(24 / 27) 軍人時代 (24)

雪乃は産む決意をした。
その知らせは千景にも届いており、病院から連絡が来た。
まだ見合いをしろと煩いらしく、『もう血が繋がってなくてもいいから産んだらその子供頂戴』という千景に雪乃は頷いた。
この顔の傷のせいか、女ヤクザか、ヤクザの娘か愛人だと思われ里親は面会したその日に断られてしまい中々お腹の子供の親が見つからなかった。
産んだ後だったら親と里親が会う事はないからと、産んだ後に賭けようと思った時に千景からの連絡が来たのだ。
もしかしたら尾形の子供かもしれないよ、と言っても『この際浮気相手くんに瓜二つでもいいよ…可愛がるよ、めっちゃ可愛がる…超猫可愛がりする…うん、俺…その子を将来立派な上等兵にする…出世させる…将来大将だよやったね』と疲れた声で返され雪乃は断れなかったと言うのもある。
変態ではあるが千景なら血が繋がっていなくても秋彦や静子のように愛情を与えてくれるだろう。
今はまだ30週目なので出産はもう少し先だが、産むと決めたらなんだか気分が晴れ晴れしく感じた。
あんなにも薄暗かった目の前が晴天のように明るく見えた。

しかし、神という者は案外意地悪なものなのだと雪乃は知る。


雪乃はその日、寝ていたがカタリと音がしたのを雪乃は耳にし閉じていた目を開ける。
雪乃の部屋は隅にあり人気もないという事で夜の静けさが他よりも深かった。
その為少しの音も大きく聞こえるのだ。


(誰か来る…チヨさん…?)


時々異変がないか様子を見に春子やチヨが妊婦のいる部屋を見て回ってくるので、その音かと思ったが、それにしてはいつも聞く音と異なっているのに気づく。
雪乃は枕元に忍ばせていた銃剣の剣をそっと指先で触れる。
軍人を辞めた雪乃だが、いくつもの生死の境目を掻い潜ってきたせいか中々警戒する癖を治せなかった。
ここに来た当初は様子を見に来る春子とチヨにも剣を向けた事があり、最近は慣れたと思ったのだ。
体を起こし剣を手に人が出入りできる窓や入り口を警戒するように見ながら雪乃はお腹に手を当てた。


(大丈夫…大丈夫、私が産むまで守ってあげるから…)


産んだ後は千景に全てを託すが、産むまでは母体として自分の責任だ。
雪乃は無関心だった頃とは思えないほどこのお腹にいる赤子に情が移っていた。
ただ、まだ愛情はない。
産んで千景の手に渡るまで自分は中間ポイントの役割で、彼の手に渡るまでの責任があるだけにすぎないと思っている。
母体の言葉に頷くように赤子がポコンと蹴った。
それに頬が緩みそうになったその時――襖がゆっくりと空いた。
雪乃は音を立てないよう布団から出て襖側の壁にピッタリと背中をくっつけて息を殺す。
侵入者だ、と思った。
まず二人とは開け方が違うのだ。
二人も寝ているからと遠慮がちに開けるが、侵入者は明らかに音を立てないように慣れた手つきで開けている。
恐らく雪乃ではなく普通の妊婦なら気づかず寝ていただろう。


(殺される前に殺す…"この子"を傷つけられる前に…殺してやる…)


殺すのは慣れている、躊躇はない。
そう思い音を立てず剣を構え来るであろう侵入者を睨む。
だが、その動きはふと止まった。


(いいえ…殺しては駄目ね…殺してしまったら生まれてくる子も穢れてしまう…せっかく真っ白のまま生まれて来るのに…私が穢してはいけないわ…)


雪乃は殺意があったが、ふと赤子の事を思う。
赤子は無垢なまま生まれる。
そんな無垢な赤子を自分のせいで血で汚してはいけないと思った。
人を殺す事に躊躇はない。
だが、人を殺す事に罪があると雪乃も知っている。
雪乃は赤子のために考えを改め、剣の持ち方を変えながら音を立てないよう腹を気にしながらゆっくりとしゃがむ。
侵入者の足先が見え、雪乃は考えるまでもなく持っていた銃剣の剣をその足に向かって振り下ろす。


