(5 / 53) 本編 (05)
最近、変化があった。
何が変かと言えば、食べる物が変わった。
本来なら小雛は6食食べなければならない。
小雛の為の普通の人間の食事に、小町の為の人間の肉を、小雛は一人で食べなければならなかった。
小町が受肉したからと言って、意識もお互いの思考も小町と小雛では別となり、全てが共有されるわけではない。
それは食もそうである。
体は一つ、胃は一つなのに、小雛は小町の為の食事では満たされないのだ。
小雛のための人間用の食事の栄養は小雛に送られ、小町用の食事の栄養は小雛ではなく小町に送られる。
例えいくら小雛が人間の血肉を食べようがいつまでたっても腹など満たされないし、小町も小雛用の食事をいくら食べても満たされることはない。
その為、小雛は二人分の食事を取らなければならないのだ。
その食事に大きな変化があった。


「…………」


怠い身体に鞭打って小雛は運ばれた小町用に用意された肉片を口に入れた。
もぐもぐと咀嚼すると、舌がその味を感知する。
小雛は人間の血肉は体の栄養にもならないのだが、最悪な事にその味はちゃんと感じている。
最初は味ではなく、生肉と血を飲み食いしているという生理的な理由で吐いていた。
しかし、今ではもう人間の血の味やどこの部位か分からない肉片の味も慣れてしまった。
しかも、美味しい血肉、美味しくない血肉と分かるようになってしまった。
美味しい、と思うときもある。
だが、美味しいと感じるのは極稀だ。
普段はそれほど美味しさは感じない。
一年に数回あるかないかくらいの頻度でしか血肉に対して美味しさは感じなかった。
それでも、慣れたからと言って、何も感じなくなるわけではない。
美味しいと感じてしまうから、好し悪しが分かってしまうから、自分自身この食事に拒否感を感じなくなってしまったから、小雛にとって小町の食事はストレスになっていた。
本来、小雛はカニバリズムの趣向を持っていないのだ。
まだ赤子から育てられていたのなら、同族を食べる事が禁忌だなんて思わず小町の食事を受け入れていただろう。
しかし、3歳までとはいえ、すでに小雛の中には人間としての芽生えが生まれ小さな体に定着していた。
そのため、人間が人間を食べる事が禁忌だという認識は、知識にはなくても本能で理解していた。
そんな小雛だが、ここ最近人間の血肉がいつもの味と全く異なっているのに気づいていた。
しかし、見た目はそう変わらない。
皿を見れば、乾かないように血で濡れたいつもの肉がある。
小雛はいつものように血で濡れている人間の肉を口に入れる。
もぐもぐと人間の肉を咀嚼しながら、小雛は首をかしげる。


(うーん…やっぱりこれ人間じゃないですよね…)


その変化とは、血肉の味だった。
幼い頃から食べているし、味の好し悪しも理解できるようになったため、人間の肉の違いは簡単に気づく。


(動物のお肉…でしょうか…)


その味は人間ではないことは明らかであった。
いつも食べている人間の肉の味が、獣臭くなっているのにすぐに気づいた。
人間の肉も、その提供される人間が生前の食生活で肉の味が変わる。
今まで人間を食べてきたがここまで獣臭いのは初めてだった。
小雛は獣臭い肉を無理矢理喉の奥へと押し込める。
人間の食事に出される肉だって豚や牛や鳥など、動物の肉を使用されている。
だが、それは肉に火が通り味付けされているのことが前提だし、生肉の料理はあるが、それだって生で食べれるほど新鮮でタレや醤油などで味をつけているのが前提だ。
生肉料理も好き嫌いはあれど、獣臭さや生臭さはないように作られている。
だからこそ、小町の料理で出されているこの獣の臭さには流石にえずきそうになる。
だが、小雛に食べないという選択肢はない。
今日も獣臭すぎる生肉を無理やりの見込み、小雛はふうと疲労の息をつく。


(最近の不調はどう考えても食事しかないですよね…)


ふうとため息をつきながら小雛は先ほど飲み込んだ獣臭い肉を乗せている血だらけの皿を見下ろす。
最近小雛は起きるのがつらい。
起きる行為だけではなく、体を動かすのもつらい。
身体が怠く重く感じており、力が入らず、最近は布団に閉じこもってばかりいる。


