(5 / 29) 少女時代 (05)

雪乃は差し出されたそれをキョトンとした顔で見つめていた。
咄嗟に受け取ってしまい、手元を見るとそれは…一輪の花だった。

――

―――…


「あら」

雪乃の義母、静子は娘の持っているそれにふと笑みを浮かべた。
母の声に雪乃は顔を上げる。


「そのお花、どうしたの?」


雪乃の手に握られているのは一輪の花。
可愛い赤い色の花が一輪のみ。
静子も園芸を趣味としているが、その花は育てていないし、そもそも母の大切に育てている花をこの子が何も言わず引き抜くわけがないので誰かに貰った物だろうとすぐに察した。
それもその相手も。
静子は戸惑っている様子の雪乃に優しく声をかける。
母の問いかけに雪乃は首を傾げ怪訝そうに呟いた。


「音之進が『これやる!』って押し付けてきたんです」

「まあ、音之進さんから贈られたお花なのね」


『素敵だわ』と微笑む母に雪乃は更に怪訝そうな顔をし花を見る。


「贈られたっていうか押し付けられたんです」

「いいえ、これは殿方から贈られたお花よ」

「あれは贈られたっていうか…取ったのはいいけど使い道に困って私に押し付けた感じでしたが…」

「雪乃さん、これは、殿方からの、贈り物よ」

「アッハイ」


母は何故か贈り物だと言うが、あれはどう見ても処分に困った物を押し付けた感があった。
そもそも贈られたにしては鯉登は突然屋敷に押しかけ雪乃にこの花を押し付け雪乃が何か言う前に疾風のように走って帰っていった。
顔だって背けてて見えなかったし、あれが『殿方からの贈り物』というのであれば普通の男女間の貸し借りも『殿方からの贈り物』になる。
しかし何度も否定しても母はそれを否定し、何故か『殿方からの素敵な贈り物』と雪乃に認めようとさせた。
母には勝てず、雪乃は思わず頷いてしまった。
そんな娘に静子はにっこりと笑い雪乃の手を取り『花瓶を探しましょう』と歩き出した。

――花瓶はすぐに見つかった。
一輪挿しの小さな花瓶に水を淹れて雪乃の部屋に置く。
置き場所は気温が低く、風通しの良い場所に置くのが長持ちのコツらしいが今は愛でる時間なのか母はテーブルに花瓶を置き、娘の隣の座布団に座って小さな一輪だけの花を愛でていた。


「ちゃんと水は毎日変えてね」

「毎日ですか…」

「ええ、毎日よ…初めて殿方に素敵なお花を貰ったんですもの、すぐに枯らすなんて勿体ないですし、贈ってくださった殿方にも悪いわ」

(いやだから押し付けられただけなんだけど…)


母の言葉に気のない返事を返しながら、頭の中に教えられた方法を覚える。
あれはどう見ても押し付けられただけなのだが、しかしそれにしても不可解な事もある。
そもそもなぜ突然鯉登が花を押し付けてきたのか。
以前は鯉登家に雪乃が遊びに行くのが日常でもあった。
しかし、それも少し変化があった。
まず一番の変化は雪乃から鯉登への呼び方だ。
『音之進"くん"』から『音之進』と呼び捨てになった。(鯉登は初めから呼び捨てだった)
もう一つは鯉登の態度が軟化した。
本気で嫌がっていた名前もいつの間にか訂正しなくなり、すんなりと受け入れ返事が返ってくるようになった。
そして、雪乃は6歳となり小学校に通う事になった。
そのため今まで朝から晩まで一緒にいる事が出来なくなり、今では夕方からしか会えず、朝から晩まで一緒にいられるのは学校が休日の時のみ。
だから雪乃は鯉登の突然の奇行を『寂しさ故』だと思った。


「ねえ雪乃さん、このお花、なんのお花かご存知?」


『今度ネズミの死骸とか持って来たらどうしよう』と娘が姉の息子を猫扱いしているとは知らず、母である静子は花瓶に生けた花を嬉しそうに見つめながらそう娘に問う。
『とりあえずチョップするか』と遠い目をしていた雪乃は母の言葉に我に返り首を傾げた。
雪乃は上流階級の娘として迎え入れてもらったが、花に興味がなくこの花がなんという名前かは分からない。
首を振る娘に静子は娘の小さな肩を抱き寄せて抱きしめる。


