夜。
小雛は特級の血のお蔭で体力も少し戻り、家入の許可も出たため、五条にある場所に連れてこられた。
「ここが今日から雛が住む家だよ」
そう言って小雛は五条に手を引かれて某所にある高層マンションのエントランス前に立っていた。
五条の言葉に小雛は目を丸くして顔を上げてマンションを見上げる。
「すごく大きなお家なのですね…天まで届くようです」
3歳の記憶が戻ったとはいえ、その記憶はすでに朧気なうえに、祖父と兄と暮らした家の周りではこれほど縦に長い建物はあまりなかったため驚いていた。
まだ小雛の記憶が戻った事を知らない五条からしたら、あの屋敷から出て初めて見る高層マンションに驚いているように見えたらしく、微笑ましそうに頭を撫でた。
五条に頭を撫でられて小雛は照れ笑いを浮かべながらも嬉しそうにし、そんな小雛に五条もまた釣られたように笑みを浮かべる。
エントランスに入ると、人がいた。
このマンションには、コンシェルジュが常駐していた。
高層マンションに派遣されるだけあり、大きく目を覆う黒色の目隠しに、全身黒でコーディネートされている服装という怪しい男でしかない五条でも不審な様子を見せず『おかえりなさいませ』と頭を下げて声をかけてきた。
仕事してすぐ帰ってくることもあるので、この不審な姿でも慣れたのだろう。
続いて入ってきた小雛の顔を見てニコリと人が好さそうな笑みを浮かべ頭を軽く下げる。
頭を下げられ、素直で世間知らずさから小雛も頭を下げる。
幼い容姿や、傍にいる五条の身長差の効果もあって、受付の二人には微笑ましそうな視線を貰った。
(エレベーターの説明をしようかと思ったけど…やーめた)
エレベーター前に立ち止まった五条は後ろにいる小雛を呼ぼうと口を開きかけたがやめた。
呼ぼうとした理由は、エレベーターの使い方を教えようとしたためだ。
しかし、よくよく考えれば、小雛がエレベーターの使い方を覚える必要はない。
(雛が一人で外に出る事なんてないしね)
五条は小雛を縛るつもりでいた。
小雛は16歳になったら五条家の籍に入り嫁入りする事に決まっている。
それは小雛の保護者となっていた屋敷の主人が亡くなった今でも変わらない。
ただ、五条は小雛と夫婦となっても五条家や五条家の人間には近づかせないつもりでいた。
嫉妬も独占力もあるが、何よりもあんな汚い世界を白く清らかな小雛に見せたくないし触れさせたくない。
それが例え血の繋がりのある人間でも。
だが、それが出来ないのは重々承知している。
忙しい身のため、家に閉じ込めていれば小雛は本当に孤独となってしまう。
本音はそれが理想だ。
自分しか知らない小雛の世界が五条の理想。
しかし、可哀想だと思う自分もいる。
結局五条は腑抜けなのだ。
小雛には自分しか見てほしくないくせに、小雛を一人にさせる事への罪悪感を感じている。
だったら、せめて小雛の傍につかせる人間くらいは自分で選びたい。
だから、五条家には一切かかわらせないようにしようと決めた。
(束縛する女は嫌ってたのにねぇ…世の中分からないな…)
五条は、自分がされて嫌なことを小雛にしている自覚はある。
今まで付き合ってきた女性に愛情を向けていないわけではない。
ある程度の嫉妬も独占力も、可愛いと思えた。
しかし、それは常識範囲内に限ったことで、世に言うヤンデレやらストーカーに近い独占力や嫉妬をされれば五条でなくても別れる一択だ。
今までだって度の超えた愛情に何度も引っ越しを余儀なくされた。
だが、その行為を自身が行っているのだ。
傍から見ても、自分から見ても、これほど滑稽で笑えるものはないだろう。
(愛ほど歪んだ呪いはない、か…)
かつて、教え子に送った言葉を思い出し、五条は笑う。
まさに、その言葉が自分に返ってきた。
否…あの時も、きっと乙骨に向けながらも自分自身にも向けた言葉だったのだろう。
―――考えに耽っていた頭は、エレベーターが到着した音で我に返る。
小雛の手を引いてエレベーター内に入り、自宅のある階を押した後にエレベーターを閉じた。
小雛はエレベーターも初めてなので、箱のような空間を興味津々に見回していた。
