(18 / 53) 本編 (18)
楽し気な音楽、太鼓の音、人々の笑い声がその場に響き渡る。
伏黒はその音にハッと我に返り顔を上げる。
顔を上げて、まず目についたのは階段。
その階段の先には御帳台。
御帳台に少女はいた。
少女は御帳台の中にある椅子に座り伏黒と特級を見下ろしていた。
顔には笑顔が張り付いているが、その目は凍る様に冷たい。
人間も呪霊も関係なく見下しているのが分かる。
伏黒はすぐにここが少女の領域だと気づき、周囲を見渡す。
少し離れた隣には特級が立って伏黒と同じく少女を見つめていた。


(音楽…?)


少女から敵意が感じられない。
特級呪霊も自分以上の脅威の少女に気を取られ伏黒には意識すら向けない。
それもあってか、伏黒は周囲を見渡す余裕があった。
改めて周囲を見渡すと、伏黒と特級呪霊を囲むように回廊があり、そこには顔を白い布面で隠し狩衣を身に纏う人間達がそれぞれの楽器を持ち鳴らしていた。
その後ろには様々な時代の着物を身に纏う老若男女の人間が愉快そうに踊っていた。
笑い声はこの者達の声なのだろう。
しかし、踊る人間も音楽を奏でる人間も、衣服は現実味があるのに、見える肌は黒く塗りつぶされている異常な姿をしていた。
そこから彼らが人間に見えるが、異なるものだと分かる。
領域には人間は生活ができない。
という事は、彼らは式神なのだろう。
更に後ろへ振り向けば、伏黒達の後ろ…少女と向い合せに鳥居が建っていた。
そこから更に周囲を意識する余裕が出て来る。
一見、この場は森深くある忘れられた神社のように周りは森に囲まれていた。
地面も現実のように砂利や石のタイルが埋め込まれている。
更には風や鳥の声すら聞こえ、穏やかな時間が続く。
事前に領域展開をしたと知らなければ、気づいていないほど現実と大差はなかった。


「今宵の生贄を選ぶ」


そう少女が呟けば音楽と人の声が止み、その痛いほど訪れた沈黙や少女の声に伏黒は緊張を戻す。
ピタリと静まり返り、音楽を奏で、楽し気な声を零していた影へ視線をやる。
あれほど音を立てていた影はまるで人形のように全員が同等に正座をし前を向いていた。
後ろで自由に踊っていた影さえも綺麗に一列となって正座をし前方を見つめている。
それがまるで狂った世界に迷い込んだようで、伏黒は鳥肌を立たせた。
そんな伏黒をよそに少女はスッと静かに特級を指さし―――


「お前にしよう」


そう声を零した。
その声が静まり返った瞬間、影たちはあれほど微動だにしなかった体を一斉に活動をはじめ、再び音楽を奏で踊りを踊る。
もう何が何なのか分からず伏黒は動くこともできず少女の行動を見守った。
ただ、それは自分達を害することがないという安心もあるのかもしれない。
少女が生贄として指名したのと同時に、床から巨大な槍が特級の腹を後ろから串刺した。
たった一撃。
しかし、その一撃であれほど伏黒を苦しめた特級呪霊はその命を散らした。
特級は命が散ったのと同時にその体が炎のように消える。
消えていく特級だったモノを無感情に見つめていた少女はその視線を伏黒に向けた。
少女と目が合い、伏黒に緊張が走る。


「縛りを違えるでないぞ」


そう言い残しながら少女は領域を解除し、伏黒を外へと戻したのと同時に少女の意識は失いその場に倒れた。







少女が倒れたのと同時に伏黒は現実に戻ってきたのだと気づく。
少女の領域が消えると、廃病院の中庭に戻ってきており、どうやらあの特級の領域は現実とリンクしているようだった。
中庭は雑草がまるで森や草むらのようにコンクリートを割って生えていた。
綺麗さなら領域の方が整っていたが、領域に戻りたいとは微塵にも思わない。


