(10 / 53) 本編 (10)
人間の血は真人が狩ってきた。
ペットボトルに入れて夏油が食べ物のついでにコンビニで買ってきた紙コップに血を入れて小雛に渡す。
小雛はコップに入っている人間の血を呑む。
小雛は3週間碌に人間を食べていなかったため、血とはいえやっと人間を体に取り込むことが出来た。
肉ではないが、ないよりはましだと思うほど小雛の体は疲弊していた。
真人が採ってきた血を飲むと、小雛は久々に純人間産の血が体に染み渡るのを感じる。
こんな感覚は最初の頃に人間の血肉を拒んだ後の食事以来で、心底自分は人間を食べていなければ生きていない体なんだなと思う。
血のみだが、久々の人間の血に小雛は、まるで砂漠をさ迷い乾いた喉を潤すように無我夢中に飲んでいく。


「いい飲みっぷりだねぇ」


真人はその様子を愉快そうに見つめていた。
一気に半分ほどまで飲んだ小雛は、真人の関心したような呟きに気恥ずかしそうに笑う。
あまりの渇きと空腹に一気に飲みすぎたのか、唇から溢れた血が顎まで伝って零れてしまい、それを拭う布のようなものを探すが当然置いていない。
どうしようかと困りながら、舐めとってもいいだろうかと考える。
小雛を育てたのは五条だ。
あの屋敷で小雛を人間として接してくれるのは五条のみだったため、大体のマナーは五条から教わった。
とはいえ、小雛はあの屋敷から出る予定もなく、真人達が来なかったら人と会う事も一生ない生活を送っていた。
だから五条もある程度のマナーを教えただけで、ガチガチに小雛を縛ることはなかった。
後は育った環境で小雛という人間が出来上がったのだろう。
何だかんだ言われながらもその生まれは坊ちゃんな五条に叩き込まれたマナーは基本を抑えたものばかり。
時々肉が乾かないように漬けられている血が唇から垂れることはあるが、それは微々たる量のため咎められることはなかった。
むしろ五条はそれがまた色っぽいと思い注意すらしようともしなかった。
しかし、今は違う。
あまりの飢えに勢いよく飲みすぎて溢れた血をどうやって拭おうかと小雛は考える。
普段ならハンカチ等があるが、今はそんな物見当たらなかった。
いっそのこと指で拭って舐めようかと考えるのは、今まで縛り付けられていた分、開放的になった反動だろうか。
舐めるか舐めないか、うーん、と悩んでいると唇に指が触れた。
横からぬっと手が伸ばされ唇を触れられた小雛は腕を伝って顔を上げて見上げる。


「うーん…そんなに美味しくはないね…やっぱホームレスはまずったかなぁ…」


小雛の食事は、3人が分担して集めた。
小雛の食事は人間に見える夏油が。
小町の食事は真人と漏瑚が担当した。
その漏瑚はまだミッションを完了していないのか、帰ってくる気配はない。
小雛は『うえ…まっず』と顔をしかめる真人にキョトンと惚けていたが、血を拭ってくれたと分かると笑みを見せる。


「ありがとうございます、真人様」


小雛は真人の行動に驚くことはなく、真人の好意と受け取り『拭く物がなくて困っていたんです』と笑ってお礼を言う。
そんな小雛に真人はにこりと笑い返した。


「今度は美味しい血を用意するからね」


そう繋げる真人に、夏油はわざとらしい咳ばらいを一つする。
咳払いの意味は『余計な事を言うな』という意味だ。
呪霊であろうと縛りの効果がある。


(小町に回復してほしくはないんだけどね)


小町の回復を目的に小雛を攫ったわけではない。
小町を利用しようとしているのは間違いではないが、だから(イコール)小町の復活をさせたいというわけではない。
せっかく食事一つで小町を制御できるのであれば、それに越したことはないだろう。
協力を得られれば術師の血肉を与えるつもりではあるが、非術師の血肉を与える理由は逃亡防止でもあった。
そのため、勝手に良い血を与えられるのは困る。
その意味を込めて咳ばらいをしたというのに、真人はただ舌を出しただけだった。
確実に反省していない真人に夏油は溜め息をつくだけに終える。
元々呪霊側と夏油との間に上下関係はなく、一応は平等ではある。
溜め息をついた夏油の耳にガチャリと扉が開く音が届き、再度後ろに振り返る。
そこにはなぜか息を荒げる漏瑚がいた。
どうやら今まで人間の肉を探していたようだった。
『遅かったね漏瑚』と言えば、『ああ、まあ…』と言葉を濁し、夏油に向けてある物を無造作に投げ渡した。
それは腕だった。


