「まずいわ」
その静子の言葉に鯉登はカチンと固まり持っていたコップを落とした。
◇◇◇◇◇◇◇
雪乃が住んでいるのは父である秋彦の実家である。
しかし父は仕事の都合上仕方なく東京にある別荘に暮らしており、休日にはこちらに戻ってきてくれる。
この家の主は夫不在のため妻の静子だ。
娘を学校に見送った後静子は隣の姉が嫁いだ鯉登家へと向かい、そして…冒頭のセリフを吐いた。
「どうしたの、静子さん…入ってきて突然…―――まさか…っ!」
妹らしからぬ行動に首を傾げていた姉であり鯉登の母、ユキは言いかけた言葉を飲み込み最悪な考えがよぎった。
それは息子である鯉登も同じなのか顔を青ざめていた。
そんな姉と甥に静子は手で制し首を振った。
「いいえ、お姉様…音之進さんが振られたわけではないですわ」
「そう…よかっ―――」
「でも、それ以前の問題だったのです」
「「えっ?」」
息子が振られたと考えが過ったユキと、自分が降られたと考えが過った鯉登は心底悲しみに暮れていたが、妹であり伯母でもある静子の否定に何とか地面にめり込むことは防げたが…続けられた言葉に不安を煽られた。
流石血の繋がった親子…声を揃えた姉と甥に静子はコロコロと転がって来た鯉登が落としたコップを拾い姉と甥の向かいに座り、コップをテーブルに置きながら溜息を吐いた。
「あの子に花言葉を教えたの…でもあの子なんて言ったと思います?」
「なんて言ったのです?」
「…音之進さんが花言葉なんて知っているわけがない…ですって」
「「……………」」
頬に手を当て溜息を吐く静子に鯉登親子は思った。
あっ…(そこ考えてなかった!)
…と。
鯉登が押し付けた(贈った)花はちゃんと意味があった。
雪乃の言う通り鯉登が花に意味があるとは知らなかったが、息子と甥の初恋を応援している母と叔母のアドバイス(という名の入れ知恵)によって花を贈る事にした。
母も叔母も花が好きで庭で育てているため花には詳しかった。
そこで直球だが『君を愛す』という意味の花を贈った。
が、これまで鯉登と雪乃は花なんて愛でた事なかったし、鯉登も花よりも未来お国の為に軍人になるための勉学や稽古に夢中だったためそもそも花なんて無縁であった。
確かにそんな男の子から花を貰っても気づかないわよねえ、と鯉登の母はそう心の中で呟きながら息子をチラリと見た。
すると息子は畳の上で気絶するように倒れていた…白目をむいて。
「きゃーっ!お、音之進さんがあまりにもショックで気絶しちゃったわ!」
「しっかり!音之進さん!!まだまだ諦めるのには早いわっ!!」
ユキと静子が息子と甥の身体を揺する。
鯉登の失恋(?)はユキ達も責任を感じていた。
少々父に似て奥手だからと速足に進め過ぎたと反省した。
叔母の言葉に鯉登は目を覚まし、怪訝そうに叔母を見た。
「雪乃さんは言ったのよ、音之進さんがそんな事するはずがないって…けれどそれは音之進さんが今までお花を雪乃さんに贈らなかったからでしょう?だったらこれからお花を贈って気づいてもらえばいいのよ!」
「……じゃっどん雪乃も花言葉なんち知らんかったじゃなかと…気づいてもらゆっやろか?」
「そこは大丈夫よ、音之進さん…貰う度に私がそれとなく調べるように仕掛けますから!」
ぐっと拳を握る叔母、そして傍で笑みを浮かべる母へ顔を上げる。
父と叔父は男として、軍人として、尊敬しているが、母と叔母も尊敬している人達である。
そんな人達に背を押され鯉登は沈みかけた気持ちがあっという間に浮上していく。
倒れていた体を起こし、鯉登は叔母と同じく手を握りしめた。
「
きばう」
落ち込んだ表情から一転し、希望の光を灯すその力強い瞳や表情を見て静子とユキはホッと安堵しながら『ええ、頑張りましょう!』と同じく拳を握りしめ、三人は気合を入れた。
希望も取り戻し、静子は甥にある物を差し出した。
「では音之進さん、これ差し上げますからお役に立ててくださいね」
そう言って差し出したのは雪乃とアネモネの花言葉を調べたあの本だった。
静子の言葉に鯉登は目を丸くし叔母を見上げた。
「よかと?」
「ええ、これは音之進さんのために用意した物ですから…実は雪乃さんも一冊同じものを持っているの…だから花言葉が違うって事はないはずですよ」
