ひとまず、キロランケとアシリパに呼ばれた男と白石の身体を温めなければならない。
手慣れたようにキロランケとアシリパが焚火や服や靴を温めるた木の棒を組み立てる。
焚火にあたる二人をよそにアシリパと水城はキロランケが獲った大きなイトウを捌こうとしていた。
「大きな皮がとれるぞ!これ一匹で一着作れる!」
「え…魚の皮で?」
和人である水城の常識では、服は布と呼ばれる様々な素材で作られるものだ。
だが、ここまでくる際にオヒョウの木の皮で服を作ると聞き実際皮を持ち帰っているので、アイヌの常識は違うのかと受け入れた。
イトウだけではなく魚の皮で出来た服を『チエプウル』(
魚皮衣)と呼び、その服は雨風を通さないらしい。
一着作るのに50匹ほど必要らしく、魚の皮は服の他にも靴や小刀の鞘にも使われるらしい。
イトウの皮も様々な利用方法がある。
ここまで聞けば服にしたり他の利用方法で使用すればいいと思うだろう。
だが、アシリパは悩んでいた。
「でもな水城、実はイトウは皮が美味いんだ…皮を残して色んな物に利用するか、それとも食べちゃうか……うーん…ほんとに悩むところだなぁ」
「食べちゃえばぁ〜〜?」
一着作るのに50匹も必要だが、これほど大きいと一匹だけで一着の服が作れる。
しかし、イトウの皮はとても美味しい。
だが雨風を通さない服を一匹で作れるのだ。
ああ、どうしようか…
困ったように呟くアシリパに隣から悪魔の囁きが聞こえ、その瞬間、交互に傾いていた天秤が食の方へと傾いた。
「皮をつけたまま焼けば肉の旨味を逃さない…塩焼きが簡単だしおすすめだ」
そう言って腰に布を巻いただけのキロランケが歩み寄り、水城に煙草を差し出す。
何も言わず差し出される煙草に水城はキョトンとさせ首を傾げた。
「なんだ?」
「アイヌの男は初対面の挨拶をするとき必ず煙草を喫煙し合うんだ」
水城は煙草を吸う習慣はない。
静秋に母乳を与えるため体に害のある物は極力控えるようにしている。
アシリパから何か言いたげの視線を貰う。
恐らくアシリパは水城が女だと知っているから訂正しようか、それとも何も言わないでおくか悩んでいるのだろう。
父の友人というのもあってアシリパはこの男に信頼を寄せているから余計に悩んでいるのだ。
だがそれに対して水城のキロランケと呼ばれる男に対しての信頼度はほぼ皆無だ。
女だと隠してはいるが、バレて困る事もないため言っても構わないのだが…この男とまだ知り合って間もないため警戒して損はないだろう。
水城はそう判断し、息子の事を思えば断りたいと思いつつ、アイヌの挨拶なのなら仕方ないかと差し出された煙草を手に取った。
「鮭は大きければ大きいほど美味い…イトウは鮭の仲間だからこのイトウの主も美味いはずだ」
水城が白石同様咳き込むのを見ながらキロランケは続ける。
それを聞いて水城達はイトウを刺身にした。
「まずは刺身だな…シャチの時に使った醤油が余ってるからそれで食べよう」
シャチの際白石が調達してきた醤油を使って水城達はイトウを刺身にして食べる。
はむ、と一口イトウの刺身を口に入れるとあっという間に旨味が口の中に広がる。
「うんうん、確かに脂が多くて『川のトロ』だ」
「ヒンナ!」
「鮭より臭みがなくて上品だねぇ」
白石が落ちる前に言った通り、マグロのように脂が多く美味しかった。
正に川のトロとは上手く表した言葉だと食べながら思う。
続いて、切り身を焼く。
大きすぎるため普通の串では焼けず、木の棒を串の代わりに打ち、焚火でじっくりと焼いていく。
