(30 / 53) 本編 (30)
チャポン、と水滴が落ちる音と共に湯船に張っている水面が円状の波を作る。
その湯船に浸かり、小雛はゆっくりと体をお湯の中に沈ませる。


「あたたかい…」


体の汚れを落とした後、小雛は湯船に浸かる。
五条の教育のお蔭か肩までつかる小雛は暖かさに思わず、ほっとした息をついた。
チャポンと水音の中に鼻を鳴らす音が混じる。
水面を見下ろすと小雛はフフと笑う。


「酷い顔…」


水面に映るその顔は目元が赤くなっていた。
それは泣いたという証拠でもあった。
小雛は、泣いていたのだ。
五条から全てを聞き、兄と祖父の死に泣いた。
唯一の家族を小雛は失ったのだ…泣くことを咎める者は誰一人いないだろう。
泣き止むまで五条に抱きしめてもらい慰められていた。
先程までの記憶が頭に浮かび、小雛は火照りとは別の意味で頬を赤らめ、その頬を両手で押さえ利用に添える。


(悟様の前でなんてはしたないことをしてしまったのでしょう…悟様がお優しいからそれに甘えてしまって…ダメダメですね、雛は…)


五条にお嬢様教育をされていた小雛としては、好意関係なく異性の胸を借りて号泣ともいえる泣き方をしてしまった事に恥じた。
小雛はそのまま体を沈め、顔半分までお湯につかる。
溜息を吐くと、ポコポコと泡が上がった。


『真実を知っても雛はあの呪術師の元にいるのを望むのか?』


今更になって五条の顔を見るのが恥ずかしくなった小雛の脳内に小町の声が響く。
縛りによって身も心も繋がり10年も共にいる影響か、それとも愚兄とは違う存在だからか、小町と小雛は兄である虎杖と宿儺のように小町の一部を体に出さなくても脳内での会話が可能となっている。
小町は眠りについていたが高専で五条の血を取り込んだおかげか少し回復しつい先ほど目を覚ました。
小町の問いに小雛は頷いて即答した。
小雛の頷きに小町は難色を示すような声で唸る。


『あの男が直接手を下していないにせよ庇護下であるはずの生徒を死なせたのは変わらぬ…それでもお主は許すのか』

「許します…したくてしたわけではありませんし…それに…雛は悟様をお慕いしておりますから」


イカれている、と小町は思う。
小雛が言いたいのは、五条の過失だから許すというわけではなく、五条を愛しているから許すのだ。
五条を愛しているから、五条が悪意を持って兄を殺したとしても小雛は許す。
兄に対して無関心というわけでも、兄を恨んでいるわけでもなく、ただそこには五条への愛情だけが存在する。
五条を愛しているから小雛は全てを許すのだ。
五条が白を黒と言っても小雛はそれを受け入れ白を黒と言うだろう。
小雛の世界の常識は全て五条で成り立っている。
それを狂っていると言わず、何を狂っているというのか。


(恋は人を狂わすと聞くが…まさか妾の器がそうなるとはな………だが、まあ…構わんか…妾が器に望むのは容姿でも術式でも常識でもない)


器を育てたのは五条と小町だ。
今はないあの屋敷の人間は、誰一人小雛の教育に関与していないどころか、小雛をない者として扱っていた。
手紙越しではあるが主人の妻も五条が小雛の全てを任されているというのもあり、手紙の内容は何でもない日常的なものだった。
今の季節、庭や外ではこんな花が咲いた、趣味の事など。
妻は小雛の事全てに関与することを五条ではなく屋敷の主人に許されていなかったのだ。
その為、小雛を狂わせたのは誰でもない五条と小町ともいえる。
とはいえ、小町自身はここまで狂わせた自覚はなく、『あのカスのせいだな』と五条に全てを擦り付けた。
『そろそろ出ないと逆上せるぞ』とだけ言って小町は己の生得領域へと引っ込んだ。
恐らくまだ回復しきっていないため眠りについたのだろう。
今出てきたのはそこに五条の存在がないからだ。
どこまでも小町と五条は水と油の関係である。
そうでなくても他人のイチャイチャを盗み見るような趣味は持っていない。


(小町ちゃんの言う通りそろそろ出ましょう)


