(27 / 53) 本編 (27)
小雛は五条の言葉に目を瞬かせ呆気にとられた。
そんな小雛に気づかず、五条は思わずベッドに寝ている小雛の両脇に手をやり上から顔を覗かせる。
小雛は五条の明るい声色に、思わず瞑っていた瞼を開けた。
五条は小雛に迫るように目の前まで顔を近づけていた。
ドアップに写る五条の顔に小雛は驚き、つい頷いてしまった。
しかし、それは嘘でも偽りでもない。
頷いた小雛に五条は嬉しそうに顔を破顔させ、小雛の体を起こして抱きしめた。


「さ、悟様…?」


小雛は突然の事に目を丸くする。
小雛の予想では我が儘な自分に五条は呆れたような表情を浮かべているはずだった。
だが、その予想は大きく外れ、五条は嬉しさを表すように小雛の体をぎゅっと強く抱きしめる。
その力は箱入り娘の小雛には強く、小雛は苦しそうな声を零す。
その声に気づいたらしい五条は力を抜いてくれたが、腕からは離してくれなかった。


「嬉しいよ、雛…雛が僕に会いたいって思ってくれたなんて…いつも雛は僕が帰る時も素直に笑顔で見送ってくれたから……雛は僕の事何も思っていないのかなって不安だったんだ…」


五条も笑顔で帰っていくが、その本心は寂しく感じていた。
だが、小雛もいつも笑顔で見送ってくれるから、大人である自分が我が儘を言えるわけもなく、そして我儘を言ったところで小雛を連れて外に出れるわけでもなく、五条も我慢していたのだ。
だから五条は自信がなかった。
自身の顔の良さは自覚しており、その顔で何人もの女性達を落としてきた。
そういう自信は当然あったが、人間、本気の恋をすれば臆病になる生き物のようで…小雛に関しては自信なんてこれっぽっちもなかった。
いつも我が儘を言わず素直に笑顔で見送ってくれる小雛。
今まで付き合ってきた女性達は別れる際に『寂しい』と言っていた。
付き合ってきた彼女達の中でも、クール系やサバサバ系の女性達もいた。
そんな彼女達でさえも自分を見送る時には寂しさを瞳に浮かべていた。
しかし、小雛はそれが一切なかった。
だから五条は一方通行だとばかり思っていたのだ。
それが、本当はあの時小雛も寂しいと思ってくれていたのだと知り、これほど嬉しいと思った事はなかった。
五条の言葉に小雛は慌てて誤解を解く。


「そんな事はありません…雛はいつも悟様の事を考えておりました……お見送りだって…本当は寂しかったです…でも悟様はお忙しい方ですし…雛はあの部屋から出てはいけなかったので……悟様がお忙しいなか雛にわざわざ会いに来てくださるだけで雛は幸せでした………幸せ…だと、思っていたのです…」


五条に嫌われなかったと知って小雛はホッと胸を撫でおろした。
しかし、小雛の声は落ち込んだように沈んでいく。
あの時は五条が会いに来てくれるだけで幸せだと思っていた。
そう思う事で寂しさを誤魔化していたのだ。
小雛はポツンと一人になった広すぎる部屋を思い出したのか、抱きしめる五条の胸元に顔をすり寄せ、五条の広い背中に手を回して自分からも抱きつく。
あの部屋では得られなかった暖かさが、小雛の心を解けていく。


「雛は我が儘な子ですからそれだけでは満足できなかったのです…いつも悟様が帰られた後は寂しくて悲しくて…胸が潰れそうなほど苦しくて…いつも…悟様が帰られる入口に触れるのですが…結界で阻まれて…悲しくて…その度に悟様への想いも強くなっていくのです…」


