雪乃を学校に見送った後、トメはある部屋へと向かった。
声をかければすぐに返事が返ってきてトメは静かに入室し、部屋の主を視界に納めトメは一礼する。
「どうでした?」
部屋の主…雪乃の義母である静子はトメをテーブルに座り待っていた。
その表情も真剣で、美しい容姿のため静子からは威圧感さえ感じるほど迫力があった。
奥方の問いにトメも表情を引き締め『はい』と返答する。
「今日はサザンカでございました」
「サザンカ……色は?」
「赤色でした」
トメの答えに静子は『赤色のサザンカね…』と呟き考えるようにトメから視線を外し間を置く。
しかしすぐにトメへ視線を戻し次の質問をした。
「この前の休日は何をしていたと言っていたの?」
「甘味処に行き、お散歩をなさったとか…」
「その時の雪乃さんのご様子は?」
「照れていらっしゃっていました…しかしトメにはとても幸せそうに見えました」
静子の問いにトメは言葉を詰まらせる事無く答える。
それもそうだろう。
これは鯉登が雪乃に花を贈るようになってからの日課であり恒例であった。
というのも、あれから雪乃と鯉登の関係は劇的に変わった。
以前は鯉登の一方通行だったが、鯉登の地道な努力の結果、なんと雪乃も鯉登に対して恋慕の感情が芽生えたのだ。
本人に確認したわけではないが、様子を見る限り雪乃は鯉登に片思いしている。
いつ、どのタイミングで鯉登への想いに気付いたかは分からないが、逢引を続けているところから満更でもないのは確かだろう。
「赤色のサザンカの花言葉は『あなたが最も美しい』……」
思考の波に身を委ねていたトメは奥方の呟きにハッと我に返り顔を上げる。
静子がそう呟くように告げればその場は静まり返った。
トメも静子も何も言わず沈黙だけが痛いくらいに落ちた時―――静子とトメは同時にグッと拳を握りしめた。
「長かったわ!トメ!!!すっごく長かったわ!!」
「ええ!ええ!!長かったですね!奥様!!!」
静けさとは一転し、興奮する二人を止める人物はこの場にはいない。
「最初は友情未満!!それから姉弟へと進み!姉弟を脱出し友情へ発展させてからの片思いをアピール!!!そして最終段階の両想いっっ!!!これよ!この時を待っていたのよ!!!」
「いやですよ、奥さま!まだ音之進様はお嬢様に想いを告げられておられませんのに気が早すぎますわ〜!」
「でもトメ?雪乃さんのあの様子からして絶対に承諾してくれるわ!!ああっ!ついに夢にまで見た可愛い娘と可愛い孫たちに囲まれる素敵な老後が送れるのね!!息子達は全然その気がないから不安だったのよ〜」
『片方はそれ以前の問題だけど』と長男の顔を思い浮かべ手を振ってかき消した。
この間も金の無心に来て追い出したばかりなのだ。
腹を痛めて産んだといえどあそこまで道徳を外れた道を進んでしまえば可愛いとは言っていられなかった。
次男は次男で士官学校に入れたのは良いが手紙の一つも寄越さず休みも家には寄らず寮で過ごしているようで、会えば会ったで義務的な会話しか広げられない男に成長してしまった。
静子、そしてユキには夢があった。
美人姉妹の夢とは―――可愛い嫁(婿)と可愛い孫に囲まれて老後を過ごし、夫を看取った後自分も可愛い嫁(婿)と孫たちに看取られる事!である。
しかし、現実はそう上手くはいかない。
長男は女や金にだらしなく軍なんて興味もなく、次男は何を考えているのか分からない。
どちらも血の分けた息子ではあるが全くもって可愛げがない。
だが、しかし!
可愛い子供なら雪乃がいる!
腹を痛めて産んではないが、雪乃は静子にとって腹を痛めて産んだ子供以上の存在だった。
静子の魂の叫びにトメも賛同なのかウンウンと頷いていた。
「養女といえどお嬢様は川畑家の御息女…川畑家のような家柄で恋愛結婚は難しいですからね…実際旦那様と奥様は政略結婚ですし」
「ええ…でも私の運の良い所は私の夫とお姉様の夫が幼馴染で友人だった事ね…しかも家が隣同士…お義母様もお優しい方でしたし…これほど幸運はないわ…」
「女としてはやはり嫁ぎ先との不和は避けたいですからね…ならば今以上に音之進様には頑張っていただきなければなりませんね…お嬢様はお美しくご成長されましたから」
しみじみそう思い呟いたトメに静子も同じくしみじみ頷く。
雪乃は美しく成長した。
女子校にいた時でさえ噂を聞きつけた他校の男児からのラブコールが絶えなかったと聞くし、持ち帰ってくる貢物や手紙も大漁である。
勿論、その頃にはすでに鯉登への想いに気付いていたため余所見なんてしていない。
そして今、雪乃は16歳となり、女子高等師範学校に進学している。
勿論将来教師として働くためだ。
雪乃自身の将来図ではまだ鯉登との結婚は先だと考えているらしく一先ず就職を前提に考えているようだった。
しかし、静子を含む『音之進と雪乃をくっつけようの会』は違う。
ぶっちゃけ、『両想いになったのならとっとと夜這いでもなんでもヤる事ヤって子供を作っちゃえYO!』である。
まあ簡単に言えば『横から掻っ攫われる前に既成事実作れ』、である。
勿論雪乃に対してだけの害虫駆除ではない。
14歳になった鯉登は見事に美男子に成長した。
それも成長途中とは言えまさに父親の薩摩隼人の血を強く継いでおり、事実、彼の周囲には鯉登を狙う女がうろついている。
正に日本男児の鯉登がそれでモテないという方が可笑しいのだ。
親が子に『子供をこさえてさっさとデキ婚しろ』、とはなんとも恐ろしい思考ではある。
「さて、お姉様に報告しなくてはね…あとの事はよろしくお願いしますね、トメ」
「はい奥様」
興奮も収まったのか、姉にも吉報を報告するため席を立ち家の事をトメに任せて出掛けて行った。
出掛けたと言っても隣なのですぐ帰ってこれるのだが、主人の妻をトメは深々と頭を下げ見送った。
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