どうやら初めてのものに対して好奇心がありあまり怖がらないタイプらしい。
(可愛い…これ、揺らしたらくっついてくれるかな)
顔を上げて天井を見上げる小雛が可愛い。
というよりは、全てが初めてだと言わんばかりの姿が可愛くてたまらない。
ふとここで悪戯心と、エレベーターがトラウマになってくれたらという邪な考えが過ったが、嫌われることを考えてやめた。
それにもしも自分の悪戯でエレベーターが停まって騒動になったら迷惑というより、格好がつかない。
「さ、ついたよ」
到着した音の後にエレベーターの扉が開かれ、五条は小雛の手を引いたままエレベーターから出る。
上階からの生活音がするのが嫌なので最上階を借りた。
購入ではなく賃貸にしたのは、いずれ小雛と結婚し子供が生まれたら引っ越すと決めているからだ。
検査してみれば、小雛は妊娠可能の体をしていると出た。
子供はまだ考えてはいないし、自然妊娠を望んでいるため、小雛と結婚したからと言ってすぐにファミリー向けの家に越すことはないがこの家に住み続けるわけではない。
最上階を選んだのは金額が高い代わりに間取りが広く取られており、他の階よりも戸数の数も少ないからだ。
他の階に比べてエレベーターに乗る時間が長いのがネックではあるが、それを差し引いても五条は気に入っている。
慣れた手つきでカードをかざすと鍵が開く音がし、五条は自宅の扉を開けようとドアノブに手にかけた。
「はい、どうぞ…ここが今日から住むことになる小雛の家だよ」
中に入ると広々とした玄関が迎え入れてくれた。
靴を脱ぐよう説明された小雛は履き慣れていない靴を脱いで五条に教えてもらった通り靴箱に靴を置いた。
見て回ってもいいという五条の許可の元、小雛は普段暮らしていた家とは違う構造の五条の自宅を興味ありげに見て回る。
楽しそうな小雛の姿を見ていると、五条もつい頬が緩む。
しかし、ふとその足元を黒と白の塊が五条の視界に写り、視線を小雛の足元に向ける。
そこには6つの目と黒い毛を持つ犬の呪霊『クロ』と、一つ目に額には一本ツノにブチ模様を持つクロとは別種の犬の呪霊『ブチ』がいた。
彼らは小雛の後に続き、主人が喜んでいることに喜んでいるのか二匹とも尻尾をブンブンと振って喜びを表していた。
この二匹は小雛の術式である
非形之誂で作られた呪霊である。
しかし、出したのは小町だ。
小町はあれから表には出ていないが、中から護衛として出すよう小雛に言ったらしく、小雛が申し訳なさそうに許可を求めてきた。
小雛としては五条がいるから信頼しているが、どうやら小町は警戒しているらしい。
小雛が死ねば小町も死ぬ。
例え『壁』があるとしても、絶対は存在しない。
ましてや小町は呪術師にとって祓う対象である特級呪物だ。
必要以上に警戒をしていてもおかしくはないだろう。
そして、選ばれたのがクロとブチである。
クロは知っての通り、転移。
ブチの能力は『相殺』。
ブチは一度だけ等級関係なく相手の術式を相殺し無効にする能力を持っている。
ブチで術式を一度無効にし、その隙にクロで逃げるという算段なのだろう。
(僕がいるのに何を危険視することがあるんだか……いや、違うか…僕がいるから、か)
ブチとクロの効果は、特級呪術師である五条にも有効だ。
小町の警戒の中には自分も含まれているのを五条は知っている。
(はあー…呪霊だったら秒で祓えるんだけどなぁ)
クロとブチ程度なら、特級術師である五条は秒で片すことができる。
それこそ、呪力をほとんど持たない真希でさえ、クロとブチには勝てるほど二匹の等級は低い。
例え可愛い小雛の術式とはいえ、自分のテリトリー内に呪霊が自由に動き回るのは見ていて良い気分ではない。
普段なら術式であるならそこまで不快感はなかったが、小町が関わっていると思うと不快感を感じるのだから本当に二人は犬猿の仲なのだろう。
この家が安全だと小町が思うまでは、と五条も堪える。
そんな五条の葛藤など知らない小雛はキッチンに顔を覗かせ、後ろにいる五条に振り返る。
「悟様!雛は知っています!ここは『だいどころ』という場所なのですよ!」
