(8 / 274) 原作沿い (08)

殺されなかったことに安堵する男だったが、背中にある入れ墨を書き写すために真冬の中上半身の着物を脱がされ寒空に肌を露出することになった。
それでも逃亡防止も兼ねて暴れないよう磔のように固定されてしまった。
書きやすいように雪の上に地べたで座らさせられているせいで、じわじわと雪で尻が濡れ始めているが今の男は文句を言える立場ではない。
早く終われと思う男の背をアシリパは少しずつ入れ墨を書き写していく。


「へえ、上手いじゃないかアシリパさん…良く描けてる」


男を警戒しつつアシリパの手元を見れば水城は感心したように呟いた。
まだ水城のあの冷たい目や肌を刺すような殺意を覚えているのか、水城の声が聞こえると男は微かにビクリと肩を揺らす。
そんな男をよそにアシリパは水城から貰った鉛筆に甚く感激していた。


「杉元!これいいな!鉛筆っていうのか?便利だ!」


そう褒めるアシリパに水城は鉛筆をアシリパから『ちょっと貸してみな』と受け取り、横向きで上下に動かす。
すると目の錯覚で硬い鉛筆がぐにょんぐにょんと柔らかく動くではないか。
鉛筆を今初めて見たアシリパはそれを見て衝撃を受けた顔を見せる。


「父も手先が器用でな…だから女にモテた」

「手先が器用だから女にモテた?」


鉛筆を返してもらい、芯を削りながら話すアシリパの言葉に水城はオウムのように呟き首を傾げた。
大抵の女性は手先の器用さよりも見た目や経済力、内面に惹かれる。
顔でモテる奴もいれば金があるからモテる奴もおり、内面でモテる奴もいる。
仕事で手先が器用だから重宝される者はいるが、手先が器用だから女にモテる者はあまり見ない。
だがアイヌにとったら手先が器用だと言う事は重要らしく、アシリパの持っている女用の小刀も父が彫ったのだとか。
確かに、人の手で彫ったにしては細かく彫られており、素人の水城から見ても見事だった。
へえ、と声を零す水城をよそにアシリパは背を向ける男へ顔を上げた。


「その入れ墨を彫った男はどんなやつだ?」


水城はその問いに何も言わずアシリパを見る。
アシリパは入れ墨を彫ったと言う男に父親を殺されている。
言わば仇の存在が目の前にあるのだ。
何を思っての問いなのか分からないが、口を挟むのは無粋だろう。


「……のっぺら坊さ…俺たちはそう呼んでた」

「どういう意味だ?」

「顔が無いんだ」


怪訝そうな声で続けて問いかけたアシリパに男が答えたその瞬間――――突然男は頭部を撃たれ絶命した。
銃声の前にブゥンという飛翔音を耳にし水城はすぐに発射地点との距離を判断しアシリパの毛皮を掴んで椅子にしていた木の影に身を潜めた。
それは一瞬の判断だった。


「あっ…絵が…」


アシリパも気づいたら木の影に引き込まれハッとした時には返り血でせっかく書いた絵が汚れているのに気づいた。
そんなアシリパをよそに水城は頭を出さないよう気を付けながら撃ったであろう方を睨むように見つめる。


「何者だ?やっぱり仲間がいたのか?」


誰も信用できないとはいえ、協力者がいたかもしれない。
男が死んだのはそれを頭に入れていなかった自分のミスだと思い舌打ちを打つ。
側からガサガサという音が聞こえ、そちらに目をやればアシリパがそばを離れて枝を切り落としている所だった。


「何をやって、んだ!!隠れてろ!!狙撃されるぞ!!」

「煙幕を張る」


一瞬女言葉を使いそうになりなんとか耐えることが出来た。
それほど水城も切羽詰まっていた。
音を聞きおよそだが相手との距離は把握した。
だがそれほどの距離で正確に男の頭部を撃ち抜けるのは凄腕と呼ばれる狙撃手のみだ。
一瞬だけ息子の父親が脳裏に浮かんだが、あの男がここにいるわけがないと頭を振って余計な考えを消す。
煙幕を張ると言うアシリパに水城は奪った拳銃を相手に向かって撃ち、牽制する。
こんな小さな銃じゃ相手に届くわけもなく、更には水城の銃の腕前は素人のアシリパさえ見捨てるほどだ。
それでも牽制には十分で、その間にアシリパが火をつけ煙が広がっていく。