「ぎゃっ――ッッ!!」


激痛に悲鳴を上げるがあまりの痛さに声すら上げれなかった。
刺した剣を抜けば剣で塞がっていた傷からあっと言う間に血が溢れ出て雪乃の部屋の畳を真っ赤に染める。
暗いという事で顔までは分からなかったがどうやら複数いるらしく、侵入者の悲鳴に『どうした!』と小さく問う新たな声を拾う。
とりあえず暴れられたら面倒だし身重では勝てないと思いっきり顔面を殴れば相手は気絶した。
簡単に気絶した相手を布団に投げ捨てながら雪乃は『よわっ』と思わず思う。
まだひ弱な新兵の方が頑丈だぞ、と思いながら気絶して布団に投げ捨てた侵入者に掛け布団を覆うように被せた後雪乃は腹を圧迫しないよう気を付けながら押入れの中に隠れる。
押入れの襖を少し開けて侵入者が入ってくるのを待っているとすぐにその者は姿を現した。
暗くてよく見えないが、暗闇と同化するような暗めの服を着ており、肌が浮き上がって見えるほど侵入者は暗闇に紛れ込んでいた。
少し見難いなと思いながらも仲間の姿がない事に疑問に膨らんでいる布団へ歩み寄る侵入者の背後に立ち剣の柄頭で首を叩き気を失わせる。
倒れる侵入者を片手で支えながらゆっくりと寝かせると雪乃は部屋を出て急いでチヨと春子の部屋へ向かった。
チヨと春子の部屋は雪乃から近く、すぐについた。
まだ起きているのか障子から零れる光が廊下に伸びていた。
障子だったため影が映り雪乃は異変に気付く。


(あの影…どう見ても男だな……ということはチヨさん達じゃないのか…)


影は大きく見せるが、体格からして男性のようだった。
雪乃の部屋に来た侵入者も触れた時の体格では男性のようだったのを思い出す。
逃げられた女房を取り返しに来たにしては少し違和感を感じていた。
それに障子に映る影の動きが変だ。
何かを探しているようにあちこち部屋を動いているし、二つの小柄な影が肩を並べて座っているように重なって動かない。
影に気付かれないよう近づき耳を近づけ盗み聞きをする。
中からはやはり男の声が聞こえた。


「おい!!金庫とかねえのか!?」

「あるはずだろ!?訳ありの娘を匿っているくらいなんだ!他の産婆より稼いでいるはずだろ!!」


声からして三人ほどの男が部屋の中にいるようだった。
会話的にチヨか春子に話しかけているらしいが、二人の声は聞こえない。
というよりはうーうー言っているのが春子やチヨの声に似ていた。
そこで雪乃は全てを察した。
これは強盗だ。
訳ありの妊婦の手助けをしているこの家に金品があると思って入り込んだのだろう。
訳ありなら口止め料として高額を請求しても無理してでも払うと思っているから。
だがチヨ曰く、その逆らしい。
訳ありの妊婦の多くは金が払えない貧乏人だという。
時々そういう高額を払える金持ちの娘も来るが、そんな妊婦だけではないのだとか。
だからチヨは普通の産婆の仕事もしているし、春子も勉強していい仕事を見つけて姉を支援するのだと言っていた。
兄であり理解がある千景も実家に隠れて金の援助をしてやっている。
チヨ達に賛同してスポンサーになってくれる人達もいるが、たかが出産と言っても色々お金が嵩むし、機材なんか到底普通に働いていては払えないほど高額なのだ。
そんな家に金なんかあるわけがない。


(三人か…とりあえず一人は不意打ちで倒せそうかな…)