「食べてみようぜ」
身が厚く大きいため焼くのに時間がかかったが、やっと焼き終え、ほくほくと湯気が出ているその身を三人は豪快にかぶりついた。
水城は猫舌なためはふはふと言いながらも口いっぱいに焼かれたイトウを食べる。
塩焼きなので塩しか味付けしていないがそれでも素材がいいのかとても美味しかった。
「めちゃくちゃ分厚い皮だけど焼くと柔らかくなるな」
「香ばしくてとってもヒンナ!幻の巨大漁ヒンナだな」
キロランケがいるから男言葉だが、それを忘れかけるほどイトウは想像以上に美味しかった。
塩焼きをキロランケも含め4人で食べていると、アシリパが両手に余るほどの大きな目玉を水城に差し出してきた。
「目玉は茹蛸の味がして美味しいぞ!」
そう言って笑顔で差し出されるその目玉に水城は若干身を引かせた。
いや、目玉が美味しいのはアシリパが勧めるのだから確かなのだろう。
現代では目玉にはコラーゲンがあるからと美容にもいいとされているほどだ。
だが、軍人の前にはお嬢様、その後貧乏生活を余儀なくされていた水城にとって目玉は食べる物ではなかったため若干勇気がいった。
というのもその目玉の大きさにまず引いてしまう。
水城はイトウの大きい眼球と目と目が合うと、にっこりと笑みを浮かべ同じく引いていた白石に振り向く。
「白石く〜ん、君がこのイトウを獲ったのも当然だものだもんねぇ?白石君が一番美味しい所を食す資格あるよねぇ??」
「いやいや〜杉元は俺を助けようとしてくれただろぉ?ならそのお礼として一番とっておきの部位を親友に譲るよぉ〜」
珍味に入るであろう目玉をキャッキャウフフと譲り合い精神という名の押し付け合いをする二人にアシリパはジトリと(主に水城を)見る。
「…目玉はみんな魚が獲れたら一番にほじくってしゃぶる…子供のおやつとして奪い合うほど大人気なんだぞ…」
「いやでも目玉でしょそれ…本当に食べれるの?」
「お?なんだ?お?私の(差し出した)目玉が食べれないっていうのか?おん?」
「いやでもそれ目玉…」
「ほれ、しゃぶれ水城…私の(差し出した)目玉をしゃぶれ」
まるでチンピラのように絡むアシリパに水城は口の中に目玉を放り込まれた。
というよりは目玉を押し込められるように食べさせられ、断り切れなかった水城は大人しくしゃぶるしかなかった。
「杉元…?不死身の杉元か?」
「…!」
『どうだ水城、私の(差し出した)目玉は』『とても…おっきいです…』とどこかの時代に一時期一部の人間の間で流行ったような会話をしながらしゃぶると確かに茹蛸に似た味がして美味しかった。
が、それがまた負けた気がして悔しかった。
いつなんの勝負してんだよ、と突っ込みがどこからか聞こえたその時…キロランケの呟きに水城は今までの穏やかだった感情が静かに降下していくのを感じた。
しゃぶっていた目玉を口から離し、静かな声で問う。
「…なぜそれを?」
杉元という苗字はどこにでもあるありふれたものだ。
だが、杉元と聞いて真っ先に『不死身の杉元』の名を頭に浮かべるのは軍関係の人間以外ありえない。
しかしキロランケはアイヌの服を身に包んでいた。
静かな問いにキロランケはすぐに応える。
「俺は第七師団だ」
その言葉を聞いた瞬間、その場の空気が凍り付いた。
水城は静かに腰に差していた銃剣の剣に手を伸ばしいつでも抜ける様にする。
それを白石は見てゴクリと喉を鳴らす。
「鶴見中尉の手下か?」