「杉元!考えがある!!こっちだ!!」


煙幕を張り向かえ打つため一先ず隠れることになったが、アシリパは何か考えがあると走り出した。
水城はそれを追いかけ、その案に乗り準備をした後身を潜めた。
銃声の持ち主はすぐに現れた。
フードを被っているので顔は分からないが、足元や持っている銃を見れば軍人である事だけは分かった。
男は警戒して進んではいたが、銃でサルオガセを掻き分けようとした時―――銃が罠に引っかかり勢いよく男の手から離れ上へと持ち上げられた。


「なんだ!?」


警戒していてもこの罠は予想外だったのか、男の驚いた声が上がる。
その声に水城はピクリと反応したが足を止めず前方から姿を現し銃の持ち手の方で殴ろうと振りかざす。
そんな水城に男は不意打ちを食らいながらも咄嗟の判断で水城に向かって体当たりしてきた。
そのまま押し倒した男は水城の上に馬乗りになり、水城から抜き取った銃剣の剣を顔に向かって刺そうと振り下ろす。
だが水城も手に持っていた銃でそれを防ぐ。


(生け捕りにするつもりだったが…あの声からして恐らくは……だったら手加減すれば逆にこっちが殺される…!!)


水城はあの驚いた声に聞き覚えがあった。
昨夜、もしもと考えていた相手だ。
会いたくもない相手なのだ。
水城が想像通りの相手ならば、物理戦ではこちらが有利。
だが油断が出来ないのも確かだ。
ギリギリと押されているのもあり、一先ず体制を立て直そうと男を蹴り飛ばす。


「動くと撃つ!!」


相手は得意な銃はすでにない。
ならこちらが有利だ。
殺さないと約束した手前"すぐ"には殺さず水城は相手を脅した。
だが…転がり素早く立ち上がった相手の手元を見て水城はキョトンとする。


「え?―――あっ!」


相手の人差し指と中指には銃のボルトが挟まれていた。
これがないと銃を使用できず、この瞬間水城の脅しは脅しではなくなった。
恐らく取っ組み合いになった時に抜かれたのだろう。
それに今気づいた水城に相手はクツクツと笑い声を零す。
その声に水城は『やはり』と焦っていた気持ちが落ち着く…というよりは冷えていった。


「感動の再会だっていうのにとんだ歓迎じゃねえか…なァ?杉元一等卒」

「…尾形」


外套を取ったその姿は最後に会った日から見間違えることはなかった。
目の前にいる男に水城は顔を顰める。
そんな水城に男は笑みをそのままに肩をすくめた。


「その反応は流石に傷つくな……あれほど燃え上がったっていうのにもう忘れてしまったのか?」

「兄が死んだ時点で兄とあんたとの取り引きはすでに切れている……あんたと私の間に情もないのなら懐かしむ理由もない」

「情がないとは言ってくれるな…俺は案外お前との関係を気に入っていたっていうのに…あの中尉に比べて俺は優しかっただろう?」

「……」


何が、と言わないのはアシリパに聞こえているかもしれないのと、聞くのも嫌だったからだ。
はっきり言って確かに吉平に比べれば尾形との行為は嫌いではなかった。
だから吉平には頼まれなければ求めなかったのに、尾形とは気分さえ乗っていれば水城から求めた事もあった。
終始優しかったし、吉平と比べて多少の情もあったし、意外と尾形は水城を気遣ってくれた。
情も行為も一方的な吉平では感じることのなかった快楽を尾形との行為では感じた。
だが、それだけの相手だ。
優しいからなんだ。
気持ちがいいからなんだ。
所詮尾形とは利害の一致で寝ただけの男だ。
勿論あちらもそう認識しているのだと水城は思っている。
相変わらず弄りに娯楽を得ている意地の悪い言葉や笑みに水城はげんなりさせた。


