某所にある建物内。
人気のないそこに、小町とクロの姿が現れた。
飛んだように空中から現れ、着地する。
「…っ」
着地した瞬間、小町はふらつき、その場に座り込む。
苦し気な息を繰り返し項垂れるように俯いた小町はその表情を歪ませ、何かに耐えるように目を固くと瞑る。
小町は自身の体質を今ほど恨んだことはない。
同じ特級どころか蝿頭ですら小町のような確実とした弱点はない。
なのに、自分はこの体質のせいであの呪詛師と呪霊達にも命を握られていた。
小町が出てこないよう、しかし、小雛と小町を死なせない程度に力を押さえつけられていた。
それが小町のプライドを傷つけた。
あれらが兄ならばまだいい。
兄には敵わないと小町だって知っているし、その現実を叩きつけられてきた。
愚兄だと嫌っていても、心のどこかでは兄を恐れ、そして同時に兄の持つ力への憧れがあるのだろう。
だから兄にされたのならば腹も立つが、ここまで屈辱的に感じることもなかっただろう。
全てはこの体質のせいなのだ。
この体質のせいで自分はクソと呼んだ呪霊にすら踊らされる。
昔から小町はこの自身の体質を恨み、そしてそんな体質に生んだ両親を恨んだ。
「クソ共が…屋敷の者共のように妾を抑えるためにわざと低級の血を与えよって…」
今にも瞼が落ちそうだが、何とか眠るのを留める。
体調が優れないとすぐに眠気に襲われ、小雛の中にある生得領域で眠りについてしまう。
小雛が小町の食事を拒んだ時は小町は完全に眠りについていた。
今回は絶食の後時々真人が質の良い人間の血肉を与えてくれたおかげか、ギリギリだったが何とか表に出る事ができていた。
その為、あの時余裕そうに見えていたが、いつ小雛の中に引き戻されてもおかしくはない状態だったのだ。
それを小町はプライドだけで耐えていたという事である。
それもこれもあのクソと呼んだ呪霊と呪詛師のおかげだと思うと腹立たしいが、小町はフツフツと笑いがこみあげてくる。
「ああ…可哀想な妾の雛…あの男に裏切られ愚兄には死なれてしまうだなんて…なんて哀れで愛おしい妾の器…」
そもそも、自分が回復した兆しを見せる真似をしたのは外の様子に気づいたからではない。
もしもそんな余裕があるのであれば、もっと小雛に情が移り彼らの警戒が弱まり隙をついて逃げれる頃に現れていただろう。
そうしなければ厄介者であろう自分が出てこれるほど回復したと知った彼らは、もう質のいい血肉は小雛に与えることはない。
そうなるともう逃亡の機会はなくなってしまう。
その為、あの時小町が出てきたのは様子に気づいたわけでも、小雛を心配してでもない。
強制的に入れ替わったのだ。
真人のおかげで完全に眠ってはおらず、うつらうつらとしていた小町の耳にもあの時の会話は聞こえていた。
よほど真人の言葉がショックだったのだろう。
だが、小雛はショックを覚える事でも小町には愉快でたまらなかった。
頬を染めうっそりと小町は小雛に対し、己の中にある愛情を深くしていく。
小雛への愛情が深まるほどの余裕が生まれ、落ち着き始めた小町は周りを見渡す。
「ここはどこじゃ…?」
はぁー、と大きな息をついて周囲を見る。
体を後ろへ傾ければすぐに壁が当たり、そのまま壁を背もたれに体を預ける。
壁の冷たさが背中にじわじわと移るのを感じながら小町は周囲を見渡した。
見渡せば、ひどく暗い。
その暗さはまるで目を瞑っているように周囲の物が視界で確認できないほど暗闇に包まれていた。
月明かりが入らないという事は窓がないか、地下なのだろうという事だけは何とか把握は出来たが、それ以外は本当に暗くて分からない。
更に、先ほど日中のように明るかった陀艮の領域から一瞬でこの場所に移ったため、小町の目では更に暗闇が深く写る。
とりあえず目を瞑り、暗闇に慣れるのを待つ。
それでもやはり暗すぎて大体の事しか分からなかった。
音をたどろうとするも、周囲に人の気配も何かが動く気配もなく、小町が少しでも動けば大きく音が響くほどその場所は静まり返っていた。
傍に、気配を感じる。
暗さから姿は見えないが、恐らくその気配からしてクロなのだろう。
小町は小雛を心配して帰らないクロをギロリと睨むように見る。
「この駄犬が…少しは飛ばす場所を考えろ」
『ウ"ー』
人気が無い場所に飛ばすのはまあいいだろう。
人の目がある場所で突然少女が瞬間移動のように(実際はそうだが)現れたら騒ぎになる。
今の小町は非術師から逃げれるか分からないほど弱っているので、余計な騒ぎは避けたい。
とはいえ、ここまで極端な場所に飛ばすのも困りものである。
人目がなく、体調が安定するまで休めるという点では合格ではあるが、如何せん暗すぎる。
もしかしたら今が夜で、ここが地下だからかもしれないが、何もなさすぎるのだ。
小町は溜息をクロに向けながらその場に横になる。
本当はこんな砂や埃だらけの汚い場所で横になりたくはないが、まだ屋根や壁があるだけマシと思うしかない。
まさに背に腹はかえられないというものだ。
(失敗した…クロを使わず他のペットで隙をつきあの場所から逃げた後にクロを使えばよかったか…そこまで考えが回らないとは…)
眠りにつこうと目を瞑りながら、小町は自身の考えなしに反省をする。
