(16 / 53) 本編 (16)
小町は夢を見ないほど深い眠りについていた。
しかし、その眠りはクロの鳴き声によって終わりを告げる。
クロの鳴き声で小町は目を覚まし、閉じていた瞼を開ける。
小町体調不良も相まって寝ぼけたように頭が働かず、ぼうっとしていたが次第に頭も冴えたのか体を起こす。


(まだ回復には至らんか…)


体が重い。
それは想定内だ。
ただ寝ていただけで回復したのならば、とっくの昔にあの呪詛師たちから逃げ出している。
小町が回復するにはとにかく人間の血肉と時間が必要だった。


(クソどもめ…余計なことをしよって…)


こんな状況は全てあの呪詛師と呪霊達のせいだと小町は逆恨みする。
しかし、それは間違いではない。
小町の食事を動物の血肉に入れ替えたのは夏油達なのだ。
思考も目も覚めた小町は現状に変化があったと気づく。
顔を上げて見渡すと、小町は眉を顰めた。


「青いな…」


目を覚ますとあれほど暗闇に包まれていたのに、今は電気をつけたように明るくなっていた。
しかも暗闇の中にいたので断言はできないが、恐らくだが場所も異なっている。
暗闇でも感じる事の出来た寒さや冷たさがなく、青色の電球で照らされているように周囲の建物どころか小町さえも青く照らされている。
手を見てみれば青色に照らされ血色など分からない。
肌が青色、とまではいかないまでも肌色が青みかかっているように見えるほど青みが強かった。
色の効果か、ここまで青色に包まれていると気が滅入りそうになる。


「領域か…」


異常と言えば異常だが、周囲の無機物達は決して非現実的な物ではない。
しかし、配置が異常だった。
テーブルが壁に埋まっていたり、テレビの上にイスが乗っていたりと滅茶苦茶に配置されており、非術師ならば混乱していただろう。
元々が何も見えないほどの暗闇に包まれていたから、元々がこんな配置で青いライトだったと言われれば無理やりだが納得できるかもしれない。
いくら弱っていても領域内と外の区別くらいはつく。
小町はいつの間にか何者かの領域に入り込んだらしい。
いや、恐らく眠っていた場所には元々領域を持つ者がいたのだ。
その者が何らかの理由で領域を展開し、それに巻き込まれたのだろう。


(しかし…この領域は不完全…大した者ではないな…)


領域ではあるが、その領域は不完全であった。
とはいえ、領域を展開しているという事はその者の他にも人間または呪霊がいるのだろう。
小町がこの場所に飛んだ際、反応もなかったところや、不完全な領域を見る限り、領域を持ってはいるものの、その強さは特級には満たないのだろう。
ただし、それは小町から見た物差しである。


「さて…どうしたものか…」


そう呟き、まだそばにいるクロを見下ろす。
クロは周囲を警戒しているのかそわそわと動き回っていた。


「クロ…貴様、術式は使えるか」


クロは転移の術式を使える。
それは領域内でも使用でき、本来ならほぼ不可能である領域からの脱出もクロならば可能だ。
だから夏油達からも逃げ出すことができた。
クロはうろうろと部屋を歩き回っていたが、小町の問いに振り向き伏せる。
クロを含む小雛の術式達は喋れない。
しかし、普段は小雛の愛玩道具として愛想を振りまくだけが仕事だったため小町も小雛も、クロ達との合図等は決めていない。
だが、伏せたその意味はおそらく『無理』という意味と捉えていいと、小町は何となく察した。
どうやら眠っている間に日を跨いだわけではないと、小町は溜息をつき、立ち上がる。


「術式が使えぬ貴様はただの畜生じゃ…いるだけで役に立たぬ故とっとと帰れ…代わりにシロとブチとネイを連れてこい」

『ウ"ーー、ワン!』


日を跨いでいないのであれば、この目の前の黒い毛玉は役立たずにしかならない。
肉壁にはなるだろうが、そうなれば小雛が悲しむため、小町はちょろまかと足元にいられるよりはと戻す。
その代わり、三匹の呪霊を連れてこいと命じ、クロは不機嫌に唸りながらも承諾したように鳴いた後スッと姿を消した。
同時に三匹の呪霊が現れた。
白い毛に茶色のブチ模様、垂れ耳に一つ目、一角のクロとは別種の犬の姿の『ブチ』。
その隣には美しい白い毛に三つのツノ、一つ目、首には鳴らない鈴のリボンが巻かれている猫の『シロ』。
最後は普通のネズミの『ネイ』。
彼らは小雛の術式で創り出した呪霊。
小雛の想像した姿で生まれる彼らの共通点は目が存在する呪霊には全て赤い瞳を持って生まれる。
礼儀よく横並びに並んで現れた呪霊に、小町は見下すように視線を向ける。