寂しさを思い出し、涙が溢れそうになるが、目を瞑って誤魔化す。
本当に寂しかった。
あの屋敷で小雛を人間として扱ってくれたのは、五条と、主人の妻だけだった。
主人の妻は呪術師の家柄の出身ではあるが、その力はほとんど非術師だったため小雛の部屋にはたどり着けない。
そのため、二人の間には手紙での縁しか結ばれていなかったが、その縁も妻から小雛への一方的でしか許されていなかった。
そもそも、妻を含めた五条以外人間と小雛の接触を主人は禁じていたのだ。
手紙も五条が主人に頼んでくれたから叶った事である。
だから、小雛の世界は常に五条が中心に成り立っている。
五条が帰ってしまえば、小雛の世界は自分以外誰もいなくなる。
自身が作り出した呪霊であるクロ達も支えてくれた大切な存在だが、彼らは人間ではない。
温もりはある。
だけど人の温もりではない。
小雛は人の、小雛と同じ人間の、温もりが欲しかった。
けれど、あの場所に同じ人間はいなかった。
だから、我慢した。
小雛は幼い心を持ったまま、全てを耐えなければならなかった。


「ごめんなさい悟様…雛は悟様が望まれるような良い子ではありません…」


自分の事を悪い子だと今までは思っていなかった。
良い子だとも思っていなかったが、五条に会いたいという気持ちだけが膨らみ我が儘を言う自分が嫌いだ。
自分はもっと我慢ができる子だとばかり思っていたのだ。
一度解き放たれた感情は決して戻らない。
こんな我が儘で悪い子を五条が好いてくれるはずがないと小雛は後ろ向きな考えになっていた。


「雛は僕のことをどう思ってる?」


小雛は五条の問いに目を瞬かせ顔を上げる。
五条を見上げれば、五条は小雛が予想外の表情を浮かべていた。
五条は微笑んでいた。
今度こそ小雛は呆れられるとばかり思っていたため、目を丸くして五条を見つめていた。
驚く表情を浮かべる小雛のふっくらとした頬に五条は触れながら、親指で頬を優しく撫でる。


「僕のこと嫌い?」

「いいえ…いいえ!雛は悟様を嫌ってなんていません!そんな…悟様を嫌うだなんて…!」


五条の言葉に小雛は思わず即答してしまう。
五条の事を嫌うなんてありえない。
小雛は最初こそ五条を含めたあの屋敷の人間達も恨んだ事はあったが、時間の経過と共に小雛はあの頃の五条の不器用な優しさに気付く事が出来た。
それから小雛は五条の事を好意的に思えた。
小雛は食い気味に否定した事が恥ずかしく感じて、白い頬をほんのりと赤く染めた。
気恥ずかしく思うあまり俯かせ、赤く染まる顔を五条から隠そうしたのだが、それは五条が許さなかった。
頬に触れている手で固定し、顔を俯かせるのを拒んだ。
小雛が嫌いだと即答したことが嬉しかったのか、五条は笑みを深め―――


「僕は雛のこと、好きじゃない」


その言葉を理解するには少し時間がかかった。
それでも一瞬ではあるが、小雛は顔を青く染める。
小雛は嫌われる覚悟はあったが、覚悟があっても感情が追いつかない。
唯一自分を個として見てくれる人間からの拒絶がまるで世界から拒まれたように感じた。
小雛の体に絶望感が走る。
顔を青ざめ大きな瞳を悲しさで涙を浮かべる小雛に、五条は笑みを浮かべたままゴクリと喉を鳴らした。
自分に嫌われていると思っているだけで絶望的な表情を浮かべるその姿を見て、五条はゾクリとさせた。
一瞬自分の加虐嗜好がちらっと出てしまったが、何も五条は小雛を虐めて楽しみたいわけではない。
好きな子ほど虐めたいという幼稚な部分はあるが、五条は小雛を大切にしたいと心から思っている。
だから、小雛が嫌がることだけは避けたい。
五条はこのまま勘違いさせるつもりはなく、両手で小雛の頬を包むように触れ、小雛の大きな瞳から溢れそうになる雫を唇で舐めとった。
小雛の顔を見て見れば、目元にキスをされて驚きのあまり呆けていた。
キョトンとさせた表情も可愛くて、五条は目を細める。


