静まり返る中、クツクツと煮立つ鍋を囲み水城は二人からの視線を受け居心地悪そうに身をくねらせた。
「で?」
コテンと頭を倒し上から覗き込むように見つめ…いや、睨むアシリパの声に水城はサッと目を逸らす。
膝の上からアシリパの真似をして『てぇ?』という可愛い声がし、それだけが水城の今の癒しである。
その癒しの存在を水城は壁代わりに脇に手を差し入れ持ち上げてアシリパから顔を隠す。
「む、息子…です…」
「ほう…杉元の
息子かぁ〜それは初めて聞いたなぁ」
「………………」
「
初めて聞いたなぁぁ?」
「ぅっ…は、はい…初めて…言いました…」
大事な事なので二度言いました。
そんなアシリパに水城は小さく『すみませんでした…』とぽつぽつ呟いた。
「杉元ぉ〜私とお前は相棒だと言ったよなぁ〜」
「はい…言いました…」
「なら何故
息子がいたと言わなかったぁ?聞いていたらお前を無理にコタンに泊めなかったんだぞぉ〜?」
「い、言い出し難かったのと……必要がないと…思ったからです…」
「すぅぎぃもぉとぉぉぉ〜!!私とお前は何か言ってみろぉ!」
「相棒ですぅぅ!」
明らかに怒っているアシリパに水城はしょんぼりとした。
今回の騒動は全部水城が突っ走った結果だ。
捕まったのも怪我を負ったのも全て水城の自業自得だ。
ただ、その中で三つほど得る物はあった。
一つはアシリパとの絆だ。
アシリパを巻き込みたくないからこの行動を起こしたが、彼女は水城が思う以上にちゃんと考えて行動していた事が分かった。
子供に見えても自分というものを理解しており、自分以上に相棒と言う関係をしっかりと理解していると水城は先ほど言われて気づいた。
二つ目はやはりこの腕の中にいる息子だろう。
やっと息子を腕に抱くことが出来た。
三つ目は…第七師団は完全な敵対関係だということだ。
軍自体も油断はならないが、今の段階ではっきりと敵だと言えるのは第七師団だけだという事が分かっただけ実りはあった。
ただ損は沢山ある。
怪我もそう。
刺青人皮を所有し金塊を探していると鶴見に知られた事もそう。
家を失ってしまったというのもそう。
そして…今現在、アシリパに叱られているのもそう。
反省していますと体を小さくする水城を見てられなくなったのか、それともお腹が空いたからか(十中八九後者だろう)白石が間に入る。
「まあまあアシリパちゃんもそんなに怒らないであげなって…杉元には杉元の事情っていうのがあるんだしさ」
白石はアシリパがこれほど責める理由を何となく察していた。
『青春だね〜甘酸っぱいね〜』とニヤニヤしていると『顔がうるさい!』と何故かストゥで殴られた。
『イッタァ!』と痛がる白石を水城の息子はキャッキャッと手を叩いて笑っていた。
何とも大物の予感がした。
頭を擦りながら白石は改めて水城が膝の上に乗せている息子を見る。
「しかしまあ…見事に母親に似たんだなぁ」
「え?私に似てるの目だけだけど?」
「え?」
「え?」
「あっ」
水城は息子の父親を知っているから父親に似ていると思うのは当たり前だが、世間からしたら水城が父親なのだ。
ついポロっと零れた言葉にアシリパと白石が同時に息子からこちらに顔を上げた。
それに自分の失言に気付き水城は慌てて口を手で塞ぐがもう意味はない。
アシリパは立ち上がり『すぅぎぃもぉとぉぉ』とストゥをパシパシと鳴らし水城を見下ろした。
ジリジリと近づく彼女に水城はつい息子を抱きしめ首を振る。
「い、いや!信用していなかったわけじゃないの!!」
「じゃあなぁんで言わなかったぁ?」
「い、言うタイミングがなかったの!ただそれだけなの!!」
「言うタイミングはあっただろうが!」
「い"―――っっ」
息子に当たるからとアシリパは水城の額をストゥで突く。
思いっきり突かれた水城は再会した直後に受けたストゥの痛みよりマシであるが、激痛に近い痛みが走る。
『いっったぁ』と赤くなっている額を擦れば息子が心配そうに『たいたい?かぁ、たいたい?』と母を見上げ手を伸ばす。
心配してくれる息子に『大丈夫よ』と安心させるよう笑みを浮かべ息子が撫でやすように屈む。
白石は『あんな化け物が女とか…マジかよ』と絶句しており、アシリパは仲睦まじい親子の姿に肩をすくめ元いた場所に座り直すが…
「あ」
