水城は今、アシリパと白石と三人で海に来ていた。
最近フラフラしていた白石が情報を持って来たのだ。
何故か怪我をしていたが、白石曰く『ヤン衆』というニシン漁のために集められ雇われている集団がおり、殺された人が何人かいるらしく犯人の目星もついていると言う。
犯人の名は、辺見和雄といい、100人以上の人間を殺しながら各地を転々としていた殺人鬼らしい。
なぜ、その男が犯人かと言えば、死体に文字が彫られていたからだと言う。
水城はその辺見という男はよくわからないが、白石は辺見とも親しかったらしく白石が言うのならそうなのだろう。
その話を聞いてアシリパが叔父が心配だと言った。
どうやらマカナックル達は海岸にクジラを獲りに行っているらしい。
そんな殺人鬼がいるところに狩りに行っている叔父が心配だと言うアシリパの言葉は賛同する。
だがその目は確かにクジラという食材を求めた目でもあった。
マカナックルも心配だが、囚人がその海岸にいるなら行かないわけにはいかないだろう。
海に到着すると三人は一斉にその場で飛び上がり、着地しきゃっきゃと笑った。
「しかし、いいのか?大事な坊を谷垣に預けて」
山ばかりの風景から一転し、海が広がる光景と潮風の匂いに殺人鬼を追って来たというのに水城は胸を高まらせた。
生まれた地も育った地も海とは無縁の土地だったから少し興味深く海を見渡していると白石に声を掛けられる。
あの後水城は隠す必要もなくなりマフラーを自分の首に巻き、以前のような警戒心はなかった。
息子は白石同様谷垣を最初から警戒しておらず、どちらかと言えば懐いている方だ。
他のアイヌの男性にも態度は変わらず、水城は『息子の基準が分からない』と思う。
今日も谷垣がいるのに水城はフチに息子を預けこうして海に出かけている。
普段なら相手を警戒しているのに、最近はやけに谷垣を意識しなくなった。
それを指摘すれば水城は白石の問いにニコリと笑った。
「大丈夫大丈夫――――もう釘は打ってあるから」
そう言ってニコッと笑うその姿は水城という人間を知らなければ白石も惚れていたほど美しかった。
背景に海というのもあり、海に反射する太陽の光がキラキラと輝き、傷や男装要素があろうと水城を光り輝かせていた。
だがそんな水城に白石は惚れるよりもぞっとさせた。
白石やアシリパがいない間に谷垣と接触したらしい。
何をどうしたら釘を打った事になるのか想像したくなかった白石はそこはあえて触れずにいた。
『そっかぁ〜そうなんだぁ〜』、と遠い目をしつつ笑顔を張り付けていると遠くから男性の声がした。
「アシリパーー!!」
「アチャポ!」
「お前達いい時に来た!!」
それはくじらの漁をしていたマカナックルがアシリパ達の姿を見て駆け寄ってきた。
マカナックルのいい時に来たという言葉に三人はお互い顔を見合わせる。
マカナックルによれば、別のコタンのアイヌがくじらを見つけてモリを突いたらしいが昨日からずっと沿岸を引っ張り回されていると言う。
加勢してやりたいが、丁度漕ぎ手が水汲みにいってしまったらしく困っていたところアシリパ達を見つけた…との事だった。
それよりも囚人を見つけたい水城だったが、息子の世話を頼んでいる手前断るに断り切れなかった。
結局三人はマカナックルや他のアイヌ達と共に三つの船に別れて捕鯨の加勢に向かった。
「クジラは?」
水城とアシリパはマカナックルと一緒に船に乗り、余った白石は他のアイヌと同じ船に乗る。
そのアイヌ達と合流したもののクジラの姿はなく、水城の疑問に応えたのはモリを持ったマカナックルだった。
「
フンペは潜ってる…でもそのうち息をするために上がってくる…姿を見せたらこの
キテで投げ飛ばす」
マカナックルはそう説明してやりながらもう一本のモリを水城に渡した。
モリの先には毒が塗ってあると注意され、気を付けながら水城はそのモリを受け取る。
このモリは独特で、獲物に刺さると先だけが体内に残り結んである縄で得物をたぐり寄せると言う。
モリ先には持ち主の印が彫ってあり、逃げられたとしてもそのモリ先が残っている限り自分の得物だと主張できるという。
それをフムフムと聞いていると、潜っていた鯨が姿を現したらしい。
「あッ!来るぞ!杉元!!」
マカナックルの声かけにアシリパの説明を聞いていた水城も気を引き締め船から鯨を覗き込めば―――水城はその姿に息を呑んだ。
「すごい…!大きい…!」
水城は自分達の乗る小舟よりも何倍…いや、何百倍もするであろうクジラの影に目を丸くして驚いた。
場合が場合でなければ感激し、息子もこの場にいれば大いに喜んでいただろう。
だが、今はそんな平和な時間ではない。
「首だ!首を狙え!杉元!首の皮膚が柔らかいんだ!!」
「どこが首か分からないわよ!!」
潮を吹きながらクジラは呼吸しに顔を覗かせた。
その大きさから顔を覗かせただけでも波打ち、船が大きく揺れる。
水城は軍人時代に見た事があるため海が初めてというわけではないが、ここまで大きなクジラを見たのは初めてだった。