アイヌの格好をしていて少し警戒を解いていたのだろう。
第七師団と言ったキロランケに水城は強い警戒心を持つ。
冷たく睨む水城の殺意に気付いたアシリパは水城を止めようとしたが、肝心のキロランケは殺意など気にもとめず水城の呟きに首を傾げた。
「鶴見中尉?俺がいた小隊の中尉は別の人間だ…それに俺は除隊して村で生活しているから誰とも関わりはない」
キロランケの言葉に水城はジッと彼を見つめる。
水城は嘘を見分けるのが上手いわけではない。
だから見破れるわけではない。
しかし、キロランケの言葉には説得力はあった。
「確かに鶴見中尉の手下は100名ほどと言っていた…第七師団と言っても鶴見中尉の隊とは限らないか…」
師団の編成で中尉が率いるのは100名弱の小隊だ。
小隊は下から数えた方が早いくらいの立ち位置にあり、小隊の指揮官は中尉から軍曹の立場の軍人である。
その小隊4個で一つの中隊となり、率いるのは大尉。
中隊3個で一つの大隊となり、大隊が3個で聯隊…、となるように小隊、中隊と言っても一つの部隊ではない。
その為、小隊を率いた中尉と言っても一人だけしか存在しないというわけではない。
第七師団の小隊に身を置いていたとしても、必ずしも鶴見中尉の部下だったとは限らないのだ。
恐らく水城が軍人だからすぐに納得できただろう。
水城が剣から手を離すと白石とアシリパはホッと安堵の息を吐く。
「名前と顔の傷でピンときた…不死身の杉元…こんなところで戦争の英雄に出会うとはな」
「英雄なもんか…私はただ死に損なっただけだ」
水城の名は鶴見のいた小隊以外にも轟いていたらしい。
キロランケの言葉に水城はぼやくように呟いた。
英雄と呼ばれ、憧れの目で見られることは少なくない。
だが、水城自身は自分を英雄などとは思っていなかった。
不死身とはすなわち、死に損ないであるのだ。
「アシリパはどうしてこの男達と一緒にいるんだ?」
「水城は私の相棒だ」
アシリパはイトウを食べ、口の周りを脂だらけにしながらキロランケの問いに答える。
その言葉に水城は胸がジーンと熱くなるのを感じ、アシリパと水城はお互い笑い合う。
「そしてこっちのシライシは役立たずだ」
ついでに白石も紹介するが、何とも差のある紹介だった。
「そうか…アシリパがそう言うなら信用できるんだろう…」
白石の紹介がどうであれ、アシリパが警戒もなく二人と行動を共にしていると言うのなら、信用できる人間というわけなのだろう。
だから、キロランケは真剣な表情を浮かべ、まっすぐアシリパを見る。
「聞け、アシリパ…お前に伝えたい事があるのだ」
キロランケはアシリパに伝えたい事があり、何度かアシリパの村に足を運んだが、アシリパは狩りに出ていつもいないため、ここで待っていたらしい。
その伝えたい事とは一人の老人の事だった。
老人は村にいたキロランケにある女性を探していると言っていた。
その女性の名は―――…
『小蝶辺明日子』
キロランケはそう説明し、アシリパを見る。
キロランケの思った通り、アシリパは驚いた表情を浮かべていた。
「どうしてその名前を…――私の和名だ!その名前を知っているのは死んだ母と父だけなのに…!!」
アシリパはアイヌとしての名前だが、アイヌにも和名はある。
それが小蝶辺明日子という名前だった。
しかしその名は死んだ両親しか知らない名前であり、二人はすでに亡くなっているためこの世でその名前を知る人物はアシリパ本人しかいないはずだった。
(アシリパさんの和名…?)