と何かを思い出したように声を零した。
その声に水城と白石がアシリパの方へ目をやれば、アシリパは二人ではなく水城の息子へ目線をやり指を指していた。
その指さしに水城も白石もアシリパから息子へ視線を移すが何も変化はなく、再びアシリパへ視線を戻す。
「どうしたの、アシリパさん」
「アチャ…」
「あちゃ?――――あ…」
息子を指さすアシリパに首を傾げていたが、ポツリと父親という意味のアイヌ語だけ呟く。
それに更に首を傾げたが、水城はアシリパが何が言いたいのか理解し、その瞬間彼らの方へ体を向けていた息子をくるりと自分の胸元に顔を埋める様に体勢を変えた。
そんな水城にアシリパはじっと水城を見つめ、水城はアシリパの目線から逃れる様にそっぽを向き、そんな2人の様子を白石はハテナマークを浮かべながら見比べていた。
「…杉元…お前…
夫を殺したのか…」
「いや!あいつ死んでなかったから!!生きてたから!!――――ってそうじゃなくって!!坊の父親はいないから!!死んだから!!葬式も終わらせたから!!!」
「いや杉元…もう前半で答え言っているしそれ無理あると思うぞ…」
「うぅ…でもぉ…坊にアチャはいないのぉ〜!!死んだのよぉぉ!!」
アシリパは息子の父親らしい男が生きているのをまだ知らない。
息子を抱きしめ駄々を捏ねる水城にアシリパは呆れた目で見つめていた。
生きているやら死んでいるやら蚊帳の外の白石は全くちんぷんかんぷんである。
「おいおい二人だけで会話を成立させるなよ!俺にも分かるように説明してくれ!!一応仲間だぞ!?」
仲間、という言葉に当てはまらないほど白石と二人の関係は薄いが、一応一味ではある。
蚊帳の外であるのに少し寂しさを覚える白石がそう問えば『いやだから!坊の父親は死んだから!もうこの世にいないから!!』とばかり言う水城に代わってアシリパが説明してくれた。
「白石と初めて会った前の日、私と杉元は子供のアチャで杉元の
夫と会ったんだ」
「だからあいつは父親でも夫でもないってばぁ!!」
「で、杉元は自分の
夫を容赦なく腕を折って殺そうとして銃で殴って川に捨てた」
「ちょっとアシリパさん!?最後なんか違うよ!?脚色してるよ!?あれは勝手に落ちたんだよ!?」
「でも銃を投げて落としたのお前じゃないか」
「だってあれ偶然じゃん!あいつの運の悪さじゃん!!日頃の行いじゃん!!!」
(腕を折って殺そうとして銃で殴った事は否定しないんだ…)
川に落とした事もある意味否定していない。
白石自身も川に落ちた経験があるので、あれは知らなければどう見ても死んだと考えるだろう。
白石はその息子の父親の顔は知らないが、アシリパの言葉が本当なら子供まで作った関係の男を水城は躊躇なく殺そうとしたのだろう。
だが双子の片割れのはらわたを取り出す水城を思い出し、白石は納得した。
「その父親ってそんなにそっくりなのか?」
水城の過去に何があって父親となる相手と対立することになったかは分からないが、一度しか会ったことがないであろうアシリパでもすぐに面影を重ねるほど息子とその父親は似ているのかと白石は疑問に思う。
普通両親のどこかを受け継ぐにしろすぐに面影を重ねるほど似ている子供はあまりいない。
そう問えばやっぱり水城ではなくアシリパが頷いた。
「そっくりだぞ…白石もそいつと会えばすぐ父親だと気づくだろうな」
「ええぇ〜??そんなにぃ??」
強く頷いて肯定するアシリパに白石は少しだけ子供の父親に会うのが楽しみになった。
しかし水城と対立しているということはそれなりにやばい奴なのだろうからあまり会いたくはないが…興味は沸いた。
「でも坊の方があいつより可愛いわよ〜?ね〜、坊〜?」
「ねぇ〜」
水城は二人の会話を聞きながら息子の脇に手を差し入れ抱き上げて顔を見合う。
ねー、と小首をかしげて見せれば、息子は分かっていないが母の真似をしてコテンと首を横に動かす。
それを見て水城は『ほら可愛い』と満面の笑みを浮かべた。
アシリパはその光景を見て『あいつ、意外と親馬鹿だったんだな』と新発見するが、ふと気づく。
「なあ、杉元」
「ん?なに?アシリパさん」
「
息子の名前はなんて言うんだ?」
うりうり、と息子の頬と自分の頬をくっ付けて頬ずりすると息子は嬉しそうな甲高い声を上げた。