クロは愛玩呪霊として小雛が作り出したが、小町がそれを『移動手段』として転移装置に変えた。
しかしクロをはじめとした小雛の作り出した呪霊達には縛りがあった。
一部を除き、彼らに与えられた術式は一日に一度しか使用できないという縛りだ。
その縛りで彼らの術式を強化している。
そのおかげで、クロの転移範囲は半径1メートルに伸び、どこにでも転移できるようになった。
しかし、転移ができると言ってもあの場所から五条のいる場所に移動は不可能。
転移はできるがランダムであり、指定できるが使用者の視界に写っている場所のみでしか移動できない。
便利ではあるが、不便でもあった。
唯一の長所は領域でも使用可能というところだろうか。
領域に入ったのなら、まずは抜け出す事は不可能。
こうしてどこに飛んだか分からないとしても逃げる事ができたのは奇跡にも近い。
だが、それでも危機を脱したとは言い難いのは確かだ。
「仕方ない…少し休んでから街に出向くとするか…」
まず、最優先はこの体だ。
器が死ねば自分も死ぬ。
何よりもこの体は大切に扱わなければならない。
本当なら今すぐにでも引っ込んで眠りにつきたい。
小雛は普通の食事を与えられているので、まだ小町よりも体力はあるはず。
ならば、小雛に変われば後は睡眠を取り少しでも体力を温存しておかなければならない。
しかし、それは今は無理なのだ。
小雛はよほど五条に嘘をつかれたことがショックなのか、小町が呼びかけても返事が返ってこないのだ。
どうやら深い眠りについているようで、もし小町も生得領域に引っ込んだらこの体は電池が切れたように倒れ小雛か小町が起きるまで眠り続けるだろう。
(まったく…囲われていたと思えば次は放り出されてしまうとはな…)
自分から逃げ出したとはいえ、11年もの間全てを管理されて続けていた生活が一転した。
ついさきほどまで眠っていたと思えば、目の前に見たことのない呪詛師と呪霊の姿があり、小町は顔には出さなかったがあの時は困惑していた。
どういう状況であの屋敷から逃げ出したのかも小町は眠っていたため分からない。
とりあえず自分を生かし小雛ごと懐柔させようというのは何となく察し、その理由も繋がった小町は夏油達から逃げた。
恐らく、逃げたことは正解なのだろう。
夏油達の目論見は当たっている。
あの兄が無条件に手を出さないのは妹である小町だけだろう。
運と兄の機嫌がよければ妹の言う事も聞くだろう。
しかし、小町の言葉も正しい。
あの兄が妹を盾に言う事を聞くタマではない。
例え小町が説得できたとしても、兄は兄だ。
唯我独尊。
歪曲された言葉通り、兄は周囲の意見など気にも留めず我が道を歩み続ける。
それが例え溺愛している妹であってもその道を塞ぐことは許されない。
別段夏油達の命を助けたわけではない。
ただ誰かの思惑通りに動くのが嫌だっただけだ。
兄が唯我独尊を貫くのであれば、その妹である自分だって兄のように自分の道を進む。
それが兄だから許される傲慢さなのは理解しているし、兄の妹だからここまで生きてこれたことも理解している。
だからこそ、小町は兄のもとから離れた。
(駄目じゃな…弱まるとどうしても感傷的になってしまう…)
昔の事を思い出し、湿っぽくなってしまった自分に小町は舌打ちを打つ。
昔…千年前の事は嫌いではなかったし、中々波乱万丈であったが楽しくもあった。
何よりも仔供という愛すべき存在を得たのは大きい。
「今頃…妾の仔らは何をしておるのか…そもそもどこにいるのかも分からん…」
小町が知る仔供達はもういない。
何しろ千年前の事だ。
しかし、小町が力を得ているという事は仔供達の意志は現代まで引き継がれているという事だ。
どこにいるのかも、どれほどの数がいるのかも、小町には分からないが、自分を求める仔供たちの存在だけは感知していた。
それだけが小町の支えでもあった。
昔の思い出も、仔供達ならば心も安らいでいく。
それと同時に少しの余裕も生まれたのか、空腹を知らせる音が小町の腹から奏でられた。
小町はその音に手を伸ばし、薄い腹を撫でる。
「中途半端に与えられていたせいで腹が空いてかなわん…この際適当に人間を狩るか…?」
小町は小雛とは違い、人間を食べて生きる事に抵抗も罪悪感もない。
親しい人間ならばいざ知らず…その辺の食糧でしかない人間などに情は持ち合わせておらず、その気になれば偶然歩いていた人間を殺してそのまま食べることだって可能だ。
ただ、その場合血だらけになるし、美味しい部分だけを食すことができないため、好んで無闇矢鱈には襲わないだけである。
はあ、と空腹に耐えるしかない現状にため息をついて俯き、手を地面について少し横になる。
少し目を開ければ、目の前にクロが座って小町を通して心配そうに小雛を見つめていた。
「少し休む…見張りを、頼むぞ…」
意識ははっきりしていても、体調不良と眠気が一気に襲う。
うつらうつらと瞼を閉じながら小町は少しずつ体の力を抜いていき、クロの返事を聞く前に眠りについた。
クロは小町が完全に寝入ったのを見送った後、クロもその場で小町…いや、小雛に寄り添い丸まって眠りについた。
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