(これは…まるで"あの時"のようです…)


あの時、とは小雛が幼い頃に、食事を拒んだ時と―――小町の器となる前の時だ。
人間である自分が、人間を食べるという行為がすごく嫌だった。
しかもその肉は生肉である。
火が通り味付けされたのならまだしも、生肉でしか小町の力を保つことができない。
そのため、出される小町の料理全ては生のままだ。
人間を食べるという行為に幼いながらも小雛は罪悪感と嫌悪を感じていた。
人間を食べるくらいなら死んだ方がマシ。
まだ3歳だった子供が本気でそう考え、そして実行した。
しかし、結果として、小雛は今生きている。
五条が無理矢理血肉を食べさせ、小雛は一命を取りとめたのだ。
あの時は最初こそ五条達を強く恨んだ。
何が座敷童だ、何が幸運を運ぶ呪物だ、と。
突然家族から引き離され、こんなところに閉じ込められて、幸運を運ぶ物として強制されている…小雛にとったらこの屋敷は地獄そのものだった。
全ての元凶は小町にある。
小町は呪物や呪霊になるまえから特殊体質を持って生まれた人間だった。
小町は生まれながらに、幸運を与える体質だったのだ。
小町はいるだけで人を幸運に導く。
それは術式でもなければ、呪力でもない。
いや、これはもはや呪いと言っても過言ではないだろう。
しかし、正真正銘小町が持って生まれた体質。
小町を手に入れた者には、祝福されるように多くの恩恵が贈られる。
数百年前に、兄同様呪物となった小町を手に入れた呪術師の家があった。
その家は元々力を有してはいたが、御三家ほどの権力はなかった。
その家は小町を手に入れた途端、御三家と並ぶ権力を手に入れた。
だが、後にその家は何者かに皆殺しにされ滅んでしまい、その者に小町は持ち去られ再び小町は表舞台から消えた。
その事から小町は幸福を呼ぶ幸運の呪物として名を轟かせながらも、不幸を呼ぶ呪物として特級に分類された。
とはいえ、時は流れるもの。
そして、言い伝えも流れる時によって変わるもの。
いつの間にか小町は不幸を呼ぶ呪物という部分だけが消え、幸運を呼ぶ呪物だけが一人歩きしていた。
だから、現代によみがえった小町を皆、血眼になってまで探し、その器を厳重に閉じ込めるのだ。
しかし、それをまだ3歳だった小雛に理解しろというのは酷だった。
小雛は家に帰してと泣き喚いたが、大人たちは決して首を縦に振ることはなかった。
寂しいと泣く小雛に決して手を差し出すことはなかった。
だから小雛は大人たちを恨んだ。
それこそ、まだ愛情を与えてくれたのなら変わっていたのかもしれない。
だが、今は五条からの愛情があれど、当時は五条ですら小雛を愛してはくれなかった。
当然と言えば、当然だろう。
彼だって一人の人間だ。
当時まだ10代というのもあり、何より彼の心に陰りが生まれたばかりの時期だった。
そんな人間に、一人の人間を気にかけろというのが無理なのだ。
それも何を言っても帰りたいと泣く子供を、である。
それでも文句を言いつつも時々気まぐれに会いに来ていた五条は、何だかんだ言って根は優しく真面目なのだろう。
それもあってか、小雛は五条達を憎みきれなかった。
五条の優しさに気づいたのもあるが…何より、小町を器として受け入れたのは誰でもない…自分だ。
例えこの屋敷の人間が自分を幸運を運ぶ物としか見ていなくても、自分を愛してくれなくても、自分自身がこの現状を生み出したのだ。
そう思うと彼らを憎むのはお門違いに感じた。
だから、すぐに五条に向かって笑顔でお礼が言えたのだ。
それから小雛は唯一接触が許されている五条に懐いた。
それは一種のストックホルム症候群だったのだろう。
そして、今の自分の体調不良は、食事を拒んだ時に似ているのだ。


(悟様に相談できればよいのですが…)