花言葉は監修する人間によって微妙に違ったり全く異なっていたりする。
しかし同じ本を所有し調べて送れば、そんな擦れ違い起きる事もないだろうと静子は思い、娘と甥のために二冊用意していた。
叔母の言葉に鯉登は目を輝かせ嬉しそうにお礼を言った。
そんな可愛い甥っ子の頭を撫でながら静子は本を鯉登に向かって開くように置いた。
「次は何を送ろうかしら」
「あまり直球だと後々大変じゃないかしら…」
「あと、あんまい珍し花だと図鑑に載っちょらんって事もあっかもしれん…こげなた意味が通じらんと意味がなか」
静子が持ってきていた花言葉の図鑑を広げているテーブルを囲んで三人はうんうんと悩む。
アネモネは母が育てていてすぐに用意出来たが、あまり言葉を重要視しすぎて入手困難の花を選んでも調べても探しきれず放置される事もある。
大事な時に調べ切れなかったら肝心の気持ちが雪乃に通じないのも困る。
そして調べ切れず『あれ何の意味があったの?』と聞かれるのもものすっごく困る。
幸い母と叔母が園芸が趣味で、家に金があるから珍しい花も育てているが、それでも全ての花を入手できるわけではない。
鯉登の言葉もあり、静子とユキは腕を組み更にうんうんと悩んだ。
「じゃあ、ベゴニアは?」
「ベゴニア…えっと、『片思い』……ちょっと、直球すぎないかしら…」
「ひまわりは?」
「『わたしはあなただけを見つめる』…片思いにしてはちょっと重いわ…」
「ビオラは?」
「『私の胸は貴女でいっぱいです』…うーん…可愛いと思うけど…」
「まだ早か」
暫く三人でああだこうだと考えを巡らせていた時…本を読んでいた鯉登が『これ』とトンとあるページの花を指さした。
それを覗き込むように見ればそこには―――
「フレンチマリーゴールド?」
赤やオレンジなどの華やかな花が映っていた。
花の名は『フレンチマリーゴールド』。
説明を読むとメキシコからニカラグアが原産で、ヨーロッパやアメリカで観賞用や薬用に栽培されていると書かれていた。
開国したとはいえまだ異国の花は入手は困難ではある。
だが、鯉登家にかかればそれほど入手困難というわけではないだろう。
母と叔母が味方にいるのだから父は敵ではない。
と、いうよりも父は雪乃を気に入っており、鯉登と想い合うのは反対ではないようなので、よほど道を外したり金を使いすぎなければ叱られる事はないだろう。
逆に『嫁に来てくれるなら協力しよう』と言ってくれるだろう。
「花言葉は『いつもそばにおいて』…んー、ちょっと印象が薄くないかしら…」
「じゃっどん、
最初はこれくれがよか」
フレンチマリーゴールドを選んだ鯉登に母と叔母は驚いた表情を浮かべた。
フレンチマリーゴールドの花言葉は『いつもそばにおいて』。
永遠の恋する乙女(人妻)としてはもっと胸が高まるような愛らしくも切ない言葉を選ばせたがったが、鯉登の言葉通りまずは花言葉に興味を持たせる事が大事なのだ。
それでも恋愛や友情にしても『いつもそばにおいて』は少し重いような気もしないでもないが、それを気にもせず物足りないと思ってしまうのが乙女(人妻)である。
年齢が年齢なら『YOU好きなら夜這いしちゃえYO☆』と言えるのだが…まだ彼らは子供も子供…10代前なのだ。
その想いは本物の穢れのない想いだ。
「でも音之進さん…なぜ『いつもそばにおいて』なの?」
花は決まり、後はその花を入手するだけ。
しかしそれは鯉登家や川畑家では簡単である。
だが、静子は気になった質問を甥に投げかけた。
本当に、ただ気になっただけだった。
叔母の問いに鯉登は本から叔母へと顔を上げる。
しかし何か言いたそうに口を開くもすぐに閉じ、本にあるフレンチマリーゴールドを見つめ、小さな、しかししっかりとした手で優しく撫でた。
「
昨日、雪乃が隣にいない未来のおいの夢を見た」
雪乃を思っているのだろう。
その表情はとても寂しそうで悲しそうだった。
鯉登の言葉に静子もユキも『所詮夢だわ』と慰めようとした。
しかし、鯉登のその様子から軽い気持ちで慰めるべきではないと二人は気づき口を噤み、ユキは息子の頭を優しく撫でた。
6 / 29
← | 目次 | 表紙 | →
しおりを挟む