体も十分温まり、これ以上時間をかければ心配になった五条が声をかけに来るだろう。
慕っている彼にこれ以上迷惑はかけられないと小雛は湯船から上がる。
最低限の生活までは記憶を消さなかったおかげで普通に生活はできる。
体の水分をタオルで拭きとった小雛は籠にある服に手をかける。


「?…大きいです…」


籠には五条が用意して切れた新しい服が入れてあった。
手に取って広げてみれば、小雛には大きすぎる服だった。
一応着てみれば、上のシャツだけでもショートのワンピースくらいあった。


「…ズボンは無理ですね…」


ズボンも用意されていたが、当然腰回りが合わず掴まないとずり落ちてしまう。
仕方ないのでズボンは諦めた。


―――一方、少しさかのぼり、五条は小雛がお風呂に入っていったのを見送った後、コンビニに一瞬で飛んで一瞬で帰ってきた。
当然フロントは飛ばしている。
ついでに買ってきたものをテーブルや冷やす必要があるものは冷蔵庫に入れ、寝室に向かい適当にいつものオフの格好に着替えた後に小雛のために服を用意する。


「あー…やっぱどの服も雛には大きすぎるよな…今の時間帯で開いてる服屋ってあるっけ…………ん、待てよ…何もわざわざ服屋で雛の買わなくても僕の服を着せればよくない?彼シャツってやつをやれるんじゃない!?」


『やだっ!僕ってば天才!!』と嬉々として自分の服で一番サイズが大きく見える服を取り出した。
因みに一瞬だけ頭には小雛が保護された際に着ていた年相応のサイズとデザインの服を乾燥機にかけるという案が浮かんだが、彼シャツによって一瞬で却下された。


「ま、どこの骨とも知らないクソ野郎に着せられた服なんて雛に着せさせるわけにはいかないしね」


『服って可燃で出していいんだっけ?』と考える。
五条は小雛が元々着ていたあの服は処分するつもりだった。
どこの誰が小雛を誘拐したのかは分からないが、誘拐などするクソ野郎が選んで着せたような服をもう一度小雛に着させるなど愛に狂っている五条が許すはずがなかった。
誰が愛している女に自分以外が選んだ服を着ることを許すのか。


「雛、ここにある籠に着替えを置いておくからそれ着てくるんだよ」


脱衣所にある籠に服とタオルを置いた後に、シャワーを浴びているらしい音を立てる小雛に声をかける。
扉の奥から愛らしい声で返事が来たので思わずニッコリと笑顔が止まらず、食事の用意をしようと振り返った時、目の前に黒の物体と白茶の物体があるのに気づいた。


「……………」

『……………』

『……………』


黒の物体はクロ、白茶の物体はブチである。
小雛の術式で作られた呪霊である二匹はジッと六つと一つの赤い目で五条を見上げていた。
そんな7つの目を五条も見つめ返し、その場は静まり返る。


「いや…違うから…覗く気はないから…」

『…………』


じっと見つめてくる六つと一つの赤い目に、五条は何となく責められている気がした。
その目はまるで女風呂を覗こうとしている男を発見したような目だった。(五条曰く)
確かに小雛に邪な感情を抱いている。
婚約者であろうと未成年にあんなことやこんなことをしたら、いくら合意であろうと法で捌かれるのは五条である。
しかし、それでも本気で惚れている女に"そういう意味"で触れたいと思うのは健全な男ならば当然だろう。
法も世間も関係なくいられるのなら、今すぐにでも子種を仕込みたいくらいだ。
それでも五条は流石に可愛い婚約者の風呂場を覗く気は一切ない。
そもそもモテない童貞のような行為、非童貞のモテ男である自分がするわけがない。
二匹はただ五条を見上げていただけなのだが、五条は二匹に何故かしなくてもいい言い訳をし始めた。
そのせいかクロの六つある目が細められる。
その目は確実に『お前その気やったんか?』という目だ。
五条は自分の首を自分で締めている状態だった。