五条は初めて顔を合わせた当時から忙しく、一か月二か月会えない日も珍しくはない。
貴重な空いた時間を自分に使ってくれるだけで感謝すべきなのだ。
とはいえ、居てほしいときに居ないのは少し困ったことになった。
食事のことを聞きたくても使用人は口を利くどころか目さえ合わせないし、この部屋を訪れるのは食事や風呂や布団などの最小限の世話をしてくれる使用人しか来ない。
その使用人たちも言葉を交わすことなく終えるとさっさと帰ってしまう。
屋敷の主人は小雛など興味もないのか、実は顔を合したことは一度もない。
小雛は眠っていた間にこの部屋に閉じ込められたのだ。
それ以来、小雛は部屋を一度も出たことがなかった。
唯一小雛の事を気にかけてくれる主人の妻にも呪力の関係や、主人に止められてしまい未だに会えずにいる。
その為、小雛が相談できる相手は五条だけとなる。
しかし、ここ最近は忙しいのか会いに来てくれない。


(とりあえず全部いただきましょう…力が出ないせいで小町ちゃんも眠ってしまいましたし…)


人間の食事は変わらないため、体調不良は小町が原因だ。
一応人間としての栄養は取れているため、極端な痩せ方はしていないが、顔色は悪く、この部屋には体重計すらないため分からないが恐らく体重も減っている。
小町の器として、小雛は上手く取り入れたためか、小町が体調を崩すと小雛にも影響が出てしまう。
その逆もまた然りだ。
とにかく、今は食べる事に集中すべきだと止まっている手を動かした。
体調不良なため、食べるのも座るのもつらいが、小雛を気にかけてくれる人はいないため、完食する道しか残っていない。
しかし、本来なら食べる必要はない。
小雛に少しでも異変があれば、五条へと連絡がいくようになっている。
そのため、五条と連絡が取りたいのなら食事を拒み続ければいいのだが、小雛はその事を知らない。
そのため、わざと残し拒むという選択肢は彼女の中にはなかった。
それはきっと彼女が今まで誰にも頼れず孤独だったからだろう。







食事も時間をかけて何とか完食した。
しかし、頑張った反動なのか、食事を終えた後に強烈な眠気に襲われ最近敷きっぱなしの布団に潜って目を瞑った。
体調不良の影響か、夢も見ずに小雛は眠りについたが、小雛的に意識はすぐに浮上し、瞑っていた瞼を開ける。
だが、小雛が眠りについて数時間経っており、小雛の眠りの深さが伺える。
瞬きすら億劫になるほど体が重く、あれほど寝たというのに眠気は晴れない。
また体調が悪化したのだろう。
目を開けると傍にクロが丸まって寝ているのが見えた。
寝たきりの主人を心配して傍についていてくれたのだろう。
クロの丸まった姿に、小雛は一人ではないと思えた。
力が入らない手で小雛はクロの体を撫でようと布団から手を出そうとした。
その時、ガタン、と音がし小雛は意識をそちらに向ける。


「こ、小町様ッ!!」


音の方へ視線をやれば、小雛には触れる事ができない唯一の入口に一人の男性が立っていた。
襖に縋りつくように立つ男は小雛を見つめていた。
男に見覚えはない。
だが良質な着物を見て、この男は使用人ではなく、この屋敷の身内なのだろうと無知の小雛でも気づく。
男はまるで恐怖したように青ざめた顔を歪めながら一歩部屋に踏み入れる。
小雛の部屋にたどり着くには強い呪力が必要だ。
ただし、この屋敷の主人だけは呪力なしであの迷路からここまでたどり着く事が出来る。
と、いうことは…目の前の男がその屋敷の主人ということだろう。
男は60代ほどで、黒髪と白髪が混じっていた。
普段は髪を整え清潔感を保っているのだろう…しかし、今は乱れて崩れていた。
眉も太く、今は恐怖に顔を歪ませ下がっているが、普段は吊り上がり威厳を見せているのだろう。
身なりも着物は良質だが、今は髪同様崩れている。
どうやら何かあったようで、慌てて小雛の部屋に駆け込んできたらしい。
男を見て異常事態だという事は小雛でも理解できた。
小雛は怠い身体を起こすのと同時に、屋敷の主人が慌てた様子で駆け寄ってきた。
身体を起こすことが精一杯の小雛の膝に、屋敷の主人は滑り込むように縋りつく。