(坊はあんなにも可愛いのにこいつと来たら……殴りたいわ、その笑顔…)


息子と同じ顔が目の前にあるのに、息子に感じている愛情が目の前の男には一切感じられない。
やはり自分の子供だからだろうか。


(まさか尾形とこんな所で再会するなんて…もう一生会う事もないと思っていたけど…世の中は本当狭いのね…)


尾形とも軍に所属していた仲間とも水城はもう会う事はないと思っていた。
あれだけ懐いていた月島ともだ。
それは軍隊を抜けたのもそうだし、普通に生活していればまず会う事はないからだ。
だが今の水城は金塊を探しており、少なくとも網走監獄の看守はその眉唾ものの噂を信じて探している様子ではあった。
だがそれがまさか軍人であるはずの尾形も探していたとは思いもせず、突然の再会に水城は内心動揺している。


(しかし…なんのために尾形はここに?男を追って来たみたいだけど)


先程の会話から息子の事は気づいていないだろう。
尾形の性格上弄るのに最適なその話題に触れないのが証拠でもある。
どこから追って来たかは分からないが、尾形は恐らく男を追ってここまで来た。
あの辺りには知り合いもいないし近所の人も働いていない。
水城が近所に息子を預けた姿は目撃されていないはず。


(とにかく尾形が動いているという事は軍も動いていると考えた方がいいかもしれない…危険度の認識は高ければ高いほどいい)


一瞬、懐いていた月島や…警戒していた鶴見の姿を思い出す。
もしも彼が単独ではなく組織的に動いているとしたら、尾形の背後にいる人物と敵対するのは避けたいところだ。
情報に長けている相手は厄介だし、水城は苦手な部類だ。
流石に軍を相手にアシリパと二人で対抗するのは避けたいところだ。


「…あんた、なんでここにいるの」


情報を聞くにしてももっと下手に出た方がいいのは分かっている。
だが心の底にある『息子を奪われたくない』という気持ちが勝ってしまっていた。
だがそんな水城に気付かず尾形は水城の問いに不機嫌そうに目を細める。


「お前こそ何故ここにいる…俺に一言も言わず軍を抜けた後どこで何をしていた」


不機嫌に呟くその声は低く、水城は顔には出さず怪訝とさせた。
相手も自分も何度も肌を重ねたと言っても、中身は一夜限りの相手のようなものだ。
惚れた腫れたなど複雑に絡まっているような情ではない。
だから水城は尾形に何も言わず軍を去ったのだ。
言ってどうするのだと。
言ったところで自分と尾形の関係は吉平が死んだ事で切れているのだと。
だが、どうやら相手は少しの情くらいは残っているようで、黙って消えたことを腹立たしく思っているらしい。
尾形の問いに答えない水城はどう言い訳をしようか悩む。
尾形は頭が良く鋭い男だ。
下手な言い訳は最悪息子に繋がる可能性がある。
だが適当な事を言って後で調べられても息子に気付かれる。
どうしようかと黙り込むが、それももしかしたら気づかれるかもしれないとつい疑心暗鬼になっていく。
どうすれば尾形は納得するだろうかと水城が考えていると…尾形は痺れを切らしたのか溜め息交じりに構えを解く。


「お前、どれだけ危険な博打に手を出しているのか分かっていないようだが…悪い事は言わん、この件から手を引け」


水城が尾形が組織で動いているかも分からないのと同じように、尾形も水城が何を考えてここにいるのか分からない。
銃越しで水城がアイヌの少女と協力関係であるのは分かったが、水城が事の重大さに気付いているかは分からない。
金に目が眩んでアイヌの少女を誑かしているかもしれないし、アイヌが元々アイヌの金だからと情に弱い性格に付け込んで水城を誑かしているかもしれない。
または、お互い協力者を装って騙し合っているのかもしれない。
どれが本当かは分からないが、水城がこの騒動に巻き込まれるのを尾形は望んでいない。