そう思い雪乃は庭に面している部屋というのもあり、音を立てないよう気を付けながら石を拾いポイッとその石を庭に返す。
投げられた石は敷かれている石にぶつかって音を立てた。
普段なら気にも留めない音だが、泥棒に入るのだから辺りを警戒しているはず。
それに今は夜だから小さな音でも大きく反響するだろう。
『一人で出てこいよ』と願いながら壁に背をくっつけ気配を消す。
警戒しているが不可解な音がすれば人間はそちらに集中し、近くにいる存在に気付かない事が多い。
軍人だった事もあり気配を消す事は得意ではないが出来なくもない。
恩人を助けたくて雪乃は息を殺した。


「なんの音だ…?」


泥棒だから物音には敏感だった。
恐らくリーダー格の人間なのだろう。
『見に行け』と命じた後一人の男が障子を開けて出てきた。
案の定傍にいる雪乃に気付かず目を凝らして庭を見ていた。


「ねえ」

「ん?―――ッ!」


わざと声をかけこちらに顔を向ける。
その顔に雪乃は軍隊で鍛えた拳を命中させた。
鼻を殴り血を流すとその分呼吸がしにくいという弱点を突き、雪乃の拳は見事侵入者の鼻にヒットしその鼻から血が流れていた。
しかし怯むどころか拳一発で気を失った男に雪乃はまた『よ、弱い…』とあまりの弱さに引いていた。
だが引いている暇はなく、突然妊婦が男を殴り気絶させた光景を見る残りの男達が呆気に取られている隙をつき雪乃は素早く近くにいた男の腹部を一発拳を入れ前屈みになったところでこめかみに強く殴った。
こめかみを強く強打すると平衡感覚が失われ気を失う事もあるからだ。
軍で不死身と呼ばれた雪乃の拳にたかが強盗の男に勝てるわけがなく、その結果男はその場に倒れ気絶した。


「て、てめえ…!!」


恐らくこの男がリーダー格なのだろう。
偉そうな態度といい口の悪さといい、雪乃は『まだ露助の方が品格があるな』と思いながら顔を真っ赤にさせるリーダー格の顔に一発拳を入れる。
だが力を加減したため気を失う事はなかったが中央に拳を入れたため男は屈もうと膝を折る。
顔中の痛みに目を瞑って俯く男の髪を掴み雪乃はそのまま男の顔面をタンスに叩きつけた。
壁と違いタンスは木で作られており取っ手や装飾などで細かい凸凹がある。
壁なんかよりも痛みは強い。
案の定激痛に男は叫び声も上げれなかった。
雪乃は何度かタンスに顔をぶつけ続けた後グッと髪を引っ張り、男の顔を上げる。
男の元の顔は覚えていないが、血だらけでなんともブサイクになっていた。


「おい、何人で来た?」


他に仲間がいないか問うと男は血で目が開けれず目を瞑りながら『はひはひ』と微かに呼吸しながら答える。
男の言った人数と、雪乃が倒した人数は一致し、この男で最後らしい。
あまりの怖さに敬語で答える男に雪乃は『そっか』と優しく返した後、力を思いっきり込めてタンスに顔を叩きつけた。
あまりの衝撃に大きな音が部屋に響きタンスの上に置いてあった置物が落ち、ついでに男も落ちる。
雪乃は腹を抱えながら暴れたせいか息を荒くしながら気絶しうつ伏せで倒れるリーダー格を見下ろしていた。


「………」


こんなに暴れたのは久々だった。
そして、こんなにも殺気立ったのも久々だった。
暫く立ちつくし呆けていると腹からノックのようにポコポコと小さな衝撃があった。
それに雪乃はハッとさせ腹を見下ろす。
もう足も見えなくなるくらい大きくなった腹には怪我はなく、雪乃は手をそっと添えホッと息をつく。
そして春子とチヨの存在に気付き振り返る。
ぼうっと立ちつくしていた雪乃が突然振り返り、先ほどの大暴れを見たのもあってか春子はビクリと分かりやすく肩を揺らしたが、チヨは呆気に取られ雪乃を見上げていた。


