(22 / 53) 本編 (22)
非形之誂(ひぎょうのあつらえ)
小雛の術式であるクロ達は、呪霊と同じく人の感情や呪いに小雛の呪力を込める事で形が生成される。
伏黒の術式と似ているが、クロ達は式神ではなく呪霊。
呪いや感情を媒体に作成されるため、どうしても見た目が異形となってしまう。
非形之誂の中でも、やはりランクというものがある。
それは呪術師が定めた等級と同様、特級に数えられる呪霊もいる。
しかし、雌雄は特級ではない。
今の小町の呪力で出せる最大の呪霊が雌雄だった。
それでも、特級である五条を相手にできるほどの強さがある。
小雛の後ろには二匹の金魚が現れた。
右には、不気味な紫色の水を纏わせ、赤黒い体に7つの血のような赤い目、裂けた口に、黒く縁取られた青みかかった赤黒いヒレのオスの金魚―――名を『(ゆう)』が。
左には美しい澄んだ青色の中に様々な魚影が泳ぐ水溜まりを纏わせ、オレンジと黄色かかった美しい体に、二つの赤い目、美しくひらめくヒレを持つメスの金魚―――名を『()』が、小町の後ろを水中に浮かぶように付き従っている。
どちらも現実の金魚と比べて大きさが遥かに超えている。
一般的な14歳に比べて小柄な小雛が両手で抱きかかえても少しはみ出す程の大きさが二匹、小雛の背後に浮かび赤い7つの目と2つの目で五条を睨んでいた。
異形。
クロとは違い、用途に確かな殺意の元生んだ呪霊は纏う空気が異なる。
特級と同じく伏黒に殺意は向けられなくても感じる張りつめる空気に、伏黒はゴクリと喉を鳴らす。


「―――」


緊張状態が崩れるのはそう時間はかからなかった。
五条が何かを仕掛ける前に、何かを言う前に、小町が二匹に合図を送ろうと動いた。
しかし、その瞬間―――小町は意識を失った。


「――雛!」


小町の体が後ろへ倒れる。
五条は倒れる瞬間、小町の気配が消えたのを感じ後ろへ倒れる小町――小雛へと駆け寄った。
しかし、距離的に間に合わない。
小町はどうでもいい。
だが、その体は小雛の物だ。
小雛も壁で守られているため怪我はしない。
だとしても、五条自身が嫌なのだ。
五条はできうる限り小雛を大切にしたいと思っていた。
それこそ、箱に仕舞い込みたいほどに。
本来なら間に合わないだろう。
しかし、小さく華奢な体は、後ろに従えていたメスの金魚である雌が、魚が泳ぐ水でクッションを作り主人の体を受け止めた。
小雛はすぐに目を覚ました。
しかし、五条のその足はすぐに止まる。
小雛に造られた呪霊は同じ体を共有する小町にも従っている。
それでも小雛と小町では彼らの扱いが違う。
小町は兄である宿儺と違いイレズミはなく、小雛と精神を交代しても釣り目以外の見た目での変化はない。
五条や呪術師は気配で気づくが、それ以外の見分け方としては小雛の造った呪霊の態度だろう。
小町と呪霊達はお互い必要最低限のやりとりで済ませるが、小雛には甘える。
雌雄は倒れた主人を心配して近づいたその体を静かに後ろへ下げた。
その意味を五条は知っている。


「ッ、…くそ……雛め…邪魔しおって…」


水の上に倒れた体を起こしながら小雛…いや、小町は顔を顰めながら頭を振る素振りを見せる。
気配が一瞬だけ、小雛に戻った。
しかしすぐに小町に変わり、五条は表情を落とした。