「このお花はね、『アネモネ』っていうの」


花には興味はなく、この花も鯉登が押し付けた物だというのに、雪乃は花の名前を聞いて何となく興味を持った。
娘の花を見る目が変わったのに気づいた静子は続けた。


「お花にはね、『花言葉』っていうものがあるのよ」

「はなことば?」


花言葉、と初めて聞いた言葉に花から母へ顔を上げ首を傾げた。
初めて聞く言葉だからか、舌足らずになってしまう。
そんな娘が可愛くて静子は笑みを深めた。


「そう、花言葉よ…お花に象徴的な意味を持たせたものなの…例えば桜だったら『優美な女性』、『純潔』という感じで付けられているの」

「ではアネモネは何ですか?」

「アネモネはねぇ…」


娘が鯉登に贈られた花に興味を持ち、意味を知りたがるのが嬉しくて静子は顎に指を当ててアネモネの花言葉を思い出す。
しかし、ふと何かを思い立ち母が思い出すのを待っていた雪乃に『ちょっと待っててね』と言い部屋を出て行ってしまった。
しかしすぐに戻ってきた。
その手には普通の本よりも厚く大きな本が握られており、その本を不思議そうに見つめる娘に静子はにこにこと笑いながら差し出した。
思わず受け取った雪乃はマジマジとその本の表紙を見つめる。


「『世界の花言葉図鑑』?」


それは様々な花のイラストが描かれており、その上には雪乃が声にした題名が書かれていた。
金ぴかの文字をなぞった後雪乃は隣に座る母を見上げる。


「この本には色々なお花の花言葉が載っているの…勿論アネモネもね…アネモネの花言葉は貴女自身が調べなきゃ駄目」


『音之進さんが可哀想だもの』と笑う母に雪乃は首を傾げた。
しかし母が言うのならと深く考えず本を開いてアネモネが載っているページを開いた。


(アネモネ…アネモネ……あ、あった…えっと…『はかない恋』『恋の苦しみ』『見捨てられた』『見放された』??)


あ行の花だから探すのに苦労はなかったが、調べてもますます意味が分からなかった。
雪乃は首を傾げながらニコニコ顔の母を見上げる。


「えっと…音之進は失恋でもしたんですか?」

「えっ?」


娘の言葉は静子の予想に反したものだった。
その為雪乃の言葉に目を丸くし呆けてしまったが、娘の小さな膝の上に拡げられている大きなページに目線を落とす。
そして、静子は『あちゃ〜』と失態に気付く。


「あ、あのね雪乃さん…花言葉にはまだ続きがあってね…花には様々な色があるでしょう?その色によって花言葉も意味が変わってくるの」

「そうなんですか?」

「そうなのよ」


花言葉には花全体指す言葉と、色によって異なる言葉がある。
細かく説明すれば本数にだって意味がある。
それを説明し忘れ雪乃は花全体を指す花言葉を調べてしまった。
しかしこの花言葉の図鑑は色によっての花言葉も書かれており、母の言葉に納得した声を零しながら雪乃は再び本へと視線を落とした。


(押し付けられた花は赤色だから……――――『君を愛す』)


文字を指で追っていた雪乃だったが、その言葉を理解するとおの手を止めて思考共々停止する。
ピタリと動きを止めた娘に今度こそ静子は笑みを深めた。
しかし…何故か本を閉じた。
本を小さな手で閉じた娘に静子はまたしても目を丸くし、戸惑いの表情を浮かべた。


「あ、あら…雪乃さん?」

「お母様、本を貸してくださってありがとうございます」

「え、ええ…あの…雪乃さん?何か感じた事ない?」


静子的には『えっ!?うそっ!音之進、私の事が好きだったの!?ふぇぇ…どうしよう〜><』を期待していた。
それはもう乙女のような妄想を。
だが雪乃は想像した反応どころか顔を真っ赤にするでもなく母の戸惑いの問いに首を傾げて見せた。


「?、何も感じませんが…だって、あの音之進が花言葉なんて知ってるわけないですし」


その言葉を聞いて静子は思う―――『あっ…(そこ考えてなかった)』と。
確かに鯉登は父のような軍人を目指しすぎて花なんて興味の欠片も見せなかった。
雪乃との遊びだって女の子の雪乃に合わさず庭を駆けまわったり柔道や剣術など競い合っていた。
(雪乃は将来一人でも生きて行けるようにと通わされていた)
そもそも雪乃もどうしても女の子遊びがしたいと思っていなかったし、鯉登と一緒に遊ぶのが楽しかったのでそれも原因である。
それを思い出し母…静子は今度こそ顔を手で覆い雪乃はそんな母に首を傾げて見つめた。

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