(6 / 53) 本編 (06)
声をあげる暇もなく、主人は全身を燃え上がらせ黒焦げとなる。
主人の体が炎に包まれるのと同時に小町の壁が発動し、まるで切り落とされたように小雛の手を掴んでいた主人の手と腕が切り離され、小雛の手首に手を残しながら主人は全身が燃え、熱さに苦しむ暇もなく息絶えた。
主人だった黒焦げの物がバタリと床に倒れるのを小雛はただ見ていた。
切断され残された小雛の手を掴んでいる主人の手の断面からピューピューと血が血管から勢いよく飛び散り、床を血で穢していく。
大量の血溜まりは少しずつ範囲を広げ、小雛の素足をも汚していく。
小雛が主人だった焼死体を見下ろしていると、拍手と明るい男の声が聞こえた。


「すごいすごい!本当に術式が当たらない!」


その声の方へ振り向けば、そこには二人の男性が立っていた。
一人は白い髪を長く伸ばして緩く結び、顔や体中継ぎ接ぎの青年。
その青年の隣には小柄で、ぱっと見れば高齢に見える。
だが、青年は継ぎ接ぎさえなければ少し変わった青年に見えるが、その隣にいる高齢の男性は人間には見えなかった。
本来なら二つの目があるはずなのに、高齢の男性の顔には口や鼻の他に大きな1つの目しかなく、頭部の火山になっている。
作り物というわけではないと思うのは、頭部の火山口から煙が上がっているためだ。
青年は笑顔で小雛に拍手を送っていたが、火山頭の男は顰め面をしていた。


「どなたでしょうか?」


小雛は見慣れない二人組に首をかしげて問う。
いや、見慣れないといえば五条以外の人間全てに当てはまるのだが、小雛は初めて五条以外に声を掛けられつい問いかけてしまう。
いつもは五条以外では使用人しか顔を合わせないが、彼女達は一切口を開こうとはしない。
だから小雛は五条以外の人間に声を掛けられ嬉しかった。
主人を発火させて殺したのは、青年の隣にいる異形だ。
だが小雛は危機感がない。
絶対的な防御を誇る小町もいる事から彼らに殺されるという危機感は皆無だった。
というよりは、殺される、という考えに至らないのだ。
不審者であろう二人の内一人、青年は意外と小雛の問いに答えてくれた。


「俺は真人、こっちは漏瑚」


青年は真人と名乗り、真人の隣にいる小柄な異形は漏瑚と教えた。
漏瑚と呼ばれた異形は、すんなりと警戒なく小雛に名前を教える真人に『おい』と不機嫌そうに零す。


「そう簡単に教えるでない」

「いいじゃんいいじゃん!名前を知られたからって俺たちを祓えるわけもないし」

「…………」


真人ののんきな言葉に漏瑚は眉を顰めるように目を細めた。
漏瑚の不機嫌さに気づくが、気にもせず真人はニコニコと漏瑚とは真逆に機嫌をよくさせる。
そんな二人の会話を聞きながら小雛は改めて二人に向かい合う。
小雛は自分が動いたことで二人の視線がこちらに向いたのを認識しつつ、ゆっくりとお辞儀をした。


「初めまして、小雛と申します」


向かい合って何をするかと警戒してみれば、小雛はただ挨拶をしただけだった。
名前を教えてもらったため、こちらも返さなければと思ったのだろう。
元々名前を聞いたのは自分だから、自分も返さなければ失礼だとも思ったのだろう。
ただ、小雛は苗字を言わなかった。
それは言いたくなかったわけではなく―――知らないのだ。
3歳とは言え、自分の名前は憶えているはずなのだが、器となった反動かは分からないが、小雛は小町の器となった時から苗字を忘れてしまっていた。
その為、小雛は苗字を名乗らず名前のみ名乗った。
小雛が名乗った後、少しその場は静まり返った。
深々と下げていたが、なんの反応もない二人に疑問に思い頭を上げる。
そこには、ポカーンと呆ける真人の顔が見えた。
漏瑚もこちらを見つめており、二人の反応に小雛は首を傾げた。
その時、真人が噴出し声を上げて笑い出した。
お腹を抱えて笑い出す真人に小雛は戸惑いながら問いかけた。


「あ、あの…?」

「ごめんごめん!まさかこうくるとは思ってなかったからさぁ!」


ひいひいと笑う真人を小雛は困惑した目で見つめ、隣に居る漏瑚は呆れたような目で見ていた。
二人の視線を受けながら、真人はやっと笑いが収まったのかもう一度小雛に笑ったことを謝る。
落ち着いたのを見て、小雛は真人と漏瑚に声をかける。


