(29 / 274) 原作沿い (29)

シャチのお陰でとんだ騒動になったが、シャチのお陰で鶴見から逃げる事も出来た。
シャチは打ち上げられ、水城達の胃の中に納まった。
基本生か鍋しかないアイヌ料理だが、途中で見つけた子持ち昆布と共に白石がシャチの脂肪で油を作り竜田揚げにして食べた。
その際人を殺した動物を食べてはいけないという教えもあって最初は手を付けなかったアシリパだったが、水城が辺見を殺したのは自分でシャチは辺見を殺してなんかいない、だから食べていいんじゃないかな…と言おうとした水城の『だから』という部分でアシリパは納得し速攻手を付けた。
その変わり身の早さに水城は何とも言えない表情を浮かべた。
そしてそれから数十キロ離れた場所に水城達は今日の宿にありつけることができた。


「寝床にありつけて運が良かったね」

「海岸で野宿なんて凍死するだろうしな…酒も手に入ったし極楽だぜ」


宿というのは宿屋ではなく、水城達がいた別の番屋であるが、野宿に比べれば十分だろう。
いつの間にか酒を何かと交換した白石は既に飲んでほんのりと酔っていた。


「今日は色々大変だったが…一番大変だったの杉元だったな」

「え?」

「あんな変人に好かれてたんだもなぁ…お疲れさん」

「は?」


水城は息子にお乳を与える事からあまり酒類などの物は口にしないようになった。
だから誘われたが断り、アシリパもおねむなため白石は一人寂しく飲んでいた。
水城はお茶を呑んでいると、酒を煽りながら呟かれたその言葉に首を傾げ白石を見た。
白石はほんのりと頬を赤らめながら『辺見だよ、辺見』と言うが水城は全く分かっていない様子を見せる。
その様子に白石は『うそだろ』と呟き、驚き過ぎて少し酔いが冷めていく。


「おま…えええ??ほんとにぃ??本当に気づいてないの??」

「…なんなの、何が言いたいわけ?」

「ええ…それでよく坊をこさえられたなぁ、お前…」

「あ"?」


白石の言葉に水城はギロリと睨み、その睨みにわざとらしく『ひい』と声を零し身を引かせた。
酔っているのでそれほど恐怖はないのに酒瓶を抱え怯えるように見せる白石に水城は睨みながら鼻を鳴らしそっぽを向く。
機嫌を悪くした水城にいつもの白石なら機嫌が直るまで放っておくが、今は酔っており気も大きくなっているのもあって続ける。


「辺見、お前に惚れてたぞ」

「はあ!?ありえないでしょ、それ…だって多分辺見、私を男だと思ってるはずだよ?」

「あいつにゃ関係ないだろ…自分を満たしてくれる相手だしな…それに軍にいたなら知ってるだろ?男は別に女じゃなくてもいいって」

「…………」


確かに、と白石の言葉に水城は無言で肯定する。
この手の話を白石は戸惑うことなく言葉に出来たのだから恐らく同じ男しかいない監獄の中も似たり寄ったりなのだろう。
看守がいるという点ではまだ監獄の方が健全なのかもしれないが。
しかし…


「辺見が私に惚れてた、ねぇ…」

「そういや鶴見って奴もお前にホの字だったっけ?お前、結構変な奴に好かれるんだな…案外坊の父親も変人だったりする?」


水城の頼みで刺青人皮を探したあの時、燃える兵舎を見上げながら鶴見が水城を逃がしたと心底残念がっており、『しかし、中々懐かない所がたまらないな』とも言っていたのを思い出す。
水城は白石の問いに『うーん…』と答えに悩む。
白石は冗談で言った。
『何馬鹿言ってんだ』と言ってくれるのを待っていたのだ。
だが実際は腕を組んで目を瞑り難しい表情で悩む反応をされ、『え』とつい声を零し水城を凝視してしまう。


「嘘だろ…本当に坊の父親って変人なの??」

「いやぁ…変人っていうか……とりあえず何考えてるか分からない男だよ…うちの元上官さ、自分の利になる人間以外は興味すらなかったんだけどあいつと鶴見中尉だけは毛嫌いしてたし…」


水城の言葉に白石は『まじかよー』と零す。
はっきり言って興味深々である。
水城は自分から過去を話す事はしたがらず、聞いてもあまり話したがらない。
そこまでの信頼がないというのもあるかもしれないが、アシリパにも話した事がないその話に白石は強い興味を持った。
酒のつまみもないのでそれもあるのだろう。


「坊の父親ってどんな奴?やっぱり軍人?」


戦争していたのだから母一人子一人はそう珍しくはない。
だが、アシリパと水城の会話からして父親は死んでいないようである。
何が原因で離婚したのか分からないが、とにかく白石は今、暇だった。
水城もそれは同じなのか、頷いて返す。


「へえ、同じ隊の人間なの?」

「いや、第七師団だった」

「え!?第七師団って今敵対関係にあるんじゃん!大丈夫なのか?夫婦なのに敵対しちゃって…」

「いや、だから!夫婦じゃないから!!あと坊の父親は死んだから!!」

「それ言ってる事違くなぁい??」


どうしても息子の父を亡き者にしている水城にますます白石は興味が湧いた。
今の白石からしたら離婚して意地でも認めない母親にしか見えなかった。
ニヤニヤ顔の白石に水城は『ぐっ』と言葉を詰まらせ、ガクリと俯く。
どうやら観念したらしい。