「クロ…君と僕の仲でしょ?僕が信用が出来ないっていうわけ?」

『ワフッ』

「うわ…こいつ鼻で笑いやがった…むかつく…」

『ワン』

「アッッッッウソウソウソ!うそだから!むかつくなんてこれっぽっちも思ってないから!だから雛にチクんなよ!?」


小雛はクロがお気に入りだ。
時々ブチや白猫のシロを出す事もあるが、主に可愛がっているのはクロだ。
恐らく、クロの転移移動の術式も関わっているのだろう。
緊急時にいつでもクロの術式で逃げ出すことができるために。
そのため、ブチよりもクロの方が接する機会が多い。
クロも主人が懐いているためか、五条によく懐いていた。
しかし主人の危機は別らしく(当然だが)、信用?なにそれおいしいの?とクロは鼻を鳴らす。
その態度にカチーンと頭にきた五条だったが、よくよく考えればクロ達と小雛は意志疎通が可能である。
完全に意思疎通は特級以外は無理らしいが、それでも彼らが何を望み何を考えているのか分かるらしい。
そんなクロが小雛にあることないこと伝えたらきっと小雛は『悟様が覗きを?…悟様がそんな方だったなんて…最低、話しかけないで』と軽蔑な視線を向けられるに決まっている。
それはそれで新しい扉が開きそうではあるが、やはり愛する女には愛し愛されたい。


『わん』


まさに嫁姑の戦いに終止符が打たれた。
一人と一匹の間に、ブチが入ったのだ。
宥めるようにクロに体を擦り付けるように擦り寄り優しく鳴いた。
クロも大人しい犬ではあるが、それ以上に穏やかなのがブチだ。
宥めるブチに負けたのか、クロは『ワフ』と小さく鳴いた後五条の前から退いた。
ブチもクロの隣に並び五条を見上げて小さく鳴く。
言葉は理解できないが、五条にはその鳴き声が『クロがごめんね』と言っているように聞こえた。
…恐らく願望ではあるのだろうが。
五条も大人気なかったと思い、クロには乱暴に、ブチには優しく二匹の頭を撫でて脱衣所を出た。
脱衣所を出た後はキッチンへと向かう。
ただ、向かった先はまな板の前でもなければコンロの前ではなく…電子レンジの前だった。
コンビニ弁当を温めている間、五条は冷蔵庫を見る。
一人暮らしには不似合いな家族用の冷蔵庫の中には先ほど購入して入れた物と水と簡単に糖が摂取できる菓子しか入っていなかった。
改めて冷蔵庫を見てみれば、入れる必要のないお菓子が何個も入っており『僕なんで冷蔵庫に入れてんの?』と全く入れた記憶がなく首を傾げながら水のペットボトルを取り出しながら冷蔵庫の扉を閉める。
その理由は疲労である。


「…料理、どうしようかな……家政婦に頼むしかないのかなぁ…それは、ちょっとなぁ…」


コップに入れた冷えた水を一気に飲み干しながらポツリと呟き、眉を顰めた。
この家には一人、出入りを許している。
それが家政婦だ。
実家から派遣された家政婦ではなく、企業から派遣されている全く呪術界とは無関係の家政婦だ。
正確には家政夫だ。
この顔は便利だが、色々と面倒事も発生するデメリットも多い。
だから家政夫を頼んで週に一度の掃除を依頼している。
一人暮らしだったし、元々食事は会食や外食で殆ど家ですることはなかったためそれでよかった。
だが、小雛と暮らすとなると週に一度の家政夫では問題が出てしまう。


「男はだめだ…」


まず一つは、性別。
嫉妬深く独占力の強い五条が、自分以外の男と愛する女を密室になる家に二人きりになるのを許すはずがない。
その相手が例えば伊地知や生徒達なら問題はないが、相手はいくら家を掃除してくれる数年来の付き合いとは言え伊地知や生徒達より付き合いは浅い。
雇う前に素性等を調べたが、逮捕歴もなければ学生時代のスレた過去(例:伏黒)もない清廉潔白な好青年だ。
しかも彼は可愛い妻子持ちで、五条が気に入るくらい仕事は完璧。
何度か会話をしたことがあるが、妻子を深く愛しているので安心できる。
しかし…しかし、だ。
相手は小雛だ。
婚約者という欲目を引いても、小雛は愛らしい美少女である。(完全に欲目である)
そんな美少女を相手に手を伸ばさない男はいないだろう。(五条視点)
そんな奴いたら尊敬する。(五万といる)
しかし、あの家政夫は五条という個人に深入りせず仕事も申し分ないので今更新しい家政婦を探すのも億劫だ。
それに小雛のために女性を選んだとしても、五条の美貌に惚れても困る。


