(9 / 274) 原作沿い (09)

今日も水城は息子を近所の女性に預けて出掛けた。
その際リスの肉を謝礼とした。
狩りは成功したのだが、生活費や家賃などに当てて毛皮で儲けた分はほぼなくなってしまった。
仕方ないとはいえ何とも世知辛い世の中だ。
この時代でも物々交換もされており、食料品…特に肉類は喜ばれた。
お陰で息子を抱く近所の奥様は満面の笑みである。

そして、水城は今日も今日とて息子との時間を犠牲に囚人探しへと出かけた。

そして、


「〜〜〜っっ」


昨日に引き続き、囚人は罠にかかった。


「二匹目!」


服の隙間からは確かに入れ墨があり、水城は昨日今日と運がいいと気持ちが弾む。
今日は坊主頭の囚人が捕まり、尾形に殺された男と同じく座らせて張り付けにする。
入れ墨の書き写しはアシリパに任せ水城は情報を得ようと声をかける。


「お前も他の囚人に殺されかけて逃げてきたのか?囚人は何人いる?のっぺら坊の仲間とはどこで会う手はずだった?」

「………」


逃げてきただけあって男は口を割らなかった。
黙り込んでこちらを見るばかりの男に水城は『罠で喉が潰れたか?』と呟いたその時…


「そのアイヌはお前さんの飼い"イヌ"か?」


先ほどまで黙り込んでいた男はアシリパを見ながら鼻で笑うように呟き、その悪意のある言葉に水城は男の口を片手で掴むように塞いだ。
仲間を侮辱されたその怒りを表すようにその口を塞ぐ手はギリギリと力を入れていき、男はその痛みに顔を歪め声も出せなかった。
そんな男の耳に水城は小さく、そして低く囁く。


「顎を砕いて本当に喋られんようにしてやろうか」


声が高く、よく見れば顔が整い輪郭も細い。
女顔という事もあって見れば見るほど女じゃないかと思ってしまう。
しかしよく見れば胸はないわ口を塞ぐ手は女とは思えないほど強いわまだ声は高いものの女にしては低く恐ろしいわで男は痛みに耐えながら『こいつ絶対女じゃない』と思った。
若干痛すぎなのと殺気に別の事を考えはじめた男にアシリパという救世主がゴリラを止めた。


「よせ杉元…私は気にしない、慣れてる」

「………」


アイヌは迫害され軍資金として砂金を集めていたというのもあり、差別されていた。
昨日だって男に売られそうになった。
だから気にしていないとアシリパは言ったが、水城自身、家族が結核となった事で村八分となり森に捨てられた事もあってアシリパの言葉にはあまり納得できるものではなかった。
内心『慣れなくていいのに、そんなもの』と思っていても簡単に口に出せるほどこの言葉や問題は単純でもない。
男から手を放した後、唇を噛み軍帽のツバを摘まんで目元を隠す。


「杉元!見ろ!ウサギがいるぞ!」


水城の気持ちに気付かないままアシリパは囚人から目を逸らし、ある方向を見つめていた。
呼ばれたため振り返ればアシリパがある方へ指さしておりそちらに目をやればウサギがいた。
保護色の白い毛皮のせいで白い雪に埋もれ見分けがつかなかったが、耳先が黒くなっているので水城にもなんとか分かった。
だがそれはすなわち、今日のご飯が決まった瞬間でもあった。
水城は銃を構えるが、遠目で分かりにくく目印と言えば耳先のみなので到底水城の腕では銃で獲るのは不可能となる。
あまり苦しませるのは水城も本位ではない。
だが…


「杉元!!ウシロー!!」


ウサギの習性を利用して驚かせた後アシリパが体を張って捕縛した。
獲ったどー、と言った…かは分からないが、ウサギの足を掴んで持ち上げたアシリパの目に捕まえたはずの囚人が背を向けて逃げていくのが映り、声を上げた。
逃げる囚人を水城は追いかけ、それにアシリパは止めに入る。


「杉元!深追いするな!天候が…!」

「アシリパさんは小屋に向かってろ!必ず捕まえてくるから!!」


その日は朝から天気があまりよくなく、ウサギが昼間にうろうろしているのは、天気が崩れるため避難するからだと言われており、そのため今日はもう小屋に戻るつもりだった。
それが囚人の逃亡で少し狂ってしまった。


「…早くウサギ食べたいのに」


天気が崩れるからの心配でもなく、水城を心配したのでもなく、アシリパは自分の欲求に素直だった。


―――水城は見失わないように銃を抱えて走る。
天気が崩れるのなら、大吹雪になる前に息子を迎えに行かなければならない。
近所も一日二日くらいは帰らなくても面倒見てくれるだろうが、今でさえ他人の子供の面倒を見てくれているというのにこれ以上迷惑はかけられなかった。
だからこそ逃げる囚人を追いかける。


