はあ、と辺見はうっとりと溜息を吐き恍惚の表情で水城を見ていた。
これから、この人は自分を殺してくれるだろうか。
それとも自分に殺されてしまうのだろうか。
水城に恋をしてしまった辺見は今からでも殺し殺される場面を想像し楽しみで仕方なかった。
しかし…辺見は思い出す。
「あ…」
辺見はトイレに向かったアイヌの少女を思い出し、そこに"置いたもの"を思い出し声を零してしまう。
着替える時殺した男を便器の中に入れておいたのを思い出した。
その男は風邪で寝込んでいたらしく、着替えの時辺見の身体に彫られている入れ墨を見てしまった。
たったそれだけで男は首を絞められ殺されたのだ。
それも外から水城が辺見と話している時、もがいていたが生きていたのだ。
「どうした?」
突然トイレの方へ振り返った辺見に水城は首を傾げ声を掛ける。
その声に辺見は『い、いえ』と笑って返し、アイヌの少女が戻る前に水城をここから離れなければと立ち上がって水城の腕を引っ張る。
「そ、そうだ!杉元さんに見せたいものがあったんです!来てください」
「え?でもアシリパさんがまだ…それにもう行かないと…」
「すぐ!!すぐですから!!ね!!」
腕を引っ張られ立ち上がった水城はどこかへ移動させられそうになった。
しかしアシリパがクジラを気にしており、水城もマカナックルや白石達が気になり、アシリパが戻ってきたらお暇しようと思っていた。
だが辺見は自分に何かを見せたがっており、渋ったものの水城は押しに弱いのか『すぐ』という言葉を信じてアシリパに声を掛ける暇もなく外に出た。
「見せたいものってなに?」
「え?あ、ああ…こちらです…」
水城の問いに辺見は曖昧に返す。
辺見は今、水城と自分の邪魔が入らない場所を探すのに忙しかった。
暫く歩き、辺見はニシン業に欠かせない道具を手に取って水城に見せる。
「こっちは『粕叩き』、これは『こまざらい』…どれもニシン粕を砕いて拡げ乾燥させる道具です…杉元さんはどれが(僕の頭をカチ割るのに)お気に入りですか?それともやっぱりこの玉切り包丁?」
「いや、だからさ…私達はもう行くよ…ニシン漬けご馳走様」
「あっ…」
どれも水城に殺される前提で見せ、密かに自分を殺す際の道具を水城に選ばせようとした。
だが、アシリパも探しているだろうと水城は申し訳なさそうにしながら辺見と別れようとした。
しかし、振り返った水城は視界に収まったそれに咄嗟に巻いたマフラーで顔を隠す。
「第七師団…!!」
そう慌てたように言って背を向ける。
水城が向かおうとした方向には軍人が数人いた。
遠目でもそれが第七師団だと分かり水城は冷や汗を流し、そんな焦った様子の水城を見て辺見は首を傾げる。
「見つかるとまずいんですか?」
「私を探してるわけじゃないと思うけど…見つかるとタダじゃすまされないんだよ…」
水城は鶴見の勧誘を蹴ったあげく、逃げ出し、兵舎に火をかけた。
鶴見は分からないが、第七師団の兵達の中には相当水城を恨んでいる者もいるだろう。
特に双子の片割れは。
こそこそと話す水城の言葉に辺見は成程と思う。
(僕のまいたエサに第七師団まで…)
いつもならぞくぞくとさせる展開だが、今、辺見は水城一筋である。
自分と水城の大切な時間(殺し合い)を邪魔されてはたまらないと玉切り包丁を持ちながら水城の手を取って匿おうと走る。
「あそこに匿ってもらいましょう!親方が住む豪邸で隠れるところがいっぱいあります!!」
向かったのはこのあたりで唯一の豪邸、ニシン業の親方の家だった。
すぐそばだったためすぐに着いたのだが、勝手に裏口から入る辺見に水城は戸惑う。
「勝手に裏から入っていいのか?」
「緊急避難です!」
気付かれれば追い出されるが、とにかく辺見は今水城と二人きりになれる場所に行きたかった。
水城との時間(殺し合い)を邪魔するのなら、例え軍人といえど許せない。
しかし、上に隠れようとし階段を上がったその時…――二階に軍人二人がこちらを振り返った。
(やばい…!ここにも来てた…!)