「確かに…坊の父親って認めはするけど…言っておくけどあいつとは夫婦とか恋仲とかじゃないから…ただ成り行きで坊が生まれただけだから…そこを間違えないでよ?」


白石は素直に認め水城にニヤケつきながら『へいへい』と酒を煽った。
キッと睨まれたが、殺意の籠った睨みではないので怖くもない。
逆に美人に睨まれ男として眼福である。
だが、だからこそ気になってもいた。


「なあ、再婚しないの?」


何がどう間違えて父親を認めないのかは分からないが、別れているつもりなら再婚という手もある。
結婚はしていないが、坊が新しい父親を得るという意味では同じだろう。
水城は顔に傷があるし男装しているが、容姿自体は悪くはない。
あの海で裸体を見たが体型も子供を産んだ体にしては悪くはなかったし、信じられない力を出すにしては筋肉達磨というわけでもない。
あの時サラシは付けたままだったが、あの潰れようは大きいはず。
顔が良くて豊満で体つきがいい女はそうそういない。
娼婦だって高級娼婦でなければ拝めないだろう。
なら、その気になれば男なんて選び放題だろう。
そう零せば水城には…


「夫も父親もいらないわ…坊の親は私だけで十分だもの」


即答で答えられた。
水城を見れば嫌悪しているわけでも諦めきった表情でもなく、至極普通の事を言っているようだった。
そこで白石は水城の闇を見た気がした。
夫はまあ水城の自由だが、普通の母なら息子の為に父を欲するものだ。
こんなご時世なのだから息子に父がいても損はないだろう。
まして容姿がいいのだから金目的だけで結婚だって出来るだろう。


(男のフリしてるからかねえ…男手あった方が色々便利だろうに…)


そう言いつつも自分も結婚していないし特定の女を作っていないのだから水城に言えた義理ではない。
そこで作らないのではなく作れないのでは?とは言ってはいけない。
人の人生に口出しは野暮ではあるが、ここまで父親や夫を拒む女も珍しい。
もう意地だな、と白石は思う。


「あんたらヤン衆に見えないねぇ、旅行かい?」

「え?ええ、まあ…あなたも?」


白石と話をしていると老人が一人声を掛けてきた。
よぼよぼで体を震わせるその姿からその老人もヤン衆には見えず、水城達と同じ泊る客人なのだろう。


「めんこい子じゃなぁ…ワシの孫と歳も同じくらいじゃ…だっこして構わんかのう?」

「眠いと機嫌悪いですよ?」


こくりこくり、とさせていたアシリパを老人は抱っこをし、顔を見る。
完全に寝入っていなかったのかアシリパは浮遊感にうっすらと目を明ける。


「綺麗な瞳の色だ…よく見ると青の中に緑が散っておる…ロシア人の血が混ざておるのかな」


そう言って老人はアシリパの寝ぼけ眼を見つめた。
水城もあまり聞かなかったが、確かに日本人の顔にしてはハッキリとした顔つきだった。
しかしアイヌは他部族の血を入れる事に寛容らしく、水城が息子共々世話になっているコタンではアシリパのように外国の血が流れているアイヌも少なくともいる。
だからそれほど老人の言葉を気にする事はなかった。


「ヒッ!!」


しかし白石が何故か引きつった声を零し、水城は老人から白石へ振り向く。


「どうした?」

「え!?い、いや!……なんでも、ない…」


何故か怯える様子を見せる白石に水城は首を傾げるが、白石は何でもないと首を振るばかりで水城はそれ以上突っ込むことはできなかった。


「この子の名前は?」

「アシリパ」

「…和名は?」

「和名?」


声を掛けられ水城は白石から老人へ目をやる。
キリリとした鋭く切れ長の目にシワがありながらも髭の生えた整った端麗な顔。
若い頃はさぞモテただろうというのが容易に想像できる。
だが水城は老人の問いに首を傾げた。
アイヌでも戸籍上の和名はあるらしく、それを問われたが水城はその名はアシリパから聞いていなかったため首を振って応えた。
聞いたこともなかった、と答える水城に老人はただ『そうか』とだけ呟いた後、アシリパから何故か水城へ視線を向けじっと見つめる。


「今にも血が噴き出しそうな生々しい顔の傷…『梅戸』にも似たような傷があった……だがその内に秘めた凶暴さは…鍬次郎かな」


何か?、と問う前に呟かれたその言葉に水城はまたも首を傾げた。
ウメドにクワジロウ、と聞いたことのない名に、自己完結した言葉。
水城はこの老人は顔はしっかりしていそうなのにボケているのかと思う。


「じゃあ、失礼するよ」


水城の怪訝そうな顔に目を細め不敵な笑みを浮かべたが、それは一瞬で水城は気づかなかった。
腕に抱いていたアシリパを側にいた白石に返し、よっこいしょと白石の肩を借りて立ち上がる。
去っていく老人に水城は『変なお爺さんだったなぁ…』と呟くその傍で、白石は何故か自棄酒のようにがぶ飲みし始めた。


「ちょっと…急にお酒を入れると体に悪いよ?」


溢れて口端から酒が零れるその姿に水城は見てられず止めたが、白石からは『うるせー!飲まなきゃやってられねえんだよ!』と怒鳴られてしまった。
何をどこで怒るところがあるのかと疑問に思いつつ水城は止めても飲むのをやめない白石に溜息を吐く。

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