「妾は今弱体化され小雛は深い眠りについておる……主人の体に傷をつけられたくなければ貴様らには長物の術式を使い妾を守れ」

『わん!』

『ちぅ』

『………』


三者三様の反応で小町に返した。
犬の呪霊である『ブチ』は元気よく尻尾を振って。
ネズミの呪霊である『ネイ』は普通のネズミのように。
猫の呪霊である『シロ』は小雛ではないことが気に入らないようでフイっと顔を反らし鳴きもしない。
呪霊をカスだのクズなど見下している小町は三体がどんな感情を持っているのかも興味はない。
猫の姿のシロが不躾な反応をしていても気にも留めないし、怒りも湧かない。
『行くぞ』と言って小町は三体に背を向けこの部屋を出ていこうとする。
そんな小町をネズミの姿のネイが追い越して先行し、後ろを犬の姿のブチと、猫の姿のシロが続き、小町達がネイの後を追いかける形で進んでいく。
部屋を出ると窓のない廊下に出た。
あの部屋だけではなく、廊下も青いライトで照らされていた。
先ほどまでいた部屋は端の部屋だったのか、壁に片道を塞がれていた。
道も狭く、一人歩いて少し余裕がある程度しかなく、他に部屋もなく一本道を進む。
ここで襲われでもしたら一網打尽だが、襲うような存在どころか人間や呪霊と鉢合わせすることはなかった。
一部の術者の領域には式神が存在していることがあるが、この領域の持ち主は式神を持っていないようだ。
道なりに進んでいけば目の前に一つの扉が見え、小町はその扉を開ける。
その扉を開ければ広々とした病院の待合室のような場所に繋がっていた。
造りからして病院のようで、どうやらこの空間は全体的に青色に包まれているらしい。
外が見えるであろう窓やガラス張りの自動ドアを見ても、領域だからか黒く塗りつぶされたように外の確認ができなかった。
ここは領域内。
普通の建物ではないのだから出入り口で簡単に出れるわけがないのは分かってはいるが、とりあえず脱出を試みようとする。
チュウチュウ鳴きながらネズミのごとくあちこち走るネイの尻尾を掴み、ネイをぶら下げながら小町は出入口へと向かって歩き出す。


「――!」


本来なら出入口なのだから外に出るはずなのだが、扉をくぐるとそこは外ではなく手術室に繋がっていた。
やはりライトは青く灯っている。
一瞬意表を突かれたように立ち尽くしたが、すぐに我に返り、持っていたネイの尻尾を投げ捨てるように離す。
するとネイはまたネズミのように世話しなく部屋を歩き回った。


「……まあ、領域だしな…」


そう独り言を呟きながら小町は小さく溜め息をつき、ネイを見た。
相変わらず部屋をちぅちぅ鳴きながら歩き回るネイは傍から見ればネズミだ。
いや、ネズミなのだ。
ネイはその術式に全てを振り当て、最低限の命令を聞く程度の知能しか持っていない。
姿もクロやシロ達と比べるとネズミそのままだ。


「ネイ、シロ、貴様らは下がれ…どうやらこの領域では空間が繋がっていないようだ…ここでは貴様らは役に立たん」


そう小町が命じれば、部屋を好き勝手歩き回っていたネイはピタリと動きを止め姿を消した。
シロも鼻を鳴らしながら姿を消し、帰っていくネイとシロを見送った後、小町は部屋を見渡す。
手術台には撮ったレントゲン等X線の画像を見るためのシャウカステンが半分ほど埋まるように刺さり、床にはテレビが三台ほど置かれていたり、食堂の流し台が壁一面に飾られていた。
一見、狂気じみた光景だが、小町は気に留めていない。
出入りは入ってきた扉しか存在しないようで、仕方ないため来た道を戻るため扉をくぐる。
しかし、来た道を戻ると本来なら待合室に戻るはずが、目の前にはトイレが広がっていた。
どうやら一度扉をくぐって戻っても別の部屋に変わるらしい。
小町は面倒くさい領域に巻き込まれたとため息をつきながらまた来た道を戻る。
やはり手術室には戻らず、今度は病室に繋がっていた。
その病室には10人分のベッドが置かれており、綺麗にシーツがかけられていた。
しかし相変わらず床にはなぜか定規が突き刺さっていたり、壁には注射器の針がこちらに向けられて食い込んでいたり、天井にはベッドの柵が突き刺さっていたりと常軌を逸していた。
青色は心を落ち着かせる効果があるようだが、見る光景がこんな破茶滅茶では一般人では精神を落ち着かせるどころか精神的にストレスがかかりそうだ。