「へえ!すごい!よく知ってるねぇ、雛」
キッチンを指さす小雛に、五条はまるで子供を褒める親の様に大げさに反応を見せてみた。
傍からしたら馬鹿にしているようでに見えるが、実際は馬鹿にしているつもりはない。
嬉しそうに報告する小雛が可愛くて褒めると、小雛は『むふー!』とドヤ顔を見せた。
そのドヤ顔を見て五条もまた笑みが深く…いや、頬が緩んでいく。
五条は年下の婚約者が可愛くて可愛くて仕方なかった。
自分が14も下の少女に骨抜きにされているのを自覚しつつ、五条は『ん?』と違和感を覚える。
「…台所って言葉よく知ってたね…誰に教えてもらったの?」
違和感とは、小雛がキッチンを知っているということだった。
しかも、『キッチン』ではなく『台所』という呼び名を知っていることに違和感を感じた。
キッチンと台所の違いはほとんどない。
あるとしたらキッチンは洋風、台所は日本の伝統的な土間やかまどなどの場所を指す。
今ではキッチンと呼ぶことが普通の現代で、小雛の年代の少女が台所と呼ぶのは珍しい。
それ以前に、常識すら教育されていなかった小雛が台所を知っているわけがないのだ。
だから五条は引っかかりを憶えた。
五条の問いに小雛は、彼が疑問視していると気づかず嬉しそうに答えた。
「お爺ちゃんがゆうくんと雛のためにお料理を作ってくれていたのです!」
『お爺ちゃんのごはん美味しかったんですよ!』と祖父の自慢をする小雛のニコニコ顔に、五条は思わず『そっかぁ〜美味しかったか〜よかったね〜』と釣られてニコニコと笑い返した。
しかし、ハッとさせほんわか空間を吹き飛ばすように首を振って我に返る。
『お爺ちゃんは炒飯とラーメンが得意でした!』とどう聞いてもズボラメニューでしかない料理名を上げている小雛の肩を掴む。
五条に肩を掴まれた小雛は次に祖父が得意だった料理名を言おうとした口を閉じ、こちらを真剣な顔で見つめる五条を不思議そうに見上げた。
「ゆうくんって誰かな?あとお爺ちゃんも誰か教えてくれる?」
『特にゆうくんって誰?』と誰がどう聞いても男の名前が特に気になった五条は、『ゆうくんとは誰なのか』と強調して聞く。
お爺ちゃんという人物はまあ、今のところ問題はない。
いや、11年間五条としか会っていない小雛から他人の名前が出た事が問題ではないわけではないが…しかし、今、この瞬間、五条にとってそんな事些細なことにしかならなかった。
問題は間男が現れたということである。
お爺ちゃんというのだから老人なのだろう。
だからお爺ちゃんという登場人物はこの際置いておく。
(ん?置いておいていいのか?雛からしたら僕だって相当年上だぞ??)
五条の頭の中で、『お爺ちゃん=老人だから間男ではない』と出たが、ふと思い出す。
自分と小雛の年齢差は14歳。
流石に老人との年齢差ほどではないが、それでもピチピチな14歳の小雛からしたら28歳の五条とだって相当離れている。
そこで老人であろうお爺ちゃんを間男候補から外していいのか迷う。
(い、いや…やっぱり『お爺ちゃん』より親しい呼び名の『ゆうくん』だ…一体誰なんだ…見つけたら領域展開して精神崩壊させてやる)
老人は後回しにすることにした。
まずは、親しい間柄らしい『ゆうくん』から片づけるつもりらしい。
呪力量を多く使用して発動する領域展開を仕掛ける辺り本気なのがうかがえる。
どちらにせよ、小雛がどちらと仲が深かろうが間男だろうが、五条家の権力の前では誰もが小さい米粒の欠片程度しかないのだ。
言っていてよく分からなくなった五条は、真剣な表情で『ゆうくん』が誰なのか問う。
小雛は五条が明後日の方向で暴走しかかっていると気づく事はなく、にっこりと笑顔で答えてくれた。
「お爺ちゃんはゆうくんと雛のお爺ちゃんです…ゆうくんは雛のお兄ちゃんなのです!」
小雛の言葉に、五条は固まった。
ドヤ顔の小雛は可愛いが、その言葉に五条は思考が停止した。
「お爺ちゃんって…あれかな?お父さんかお母さんのお父さん的な意味の…」
「そうです!お爺ちゃんはお父さんのお父さんなのです!」
「それでゆうくんはおにいちゃん」