「……まさかたかが人間を狩るだけでこんなにも手間をかける事になるとは…」


疲れたように溜め息をつく漏瑚。
どうやら狩るに手間取ったようだった。
というのも、真人と漏瑚が手分けして人間を狩る予定だった。
頻繁に小雛を一人にさせないよう数人の人間を狩って、凍らせて保管する予定だった。
その為、狩る数を決めて二人で手分けして狩ってもらう予定だったのだが、特級であるが故なのか…手加減ができず、人間を炭に変えてしまうのだ。
手加減が出来たとしてもよくて焼死体。
人選を間違ったなと真人から聞いた時夏油は思ったが、その時は漏瑚と真人しかいなかったので選べる人選がなかったのだから仕方ないと思うしかない。
漏瑚も意地になってしまったのもあるのだろう。


(腕一本でも奇跡的な事だな)


本来なら人間などに手加減をするような呪霊ではないし、する理由がない。
そのため、腕一本でも灰にも炭にもならず残っているのは奇跡に近いだろう。
そう思うが口にはしないし、心からの言葉ではない。
口にすれば怒りを買うのは目に見えているし、夏油自身彼らも人間もどうでもいいのだ。
その為、とりあえずは漏瑚では血を抜くのは難しいと思い、まずは真人には血を届けることにした。
憶測ではあるが、力があるがゆえにしばらく四苦八苦していたのだろう。
人間は呪霊よりも脆く弱いのだから。
とりあえず夏油は『お疲れ様』と労わっておいたが、なぜかギロリと睨まれてしまった…解せん。
裏梅が小町のために漏瑚が狩ってきた人間を捌き、血を飲み終えていた小雛に差し出す。
小雛の前でのやりとりだったので、小雛は裏梅から紙のお皿を受け取りながら漏瑚に振り向きお礼を言った。


「漏瑚様、お手数をおかけしてしまい申し訳ありません…あの、小町ちゃんのお食事をありがとうございます」


食事で必要とはいえ、わざわざ狩りに行ってもらったのだ。
申し訳ないと思う気持ちと、感謝の気持ちがあった。
真っすな瞳に、真っすぐな言葉。
それを向けられ、漏瑚は一瞬だけ間を開けたが、『フン』と顔を反らし、ドサリと空いているビーチチェアに座った。
彼の態度に小雛は悲しげに視線を落とす。
自分の食事さえ自分で取りにいかないのだから嫌われて当然ではあるが、やはり嫌われるのは悲しい。
小雛は嫌われてしまったと思ったが、『あれ、照れ隠しだから』と真人が耳打ちをした。
その言葉にほっと胸を撫で下ろし、先ほど漏瑚が狩り裏梅が調理(と言っても皮を剥ぎ肉を切り落としただけ)をしてくれた小町の食事を口にする。
すると小雛は目を丸くさせ固まった。


「おいしい…」


漏瑚が取ってきた人間の肉片を口にくわえた瞬間、小雛は無意識にそう呟いた。
小雛にカニバリズムの気も、ゲテモノ食いの気もない。
だが体が小町に馴染んでしまってからは、好し悪しが分かるようになった。
かれこれこの悪食とはもう10年以上もの付き合いだが、これまで人間を食べてきてこんなに美味しい血は初めてだった。
囲われていた間の小町の食事は、不味くはないものの、美味しくもなかった。
至って普通の味でしかなかった。
しかし、それは意図的のもの。
小雛を囲っていた屋敷は強いて言えば弱い弱小一族だった。
御三家と同等の力やそれに近しい実力権力など夢のまた夢。
本来ならば五条悟という人物と会う事も言葉を交わす事さえも一生ありえないだろうというほどの地位の低い家柄だった。
それが小町を手に入れてから変わった。
手を伸ばせば届くほどの力を手に入れたのだ。
小町だけであれほど栄えた一族は、だからこそ小町の幸運に縋った。
その小町を制御するため、わざと力のない人間の血肉を与え逃亡を阻止していた。
だから、漏瑚が狩ってきた人間の美味しさに小雛は思わず頬を染めうっそりとさせてしまう。
ほぉっと吐息交じりでうっそりとさせる小雛の言葉や反応に、真人は『え〜?』と眉を顰め漏瑚に振り返り指をさす。