「このやろ…!戻ってこい!撃つぞ!!」

「やってみろ!!こっちは今撃たれるのも後で撃たれるのも一緒だ!!」


途中見失い、崖に差し掛かったため立ち止まり辺りを見渡した。
下は川、向こう側に渡る橋も道もない。
逃げ隠れする場所もないが、枯れた木ばかりのこの場所で水城が見逃したはずもないと辺りを見渡し下を見た時、囚人はいた。
崖を素手と足だけで降りようとしていたのだ。
銃を構え脅すもあちらも必死なためか抵抗し止まる事はなかった。
―――その瞬間、パァン、と何かの音が響く。


「銃声…?」


その音は銃声に似ていた。
思わず銃声かと警戒していたが、当たりに人はいない。
殺気も感じられず水城は気にしながらもまずは囚人を追おうと水城も崖を降り始める。
さきほどの音は銃声ではなく『ニプシ フム』である。
アイヌ語で『木が裂ける音』となり、その名の通り、急激な気温低下によって樹木の水分が凍結し幹が凍裂する現象である。


「待てこら!!」


それを知らない水城と囚人は崖を降り、中間にある雪が積もった道で追い追われ走っていた。
だが、水城は知らない。
そこは道ではない事を。
囚人が足で踏みつけた場所がボコリと微かにへこみ、その場所を偶然にも水城も足で踏みつける。
その瞬間凹んだ場所から穴が開き、その穴に水城は落ちた。
幸いにも穴がそれほど大きくなく上半身で止まった。
水城が驚きの声を零しその声に囚人が振り返りお互い顔を見合ったその瞬間―――穴からひびが入り、穴が広がり雪が崩れた。


「ここは雪庇の上だ…っ!!」


水城は囚人と共に落下していった。
そこは雪庇といい、風によって雪がひさし状に成長したもので、水城と囚人が道だと思っていたところは全て雪で出来たものだった。
土や岩などではなく雪だけで出来ているため、走る大人二人の体重を支え切れなくなったのだろう。
崖に転がりながら落ちていくが、その勢いに水城も囚人も転がる自分の体を止めることはできなかった。
どこか掴もうとも飛び出ている岩は雪が積もり滑ってしまい…―――水城と囚人はそのまま川に落ちてしまった。


「ひ、ひい!つ、つめたっ!!これはやばい…!!この寒さはやばすぎる…!!」

「頭が割れそうだ!!」


幸い流れによって凍り付かなかった川に落ちたため怪我はないが、その代わり強烈な寒さに襲われた。
氷のように冷たい川に体を全身で濡らし、それが余計に冬の冷たい風が肌を刺す。
もう寒いとかではなく、痛いになりつつあった。


「ひ、火よ!!すぐに火を起こさないと死ぬ…わ!!『シタッ』を剥がして集めて!!」

「な、なにを…?」

「白樺のじゅ、樹皮、よ!」


『シタッ』、とはアイヌ語で『樹皮』を意味する。
以前アシリパが白樺の皮には油が多く松明にも使用していると教えられたことを思いだしたのだ。
一緒に落下し、一緒に川に落ちた囚人にそう指示をする水城の口調は女に戻っていた。
だがそれに気づくほど囚人も水城も余裕はない。
生存のために行動するタイムリミットはあと10分しかないのだ。
このままでは運動能力は低下していき、手足が動かなくなりやがて死に至る。
不死身ともてはやされようと、自然には勝てないのだ。


「木をこすってつけよう…」

「そんなものでつかないわよ!バカ!!」


囚人は何を思ったのか落ちていた太めの木の上でそれより少し細いが男の手でも半分しか指が届かない太さの木で火を起こそうとしていた。
火を起こすには熟練した技術と十分な下準備があっての事なので、当然素人の上木と木を擦るだけのその行為は無駄でありただただ体力を削るだけだった。
だが囚人の無意味な行動こそ、危険の証拠でもある。
囚人のこの行動は、体温低下による判断力の低下から起こるものである。


「そ、そうだ!銃…銃はどこ!?私の銃…!!!」


水城は死ぬのを諦めておらず無意味な行動や呆け始めた囚人に突っ込みながらその間も考えた。
そして銃が必要だと気づく。
実包から弾丸を引っこ抜いてたちつけに発泡すれば火花が出て火も起こせると考えたのだ。
だが、持っていた銃は手元にはない。
何だかあの憎らしい上等兵の『ありえん』という嫌味が脳裏に浮かべながら辺りを見渡しふと上を見た時―――銃はあった。


「…あれは…流石に……無理、かな…」


銃は二人が落ちた雪庇の上にあった。
銃口の先がこちらを見下ろしており流石にこの寒さと冷たさで崖を上るのは無理である
銃を使う案が一番火を起こすのに早い方法だったのだ。
持っていたマッチは水で駄目になり、銃弾も川に落ちた時に全部流れ今は水入れになっている。
あとはもう…―――死ぬしかないのかもしれない。
そう頭にその言葉が過ったその瞬間、息子の顔が浮かんだ。


「諦めないわよ…!絶対に…!!生き抜いてやる…!!―――私は不死身の杉元だ!!!」


息子はまだ1歳だ。
一人で生き抜けるはずもなく、せっかく母らしい感情が芽生え一生懸命生きようとしている彼に生涯をかけて罪滅ぼしをすると決めたのに…ここで死ぬなど許されるはずがない。
それに今更他人の手に息子を託すのは死んでも嫌だった。
気合を入れる意味も込め水城はそう叫びながら何故か水城は再び川の中に入った。


