得する。
雪乃と尾形は別に二人の間に愛情があったから子供が出来たわけではない。
あるのは利害の一致のみ。
その利害の一致の効果があったかは腹から子供を取り出しある程度育たなければ分からないが。


「軍を抜けた後どうするんだ?」

「どうって…あんたの妹の厄介になるんだけど…」

「いや、そうじゃない…子供を産んだ後の話だ…子供は里親に出すにしてもお前だってお前の道があるだろう?子供を産んだ後お前頼れる奴とかいるのか?」


雪乃は軍を抜けることになっている。
ついこの間の騒動で雪乃は上官を含むあの場にいた殆どの人間に暴行したとして除隊処分となった。
当然軍人恩給の資格を剥奪され、実質雪乃は身寄りのない天涯孤独となった。
恩給がなければ先立つ者もなく、頼れるツテはあるのかと問う千景に雪乃は一瞬幼馴染の姿が浮かんだ。
しかし…


「ない」


今更、どんな顔で会えばいいのだろうかと雪乃は思う。
梅子の愛する夫を守れもせず、体さえ持って帰る事が出来なかった。
兄もそうだ。
吉平の身体を母である静子の元へ帰す事さえ雪乃には出来なかった。
結局寅次と同じく一部だけを持って帰るしか方法はなかったのだ。


「静子さんのところは……もう吉平もいなくなったんだ…あいつとの取り引きも無効だろ……静子さんだったら子供を可愛がってくれると思うぞ」

「息子の血かも分からないのに?」

「お前…静子さんの包容力なめんなよ…息子の子供だろうとなんだろうと愛娘が産んだ子供なんだ…半分でも愛娘の血が入っていれば立派な孫だよ」


千景は吉平の友人として雪乃と吉平の母とは顔見知りだ。
静子の懐は感服するほど深い。
雪乃も娘だったなら分かっているはずなのだ。
だが…


「今更…帰れると思うの……お父様とお母様の子供を2人も奪ったっていうのに…川畑家を滅茶苦茶にしておいて…今更…こんな傷だらけの身体で…お母様の前に出ろっていうの…」


もうお嬢様だった頃の自分が遠い記憶すぎてあまり覚えていない。
男に扮したせいで言葉遣いも、仕草も、考え方も、褒められたものではない。
母の記憶の中の自分は傷のないか弱いお嬢様。
だけど今の雪乃はか弱いなんて言葉裸足で逃げ出すほど逞しくなった。
肌だって母の記憶の自分は傷一つない。
だけど今の雪乃は戦場で負った傷跡だらけだ。
筋肉が付きにくい体なのか、何とか筋肉女にはならなかった事だけは幸いではあったが。
そもそも母は雪乃が死んでいると思っているはず。
吉平は雪乃を精神病として偽り、実家から離して囲った。
その後、雪乃は吉平の台本通り自ら命を絶った――と、世間では自殺したことになっている。
その後すぐに吉平から雪乃の葬式は済んでいると聞かされた。
父の遺影の隣に娘の遺影を飾ってあると吉平からの報告も懐かしい過去の話だ。
髪だって剃っているし、顔には更に傷も残ってる。
背もちょっと伸びてるし、顔つきだって変わっただろう。
誰が傷一つない娘が傷だらけの軍人になって帰ってくると思うのか。
それに菊之丞も吉平も、雪乃が奪ったようなものなのだ。
梅子同様合わす顔なんて雪乃にはない。


「ならお前さ…行き場がなかったら俺の奥さんにでもなってみるか?」


雪乃の言葉に聞いていた千景はポツリと呟いた。
それはあまりにも普通だった。
まるでついでに近くの店に寄ってみるか、と言わんばかりなのに雪乃はその言葉を流す事できず、突然の言葉に目を瞬かせ千景を見た。
千景はベッドに頬杖を突き雪乃を笑顔を浮かべて見ていた。
そこに愛情があるようには見えず、その軽さから冗談にしか聞こえない。
だが、この男がそんな冗談を言う人間ではないのを雪乃は知っている。
目を瞬かせる雪乃に千景はそっと雪乃の腹部に手を伸ばし、優しく子供をあやすように撫でる。


「子供も俺が育てるしさ…お前はただ俺の奥さんとして過ごしてくれればいいよ」

「…あんたに得があるとは思わないんだけど」

「得なら十分にあるさ…俺今本家からいい加減血を残せってせっつかれててさ…丁度子供もいるし俺の趣味を知ってるお前ならいい夫婦生活送れると思うんだよね…俺、こう見えても坊ちゃんだし…金の苦労はさせないぞ?」

「あんたの子供じゃないってバレるに決まってる…あんた生きた人間と寝れるの?」

「無理かなぁ…生きた人間と寝るなんて気持ち悪いだけだし……でもお前なら寝れる気がする」

「気がするだけでしょ…死体にしか欲情しないくせに生きた人間に欲情するわけがない」

「じゃあ試してみるか?」


お腹を撫でていた千景の手が雪乃の頬に触れる。
雪乃はジッと見つめる千景の目を見返し、無言を貫いた。
この男は恐らく本気だ。
確かに結婚を迫られているのなら雪乃は丁度いい人形だろう。
子供も付き合っている間に出来たと言えばどうとでもなるし、子供さえ残していれば後は文句も言われないだろう。
ただ下手をすればその子供は父親に似てしまう可能性がある。
そうなれば誤魔化せはしないだろう。
そうなった場合、雪乃は追い出されるか、千景との子供を作らされるかのどちらかだ。
雪乃はもう子供をこの腹に宿すのは嫌だった。
だから死体しか愛せない事を盾に断ろうとしたのだが、雪乃は予想だにしない反撃を貰った。


「私…もう疲れたわ…」


雪乃は腹に子を宿すのも嫌だが、何より好いてもいない男を相手にするのも嫌だった。
あれほど酷い目にあっていても雪乃は性行為自体にトラウマはない。
気持ちがいいのは好きだし、雪乃だって悶々とすることだってある。
だけど雪乃はもう疲れたのだ。
やっと軍人から解放され雪乃はとりあえずこの腹にある異物を吐き出したかった。
雪乃の言葉に千景は迫る事もなく『そうか』と納得し手を離す。

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