「真人様と漏瑚様は屋敷の方でしょうか?」

「違うよ…俺達はね、君に会いに来たんだ」

「雛にですか?」

「そう、雛に」


小雛はあの部屋から出た事がなく、屋敷の人間はいつも身の回りの世話をする使用人の女性しか会ったことがない。
彼女たちは全員同じ着物を着ており、真人のような男性や、漏瑚のような異形は見たことがなかった。
小雛は呪術師の事は知らない。
元々呪術師の家系ではなく一般家庭に生まれ、屋敷の人間も五条も、呪術師のことは一切小雛には教えていなかった。
小雛の世界はあの部屋なのだ。
その為、見た目が普通の人間と異なっている二人を見ても、それが異常だと疑問に思わないし警戒心すらない。
そう言った感情は屋敷の主人と五条が育ませなかった。
自分に用があると聞き、小雛は首を傾げる。
首を傾げるとサラリと髪が流れ、真人も笑みを浮かべながら小雛の真似をして同じ方向へと首を傾げた。


「真人様と漏瑚様は雛に何の御用でしょうか?」

「一緒に来てほしいんだ…雛には俺達の仲間になってほしい」


そう言って真人は小雛に手を差し出した。
小雛は真人の言葉の意味が分からなかった。
いや、言いたいことは分かる。
だけど、彼らの真意が分からない。
とはいえ、どういう理由で仲間に勧誘してきたのかは分からないが、小雛の答えは決まっている。
小雛はもう一度深々と頭を下げる。


「真人様、漏瑚様…申し訳ございません…雛はこの屋敷から出てはいけないと強く言い聞かせられているため真人様と漏瑚様のお誘いはお受けできません」


小雛は真人の手を取れない理由があった。
小雛はこの屋敷に縛られている。
幼い頃から小雛はこの屋敷から出ないよう言い聞かせられていた。
出ないようにと言い聞かせられても、唯一の出入り口は小雛を拒んでいるため出たくても出れない。
では、庭はどうかと言えば…あれは庭であって庭ではない。
中央にある小雛の部屋には庭がある。
だが、その空は偽物だ。
庭ではあるが、空の部分には壁のようなものに覆われており、小雛の部屋は屋敷の中央に作られているため、外から見れば屋根しか見えないだろう。
言葉は人を縛る。
五条の生徒に呪言師がいるように、言葉は自分さえも縛り付ける道具にもなる。
五条も屋敷の人間もそれを理解して小雛をこの屋敷に縛り付けた。
頭を深々と下げられ断れた真人はまた笑った。
先ほどよりも大人しい笑い方ではあるが、小雛は自分の言葉に至らないところがあったのだろうかと不思議そうに真人を見る。
その隣にいる漏瑚は、笑いこける真人に呆れたように溜め息をついた。


「だから言っただろう…こんなまどろっこしいことなどせずさっさと攫えばよかったのだ…抵抗すれば瀕死の状態にし抵抗をなくせばよい」

「でもさぁ、ちょっと興味ない?あの両面宿儺の妹を宿す器がどれ程の力かさ!俺、小町の壁の話を聞いてどんだけ固いんだろうって試してみたいって思ってたんだよねぇ〜」


元々、真人たちは小雛を攫いに来た。
世間で言えば、彼らは悪だ。
そもそも、彼らは人間ではなく呪霊である。
それも人間が定めた等級で言えば、彼らは呪霊の中で最上位の『特級』だ。
そんな彼らにとって、両面宿儺の妹であり特級の呪霊であろうと攻撃力が4級程度しかない小町など攫うのは造作もない作業に等しい。
だが、真人がそれを拒んだのだ。
もちろん理由は先ほどの言葉。
漏瑚はニコニコ顔を崩さないご機嫌な真人にもう何も言う気すら起きなかった。


(試すも何も…今の壁は全力ではなかろうに)