「はい!ゆうくんは雛のお兄ちゃんなのです!」
好きな人に家族を紹介(とは言えないが)できた事が嬉しかったのか、固まる五条とは正反対に小雛はニコニコとずっと笑顔を浮かべていた。
小雛の笑みは輝きが放たれ花が散って見えて、普段ならそんな小雛に五条は可愛い可愛いと惚れ直してメロメロになっていたところだが、今はそれどころではない。
「雛…記憶、いつ、戻ったの、かな…」
日本語がうまく喋れない。
それほど小雛の言葉は五条に衝撃を与えたのだろう。
五条も小雛が記憶がないことを知っている。
屋敷の主人は、医者にさえ見せることを嫌がっていたので原因は分からない。
だが、五条を除いた周囲は強いストレスからくるものだと思っている。
その記憶を小雛は取り戻したという。
「それは―――」
「雛?」
五条の問いに応えようとした小雛の笑顔が不安げな表情に変わった。
その変化に気づいた五条は心配になって声をかける。
視線を下へ向けていた小雛は五条の声かけに、視線を五条へと向ける。
「…分かりません」
「分からない?」
小雛の言葉に五条は怪訝そうに問うと、小雛はコクリと頷き俯く。
「思い出した事は憶えているのです…その時誰かが雛のお傍にいてくださったのも…その方がゆうくんが死んだと仰っていたということも…ゆうくんを殺したのが悟様だということも…でも…ですが…どうして思い出したのかが分からなくて…」
思い出そうと小雛はしたが、記憶が曖昧だった。
あの時…五条と離れて寂しい思いをしていたと説明していた時も記憶には靄がかかったように曖昧だった。
ただ、その時はそれほど気にしていなかったし、そんな余裕はなくただただ目の前に五条がいることが嬉しくて、そして自分の我が儘さに良い子だと思っていたであろう五条に対しての罪悪感で気づかなかった。
それが空腹も満たされ気持ちも落ち着いたことで、記憶が曖昧だと気づいた。
その為思い出そうとする小雛だったが、肩を掴んでいる五条の手の力が強くなり、意識を記憶ではなく目の前の五条へと戻す。
五条は怪訝そうに眉をひそめていた。
「悟様…思い出せないので怒っていますか?」
「いや、そうじゃないんだ…大丈夫、雛には怒ってないよ……でもごめんね、詳しい話を聞いていいかな?」
小雛は、兄が死に、その兄を殺したのが五条だと答えた。
正直、身に覚えはない。
いや、ありすぎて分からないというべきだろうか。
呪術師は呪霊を祓う人間を指す。
だが、呪霊ばかりが対象ではないのが現実だ。
主に呪詛師と対峙した際にお互いがお互い殺す気で戦っているのだから、呪術師に身を置いている以上人を殺すのは避けられない時もある。
小雛の兄だという人間もそのうちの一人かもしれないのだ。
とにかく、覚えていなくても詳しい話を聞かざるを得ず、小雛が頷いたので五条は小雛をソファに座らせ、その前に五条はしゃがみ小雛を見上げる。
小雛の膝にある手を握ると、小雛は事の重大さを自覚していないのか不思議そうな瞳と目が合った。
「一から聞くから教えてくれる?」
気になる部分を聞き出したいが、他も聞き出す必要がある。
まずは順番に聞き出して整理をしようと小雛に問うと、小雛は嫌な顔一つせず頷いてくれた。
じゃあ、と五条は記憶のことを問いただす。
「雛は忘れていた記憶を思い出した…そうだよね?」
「はい…家族のことを思い出しました」
「でも、どうして思い出したかが分からない」
「そうです…お爺ちゃんとゆうくんや住んでいた家のことは思い出せたのですが…その思い出したきっかけが思い出せなくて…」
思い出せないことが気持ち悪いのか、眉を顰め苦し気に顔を顰める。
そんな表情は小雛には似合わないと五条は、小雛の頬に手を添え、親指の腹で優しく撫でて宥める。
それが功を奏したかは分からないが、小雛の表情は和らいだ。
「無理に思い出そうとしなくていいよ…思い出せないのはきっと些細な事だからだ…昔の記憶が戻ったのならそれでいいしね」
「…そうですね」
五条の言葉に、小雛はまだ引っかかったものの、五条の言葉も正しいと頷いた。