水城は軍人二人と目と目が会う前に咄嗟に階段を降りる。
だが、軍帽が軍人からも見えたらしく上から『今の軍帽、不死身の杉元じゃないか?』という会話が聞こえ、水城は静かに肩にかけていた銃を手に取る。
「親方のお客様ですね?ここにいらしたのですか!探しましたよぉ!今すぐお茶をお出ししますのでどうぞそちらでおくつろぎください!」
水城が隠れたのを見て辺見が助け舟を出してくれた。
お茶を頼まれたフリをし、ここに留まらせようとしてくれたのだが…
「どけ」
「今降りていったのは杉元だな?」
軍人は誤魔化されなかった。
軍人二人は辺見を押し退け銃を構えながら階段を降りようとした。
辺見が違うと答えても聞く耳を持たず、水城は近づいてくる声や足音に銃に弾を装弾しボルトハンドルを押し入れる。
緊迫した一瞬であったが、次の瞬間銃声が一発響き水城は息を呑んだ。
その時辺見が階段から転がるように落下し、水城は慌てて駆け寄る。
「どうした!?撃たれたのか!?」
「杉元さん…僕…怖かったぁ」
「っ善良な一般人を撃つなんて…!!」
駆け寄って抱き起せば脇腹辺りに赤い血がべっとりとついており、抑える手からも流れ出ているところから軍人は無抵抗の辺見を撃ったのだろう。
辺見は軍人を避けるような男に怪しむでもなく事情も聞かず匿おうとしてくれた優しい男だ。
そんな男を匿おうとして怪しいと思ったからと言って撃つのは犯罪者とそう変わらないではないか!、と水城は憤怒した。
しかし、実際は水城に気を取られ背中を見せた軍人の1人を辺見が持っていた玉切り包丁で首裏を斬り殺し、続いて傍にいたもう一人の軍人を殺そうと顔に包丁を突き刺した際に反撃として撃たれたものである。
辺見は恐怖で水城にすり寄ったわけではなかったのだ。
それに気づかない水城はとにかくここから離れようと怪我をした辺見に肩を貸してやり歩こうとした。
しかし…会いたくもない人物と再会することになる。
「奇遇だな、不死身の杉元」
「!―――鶴見中尉!!」
あの勧誘以来の再会に水城は感激するよりも焦りが強い。
こちらは一人のうえに怪我人を抱えており、あちらは軍隊を率いている上官だ。
どちらが不利なのか、考えなくても分かる。
しかしここで鶴見と素直にやりあうほど水城は馬鹿ではなく、逃げるつもりではいた。
しかし、
「泥棒カモメが御殿まで入ってきたか!!試し撃ちに丁度いいわ!!!」
襖の向こうから機関銃が乱射され、水城は慌てて辺見を連れて屋敷を出る。
脇腹を怪我している辺見を気遣う余裕もなく走る水城を辺見は頬を赤らめ見惚れていた。
そんな辺見に気付かず水城は岸に向かい走る。
丁度砂浜にはクジラが上がったらしくその傍に白石が立っていた。
「白石!!!第七師団が来てるぞ!!船に乗れ!!」
辺見に『あともう少しだから頑張れ』と励ましながら手を引き白石に向かって叫びながら走る。
その声に白石も気づき振り返って水城を見た。
しかし水城の後ろにいる人物を見てぎょっとさせた。
「杉元ウシローッ!そいつが辺見和雄だぞッ!!」
白石の言葉によって繋がれていた水城と辺見の手は離れてしまった。
水城は白石の言葉に目を丸くしたが、その後ろではあれほど恋い焦がれていた相手を殺そうと持っていた包丁を振り上げている辺見がいた。
水城が振り返り受け身を取る前に遠くから追いついたアシリパが放った矢が辺見の腕に当たり水城は助けられた。
それでも水城に向かって玉切り包丁を振り下ろす辺見の包丁を水城はすぐさま振り返り銃で受け止め、素早く腰に差していた剣を抜き取り、辺見の脇腹に数回刺す。
(杉元さん…!全力で抗いますのでどうか僕を…!煌めかせてください!!)