水城は和名と聞いて思い浮かんだのは、辺見の皮をとった帰りで会った老人だった。
「網走監獄で起きた事…俺はすでに知っていた」
キロランケは網走監獄で土方や白石達の逃亡の件はすでに耳に入っていた。
そして、のっぺらぼうという男の事も。
キロランケ曰く、のっぺらぼうは自分の外にいる仲間に囚人が接触できるヒントを与えていたという。
それが…―――小樽にいる小蝶辺明日子。
のっぺらぼうはアシリパに金塊を託そうとしていたのだ。
「待て!それってつまり…」
「のっぺらぼうはアシリパの父親だ」
キロランケの言葉にハッとさせた白石の言葉をキロランケが継いだ。
その言葉はその場にいる全員に衝撃を与え、アシリパは息を呑む。
「そんな…アチャが…アイヌを殺して金塊を奪うなんて…そんなの嘘だ…」
ショックのあまり声を震わせ、膝の上に置いていた手をグッと握る。
そんなアシリパの背を水城は気遣うように触れながらキロランケを見た。
「何でアンタはアシリパさんの和名を知っている」
「俺はアシリパの父と一緒に日本へ来た」
その言葉に水城は怪訝とさせた。
『アンタ、日本人じゃないのか』という問いにキロランケは首を振って答える。
アイヌは他所の人間を家族として迎える事に抵抗はないらしい。
だから外国の血が入っている者も多くおり、だから顔つきが日本人よりも彫の深い顔つきになっているのだ。
それを聞いて水城はどうりでアシリパの目の色は日本人にはない色だったのかと納得した。
アシリパや他のアイヌの顔が日本人離れしている事や目の色の事は納得いったが、それ以上に問題も発生していた。
「金塊が見つかればのっぺらぼうが死刑になってアシリパさんの父親の仇がとれると思っていたが…」
アシリパが金塊探しに参加したのも、水城の言葉に乗ったのも、全て父親を殺した金塊強奪犯にたどり着く為だ。
だから金塊に興味がないのに水城に協力してくれた。
だが、その仇の男がまさか父親だったとは水城も思ってもみず、今のアシリパの心境は誰も推し量ることができないだろう。
「信じない…自分の目で確かめるまでは…私はのっぺらぼうに会いに行く!もしのっぺらぼうが私の父親なら娘の私には全てを話てくれるはずだ!」
アシリパはキロランケの言葉を信じなかった。
否、信じたくなかった。
キロランケが嘘を言っているようには思えないが、あの優しかった父がアイヌを殺して金塊を奪ったとは思いたくはなかった。
だから、父が本当にのっぺらぼうなのかこの目で見ない限りは信じたくはなかった。
「確かに…北海道に散らばった脱獄囚を全員捕まえるよりは楽だろうな…少なくとも居場所はハッキリしている」
少なくとも確実に分かっている6名の囚人を抜けば、あと18名は残っている事になる。
土方が何枚の囚人の皮を持っているかは分からないが、二瓶や辺見のような金塊に興味がなく逃げたいために入れ墨を入れた者もおり、全ての囚人が小樽を目指すわけではないだろう。
そんな囚人を全て狩るのは骨が折れる作業でしかない。
だったら、アシリパの言葉通り、のっぺらぼうに会いに行った方が確実だ。
こちらにはのっぺらぼうの娘がいるのだから、他よりも警戒されないだろう。
そう述べるキロランケの言葉を白石が否定した。
「甘いぜ甘いぜ!俺は日本中の監獄を脱獄してきたが網走監獄は中でも飛び切り厳重だ…本人に会うなんてまず不可能だろうぜ」
「……っ」
「―――俺の、協力なしではな!」
多くの監獄を脱獄した白石の言葉は重みがあった。
普段弄られキャラである彼だが、その脱獄の腕前が本物なのはアシリパも水城も認めている。
だからアシリパは白石の否定的な言葉に視線を落としてしまう。
だが、続けられた言葉にハッと白石を見た。
白石は親指を立て自分の方へ指さしニッと歯を見せてアシリパに笑ってみせる。
その顔はとても自信のある顔つきだった。
「だっぷ…いや、脱獄王!」
そんな白石にアシリパも信じ、笑みが戻った。
落ち込んでいたアシリパに笑みが戻り、水城は安堵の笑みを浮かべた。
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