どうしても思い出そうとする必要はないと小雛も判断したが、モヤがかかったようにな気持ち悪さが残る。
そんな小雛に五条は『いずれ忘れるだろう』とあえて何も言わないでおいた。
(早くに気づくべきだった…雛が戻ってきたことで舞い上がっていたってことか…僕もまだまだだな…)
内心『失敗した』と舌打ちしながら思う。
小雛が保護され意識を取り戻した時に気づくべきだった。
その前兆はあったのだから、これは五条のミスだ。
そして、五条は小雛に気づかれないよう心の中で顔を顰める。
(やはり雛の記憶を弄ったのは小町か…よほど僕達呪術師に知られたくない人物が関わっているのか…まあ、小町が忘れさせたのなら僕が何を言っても思い出さないか)
五条は小雛が記憶を失くした原因が小町だと気づいた。
周囲を騙せても六眼は騙せない。
すぐに小雛の記憶障害が小町の手で行われたのだと分かった。
それを周囲にも小雛にもあえて言わなかったのは、当時はまだ小雛を呪物の一部としか見ていなかったからと、小雛に好意を寄せても小雛に実害がないから放置していた。
記憶障害を起こしている時点で害があるが、それを黙認するほどの利害の一致もあった。
家族の元に帰りたいとずっと愚図られるよりは、記憶を仕舞われてしまった方が楽だった。
そこに小雛への同情や罪悪感は一切ない。
小雛の中から自分が消えなければそれでよかった。
そのため、五条は小雛が記憶を取り戻したきっかけが誘拐犯だと察することができた。
同時に、小町がわざわざ記憶を奥にしまい込むほど五条や呪術界に知られて都合が悪い人物が関わっているのだという事も、察することができた。
とはいえ、小町と馬が合わない五条が聞き出そうとしても彼女は一切口を割らないだろうし、五条以外でも小町は口を開くことはないだろう事は容易に想像ができる。
小雛を誘拐した連中のことは知りえることができるのなら知りたい。
大切な宝を奪われて黙っていられる人間などいないだろう。
だが、小雛を責めても記憶が戻るわけではないのでそれは諦めるしかないだろう。
「雛の家族構成を教えてくれる?」
「お爺ちゃんとゆうくんです」
「お父さんとお母さんは?」
とはいえ、どういう理由かは不明だが、小町は小雛の記憶を戻した。
もしかしたら小町では一つの物しか記憶は封印ができないため、家族の記憶を仕方なく戻したのかもしれない。
それとも、記憶を封じられても何らかの刺激で戻ったのかもしれない。
考えてもどうせ小町が自分に答えを教えるわけがないので、今ここで考えても仕方ないと切り捨てる。小雛は五条の両親への問いに首を振った。
記憶がまだ戻っていないということではなく、小雛と兄は両親ではなく祖父に育てられた。
幼くても周りには父や母がいるのに自分達には母も父もいない事を疑問に思ったこともある。
祖父に両親のことを聞いても祖父の口は重く閉ざされた。
だから、兄も小雛も、両親のことは聞かなくなった。
それに、祖父が自分達を愛してくれていることは幼いながらに分かっていたし、兄は小雛が、小雛は兄が居たから祖父が仕事でいなくても寂しさは感じなかった。
「名前、憶えてる?」
次の問いに小雛は首を縦に振った。
小雛は名前…正確に言えば苗字も奪われていた。
小雛に残っていたのは『小雛』という名前のみだった。
それが、今の一人称となったのだ。
小雛は五条と屋敷の主人の妻以外の人間には、『小雛』ではなく『小町』と認識され小雛という人間そのものを消し去られた。
小雛にとって小町はもう一人の人格ではなく、突然自分の中に入り込んできた他人だ。
その他人がまるで自分に成り代わったように周りから認識されはじめたため、小雛は自己主張として元々一人称が名前だったのを継続して使い続けた。
自分は小町でも物でもなく、小雛という一個人の人間だと。
それはきっと、唯一小雛が出来た抵抗と主張なのだろう。
その名前が、返ってきた。
その名は―――
「虎杖です…雛の名前は、虎杖小雛と申します」
その名に五条は今度こそ固まった。
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