「小町…小雛を使って何を企んでる」


小町も威勢を保ってはいるが、本当なら眠りにつきたいほど疲労している。
血を与えられたとはいえ、特級ならば多少なりとも体力が戻るだろうが、所詮は2級の血。
微々たるものだ。
それも特級相手に勝算のある呪霊でギリギリ出せる呪霊と言えば雌雄しかいなかった。
まだ今の残量では同等の特級呪霊を出すことは出来ない。
そんな中でも小町は迷わず五条を殺そうとしていた。
納得したが、それは即ち大人しく従うとは違う。
小雛の気持ちは理解した。
しかし理解しただけである。
小雛が悲しもうが自身を恨もうが、小町はどうでもいい。
小町は別に五条でなくても構わないのだ。
むしろ五条の持つ術式や呪力で、避けたい相手である。
だから殺そうとした。
しかし、肝心なところで小雛に邪魔をされてしまい、小町は思わず舌打ちを打つ。
そして、五条の問い。
小町は雌雄を出した代償に強い眠気に襲われ時間も限られている。
しかし、相手は気に入らない五条悟である。
立てもせず雌の水クッションに座ったままのため、威勢を張っていると感づかれているのだろう。
だが、それでも五条に弱った部分を見せたくないという気持ちが強く、今すぐ眠りたい衝動を必死に抑えながら、愛しの婚約者を抑え込まれ機嫌の悪いこちらを睨みつける五条に嗤って見せた。


「企むとは人聞きの悪い…妾はただ雛が大切なだけじゃ…貴様のような者を被害妄想というのであろう?気色の悪い勘ぐりをやめよ」

「…だったらとっとと雛に変われ…お前が出てくる事自体雛に悪影響を及ぼすんだよ」


口調が直せないほど、五条は今苛立っていた。
小町は五条の心情が手に取るように読むことができ、愉快に嗤う。
しかし、小町も小町で時間がない。
色々嫌味をもっと言ってやりたいが、それは体調が戻ってから嫌がらせをしてやろうと諦めた。


「妾はの…別に貴様ら呪術師に保護してもらわなくてもよいのじゃ……血さえ与えられれば非術師でも呪詛師でも誰でもよい…じゃが、小雛がそれを望まなかった故、妾は仕方なく貴様の元に戻ってやるのじゃ…勘違いをするでないぞ、小雛が望んだのじゃ…妾はそれを望んでおらん」

「面倒な言い回しはやめてさっさと本題に入れ…こっちはいい加減お前の顔も見飽きて苛々してきてるんだよ」


雌の作り出す水に座る小町を五条は長身を活かして見下すように見る。
その目は布に隠れてはいるが、視線は凍り付くように冷たい。
小町は『それは妾のセリフじゃ』と嫌味を追加しながら、希望通り本題に入る。
小町は静かに一本指を立てて五条に見せ、言った。


一つ、小雛と小町の安全を必ず保障する事。

一つ、小雛と小町のある程度の自由を認める事。

一つ、小町の食事には最低でも週に一度、1級以上の人間を血のみでもいいから一品献上する事。

一つ、五条悟の認知しない呪術師及び非術師からの過度な接触は禁ずる。

一つ、小雛の望まぬ行為を禁ずる。

一つ、五条悟の死亡または意思能力を有しない場合を含め、小雛と小町の傍にいられなくなった場合、小雛と小町の許可の元、特級呪術師、又は1級呪術師を代理に立て上記を引き継ぐ事。


一本、一本、指が増えていく。
五条はそれまで表情を崩さず黙って聞いていた。
しかし最後の指が立った時、眉をピクリと上げた。


「これが貴様の元に行ってやってもいい条件じゃ…ちなみに当然この条件の事は小雛は承知しておる」

「雛が戻ってくるならどんな理不尽な条件だろうと呑んでやるさ」


『最後のは気に入らないけどな』と隠さず零す五条に、小町は『そうか』とだけ答えた。
不満はあれど、小町の出した条件を全て呑むと頷いた五条を見て小町は安堵したのだろう。
気が緩み我慢していた眠気に負けてしまう。