「僕は雛のことを愛してる」

「あ、い…?」


小雛は目を瞬かせ五条を見つめる。
小雛の知識はそれほど多くはない。
好きか嫌いかのどちらかしかない。
たかが幸運の物に愛を語る者は当然おらず、小雛は知らない言葉に首をかしげた。


「愛っていうのはね、好きよりもずっとずっとその人の事を好きでいること」

「ずっとずっと…?好きとは違うのですか?」


小雛は愛も好きも違いが分からなかった。
愛と好きという言葉があるのだから、その違いはあるのだろう。
だが、純粋無垢に育てられた小雛には分からなかった。
その小雛の問いに五条は即答で『違うよ』と答え、両頬を包み込んでいる小雛の顔に近づいて覗き込むように瞳を見つめる。


「愛はね、雛…好きほど綺麗ではないんだよ」


五条は脳裏に一人の生徒と呪霊を思い浮かべる。
彼らの存在こそ、『愛ほど歪んだ呪いはない』と証明していた。
彼の彼女への愛情が、彼女を呪いの女王へと生まれ変わらせた。
彼ほど呪いの厄介さを証明した人間はそういない。
その歪んだ愛情を五条は小雛に向けている。
それも、両想いだった彼らとは違い、五条は一方通行に。
それでも呪いが成立するのだから、人間という生き物は厄介な生き物である。
だからこそ呪術師がこの時代まで存続しているのだろう。


「ごめんね…僕は雛が思っているほど優しくないんだ」


五条の言葉は理解が出来ず、小雛は首を傾げた。
その仕草があまりにも無垢すぎて、五条はつい思わず笑みが浮かんでしまう。
五条はうっすらと笑みを浮かべながら、まだ好きと愛が理解できていない小雛にどれだけ男女の愛が汚れているのかを伝える。


「僕は雛を独り占めしたいと思っているよ…誰の目にも写さず、誰とも会わせたくない…僕だけを見てほしいし、雛の全てを僕だけに与えてほしいと思っているし、そうある事が当然だって思ってる…本当はこうして外に出すのもイヤ…雛の中にいることを許されている小町も憎く感じてしまっている」


汚い独占欲だと五条は自覚している。
自分は外に出て色々な人と会い笑い話すのに、それさえ雛には与えたくはない。
自分の事は棚に上げているのも自覚しているが、それが本音である。


「あの屋敷以上に閉じ込めたいって思ってる…僕しか見ないようにして、接触するのだって使用人ですら許せない…ずっとずっと、部屋に閉じ込めて、僕がいなければ何もできないようにしたい……雛、愛っていうのはこんなものなんだよ…愛は好きほど綺麗じゃないんだ…愛が深ければ深いほど穢く重いものなんだ…」


『ごめんね』、とそんな穢い感情を向けてしまっていることに五条は謝る。
しかし心からではない。
この感情はもう否定できるほど無自覚ではいられない。
だが否定しようとも、これが自分の本性なのだ。
あの屋敷では、自分と当主以外正式な方法で会う事は出来なかった。
当主は小雛にも小町にも興味がないから一度も会わず、実質あの屋敷で会えるのは自分だけ。
だが、小雛には自分以外との繋がりがある。
その繋がりとは、使用人と主人の妻。
繋がりと言ってもどちらも一方的な繋がりだ。
しかし、五条からしたら一方的でも繋がりは繋がりだ。
小雛と会っている。
小雛に手紙を送って、その手紙を受け取って読まれている。
たったそれだけでも五条は許せなかった。


「雛は愛というものは分かりません…ですが…好きも愛も…同じでは駄目なのですか?」


14歳だが、屋敷に閉じ込められ教育を満足に受けることができなかった小雛には愛や好きなどは全く理解が出来ないものだった。
この自身の感情が好きなのか、愛なのか…小雛には分からない。


