小雛は自然に目を覚ます。
瞬きを繰り返した後、小雛はふと気配を感じて横に顔を反らすように向けた。
そこには白衣を着た女性がおり、小雛に背を向けていた。
何かをしているらしく、目を覚ました小雛に気づいていない様子だった。
この部屋には女性と小雛しかいないため、身動きした際の音で気づかれたのか女性が小雛に振り返る。
「おはようございます、小町様…お加減はいかがでしょうか?」
女性と目が合ったので、小雛は体を起こした。
それと同時に女性…家入は小雛に歩み寄る。
家入の問いに小雛はどうしようかと迷う。
小雛はここが未来の呪術師を育む学校とは知らない。
だから迷った。
小雛は良くも悪くも素直である。
体調が悪いのならそう言えばいいのだが、小雛は無知ゆえに『人間を満足に食べていないから体調が悪いです』としか言えなかった。
「あの…」
口を開いたが、小雛は閉じた。
俯き小さく『…大丈夫です』と答えた。
小雛は素直だからこそ、黙っていることを選択した。
家入はその反応だけで、目の前にいるのが小町ではなくその器である小雛だと気づく。
いや、気づいて当然であった。
小雛と小町は体を共有してはいるが、小町の性格の悪さが顔に出てしまうのか雰囲気も表情も小町と小雛は全くの別物であった。
家入は口を閉じる小雛に『小雛様』と名前を呼ぶ。
名を呼ばれ、小雛は名前を呼ばれハッと弾かれたように顔を上げた。
顔を上げれば、家入は小雛が安心するように小さく微笑んでいた。
「貴女様が小町様の器だということも、小町様が何をお食べになるのかも存じております…なので、もし体調が優れないのでしたら仰ってください…私は呪術師であり、医者でもありますから」
家入の言葉に小雛は目を見張る。
呪霊の所にいたと思えば、五条と対立し、そして目を覚ませば今は呪術師の所にいる。
一体何があったのか分からないが、小雛は自分の体調よりも呪術師と聞いてまず聞きたい事があった。
「呪術師様でしたら…その……悟様を…五条悟様をご存じでしょうか…」
小雛は自身の体調よりも、小町の事よりも、五条の事を訪ねた。
まさか体調の事よりも五条の事を問いかけられると思っていなかった家入は目を丸くするが、すぐに頷いて答える。
「知っておりますが…五条は今小町様のお食事を確保するため外出しています…いつ戻るかは分かりませので連絡を取りましょうか?」
「ぁ…い、いえ……ただ…ご存じなのかと思っただけですので…あの…ですが…その……悟様が戻ってこられるまで待たせていただいてもかまいませんか?」
『勿論、構いません』と笑顔で頷くと小雛は胸を撫で下ろす。
家入は笑みを浮かべる小雛の笑みが、寂しげに見えた。
しかし家入が何か言う前に小雛は家入の問いに答えていないことに気づき、『あっ!』と声を漏らす。
「申し訳ありません…体調の事をまだお話していませんでしたね…」
「そうでしたね…どこかおつらいところとかありますか?小雛様が眠っておられた間触診をさせていただきましたがそれだけでは気づかないこともありますので…僅かな事でも構わないので何か違和感がおありでしたら遠慮なさらずに仰ってください」
『遠慮せず仰ってください』と言えば、小雛は『ありがとうございます』とお礼を言って笑う。
この女性は小町の食事の事を知っていると言った。
ならば、素直に答えても構わないだろうと信じることにする。
「そうですね…その……ここ三週間ほどでしょうか…屋敷で出される小町ちゃんのお食事が変更されてしまい、小町ちゃんが眠ってしまって…体が重いのです」
「変更、ですか?」
小雛は食事を変更されていたことを話す。
人間の血肉が動物の血肉に代わった事。
その期間がおよそ三週間ほど前だという事。
全てを家入に話した。
小雛は小町の影響で他のカニバリズムの人間と違う味わいを感じている。
その中でも、やはり人間や呪術師であろうと下級であればあるほど味は落ちるらしい。
日本人が好んでいるマグロで表せば、高級店で出される新鮮な大トロとカマトロが特級、ちょっといいスーパーで売られている切り身が1級、一般の店で売られている切り身が2級、激安が売りのスーパーでおつとめ品として売られているのが3級、4級と一般人は期限切れのドリップ(血のような汁)ドバドバ出ている変色したマグロの切り身。
それくらいの違いがある。
ただ、4級や一般人であっても食べれなくはない。
小雛は屋敷で出された血肉は、消費期限ギリギリのちょっとドリップが出ているがまだ赤いマグロの切り身と言っても許される物を食べていた。
その血肉が獣臭のする食べれた物ではない何とも言えない血肉に変更されていたのだ。
その違和感を覚えつつも、疑う事を知らない誰にも言えなくて今まで変更された食事を食べ続けた。
その結果がこれだ。
「小雛様は食欲ありますか?」
「いえ…」
「小町様と同調なさっているようなのでその影響もあるのでしょう…お身体がおつらいようですし、今は安静になさった方がよろしいでしょう…五条が戻ってくるまで横になってお待ちください」
『五条が戻られたら起こしますから眠ってもかまいませんよ』と言いながら、家入は小雛の体を気遣う。
どうやら小町の食事が与えられなくなったらしく、小雛の食事は変わらず与えられてはいたものの、小町の影響で小雛も体調を崩しているらしい。