「…怪我が治ってる」


領域が解除され、季節にしては少し冷たい風が肌を撫でる感覚にやっと戻ってくれたと実感する。
あちこちに広がっていた痛みがないことに気づき、ヒビが入っていたであろう腕に触れても痛みはない。
頭も血は残っていたが綺麗に傷口も塞がっており、切れていた口の中も鉄の味はするものの痛みはなかった。
鉄の味は、傷からあふれ出ていた血の名残だろう。


(俺を治した術式は領域の効果か…それとも術式か…どちらにせよ反転術式とは違うように感じたが…)


反転術式を使える術師は少ない。
伏黒が知っている人間の中でも五条と家入と今留学中の乙骨だけだ。
その中でも五条は自身のみしか反転術式を使えない。
高専だけが呪術師ではないため、呪詛師や無自覚や潜在的な存在を含め探せばもっといるのかもしれないが、それでも多くはないだろう。
それでも最強の五条でさえも治療は自身のみで他者には作用しない。
そのため、他者を治療できる家入と乙骨は治療系術者の中でも貴重だ。
だが、何となくだが少女の使用した術式は反転術式とは別物だと感じた。
領域を発動し使用できるものだと、確信はないもののそう思った。
伏黒はチラリとそれを見る。
そこには少女がいた。
少女は仰向けに倒れており、気を失っているのか瞼を閉じ、体の力を抜いているためか少し顔が傾いていた。
気を失う前に眠りにつくと言っていたので、気を失っているように見えても眠っているだけなのだろう。
伏黒は少女を見つめながら手の平を呪具で切る。


「血が食事って…吸血鬼かよ」


呪術師として、縛りを破る事への怖さは知っている。
だからこそ、縛りには忠実でなければならない。
それが例え得たいの知れない人物と交わしたとしてもだ。
だから伏黒は呪具で手の平に刃を当てた。
痛みを感じながら伏黒は少女に近づき、血を少女の口へと垂らす。
指を少女の口へと近づかせ傷口から溢れた血が伏黒の指を伝って少し開いている少女の唇に垂れる。
真っ赤な血が少し開いている口の中に入ると少女は眠りについているのに関わらず、無意識に口の中に入り込んだ血を飲み込んだ。
コクコク、と垂れて入ってくる伏黒の血を少女は眠りながら飲み込んでいく。
少女が一滴でいいと言っていたので、すぐに離れ布で傷を覆った。


「後はこいつが目を覚ますのを待つだけだな」


縛りは特級を祓い怪我を治す事。
その対価として伏黒は自身の血を少女に与え、少女が目を覚ますまで触れず誰にも連絡せずその体を守ること。
血は与え、後は少女が目を覚ますのを待つだけだった。
しかし、今は夜。
それもこの廃病院は精神病棟だったらしく、人の目を避けるように建てられていた。
夏とはいえ少し肌寒い。


(…触れるなという縛りがどこまでを指すのか分からない以上は上着を掛ける事はできないな)


学生服を着ている自分でさえ肌寒く感じるのに、ラフで薄着の衣服を身に包んでいる少女はもっと寒く感じるだろう。
だが、その少女との縛りがどこまでなのか細かく指定されていなかったせいで寒そうにしている少女に自分の上着をかけることもできない。
この少女が味方である確証がない限り油断はできないが、流石に見た目が少女の人間を肌寒い場所に寝かせておくのは気が引ける。


「………」


伏黒はスマホを取り出し時間を見る。
時刻は丁度7時を回ったところだった。
この廃病院に入ったのが6時半過ぎだったため、30分経っていることになる。
しかし色々ありすぎたためか、30分ではなく数時間経っているように感じられた。


(ポテト食いてぇ)


体は治っているのに、疲れているのだろう。
伏黒は無性に油で揚げたポテトが食べたくなった。

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