「五条悟」

「なに?まだ何かあるわけ?」


瞼が重い。
それはきっと五条にも見抜かれているのだろう。
うとうとしだした小町に、五条はやっと小雛と会えると少しだけ機嫌も治っていく。
しかし、最後のあがきの様に小町はしぶとく現世に留まっている。
それがまた苛立った。
そんな五条の心情などお見通しである小町は重い瞼を無理やり開けて五条を見つめ―――


「小雛は全てを知っておるぞ……せいぜい言い訳を並べて小雛に捨てられろ呪術師(カス)


そう言い残し、小町は嗤いながら意識を失った。
後ろに倒れる小雛の体を雌が水を増やして受け止めた。
眠りについた小雛の姿を、五条はただ見つめていた。


(全てを知ってる…?)


完全に小町の意識が沈んだのだろう。
後ろに控えていた雌雄が主人に近づき労わるように擦り寄る。
しかし、それでも小雛は目を覚まさなかった。
小町同様、疲労が溜まっているのか小雛も眠りについているらしい。
小町の言葉が引っかかり、駆け寄りたいのに足が動かなかった。
全てを知っていると小町は言っていた。
その『全て』とはどの部分なのか。
文字通りならば…―――五条は一瞬ヒヤリとしたものが背中に走ったが、すぐに冷静さを保つ。


(もし本当に雛が全てを知ってしまったとして…何をビビる事があるっていうんだ……雛に秘密にしていた事なんて宿儺の事以外にないだろう…)


小雛に嘘をついていた、と言われて思い浮かべるのは宿儺の事。
小町と宿儺を会わす意味は上層部と対立関係にある五条でも分かる。
どちらも危険物故に、会わせられない。
だから黙っていた。
もし、それを知られているとして。
それで小雛に失望されたとして。
だから何だと思う。
あの屋敷がなくなり、小雛は実質帰る場所を失った。
もうあの屋敷や屋敷の人間に小雛は縛られることもなくなった。
小雛の全ては既に五条の手に渡ったのだ。
その面倒な手続きも外堀も無事に埋め終わり、後は小雛を奪還するだけとなった。
五条と小雛にはあの屋敷にいたときとは違い多くの時間がある。
もしも小雛が軽蔑し嫌ったとしても、優しいあの子の事だから時間をかけてじっくりと言い聞かせれば、五条の言い分も分かってくれるだろう。
そう小雛は五条と屋敷の人間に育てられたのだ。
しかし、小町の言葉が妙に頭から離れなかった。


『―――』


考え込みすぎたのか、主人を迎えに来ない五条にしびれを切らした雌雄が鳴いた。
鳴いたと言うものの、表現が難しい声だった。
決して言葉にはできない鳴き声。
しかし、鳴き声として認識できる。
言葉が分からなくても『早くしろ』と言っているのが理解できた五条は止まっていた足を動かし、小雛のもとへと向かう。


「雛を受け止めてくれてありがとう…ここからは僕が責任をもって雛を守るから君達はもう戻ってもいいよ」

『―――』


言葉は分からない。
だが、感情は分かった。
五条が近づくと小雛から離れたので、小雛を横抱きに抱き上げる前に雌雄の頭をそれぞれ撫でる。
クロと違い、魚なので表情は変わらないが、感情を表す様に二匹の尾びれがゆらゆらと嬉しそうに揺れた。
呪霊だが、小雛が造り出したペットと思えば可愛いと思える。
五条が主人である小雛を抱き上げたのを見送った後、二匹は静かに消えた。
五条は呪霊が二匹消えたのを見た後、腕の中にいる小雛へと視線を移す。
自分の腕の中で眠る小雛の寝顔は愛らしい。
寄り添うように体を預ける姿が、自分に心も体もゆだねるほど信頼しているように思えた。