それが更に愛らしく感じていた水城だったが、アシリパの問いにカチンと固まる。
その反応にアシリパは全てを察し、再びストゥを手に取った。
「お前…まさか…まだ名前付けていないと言うんじゃないだろうな…」
「…ぼ、坊は…坊だから…」
息子を抱きしめながらそっと目を逸らす水城にアシリパは立ち上がった。
それに水城はすかさず後ずさる。
だが仮小屋であるクチャは多くて大人4人ほどしか入れない狭い小屋であるため、すぐに行き止まりになる。
「すぅ〜ぎぃ〜もぉ〜とぉぉ〜〜」
「い、一応!!一応あるのよ!!ちゃんと考えてはいるのよ!!!」
「じゃあなぜその名で呼ばない?」
「そ、それは…」
全て坊で済んでいたから、というのも大体はある。
チヨ達以外の周りも名前を付けた方がいいと言っていたが、簡単に名前を付けることはできなかった。
水城はアシリパの問いに答えられなかった。
水城の雰囲気で何か事情があると察したのか、アシリパは座り直しストゥを置き水城が話してくれるのを待った。
「名前を呼べない何か事情があるのか?」
二人のやり取りを聞きながら鍋番をしていた白石のその問いに水城は口を閉ざし、目を伏せる。
目を伏せると抱きしめている息子の頭が見えた。
母の視線に気づいたのか顔を上げ母を見上げる。
息子は父親に瓜二つだが、唯一自分の血が繋がっていると確信が持てるのは自分と同じ琥珀色の目だ。
この目が水城は好きだった。
自分と同じ色なのに、息子の方が綺麗に見える。
水城はふくふくとした息子の頬を撫でながらポツポツと呟く。
「この子の名前は
静秋…養父と養母の名前を借りようと思ってるの…」
「養父?養母?」
「私、拾われっ子なの」
坊と呼んでいたが、息子の名前を考えていないわけではなかった。
ただ名付けていいのか悩んで今まで呼べなかったのだ。
アシリパと白石は父と母ではなく、養父と養母と言う水城にお互い顔を見合わせた。
そんな2人に水城は全てではなく、養女だということだけを伝える。
「シサムでは両親の名前を借りるのはいけない事なのか?」
「いや、両親から名前を取るなんて普通だろ?昔の偉人もそのせいで大体似たり寄ったりな名前になっててややこしいし」
アイヌとして生まれ育ったアシリパは水城の悩みどころが分からず白石に聞く。
だが白石もなぜそんな事で悩むのか全く理解ができなかった。
「私はあの人達から大切な物を奪ってしまったから…そんな私が…あの人達の名前を息子につけていいのか…分からなくって…」
菊之丞は水城がいなくとも吉平が蹴り落としていただろう。
だが唯一残った跡取りさえ水城が奪ったようなものだ。
自分があの家に、父に拾われなければ、きっとあの家にはまだ吉平という跡取りは残っていたはず。
母に負担を掛けさせなくて済んだはずなのだ。
母の大切な家族を奪ったも同然だ。
だから迷っていた。
息子の名前に両親の名前の一文字を入れていいのか…
そう思うのならやめればいいと誰もが言うだろう。
だが父と母を水城は深く愛し、慕っていたからこそ、愛する息子につけたいと思ったのだ。
うだうだ悩む水城だったが…
「いいんじゃないか?」
あっけらかんというアシリパの言葉に呆気に取られた。
きょとんと呆ける水城をよそにアシリパは真っ直ぐ水城を見つめる。
「私は杉元の話を聞いて両親はお前を愛していたと感じた」
「ええ…本当の娘のように愛してくれたわ」
「なら何を迷う事がある…娘が産んだ子供に自分達の名前が付けられて喜ばない親はいないと私は思う」
「…………」
アシリパの言葉は何故かすんなりと水城の心に入って来た。
水城は母が苦しんでいるとばかり考えすぎてアシリパの言葉のような考えは浮かばなかった。
「そう、かしら…そう思って、くれるかしら…」
「勿論だ!私が親なら嬉しいと思うぞ」
アシリパは水城がどんな茨の道を進んでいるのか、知らないから言えるのだろう。
白石もウンウンと頷いているのは水城がどんな事をされてきたのか知らないからだろう。
だけどそんな2人の言葉や反応に水城は救われた。
水城は母を見上げる息子を見下ろし、微笑む。
「坊…いえ、静秋……あなたは今日から静秋よ」
その表情は正しく母そのものだった。
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