「あの…」


この屋敷に閉じ込められているとはいえ、小雛はこの男とは初対面だ。
しかも何かを怖がっており、膝に抱き着くように縋りつく男の体は小刻みに震えていた。
60代のいい大人がまだ10代の少女に縋りつく姿は情けないが、突然の事で小雛も困惑していた。
とりあえず落ち着かせようと小さくなっている彼の背中を撫でながら戸惑いつつも声をかける。
『どうしたのですか?』と問う前に、主人がガバリと弾かれたように顔を上げ小雛の薄い肩を掴み、迫るように顔を近づける。


「に、にげ…っ逃げましょう!!!今すぐに!!!五条様の元へ!!!」


恥もプライドも捨て、主人は小雛に言った。
主人も一応は呪術師なのだ。
だが、屋敷の主人は御三家どころか中堅ともいえる呪術師の足元にも及ばない。
なのにここまで大きな屋敷を得たのは、小町とその器である小雛のおかげだ。
小町の入手とともに手に入れた権力は、小町が特級呪物に選別されたきっかけのあの家と比べものにならないほど低い。
その理由は、元々屋敷が低レベルだったということだろう。
いくら幸運を運ぶ座敷童といえど、手に入れたからと言ってそう簡単に頂点に立てるほど現実は甘くはない。
それでも、低レベルの術式や術者しかいないのにこの一族は栄えている。
十分すぎる地位、十分すぎる金を恩恵として贈られていた。
それなのに主人は小雛にも小町にも感謝などしていない。
主人にとって小雛も小町も、ただの幸運を呼ぶ『物』にすぎないのだ。
小雛の返事や体調など気にもせず、主人は小雛の細い手首を掴み引っ張る。
無理矢理立たされた小雛は足がもつれそうになったが、何とか持ち直し主人に手を引っ張られながら走る。
小雛はここ最近体調を崩し寝たきりが多く、普段運動を満足にできないのもあって走れはするがすでに息切れしていた。
60代の男と10代の少女では歩幅も合わないのもあり、小雛は半分引きずられていた。
しかし、何かに怯え、小雛を物としか考えていない主人が小雛を気遣えるわけがなかった。


「小町様さえ…!小町様さえあればやり直せる!!もう没落一族などと笑われなくなる!!!」


この屋敷を捨てても、妻も子も捨てても、コレ(小雛と小町)さえあればやり直せる。
コレ(小雛と小町)を入手してからこの家は大きくなったのだ。
全てを失ったとしてもコレ(小雛と小町)さえ無事であれば、また名誉も富も戻ってくる。
名声や富さえ戻ればまた女が寄ってくるだろう。
今度は年老いた妻よりもうんと若く豊満な女がいい。
女が若ければまた子供を作れるし、金さえあれば大きな屋敷も作り直せるし、使用人も補充できる。
そう、小町の器となった小雛はまさしく幸運そのものなのだ。
主人はそう思って最強を頼りに小雛を初めて屋敷から連れ出そうとした。
一刻も早く、だ。
そうしないと自分も妻や子や使用人達のようになると怯えていた。
主人は迷路のはずの道を迷いなく進む。
小雛は突然の事で混乱しながらも周囲に目線を送る。
主人の様子から緊急事態が起こったらしいが、小雛はそれどころではなかった。
初めてあの部屋を出たのだ。
あれほど小雛を拒んでいた襖は、まるで今まで隔たれていた物がなかったかのように小雛を通した。
小雛はあの部屋に閉じ込められてから初めて部屋の先を見た。
四方襖で締め切られている部屋が何室も続き、小雛は困惑や恐怖よりも、初めて部屋を出れた事に感激していた。
感激が体の怠さや眠さに勝り、小雛は主人に手を引かれながら物珍しそうな目で同じ光景の部屋を見ていた。
主人の異常な怯えようを見ても小雛には危機感はない。
そもそも、小雛に危機感という感情はない。
この屋敷が小雛を縛り付け、外の世界を断った。
しかし、それは外界だけではなく、常識からも隔離されたのと同じく、小雛は危機感さえも育つことなく成長していた。
同じ景色でも自分の見飽きた部屋ではないと思うと不思議と飽きることはなかった。
しかし、その光景も終わりを告げる。
最後の襖をあけた瞬間…


「案内ご苦労様」


主人の体が突然炎に包まれた。

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