「大丈夫ですか!?怪我は!?」

「ないわ…あの…なぜ水城さんがここに?」


チヨと春子は寝ていたところを襲われた。
口には布で塞がれ縄で拘束され部屋を物色する男達に怯えていた。
顔を隠していなかったからきっと終わったら殺されるのだと思っていた時雪乃があっという間に強盗を倒したのだ。
突然すぎて、そして早すぎる解決にチヨも春子も驚き唖然としていた。
春子は雪乃の鬼神ぶりに少し怯えているようではあるが、チヨは驚きはしたがすぐに軍人だった事を思いだし先ほどの鬼神ぶりを見て『だから女なのに戦争を生き抜いてこれたのね』と兄から聞いていた二つ名に納得した。
雪乃は強いのだ。
力も、運も。
そしてチヨは我に返り雪乃に迫る。


「水城さん!体は大丈夫なの!?」

「?、ええ…何ともないけど…大丈夫、殴られてないから」

「そうじゃないわよ!そういうことじゃなくって…!あんな動きしたら赤ちゃんに負担がかかってしまうわ!赤ちゃんにもしもの事があったらどうするの!貴女産むのでしょう!?この子を!」


そうと声を上げるチヨに雪乃はハッとさせる。
雪乃は侵入者を潰す事で頭がいっぱいだったが、今は雪乃一人の身体ではない。
お腹には命が宿り、雪乃は何ヶ月かけてやっと子供を産む決心をしたのだ。
まだ向き合えないが、産んでもいいくらいの情を子供に向けていた。
雪乃はチヨの言葉に顔を青ざめ血で汚れた手を口元に当てた。


「ど、どうしよう…死んじゃうんですか!?この子死んでしまうの!?」

「落ち着きなさい!大丈夫…診てみるけど暫く様子を見ましょう…赤ちゃんに異変がないのを確認するまでは…いいえ、赤ちゃんが無事でももうその体で暴れては駄目よ?安静にして体を第一に考えなさい」


雪乃はこの妊娠が初めてで何もかも分からない事だらけだ。
それも最近まで赤子に興味も情さえもなかったのだから無知である。
チヨが怒るということは先ほどの行動でもしかしたら赤子が死ぬかもしれないと思い雪乃は顔を青ざめた。
そんな雪乃にチヨは驚いたが、すぐに雪乃を安心させるようその場にゆっくり座らせる。
雪乃はチヨの言葉に頷きとりあえずもう暴れるのはよそうと反省する。


「とりあえず警察に連絡しましょう…いい?これは仲間割れをしたの…水城さんは何もしていないわ…水城さんはただ私に話を聞いてもらいたくて部屋に来ていた…その時に強盗にあった…それでいくわよ」


流石に妊婦が強盗を撃退したと言っても信じてくれなさそうだし、これは立派な過剰防衛だから雪乃は逮捕されるかもしれない。
雪乃を守るためその場にいる全員で口裏を合わす。
どうせ強盗達が本当の事を言っても妊娠後期の妊婦が大の男を5人も倒したとは信じてくれないだろう。
それにこんな商売をしているのだから取り返しに来た男との騒動で警察とも多少は顔見知りで、金を渡せば多少は目を瞑ってくれるのをチヨは知っている。
春子も雪乃も無言で頷いたのを見てチヨは警察を呼びに向かった。



◇◇◇◇◇◇◇



警察は少し遅れてきた。
顔見知りの警察が丁度いたらしく、その警察を呼んで金を握らせれば多少の捏造をしてくれると約束してくれた。
足を刺したのも仲間の1人にするとも言ってくれてカヨ共々雪乃はその警察に頭を下げた。