外傷ならば治すことはできるし、単純な体調不良だったらそれなりの薬や対処法がある。
だが、小雛の場合、薬などで対処できる問題ではない。
最も有効な治療法は小町の食事を小雛に与える事だ。
それは今の家入には用意できるわけがなく、五条の帰りを待つしかない。
今はただ、安静にする…それが家入のできる処置だ。
小雛も体がつらいのは本当なのか、家入の言葉に頷きベッドに横になり、家入が優しく小雛の体に布団をかけてやる。
『ありがとうございます』とお礼を言う小雛に、家入は『いえ』と笑みを向けた。
体調不良の時、身体は眠りを求める。
それが一番有効なのを体が知っているからだ。
小雛も睡魔に襲われ、再び眠りについた。
すうすうと眠りにつく小雛の寝顔を家入は黙って見下ろす。
(あどけない寝顔をする…この小さな体の中に特級呪物がいるとは思えないな…)
何となく頭を撫でてみる。
見た目は綺麗だが、触れてみると少しごわついていた。
それは生まれつきなのか、それとも行方不明だった間お風呂に入れなかった環境下に置かれていたからか。
分からないが、少し残念に思った。
特級呪物の器である虎杖と小雛を見て思ったが、器と呪物のギャップが激しい。
虎杖は伏黒が善人と言うほど良い子だし、小雛も会話をそれほど交わしていないが良い子だと分かった。
特級呪物の器になる条件に、善人が必須条件なのだろうかとさえ思うほど、二人は良い人間だ。
家入は考えるのをやめ、小雛から離れて医務室を出る。
少し医務室から離れた廊下でポケットから携帯を取り出し、履歴にある五条の名前に触れる。
≪雛に何かあった?≫
電話をかけると、ワンコールになる寸前で出た。
その速さと、第一声で家入はドン引きする。
「きもちわる…」
≪えっ…待って…なんで電話に出ただけで罵られてるの僕…≫
「器が目を覚ましたぞ」
戸惑う声を作る五条を無視して家入は小雛が先ほど目を覚ましたことを連絡する。
『ええ…無視された…』としょげた声を作るも、『そう、目が覚めたんだ』という声に安堵の音が聞こえた。
その声だけは本心から出たように聞こえた。
家入は目が覚めたが眠った事、小雛から聞いた食事の事を五条に伝え、五条は訝しんだ声を零した。
≪食事が変わった?僕はそんな話、聞いてないんだけど…≫
「だが器からそう聞いたが…連絡ミスとかじゃないのか?」
≪それはないでしょ…ちゃんと雛の事は全部僕に許可を得てからって口すっっっっぱく言ったし…今まで連絡ミスなんてなかったし≫
その口酸っぱくは本当に口酸っぱくなるほど何度も何度も(脅して)言ったのだろう。
簡単に想像できる家入はちょっとだけ屋敷の人間と五条家の人間に同情した。
ちょっとだけ。
マクロほどに。
「五条、お前今どこにいる?」
≪今?今は丁度病院から出たところだけど…もう、聞いてよ硝子…担当した医者の女がさぁ、しつこく食事に誘ってきてさぁ…雛を待たせたくないのに全然臓器くれなくってもうブチギレそうになったよ…丁度院長が来て病院を消し飛ばさなくて済んだけど…ほんと、飢えてる女はやだよねぇ≫
『僕には雛がいるっていうのに』とナンパされただけでキレかけている同期など興味もなく、家入は『じゃあもう戻ってくるだけなんだな』と無視した。
それはいつもの事なので気にも留めず、五条は家入の言葉に怪訝とした声を零した。
≪そうだけど…何?何か用とかあるの?悪いけど雛を待たせてるし道草は…≫
「器が寂しがっ――――」
「それをまず最初に言って!!!」
家入が言い終わる前に、五条が一瞬にして戻ってきた。
五条の相手は面倒だ。
まだ身も心もクソガキの学生時代の方が扱いやすかったと家入は思う。
いや…今も28歳児ではあるが…大人になった分ずる賢さを覚えてしまい厄介さが増した。
どうでもいい五条の会話を今は続ける気は起きず、五条の言葉を遮って小雛が寂しがっていたと伝えたら、五条が家入の言葉を遮り、文字通り秒で返ってきた。
もう突っ込むのも面倒なので、家入は…
「きっつ…」
「術式を使ってまで急いで帰ってきた同期に対してその一言ってどうよ?」
正直な感想を述べただけに留めた。
提携している病院は街の中にあるので郊外にある高専との距離は遠い。
五条はそれなりの距離を、家入の言葉一つで一瞬にして術式を使いここまで戻ってきたらしい。
コンビニの時も思ったが、術式の無駄使いである。
戻ってきた五条の肩には臓器提供用のボックスが掛けられており、そのボックスの中には本来なら必要な人間に与えられるはずであろう臓器が入っている。
それを見て見ぬふりをしつつ、家入は解剖室を指さす。
「さっさと処理してこい」
「その前に雛の顔を…」
「器はもう寝てるって言っただろ…その中は臓器なんだぞ?小町の食事は鮮度を保たなければならないんだろ…器に会いたいのならまずその臓器の処理してから来い…でなければ医務室には一切入らせないからな」
「ア、ハイ…」
小雛に会わせない、というのが一番効いたのだろう。
普段ならもっとごねるが、今日は素直に解剖室へと消えた。
残された家入はとぼとぼと解剖室に消える五条の背中を見送りながら重い溜め息をつき医務室に戻った。
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