「雛は悟様のことが好きです……ずっと悟様のお傍にいたい…ずっと雛を見てほしい…悟様も雛の事を好きでいてほしい…これが愛なのか、それとも好きなのか…雛には分かりません…ですが、雛のこの想いは決まった言葉に当て嵌めなければ駄目なのでしょうか」


分からないからだろうか。
二つの言葉はきっと違うのだろうが、それでも小雛には違いがあるとは思えなかった。
愛も、好きも、それでいいのではないかと思う。
小雛は五条を好きでいて、五条も小雛を愛してくれている。
お互い想いが通じているように小雛には思えた。
小雛は黙り込んでこちらを見つめる五条を、その丸く愛らしい瞳で見つめる。


「雛はあなた様をお慕いしております」


そっと頬に触れる彼の手に自分の手を重ねるように触れ、小雛は思いを伝えた。
五条は一瞬止まった。
固まった五条をそれでも小雛は見つめ続ける。
その目は期待に満ちており、恐らくは五条の同意を望んでいるのだろう。
小雛がそれを望んでいるのなら、五条も頷きの一つくらいあげたっていい。
それで小雛が安心して笑ってくれるなら、嘘もつけた。
しかし…


「ありがとう、雛…でも、きっと…いつか、雛もこの違いが分かる日がくると思うよ…だから、その時はもう一度……………その違いが分かった時…もう一度雛の気持ちを聞かせてほしい」


五条は拒んだ。
嘘をつくことを拒む。
ありきたりな言葉で小雛に嘘をつき、小雛の心を守ってやりたいとは思っている。
しかし、こればかりは嘘はつけなかった。
小雛には、五条は笑っているがどこか泣きそうな表情を浮かべているように見えた。
そのつらそうな表情を見て、胸が締め付けられるように悲しくなってしまう。
それは五条の表情もそうだが、何より自分の気持ちを受け取ってくれないことへの悲しさだった。


「悟様…雛は…」


それでも想いを告げようとした。
小雛はこの気持ちが五条と同じかは分からないが、それでも蔑ろにはしてほしいとは思っていない。
そんな小雛の言葉を五条は名前を呼んで遮る。
五条を見れば真剣な顔で…しかし怒ってはいない穏やかな表情を浮かべ、小雛を見つめていた。


「まだ雛は子供だから無理しなくていいよ…それに雛はもう自由の身だ…これからも沢山の事を学んで人間としての成長をするだろうしその過程で僕の言葉が理解できるかもしれない……だから、焦らなくていい…僕は待っているから…」


小雛の真っ直ぐな気持ちと、真っ直ぐな想い。
愛を穢れていると言った男には輝いて見えた。
歪んで穢い愛を注ぐ自分に対して、小雛は本当に真っ直ぐ綺麗な好きを注いでくれている。
五条は自分のこの感情は異性への愛、小雛のその感情は親愛だと思っている。
それが正しいのか、間違っているかは、本人にしか分からない。
決めつける五条に小雛は口を開いて更に気持ちを伝えようとした。


「小雛…無理してその気持ちを今決めなくていいからね」


小雛の頬に当てているその手を肩に乗せ、痛すぎないように力を入れる。
その入れられた力の圧力に、小雛は開けかけた口を閉じてしまった。
小雛は諦めた。
今は何を言っても受け止めてくれない、と諦めた。
俯き『はい』と小さく囁くように返す小雛に、五条は笑みを浮かべ抱きしめる。


「大丈夫…雛の気持ちが好きか愛か分かるまで僕はいつまでも待つから…他に目もくれないし余所になんていかないから…だから、安心して、ゆっくり、その気持ちに向き合うといい」


大人のように、余裕をもって小雛を待つ。
そんな男を装ってはいるが、抱きしめるその腕の力はいつもよりも強い。
それは小雛も感じ取ってはいたが、あまりにも五条が自分の気持ちを受け止めてくれないからそれ以上何も言えなかった。
せめて、少しでも自分の想いが伝わるようにと、小雛は彼の背中に手を回した。

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