真人に言わず、心の中でぼやく。
漏瑚は小雛が弱っているのを知っている。
なぜ知っているのか…それは、彼らが小雛を弱らせたからだ。
小町を勧誘する計画はある呪詛師から提案されたものだった。
小町は両面宿儺の妹。
両面宿儺は妹である小町を溺愛しており、唯一宿儺に逆らっても許される存在であった。
そんな小町を引き入れ靡かせることができたのなら、小町を使って宿儺の手綱を握れるかもしれない。
乗せられたと言えば乗せられた。
だが、漏瑚も必ず宿儺が必要とは思っていない。
計画を成功させる道の一つにしか思っていないが、一番の近道でもあるためその呪詛師の計画を簡単に却下させるのも勿体ないだろう。
そこで、呪詛師の協力のもと、まず、息のかかった人間をこの屋敷の厨房に侵入させた。
そして信頼を獲得させ、厨房の責任者として上り詰めさせた。
そう、小雛の体調不良は漏瑚達が意図的に起こしたものだった。
勿論理由は小町を弱らせ、小雛を攫いやすくするためだ。
計画通り、小町は今、小雛の中で眠っており、これほど騒ぎ殺気に満ちているというのに起きる気配すらないほど弱まっている。
4級程度の強さしかないとはいえ、腐っても特級。
抵抗され怪我を負ったり、欠損があっても、小町の呪力で体は再生される。
抵抗されるのを見越し、そして自分達への恐怖を教え込み逆らえなくなるように、初手で小雛を半殺し状態にさせ抵抗させず攫う提案を漏瑚はしていた。
それを真人が待ったをかけたのだ。
面白そうな存在だという理由で、真人は小雛との接触を望んだ。
漏瑚も真人も、小町や小雛が攻撃してきたとしても祓われるわけがないと思っていた。
実際特級を祓うほどの力も知識も、小雛にはない。
だが、ここまでグダグダになるなら抵抗する暇を与えず半殺しにしてさっさと攫えばよかったと漏瑚は真人を説得しなかった自分を恨む。
とはいえ、正直、漏瑚も真人の言葉には否定はしなかった。
あの両面宿儺が唯一執着した呪霊だ。
興味が沸かないわけがない。
呆れた目で見てくる漏瑚に、真人は『それにさ』と言って小雛に近づく。
真人が近づいても小雛は首を傾げ不思議そうな目で見てくるだけで、警戒心は見せなかった。
傍には焼死体が転がっている。
出し切ったのか切断された傷口からはすでに血は出てこないが、足元は真っ赤に染まっている。
普通はここの屋敷の人間達のように真人達を怖がるはずだ。
しかし、小雛は異形の漏瑚を見ても平然どころか人として対応し、真人が近づいてもきょとんとして逃げる素振りも怯える素振りもない。
そんな小雛に真人は目を細め小さく笑い…小雛の手首を指さした。


「それ、取らないの?」


今、自分と小雛の間の距離は、一般的な会話をするときの距離しかない。
しかし、小町の壁の範囲内だ。
小町の壁が発動しているのなら、真人は前に進めないだろうし、それこそ真っ二つになっていただろう。
だが、今は壁が消えているのか、それとも小町が眠って小雛が出せる壁の限界を超えたか、節約しているのかは分からないが、小雛が真人を壁で拒む気配もなかった。
小雛は真人に言われて気づいたように『あ』と声を零した。
それがまた真人の笑いを誘う。
小雛は真人に言われて手首に主人だった男の手で掴まれていると気づく。
小町の壁で切断された手を小雛は取ろうとした。
しかし、小雛の手では主人だった男の手を外せなかった。


「どうしましょう…取れません…」


小雛は困ったように眉を下げ、弱弱しく声を零す。
ぐっぐと力を入れても、最近人間の肉を満足に食べていなかったため、元々力のなかった小雛の力は更に半減している。
それに主人は死後硬直が早い人間だったのか、すぐに死後硬直が始まり固くなって余計に取れにくくなっているのもあるのだろう。
頭には五条の顔が浮かんだ。
小雛にとって五条は己の全てだ。
困った時に頼れるのは彼しかおらず、五条の姿が脳裏に浮かぶ。


「取ってあげようか」


一生このままだったらどうしましょう、と最悪な展開を思ってしまう。
しかし、同時にそうなった場合、最悪食べるしかないと続けて思っていると、真人に声をかけられた。
真人の言葉に小雛は彼を見上げる。
真人はにっこりと笑い、小雛の手首を掴む手を指さしていた。


「ですが…ご迷惑では…」

「迷惑じゃないから安心しなよ…そのままじゃ雛も困るだろう?」


困ると言えば困る。
確かに小雛は人間を食すが、丸齧りという選択に至るほど知識量は少ない。
迷惑だと思いはするが、手を外したいというのも本音なため真人の申し出を受け入れた。


「お願いします」


すっと手を差し出す小雛に、真人は笑みを深め『任せてよ』と手を伸ばす。
漏瑚はその手を見つめていた。
緊迫したようにゴクリと喉を鳴らし、真人の手を目で追う。
真人の左手が小雛の手を下で支えるように触れ、右手で小雛の手を掴む男の手を掴んだ。
真人の手が小雛に触れた瞬間、漏瑚からほっと安堵の息をつく。
死後硬直が始まって固くなっている指を一本一本真人は力を入れて剥がしていく。
力を入れすぎてポキポキ折ってしまうが、生きていないのだから悲鳴もなく静かに、スムーズに、作業ができた。
チラリと真人は小雛を見る。
小雛は己を囲っていた男の手が切断され血を噴出しても、炎に包まれ死んでも、指を真人にポキポキあらぬ方向へ折られても、表情は変わらない。
大きな真黒な目でただの手に絡まっている物を見るかのように、なんの感情もなく見つめていた。
そんな小雛を見て、真人はますます笑みを深める。


「はい、終わった」


全ての指を折り、小雛の手から剥がし終える。
真人はにこっと小雛に笑みを向けながら、ポイッと指があちこちに折られている手を床に放り捨てる。


「真人様…ありがとうございます」


ほっとしたように笑う小雛は一切男の手に見向きもしない。
真人は笑みを更に深め、『どういたしまして』と返しながら、右手を小雛に手を伸ばす。
その瞬間、真人は弾かれた。

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