「じゃあ、また後日詳しい話を聞きに来るから…もうないと思うけど一応暫くは見回りも強化させる…チヨさん達も戸締りはちゃんと確認してから寝てね」

「ええ…ありがとう」


強盗は全員気を失っているため病院に送る事になった。
警察も簡単な現場検証をしたらすぐに引き上げ、後日聞き込みも含め詳しく調べると言い帰っていく。
ちゃんと調べないのはもう解決しているし、色々手を加えるから調べる必要もないからだろう。
他の妊婦を起こさないよう配慮してくれた警察達を見送った後雪乃は春子とチヨと同じ部屋で寝ることになった。
妊婦の世話をするためこの豪邸を必死に働いて購入し、今はタイミング的に受け入れている妊婦も少ないということで余っている部屋は多い。
雪乃が激しい動き(雪乃的には軽い運動程度)をしていたので様子を見るため雪乃も一緒に寝ることになった。
とは言え現場検証も終わっておらず、終わるまではそこに立ち入る事もできず、できたとしても泥棒の血で暫くは部屋としては使えないだろうという事情もある。
三人とも少し興奮していたのもあり、目が冴えてしまい眠くなるまでお茶を飲みながらお喋りをする事になった。


「水城さん、さっきはありがとうございます…貴女がいなかったらきっと私も春子も殺されていたでしょう」

「いえ…無事でしたら何よりです…あの、本当にこの子は大丈夫でしょうか…」


チヨと春子のお礼に雪乃は首を振ったが、不安そうな表情を見せる。
あの時は何も考えず暴れていたが、思い返せばチヨの言った通り赤子に大きく負担が掛かっていただろう。
そう思うと最後の強盗を倒した後腹を蹴ったのは苦情だったのかもしれない。
不安がる雪乃に安心させたいが、すぐに『大丈夫』と言ってやれないのも事実だ。


「それはまだ分からないわ…どこか痛い所とかある?気持ち悪かったり何か異変を感じたりとかは」


お茶やお菓子も用意し、部屋に向かいながら症状がないか聞くと雪乃は考える様に視線をあちこちに送る。
しかし雪乃は突然立ち止まり、立ち止まった雪乃に気付いたチヨ達は雪乃に振り返った。
雪乃を見てみれば雪乃は何故か下を見ていた。
正確に言えば足元だ。
その視線が気になってチヨもゆっくりと視線を下へ降ろしていくと――――雪乃の足元に水たまりが出来ていた。
それにチヨは息を呑む。


(破水…!?)


雪乃は破水をしていた。
突然の事で驚いていた雪乃も次第に痛みが襲って来たのか、腹を抱えゆっくりと座り込んだ。


「ぁ、っい、た…ッ」

「水城さん!!」

「チ、ヨ、さんっ…お、なか……、し、んじゃう…っ!」

「大丈夫よ!大丈夫!!落ち着きなさい!これは流産ではないわ!」


雪乃は妊娠30週目。
ならばこれは早産になるだろう。
腹の痛みも陣痛で、初めての出産で雪乃は分からず混乱していた。
子供が死んでしまうと不安がる雪乃にチヨは『分からない』と思ったが今は安心させるのを優先した。
早産でも未熟児で死ぬ子供も多い。


「春子!!お湯と綺麗なタオルを用意して!!取り上げるわよ!」

「は、はい!」


春子も早産する妊婦を何度も見てきたし、手伝って来た。
姉の言葉に頷き春子は準備をするためその場を離れる。


「水城さん!頑張って!」

「…っ」


陣痛で顔を顰める雪乃の手を取ってチヨは何とか雪乃を立たせて近くの部屋へと入る事が出来た。
急いで布団を敷きその上に雪乃を寝かせる。
足を広げさせ様子を見る。
まだ陣痛が始まったばかりなので赤ん坊の姿はないが、それも時間の問題だろう。


(い、たい…っ!痛い痛い!!)


雪乃はあまりの痛みに布団のシーツを掴む。
歯を食いしばって必死に痛みに耐えていた。
戦争で負った傷の方が多いのに、怪我の痛さよりも出産の痛みの方が雪乃は痛いと感じた。


(しぬの、かな…赤ちゃん、しんじゃう、のかな…いやだ…そんなの、いや…いきて…いきて、あなた、だけは…)


チヨが何か話しかけていたが今の雪乃の耳には届かない。
痛みに声を荒げながら雪乃は必死に赤子に声をかける。

だが、いつも蹴ってくれる赤ん坊の反応はなかった。

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