「妾に余計な体力を使わせおって…必ず手足をもぎそのもいだ手足を豚の餌にし己の口に食べさせてやらねば気が済まん…」


永遠と続くであろう迷路に、小町もいい加減腹立たしく感じた。
ここで日を跨げばクロでこの領域から脱出はできるが、それがいつになるのか分からない。
それにまだ小町の体力は回復していないのだ。
小雛の食事は安定して運ばれていたためまだ小雛の呪力を使用することに支障は出ていないのが幸いではあるが、眠気と怠さが強く残っている。
今すぐ眠りたいのに領域に巻き込まれたせいで、体も心も休める時間が奪われてしまった。
その腹立たしさから小町はこの領域の持ち主に八つ当たりをする。
間取りも滅茶苦茶になっており、小町が入ってきた扉は一つなのに、向かい側には扉が三つ並んでいた。
やっと別の扉から移動できると小町はループするしかない現状に飽き飽きしながら三つのうち中央の扉をくぐる。
すると別の待合室に足を踏み入れた。
病院は病院でも総合病院のようで、可愛らしいぬいぐるみ達が転がっているのを見るに、今回は小児科の待合室のようだった。
小町は包帯が巻かれているぬいぐるみや、メスが何本も刺さっているぬいぐるみなどを見つめながら長椅子に座る。
長い時間歩いてはいないが、まだ回復しきっていない体では疲れも強く出るようで少し休憩することにした。
その足元にブチがお座りをして傍に寄り添う。


「……はあ、疲れた…キセルを吸いたい…」


項垂れながら心の底から出た言葉を溜息と共に吐き出し、顔を上げて天井を見上げる。
天井はいたって普通の天井だった。
小雛の体は未成年だが、小町は1000歳である。
見た目は器である小雛だが、小町本体は成人女性。
千年前から愛煙家としてキセルを手放さなかった。
屋敷での生活で流石にキセルや煙草を要求しても許してくれず、以前五条に小町が頼んだが『雛の体でそんな有害な物吸わないでくれる?僕、アンチタバコ派だから』とバッサリ切り捨てられた。
その時の会話を思い出すと同時に五条の顔も思い出し、疲労が一気に苛立ちへと変換される。
憎き五条の顔を思い出し、嫌な気分になった小町は上を見上げるのをやめ視線を下へと移動させる。
ふと足元に視線をやれば、座っている小町の前にちょこんとお行儀よく犬のブチがこちらを見上げていた。
ブチは小町相手でも尻尾を振る明るい性格をしており、主人が小雛だと認識しているが誰にでも尻尾を振る愛嬌のある呪霊だった。
そのキラキラとした視線を受けながら小町は休憩して少し落ち着いたのか、永遠と続く迷路に腕を組み次の行動を考える。


「さて…どうしたものか……領域の持ち主を殺せば解除されるが…その者がどこにいるのかも分からぬ…こうも空間が捻じれていてはネイもシロも役に立たぬ…領域を持つのだからそれなりの等級であろうからコウも使えぬかもしれんな…かといって雌雄は呪力量が問題だ…」


ブチだけでは心もとなく感じ、小雛に作らせた呪霊達を思い浮かべるが、中々良いと思える呪霊達は浮かばない。
小雛が創り出した呪霊達にも、呪力が備わっている。
しかし、その呪霊達は作り出したから存在し続けるわけではない。
使い捨てではなく、小雛の中に戻っている間も彼らは存在している。
ただ、表に出ている間、呪霊達は小雛の呪力によってその姿を保っており、彼らの術式も小雛の呪力を通して初めて発動するのだ。
その為、いくつもの呪霊を飼えるのは呪力量が特級レベルの小雛であるから可能なのだ。
小町と小雛はお互いの術式を使えるが、術式に使われる呪力は全く異なる。
愚兄とその器は知らないが、小町と小雛はそうなのだ。
お互い自身の呪力で補っているため、例え小雛が5匹の呪霊を従わせているからと言って小町もそれ同様の数を従わせることは不可能である。
呪力だけを見れば、小雛は小町に勝っていた。
更には小町は今、夏油達に弱体化されたため、そう数を召喚できるわけではない。