水城が刺した痛みが全身に行き渡る。
口は血を吐き出し鉄の味しかせず、ジクジクとした痛みが脇腹を襲う。
それら全て水城がしたものだ。
そう、水城が自分のために、してくれた痛みだ。
普通なら痛みに顔を顰めるが、今の辺見は水城しか見ておらず、うっとりと水城を見つめていた。
そんな辺見を目の当たりにしても水城も辺見を…入れ墨の事しか頭になく、穏やかな表情は今や殺意しか感じられず辺見を睨みつけていた。
「戦場には沢山の命のきらめきがあったのでしょうね…僕も見たかったな…」
そう残念そうに語る辺見に水城は無言で返す。
その間も辺見から視線を逸らすことなく静かな殺意の籠った目に見られ辺見はある部分が熱くなった気がした。
「『不死身の杉元』…さっきそう呼ばれてましたね…分かる気がします…あなたも輝いて死にたいからこそ戦うんだ…僕もあなたのようになりたいです…だから殺してください…全力で抗います」
辺見の言葉に水城は銃に剣を装着し、ガチャリと固定する。
その間にも負って来た第七師団が肉眼でも確認できるほど近づいてきているらしく、二人の…いや、辺見は水城しか見えていないため、水城の耳に白石の焦った声が届く。
それでも水城は焦りを見せず真っすぐ辺見を見据えた。
「私は死ぬつもりなんてない…絶対にまだ死ねない」
死ぬ時は安らかに死のうとは思っていないが、簡単に死のうとは思っていない。
まだやる事が沢山あるのだ。
金塊を見つけなければならず、梅子の目の治療だってある。
何より水城は息子の成長を見届けなくてはならない。
せめて息子が成人し独り立ちするまでは意地でも生き抜いてやるつもりだった。
孫には会いたいと思うが、それは水城にとって贅沢であった。
水城が殺してきた人達の中には結婚だってする予定の人もいたし、息子が生まれる人もいたはず。
中には孫の誕生を見ることなく死んだ者もいるはずなのだ。
自分ばかり我が儘は言えなかった。
そんな水城に辺見は感激したように声を震わせうっとりと見つめる。
「それですよ!!その思いが強いほど強く激しく煌めくんです!!」
本当に、水城は辺見にとって理想の人間だった。
ここまで理想通りの人間に会ったのは初めてで、この胸の高まりは弟が食い殺されるところを見た頃と同じだった。
辺見には水城は煌々と輝いて見え、今日彼と出会えた事の喜びに信じていない神の足にキスどころか舐めてもいいくらいだった。
水城は辺見に惚れられているとは知らず、しかし彼の想いを受け止めた。
「分かった…それじゃあ、とことん一緒に煌めこうか」
銃を構えながら水城は殺気に満ちた表情を一変し、微笑みを浮かべた。
その背後には辺見にしか見えないはずの輝きが見えた気がした。
辺見はその水城の笑みや言葉に心から胸を震わせた。
「ああっ!なんて素敵な人!僕はきっとあなたに会うために…」
うっとりとさせながらも辺見は水城に向かって詰め寄る。
それに水城は冷静に銃を放った。
だがそれを寸前で辺見は包丁を持っていない手で軽く払い水城の懐に狙って包丁を突き付けた。
水城はそれを体を捻らせて避け、思いっきり銃床を辺見の背中に叩きつけた。
叩きつけられた勢いで辺見は地面に倒れ、その痛みと衝撃にまるで嬌声のような声を零す。
それに気にもとめず水城は銃を放とうとコッキングを行うのだが、銃弾が詰まりジャムらせてしまう。
起き上がろうとする辺見に仕方なく水城は銃につけた剣を辺見の胸元へ向かって降ろすように突きつけた。
「ふぬうああああっ!!」
辺見はそれに気づき剣を素手で掴んで止めようとした。
しかし手は剣で切れ、その傷から出てくる血で滑っていきギリギリと押さえながらも水城が押し付ける様に体重を掛けるため、少しずつ辺見の体を貫こうと剣先が入っていく。
「おおおお!はあああッ!入ってくるウッ!!」
水城は更に体重を掛け辺見の心臓目掛け剣を刺し入れていく。
辺見は全身で水城を感じていた。
今全身に走るこの痛みは全て水城が起こしたものだ。
あの妄想とは違い、脇腹を刺した時とは違い、確実な殺意がある。
自分に真っすぐ向けられる殺意を込められた痛み。
自分を殺す事しか考えていない鋭い瞳。
その瞳には、その頭には、自分しか映っていないのだ。
それがまたたまらなかった。
