「え!?せんせい、せんせいやめちゃうの!?」
水城は子供達の驚きの声に申し訳なく笑い、頷いた。
「先生な、ちょっと事情があって先生をやっていけなくなったんだ…だからみんなには申し訳ないけどこの塾は今日で終わりなんだ」
「えーっ!やだぁ!」
「ぼくもっとべんきょうしたいよっ!」
「あたしせんせいがすきです!せんせい!やめないで!」
今日で教室を最後にするという知らせに子供達からは驚きと共に嘆きが返って来た。
塾を始めて間もないが、ここまで生徒に好かれるのは嬉しい事ではある。
だが、水城はこれから塾の講師をしている暇はなくなってしまった。
(アシリパさんに会えて…アシリパさんに助けてもらって良かった…でなければ熊に襲われて坊を置き去りにしてしまうところだったわ)
アイヌの少女…アシリパと名乗った少女と共に水城は金塊を探す事にした。
あの後死体に刻まれている入れ墨を見せ、水城は全ての事情をアシリパに話した。
驚くことに囚人が話した皆殺しにされたアイヌの中にアシリパの父親もいたらしく、アシリパは親の仇、水城は金という利害の一致に手を組むことにした。
その為川で砂金を探さなくて済んだが、囚人を探すと言う新たな目的が生まれたため塾の講師を続けるのは困難だと水城は判断し、塾を閉めることにした。
(囚人が何人いるか分からないが全てとっ捕まえて皮を剥いでやる…早く…早く見つけて梅ちゃんの目を治して…母としてちゃんと坊を愛してあげたい…晩だけじゃなくずっと一緒にいてあげたい…)
全ては梅子のため。
大切な幼馴染の為なら水城は地獄で一番罪の重い者が落ちるという阿鼻地獄に落ちたってかまわない。
その為なら水城は戦争ではなくとも人殺しもいとわない。
しかしそれ以上に息子のために水城はこの金塊探しに一点集中しようと思ったのだ。
世界中探しても息子との時間がこんなにも短い母親はきっと水城だけだろう。
子供の成長は早い…金塊探しに夢中で子供の成長を見られないのは嫌だった。
水城は息子が愛おしくてたまらないのだ。
例え父親に瓜二つでも、水城には別人に見えるし、あの愛らしさに心を奪われている。
きっと中絶を選んだり、千景に息子を託したら、目の前で悲しむ子供達を見ても心動かされなかっただろう。
水城はここまで懐いてくれた子供達との別れに思わず水城も涙してしまいそうになった。
子供達の願いは叶えてやりたいが、元々塾も生活のために無理矢理時間を割いて行っていたため水城は結局その日の夜に塾を閉じた。
息子を預かってくれた一家に少ないものの謝礼をし、水城は息子と共に家に帰る。
「坊、ごめんねぇ…もう少し、
母の我儘に付き合ってね…」
明日はアシリパとこの町で聞き込みをするため朝早く出る。
その間の息子の世話は近所の人が見てくれることになった。
こういう時、愛想を良くしていて良かったと思う。
ずっと寂しい思いをさせている息子を見下ろす。
息子は満腹になりふにゃりとした顔で眠っていた。
その隣で片肘をついて布団に横になり一定のリズムで息子を軽く叩きながらそう呟く。
まだ言葉もあまり理解できない幼児なため母が何をしているのか、何をしようとしているのか分からないだろう。
そんな無垢な寝顔を見ているだけで水城は疲れやこの先の不安が取れていく気がした。
(アシリパさんに狩りを教えてもらおうかしら…流石にタダで坊の世話を任せきりじゃ駄目だろうし…塾を閉めたから家賃を払えなくなったし…私だけだったら別に野宿でもいいんだけど…坊がいるからなぁ…坊には出来るだけひもじい思いも寒い思いもさせたくないわ…)
チヨ達から貰ったお金は今は全く手を出していない。
ここに来るまでの路銀、最初の家賃や生活費などで減っているが、塾に人が集まりそれなりに稼げるようになってからはもしもの時のためにと取ってある。
だから塾を閉めた今、水城は無職となり塾以外で金を作らなければならない。
家賃代、息子が世話になっている謝礼、生活費…考えるだけで頭が痛くなる。
だが不思議と息子を手放す考えは浮かばなかった。
そんな自分に水城はふと笑みを浮かべ、立てていた肘を崩し、崩した肘を枕に寝ている息子の傍に自分の顔を近づけ息子の愛らしい寝顔を見つめた。
(不思議だわ…妊娠した時はあんなにもこの子を否定し続けて嫌っていたのに…今はこんなに愛おしい…)
妊娠が分かれば戦争を利用し心中しようとし、それが駄目なら水城は息子の存在を否定し続け、人間である事さえ否定した。
一度は中絶を考えた。
考え直しても自分の手で育てようとする気すらなかった。
だが、あんな小さな箱で一生懸命生きようとしている息子を見てしまった瞬間、水城は愛おしさしか感じなかった。
チューブに繋がれてやっと呼吸ができるほど弱っているのに息子は一生懸命、命の灯火を燃やし続けていた。
自分はそんな息子を否定し殺そうとしたのだ。
一生をかけてその償いをしなければいけないし、水城の気もすまない。
息子を見ているとふと、『彼』を思い出す。
(尾形がもし来たらどうしようかしら…妊娠を隠してたからきっとこの子の事も知らないだろうし…でもこの子の顔を見たらきっとすぐに気づくわ…そうなったらこの子をどう思うのかしら…この子をあの人はどうするのかしら…)
理想は無関心だ。
今更息子に父親なんて要らないし、自分にも夫はいらない。
無関心でいてくれれば水城も心置きなく息子と二人で生活できるというものだ。
(もしも奪いに来たのなら尾形の喉を食い千切ってでも追い返してやる)
もしもなどあるわけがないのだ。
元々尾形との繋がりだって弱みに付け込まれたものだった。
尾形との所属も違ったのもありそれほど仲がいいわけでもなかった。
だが一度は考えてしまうだろう。
もしも尾形が息子を奪いにきたのなら、と。
その時の行動など考えるまでもない。
―――殺してでも守る。
ただそれだけだ。
水城は決して可愛い息子を誰にも奪わせはしない、と心に決めた。
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