(だが…こいつと再会できたのは幸運だ)


やっと見つけた。
銃越しで水城を見てそう思った。
久々に心が弾んだ。
もうこの際子供の有る無しなどは関係ない。
尾形は水城を捕まえて一生囲って飼ってやるつもりだった。
それが無理ならば殺す。
殺して一生誰の手にも触れないようにしてやろう。
尾形は歪んだ想いを抱えながら水城を見る。
水城は手を引けと言われ不機嫌となり、その変化に尾形は愉快そうに目を細めた。


「あんたに命令される筋合いはない…私がどこで何をしようとあんたには一切関わりのない事だ」

「…そこまでして拘る理由は何だ…目的は金か?」


水城がこれまで何をしていたかは分からないが、まだ男装をしているということは何かしらの理由があるのだろう。
ただ一つだけ分かった。
―――水城に新しい男の影はない。
もしも深い意味で親しい男がいたのなら、男装することはないだろう。
そう思っていた尾形だったのだが…


「友のため、そして…―――惚れた男の為よ」


自分の問いに答えた水城の言葉に尾形は心が冷えるのを感じた。
水城と再会して高ぶっていた興奮が先ほどの言葉で一気に冷え切り、らしくもなく感情的になり気づいたら水城から奪った剣を向けていた。
尾形は水城を女だと知っているが、不死身の杉元という名に偽りがないのも知っている。
そんな相手に銃なしで押さえつけられるとは思っていない。
だが自分も軍人であり最強とうたわれた第七師団だ。
あの不死身に致命傷くらいは与えられるだろう。
だが、普段銃で人を殺している自分と、普段その拳で人を殺している相手との体術の差は歴然である。


「――――っ」


剣を全て避けられ尾形は胸元を掴まれ背負い投げをされてしまう。
尾形を地面に叩きつけた衝撃など諸共せず水城は素早く尾形の剣を持っている腕を折った。
尾形は悲鳴を上げる事もなく、痛みに悶える事もなくじっと水城を見上げていた。
尾形が見つめる先には水城が自分を見下ろしている姿があった。
先ほどまで警戒していたその目には明らかに殺意が込められた。
それはすなわち、水城は尾形を敵と見なしたということだ。
それに尾形は思わず口角を上げそうになったが何とか気力で止める。


(この目だ!!水城!お前のこの目が俺を―――)


誰もが不死身の杉元を欲しがり、そして尾形もその一人だった。
見惚れていた。
痛みを忘れるほどに。
今、この瞬間、この場所には尾形と水城しかいないのだ。
水城がその殺意に満ちた美しい目に映しているのは、危険だと言われても引かなかった友でもなく、惚れた男でもなく…―――自分なのだ。
あの、露西亜兵にしか与えていなかったであろう殺意を…水城は、今、自分にしか向けていないのだ。
そう思うと骨を折られ激痛が体を走っているというのに痛みさえ感じなかった。
だが、愛していないのに愛しいとまで思った女と己だけの世界は終わりを告げる。


「杉元!」


アシリパが割り込んできたのだ。
その声に水城は尾形から奪い返した剣で尾形を殺そうとしたその手を止めた。
アシリパの声に水城の目には尾形しか映っていなかったのに、後ろにいる少女が映った。
その瞬間、高ぶっていた尾形の感情は静まり返る。


「ぃ"――っ」


アシリパへ意識を向けていた水城の名を呼び、意識をこちらに向け直させる。
逸らしていた水城の顔がこちらに向けた瞬間、尾形は唯一動かせる腕で水城の目に指を突き立てる。
目潰しをされた水城は尾形から力を抜き離れ、その隙をつき尾形はその場から逃げよとした。
だが、後ろから水城が咄嗟にその辺に転がしていた銃を投げ、その銃が尾形に当たり尾形はそのまま転がる。
運の悪い事に転がった先は崖だった。
下には凍り付いていない川がさらさらと流れており、尾形は出っ張りに顎を強打しそのまま川に落ちて行った。


「……」


それを水城はただ見下ろしているだけだった。

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