「そもそも雌雄を出せる呪力があるのであればすでに妾の領域を展開しておるしな…ふむ…困ったことになったの…」


雌雄とは、その名の通りオスとメスで対となっている呪霊だ。
単体でも使用可能ではあるが単体でもそれなりの呪力を要求される。
対で使用するのであれは別ではあるが、個別の場合はコスパが悪い。
使える術式の割に呪力を食うのは他の呪霊と比べて多少図体がでかいからだと小町は考えているが、その真相は不明である。
領域ほど呪力は必要とされないが、雌雄を出せる呪力があればまだ領域を展開する…それほど今の小町の呪力量は限られていた。
そもそも領域を展開するのを渋るのは、こんな不完全な領域に負けるからではない。
その後が問題なのだ。
小町は今、力の半分以上も使えない状態である。
それも長期満足に食事も与えられなかったせいで体調を崩しており、今すぐにでも眠りにつきたいほどの倦怠感に襲われている。
それでも平気そうにしていたり歩み進めているのは、もうプライドや意地だ。
こんな不完全な領域しか作れない者に負けたくない意地。
本来なら、こんな不完全な領域など小町の領域で押し返せばすぐに壊せる。
しかし、それはできない。
領域は多くの呪力量が必要とされるため、領域を展開したとして、その後小町は眠りについてしまう。
小町が危惧しているのは、ガス欠である。
領域を押し返す。
しかし、それはすなわち領域の持ち主の死とは繋がらない。
領域を展開後、ただでさえ呪力量が限られる小町は眠りについてしまう。
小雛も眠りについている以上、この体は無防備にこの領域の持ち主の前に放置される形となってしまう。
領域を展開するにしても、まずはこの領域の持ち主を確実に殺すことができる算段が出来てからの方がいいだろう。


「仕方ない…せめてコウを出すか…あと一匹の余裕もあるが…ふむ…クウも出しておくか…」


そう呟けば、羽の音が小町の耳に届く。
バサバサと聞こえる羽の音に小町は自分の横へと視線を向ける。
そこには這いつくばるように留まるコウモリがいた。
コウモリの姿の『コウ』である。
コウは頭から尻尾にかけて黒から白の体を持ち、目はなく、クロと同じく耳まで避けた口に、羽はボロボロに穴が開いていた。
その後ろには男性の手と同じ大きさのクモがいた。
クモの姿の『クウ』である。
クウはコウと同じく目はない事と巨体を除けば普通の黒い蜘蛛である。
二匹は小町に呼ばれて現れ、同時に小町の呪力はぐっと減った。
しかし、彼らが術式を使用する余裕は残っており、小町はクモの姿のクウへ手を差し出す。
クウは目がないが見えているように小町の手に乗り、肩に移動する。
小町が立ち上がるとコウモリの姿のコウと犬の姿のブチも動き出した。


「さて…休憩も終わりじゃ…とっととクソを見つけてどこかで休みたいのう…」


早く安全な場所で眠りにつきたい。
その思いだけで小町は今動いていた。
今回は普通の小児科の待合室の作りのため、小町は考えるのも面倒くさくなり一番近い扉に手を伸ばす。
しかし、運は小町の味方をしたようだ。
小児科の診察室へ続く扉を開けると、景色が一気に変わった。


「やっと外に出たか…」


扉を潜るとそこは中庭に繋がっていた。
後ろを向けば先ほど出てきた扉はなくなり、噴水が見える。
領域から脱出できたわけではなく、まだ領域内だ。
歩いていて気づいたが、迷路になっているのも不完全だからではなくそういう領域なのだ。
広く見えても、恐らく歩いた距離はそう長くはないとみていいだろう。
小町は空を見上げるように顔を上げる。
外だからと言って青々とした光から解放されるわけではないようで、空を見上げると月も雲夜空もなく、ただただ暗闇色に染められていた。
それでも青色の光に照らされているのだから摩訶不思議である。


「さて…次の扉は…」


もうあべこべな光景には慣れた。
中庭なため目の前に扉があるわけでもなく、次の場所へ進むための扉を探す。
術式や呪力が限られている今、できるだけ無駄な呪力は使いたくない。
しかし、この領域内にいる主の気配は元からいないようにたどることは出来ず、必然的に無駄に歩き回るしか道はなかった。
これで全回復しているのであれば領域を展開して終わらせるのだが、それができないジレンマに更に苛立たしさを増していく。


「…なんの音じゃ…」


この領域で呪霊どころか人とも擦れ違ったり気配を感じたことはなかった。
この空間には自分しかいないのではないかと思うほど孤独が続いていたのだ。
だが、扉を探して周囲を見渡した際、ある音に気づく。
それは何やら争うような音が重なって聞こえ、その音から複数の存在がいるのに気づく。
そちらへ音を立てず建物の陰から覗き込めば――小町は微かに目を見開いた。
そこには…

―――呪術師が呪霊と交戦している光景が広がっていた。


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