「なに…やってんだ…?」


川に飛び込むその音に低体温症によって無関心な表情で呆けていた男がハッとさせる。
その問いに水城は一度顔を川から出し男を睨むように見つめ声を荒げる。


「あんたも死にたくなかったら川に落ちた銃弾を探して!!ちょっとくらい水没しても中の火薬はまだ無事かもしれない…ッ!!!」


ぽーっと不思議そうにするでもなく見つめていた囚人だったが、ハッとさせた。


「取り引きだ!協力するから俺を見逃せ!!」


やっと我に返った囚人はチャンスだと思った。
捕まり逃げ、そしてこれが終わればまた捕まるだろう。
下手をすればこの軍人に殺されるかもしれない。
捕まるのは嫌だが妥協はできる。
また逃げればいいだけの話だ。
だが死んでは元も子もない。
だから取り引きをしようとしたのだが…死ぬかもしれないこの瀬戸際に取り引きを持ちかける囚人に水城は思わず『はあ!?』と声を大きくして叫んだ。


「と、取り引きもクソもあるかァ!!これしか助かる道はないんだよ!?このままじゃ2人とも死ぬんだぞ!!私はあんたと心中するのは真っ平御免だ!!」

「どの道死ぬんならこのままお前が凍え死ぬのを見届けてやる!!」

「殺す気があったら入れ墨をわざわざ書き写すか!!お前は金塊を見つけるまで監禁するつもりだった!!」

「取り引きするのか!しないのか!!どうなんだッ!!」

「〜〜〜ッ分かったから!!川に入ってタマを探せえええええ!!!」


その瞬間、囚人は嘔吐き、その口から一本の糸に繋がれた長細い何かが生まれた。
正確には生まれたように口から出てきた。
弾を探せと口論していた水城はその突然の事に『…は?』と声を零す。
そんな水城をよそに男は歯に引っ掛け飲み込んでいたソレを包んだ紙を破き、中身を水城に見せる。


「牢屋の鍵穴を撃って壊す時の備えさ…寒すぎて忘れてた…」

「おっ…お前ぇ!!」


それは一つの銃弾が握られており、今、水城の目に映る囚人は…後光がさし正に神様のようにも思えた。
しかし拝む暇もなく、乾いた木や皮の上に銃弾を置き、腰に差していた剣で銃弾を着火代わりにして火を起こした。
微かに火の粉が飛び、すかさず囚人と水城は一斉に息を吹きかける。
するとその努力が実ったのか完全に火が付き、その瞬間思わず2人は抱き合って喜んだ。

―――暫くして火も安定し、やっとちゃんとしたたき火が完成した。長い木を何本も崖に掛けその上に濡れた上着をそれぞれ広げて乾かす。
流石に裸にはなれず、水城は上着と中の着物、靴下、靴、マフラーを乾かす。


「入れ墨の囚人は全部で24名だ…果たして今どれくらい生き残っているのか…」


乾かしている間、囚人の男から水城は情報を得る。
取り引きは見逃す事だけだったが、共に生き残った共感からか渋ったものの囚人は話してくれた。
囚人は全部で24人。
2人目の囚人から聞いた話では殺し合いがはじまったときいたので、最初の時点で何人かは死んだと考えていいかもしれない。
生き残っていたとしても、今の段階で何人いるかも不明だ。
しかし少なくとも二人はすでに死んでいる事は確かである。
囚人の男の身体には入れ墨があり、金塊の事も聞いていた。
だが、2人目の囚人が残した『のっぺら坊』という男の情報はこの囚人もあまり詳しくはないようで、のっぺら坊やその仲間の事を知っているのは囚人の男ではなく、その囚人達を纏めていた『親玉』らしき男だという。


「親玉はどんな野郎だ?」


とは言え、新たな情報はあった。
この囚人の取り引きに乗って正解であったのだ。
水城の問いに男は応える。


「単なる政治犯の爺さんだと思ってた…大人しい模範囚さ…ところがどっこい、猫を被ってやがったんだ」


そういう囚人の男はまるで身震いするように腕を擦る。
囚人の男曰く、その親玉は囚人の男の目の前で屯田兵から軍刀を奪い三人の男をあっという間に切り殺したという。
後で知ったらしいが、その親玉はだた者ではなかったらしい。
その親玉の名は…―――土方歳三。
あの、新選組鬼の副長だったのだ。
とは言え、30年以上経っているのだから被っていた物を取った土方だという男の風貌は正に老人だった。
話だけだったら男も信じなかっただろう。
だが、目の前であっと言う間に三人の男を切り捨てるその動きを見てしまうと信じざるを得なかった。


「最後にひとつ教えてやる…俺達囚人はのっぺら坊にこう指示されていた…――『小樽に行け』とな」


乾いた靴下を履き、靴や上着に身に包みながら囚人の男はそう告げ、去っていった。
水城は取り引き通り、後を追うことなく彼を見送る。

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