「点数稼ぎだ!」

「ふざけた事をぬかすな!た、たまたまだ!!狩った人間がたまたま儂が見えた人間だのだ!逃げたから捕まえただけであって狙っていたわけではない!!!」


まさか人間を殺して持っていこうとするたびに灰、または炭にしてしまったとは言えない。
数十回目かで上手くいったのが腕だけ残して消しカスになった男だった。
その事を言うとネタにされるので言わないが、点数稼ぎと言われるのも癪に障る。


「俺も吟味すればよかったなぁ」


真人は眠る小雛が目を覚ます時に傍にいたいという焦りから、その辺で寝ていたホームレスの男を襲った。
真人は人の形をしていても呪霊。
一部を除き人間には真人の姿は見えず、そのホームレスは突然全身の血を抜かれた。
漏瑚が良質な肉を選んだのは偶然…というか仕方なかった事ではあるが、小雛のうっとりとした顔を漏瑚がさせたと思うと面白くはない。
血なんてどれも一緒だろうと思っていた過去の自分を引っ叩きたくなる。
こうなるなら上等級の呪術師の血を持ってくればよかったと思う。
ちぇ、と拗ねる真人に小雛はクスクスと笑う。


「真人様が持ってきてくださった血もとても美味しかったですよ」

「ええ…絶対嘘じゃん…だってホームレスだよ?小汚いおっさんだったんだよ?不味いでしょ」

「えっと…その………あっ、で、ですが、ほーむれす?という方がどなたか存じ上げませんが…えっと…油っぽくなくて薄味で今の雛には飲みやすかったですよ」


嘘である。
はっきり言って不味かった。
薄味も薄味で、鉄の味も薄く、サラサラというよりびしょびしょだった。
どうやら死にかけのホームレスだったらしい。
しかし血は血だ。
人間の血として栄養価は低いが、あの動物の血よりはマシである。
それにほぼ絶食状態だった小雛の体には、例えマズイ血でもやっとありつけた血だったためそれはそれで美味しく感じた。
一生懸命フォローをする小雛に、真人の機嫌も直ったのか『じゃあ、次からは特級か1級の呪術師のをあげるね』と言って小雛の頭を撫でる。
呪術師、というのを理解していない小雛は『楽しみにしております』と笑顔で返し、小雛の笑みに真人もつられたように笑う。
呪術師に囲われていた器が、呪術師の血を呑む。
その光景を思い浮かべ夏油は内心薄ら笑いを浮かべる。
とは言え、呪術師を襲うのは別にいいが、あまり派手に行動されて動く前に自分たちの存在を気づかれるのは勘弁してほしいため、せめて低等級に留めるよう言い聞かせなければ…と思いながら二人の間に入り込む。


「じゃあ、次は小雛の食事の時間だね」


小町の食事も終わったのを見て、夏油は自分の手の中にある袋を小雛に渡す。
素直に受け取った小雛は中身を見るも首をかしげる。
小雛が食べているものは把握はしているが、夏油は料理人ではないし、真人達呪霊が人間の真似事などするわけがなく、ここにキッチンは当然ない。
キッチンを借りるにしても料理ができる人間は裏梅しかいないだろう。
しかし、裏梅は小雛に丁寧な態度をとるものの、それは小雛が小町の器だからだ。
小町や宿儺の命令がない以上、人間である小雛の食事を作る気はないようで一度頼んだが断られた。
その為、店に売っている食べ物になるのだ。
(がわ)ならば女の子が食べる物は分かるだろうが、中身はそこまで気が回るほど人間性は出来上がっておらず、女の子が何を食べるのか分からないため、まあ食べれば何でもいいか…と適当に籠の中に商品を入れていた。
面倒なので冷蔵庫なしでも日持ちする物を購入し、3日程度は買いに行かなくて済む。
その袋から取り出したのはおにぎりだった。
なんでもない、ただの梅のおむすび。
しかし、籠の鳥だった小雛の目にはそれがおにぎりとは認識されない。


「これは何ですか?どうやって食べるのでしょう?」


それ以前に小雛はおにぎりを食べたことがない。
屋敷の食事におにぎり等は出されたことはない。
3歳まで一般人として育ち、何度かおにぎりを食べた事がないというのはないと思う。
だが、記憶がないのなら初めてと同じである。
開け方が分からず、屋敷では勉強さえさせてもらえず漢字が読めない小雛は説明文を見てもどうやって食べるのか分からなかった。
首を傾げる小雛に夏油が教えてやる。
何も知らない無知なのはすでに知っている。
面倒だと思うものの、知らない無知さがいかに真っ白で空っぽの人間なのかを実感できて夏油はゾクゾクとさせた。

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