指示をされた通りの場所に打ちたいものの、鹿や熊と違った形状のクジラにパッと見て分かるほどの首が見当たらない。
愚痴りながらも水城は此処であろうかと思う場所に思いっきりモリを打つ。
勘ではあったが、水城が投げたモリは見事に命中しそれに水城は喜んでいたが、まだ生きているクジラは驚いたのか、それとも痛みから苦れようとしているのか、船を引っ張るように泳ぎ始めた。
「うおぉ!すげぇ勢いで引っ張り出した!!」
「振り落とされるな!!この時期の海でも死ぬには充分な冷たさだぞ!」
水城も勢いよく引っ張られ揺れる船にしがみ付き、何とか落ちるのは免れた。
海を進むクジラに引っ張られてしまうとその速さと力からオールで扱ぐことも止める事もできない。
クジラが力尽きるまで待つしかないのだが、歌う声が耳に入る。
そちらに目をやればヤン衆がニシンを獲っていた。
「オーイ!突っ込むぞ!気を付けろ!!」
白石がクジラが進む進行方向にいるヤン衆に大声そう声を掛けるもヤン衆には聞こえていなかった。
ただ何かこちらに話しかけていると言うのは認識してもらえているようで、何人かは白石達に振り返っていた。
だが何度も叫んだが結局気づかれる事はなく、白石が何か叫んでいたのか理解するよりも前に一人の漁師がクジラの起こした波に煽られ転落した。
「漁師が落ちた!」
「助けよう!!あっちの船はデカイから岸まで戻るのに時間がかかる!早く火に当たって暖めないと低体温症で死ぬ!」
「わかった!綱を切る!」
マカナックルの言葉でアシリパと水城も落ちたのに気づく。
漁師の仲間が助けようとしていたが、クジラのせいで波も荒くあちらの船の方が高さがあったため水城達が助け出した方が早いと判断した。
「白石!頼んだぞ!!クジラの分け前をしっかり貰って来い!!」
「ええええ!?」
マカナックルと水城とでニシンの漁師を引き上げる。
すぐに引き上げたので低体温症にはまだなっていないが、ここからが勝負どころである。
岸にある漁場にはニシン加工用のたき火があると言うので急いでそちらに向かって扱ぐ。
するとか細い声で漁師が寒さから震える声ぽつぽつと呟いた。
「ありがとう…ありがとう…海に落ちて死ぬなんて…こんな死に方…絶対イヤだ……こんなつまらない死に方…」
その呟きに水城は漕ぎながら漁師を見る。
穏やかそうな青年だが、今は寒さからか顔を青ざめていた。
水城はそんな青年の呟きに何も答えなかった。
応えてあげる言葉が、水城にはないのだ。
「杉元!私は一人で白石達を追ってみる!後は任せた!アシリパの面倒も頼んだぞ!」
「分かった!」
寒すぎて震えている青年を何とかたき火の場所まで運ぶと、白石達が心配なのかマカナックルは後を水城とアシリパに任せ先に戻っていった。
「ふううう…暖かい…命拾いした…」
マカナックルを見送っていた水城だったが青年の心底ほっとした声に視線を青年の方へ向ける。
青年は手をたき火に向け正面に座り込んでいるだけで、背中を温めようとはしなかった。
水城は以前言われた事を思い出す。
「お兄さん、背中も暖めた方がいいよ」
「えっ!?」
「確か…『背中あぶり』って言って…アイヌ語だと…セトル……なんだっけ、アシリパさん」
「セトゥルセセッカ」
鹿を自分と重ねてしまい殺し損ねた水城が以前アシリパに言われた事を思い出しそれを伝える。
アイヌ語は中々難しく、一度では覚えきれないためアシリパに問うと教えてくれた。
『そうそれ』と言って青年を見る水城に青年は『そ、そうですか…』とか細い声で返事をした。
「濡れた服もそこで全部脱いじゃえば?」
「え!?こ、ここで服を!?」
べったりとくっつく服にも体の体温は持っていかれる。
そう思って脱ぐことを提案するも何故か青年はギョッとさせた。
「あ、あの…なんていうか…見られてる前で全部脱ぐのは恥ずかしいです…」
「へ?恥ずかしい?」
脱ぐよう言われ渋々上着に手を伸ばすが、中々脱ごうとしない。
恥ずかしいという青年に水城とアシリパはお互い顔を見合わせ、それに青年はゴクリと喉を鳴らす。
「じゃあ、毛布使う?」
確かに、と青年の言葉に水城は頷き畳んで背負っている毛布を取り出した。
青年は『優しい!』と思いながら言葉に甘え、毛布を借りて脱ぎだした。
青年は服を脱ぎほぼ全裸となり火にあたっていた。
暖まりながら青年はチラリと水城を見る。
水城は別の方へ目をやっており青年の視線には気づいていなかった。
気付かれる前に青年は水城から視線を外した。
(優しいな、この人…この人は違うのかな………でも、何故か気になるこの雰囲気…そう、この人からは僕と同じニオイがする…)
青年はもう一度水城に目線をやり、ついでに匂いを嗅ぐ。
本来ならこんな離れた場所からは水城の匂いは嗅げないが、なぜか青年には水城の匂いが分かった気がした。
水城からは自分と同じ匂いを感じた…
――――青年と同じ、人殺しの匂いが。
青年の名は辺見和雄…
白石と同じ暗号の入れ墨が入れられている囚人だった。
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