「お帰り、小雛…」


自分の肩に頭を預ける小雛の額に口づけを落とした。
屋敷から離れたせいか、嗅ぎ慣れた匂いが消えてしまったのは残念だが、これから自分好みに仕上げればいいとむしろ楽しみが増えた事に胸が躍る。
性格の悪さが顔に滲み出ている小町とは違い、年相応のあどけない愛らしい寝顔を五条は微笑みながら見下ろしていたが、ふと視線に気づき振り向く。
そこには巻き込まれたに等しい生徒がいた。
伏黒は特級同士の殺意に当てられたのか顔色が悪い。
そんな彼らを励ます様に五条はいつもの調子を作る。


「恵〜大丈夫?ごめんね、巻き込んじゃって」


『僕、最強だからさ、手加減できなくって』と笑って挑発する五条に伏黒はムッと挑発に乗る。
自分の軽口に反応できるのなら大丈夫だろうと思いながら、小雛を抱き直す。


「その子…一体何者なんですか?」


五条の軽口に、伏黒も調子を戻したのか警戒しつつも、気を失い五条がいるということで近づく。
伏黒は五条の腕ですやすやと眠っている少女を複雑そうに見つめた。
寝顔だけ見れば年相応の愛らしい少女なのに、一度目を覚ませば圧迫感を感じるほどの威圧感のある少女に変わる。
伏黒自身、彼女と話をしたというのに今でもそのギャップに信じられない気持だった。
伏黒の問いに五条は『んー』と言うのを躊躇うような素振りを見せた。
それはただ単に言うのが勿体ないという独占欲からくるものだが、五条の気持ちを知らない伏黒は脳裏に『呪詛師』という文字が浮かんだ。


「もしかして…本当に呪詛師なんですか?」

「えっ…ああ、違う違う!この子は――――」


五条は小雛が小町の器だと教えようとして口を噤んだ。
それはただ危機感ではない。
独占欲からくるものでもない。
ただ、黙っていた方が面白い事になりそうだと思ったのだ。
言うタイミングはこの場ではない、と。
急に黙り込む担任を伏黒は怪訝とした目で見る。
そんな生徒を見て五条はにこっと笑い、そして答えた。


「僕の可愛いお嫁さんだよ!」


嘘は言っていない。
言っていないが、まだ結婚はしておらずあくまで『予定』なので、ある意味言っているのと同様だ。
五条の言葉に、伏黒は五条から小雛を見た後、また五条へ視線を戻した。
五条はニコニコと上機嫌に笑っており、五条の性格を嫌というほど知っている伏黒は溜息をつき、舌打ちを打つ。


「気色悪い嘘やめてくれませんか」


信じない伏黒に、五条は『えー?嘘じゃないんだけど???』と答えたが、伏黒からは舌打ちが返ってきた。
同年代だとしてもギリギリ法律で結婚できる年に見えなくはないが、寝顔があどけなさ過ぎて年下に見える。
対して、五条悟は世間のカテゴリー的におじさんに足先がちょっぴり入りかけている28歳児だ。
ここで五条の腕にいる少女が法律で結婚できる必要最低限の年齢だとしても、五条とは12歳差だ。
年の差婚を否定するつもりは伏黒もないが、流石に担任が12歳も年下を冗談でも嫁として扱うのには思春期の伏黒には精神的に苦痛を感じた。


「いや、本当だから!信じて恵!」

「そうですか面白いですね」

「ええ…冷たい…何その凍えるような目…初めて見る…」


信じていないどころか、適当に返された五条はついに泣きついた。(勿論面白がっている)
しかし、伏黒は未成年相手に冗談でも嫁扱いする保護者兼担任をまるで道端に捨てられている汚い生ごみを見るかのように冷たい目で見ていた。
伏黒を小学生の頃から知っている五条は、初対面の頃から伏黒に尊敬の目で見られたことはない。
だが、ここまで冷たくゴミを見るような目は初めてだった。
ただ、周囲にクズと呼ばれている五条はどこ吹く風のごとく、『思春期って扱いチョー難しい〜』と笑うだけだった。

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