「杉元さん…僕の事…忘れないでくださいね…」
殺し合いは水城の勝ちだ。
抵抗を弱めないわけではないが、このまま逆転するほどの力は辺見にはない。
なら口が回る今のうちにお願い事をする辺見に水城は表情を和らげ微笑みを浮かべる。
「引っ剥がしたあなたの入れ墨を広げるたびに思い出すわ…」
穏やかな声、優しい瞳。
それさえも辺見には心地良かった。
「ああ…生きてて良かった…」
辺見は本当に今日まで生きていて良かったと思えた。
そう心から思えたその時――――
―――突然シャチが現れ水城から辺見を横取りした。
「えーーーッ!!?」
水城はあまりの突然のことで声を上げ驚いた。
殺し合っている間、水城も辺見しか視界に納めておらず、辺見しか見ていなかった。
まさか第七師団でもなく人間でもない動物に辺見を横取りされるとは誰が思うだろうか。
シャチは辺見の腕を咥えそのまま海に引きずり込んでしまう。
「アシリパさん!!白石!船に乗って!!入れ墨がシャチに食べられちゃう!!!辺見和雄を取り戻すよ!!!」
「どうやって!?」
水城はアシリパと白石に船を用意してもらい自分も急いで船に乗り白石と水城とで漕いでシャチに向かう。
取り戻すと水城は言うが海の生き物相手に人間がどうやって取り戻すのかそう白石は思うもののぼうっとしていれば置いていかれるし、置いていかれた置いていかれたで後ろからは第七師団が迫ってきているしで白石は乗るという選択肢しか残っていなかった。
水城達が急いでシャチの元へ向かっている途中、シャチが何故か横取りした辺見を投げ捨てる様に振り回しはじめた。
シャチはアザラシなど捕まえた時、投げ飛ばしたり尾びれで跳ね飛ばしたりする謎の行動をする。
まだ確実な解明はされていないが、その行動は子供に狩りを教えるという説や、獲物の抵抗を完全になくすと言う説などがあるらしい。
シャチの謎の行動に呆気に取られた白石だったが、ふと視界に第七師団が映り込む。
「第七師団だ!!アイヌの船を奪って追って来た!!」
第七師団はアイヌから船を奪いここまで追いかけてきた。
辺見と戦っていた時は後から掻っ攫う気だったが、今は辺見は水城の獲物というわけではなく、シャチの得物となってしまった。
シャチから奪った者が辺見(の入れ墨)を得るのだ。
「何のつもりにしてもシャチがすぐ食べないならその隙に取り戻すしかない!!」
相手がサメでなかっただけまだいいかもしれない。
遊んでいるにせよ、抵抗をなくしているにせよ、奪い返せるチャンスがあるのなら、奪い返すしかない。
元々辺見は自分の得物だったのだ。
それを横から掻っ攫われて黙ってられるわけがない。
水城は急いで全ての服を脱ぐ。
そんな水城に気付いた白石がぎょっとさせる。
「お、おい!杉元!?こんな冷たい海に飛び込む気かよ!!」
「しょうがないでしょうが!!黙って見てたらシャチに食べられるかもしれないし!第七師団までいるんじゃのんびりしてられないわよ!!」
もう言葉使いに構ってられないほど水城は余裕がなかった。
美人の裸ではあるが、白石にとって水城は恐ろしい化け物という認識なため欲情するという自殺願望はない。
水城は意を決して海に飛び込んだ。
(ッ―――やっぱり冷たい…!でも…!!)
飛び込んだ瞬間、水城はその冷たさに息が止まりそうだった。
氷のような冷たさに手足がかじかみ、動きも鈍くなるが、気合でなんとか動かし、沈みかけている辺見を見つけて引き上げようとする。
だが、その下からシャチが迫ってきていた。
水城はそのシャチを蹴って危機を脱した。
だがそれだけでシャチを撃退できるはずもなく、上がった水城にシャチは向かってきていた。
「来るぞ杉元!!はやく船に上がれ!!」
白石の声に水城はかじかむ手で船に上がる。
その手はしっかりと辺見を握りしめており、水城が完全に船に乗り込んだのを見てアシリパがアイヌのモリでシャチを突いた。
「引っ張られるぞ!!捕まれ!!」
アシリパの言葉に2人は落とされないように船を掴む。
三人と、一人の遺体を乗せた船はあっという間に鶴見の前から消えていった。
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