「まあ、彼が来る日は雛を高専で預かってもらえばいいか…一番の問題は…食事だな…」


そして一番の問題は、食事だ。
小町の食事は五条が病院から貰って冷蔵庫にタッパーに入れれば小雛一人でも大丈夫だろう。
その度に家入に処理を任せるのは多忙な彼女に申し訳ないので、教えてもらって自分で処理できる量にするとして…問題は小雛の食事だ。
小雛は器にされる前までは一般の家庭料理で育ったらしいが、今の彼女の舌は肥えているだろう。
幼い頃に一般家庭の料理で育ったとはいえど、11年間はプロの料理人が作った日本食で育ったのだ。
しかも食材に拘り、病気しないよう栄養管理もきちんとされていた。
あの屋敷で一番いい食事を提供されていたのは主人ではなく小雛と言ってもいい。
薄すぎず濃すぎない上品な味付け、高級食材しか使用しない料理を毎日3食食べていた小雛の舌に一般家庭の料理が合うか分からない。
今日は作る時間がなかったためコンビニの弁当にするしかなかったが、今電子レンジで温められている食材と、小雛が毎日食べていたあの食材。
二つの価格の差はまさに天と地の差だろう。


(食べれなかったらどこかお店に行くから別にいいけど…毎食店で食べさせるのも可哀想だし…どうするか…)


あの屋敷の食事を五条も食べた事がある。
小雛の食事の時間と被った際に時々一緒に食べる事もあったのだが、屋敷が出す食事は同じく舌が肥えている五条でさえも素直に称賛するほど美味だった。
三ツ星か、それ以上の食事を五条や家政夫が出せるわけがない。
五条も料理をするが、それは生きていくために必要だったから手順も味付けも適当だ。
家政夫も元料理人でプロではあるが、あの屋敷にいた料理人と比べてしまうのは流石に可哀想だ。
しかし、かといって五条の稼ぎで毎食料亭も問題ないとは言え、栄養の事を考えると避けた方がいいだろう。
五条の頭に、一瞬だけ実家が浮かんだ。
しかしまるで煙を散らすように手を振って消し去る。


「ぜっっっっっったい実家には頼まん!絶対にだ!」


振っていた手をぐっと握りしめて断言する。
実家は嫌いではないが、好きでもない。
一応産み育ててくれた家だし身の回りの世話をしてくれた場所でもある。
何より、五条家の術式を持ち最強として世に産み落としてくれたからこそ、小雛と出会い結ばれた(傍から見たら政略だしまだ結ばれていない)わけなので、役に立っているのは認める。
常日頃から鬱陶しいと思っているものの、まだ絶縁したいほど嫌いではない。
だからと言って頼りたいかと言えば『NO』だ。


(まだ精通したばかりの子供に痴女を差し向けて童貞を無理矢理奪うような家に誰が将来妻になる人を預けたいと思うんだ)


あの記憶はまだ残っており、五条からしたら消し去りたい過去である。
五条はまだ10歳にもいかない頃に、童貞を奪われた。
レイプと言っても過言ではなかっただろう。
それもこれも五条家が悪い。
あの家は五条がいなければ御三家として務まっていない事を嫌というほど理解している。
だから歴戦の猛者であった女を精通したばかりの子供に向け、童貞を奪った。
六眼と無下限呪術の抱き合わせで生まれた時点で、五条は生まれながらに五条家のトップに君臨することになった。
五条の言葉は絶対であり、五条が白と言えば黒が白となる…そんな世界だった。
だが力はそう覆さない。
普段なら無礼だと五条を襲った女は処分される対象ではあるが、如何せんその女は五条家に命じられた痴女だ。
そのため、五条の童貞を奪ってもお咎めはない。


(そもそも実家に帰ってみろ…僕に婚約者がいるって雛に教えたあげくに婚約者アゲが始まるに決まってる…そんなことされたら雛が傷つくし僕と雛の間に亀裂が入るだろうが…)


五条には小雛ではない婚約者がいる。
実家の五条家が勝手に決めたというテンプレの婚約者だ。
しかも御三家という存在は呆れるほど腐っている。
実家曰く、正妻は小雛(小町)、本妻は婚約者らしい。
正妻も本妻も意味は同じだが、実家が言うには、形だけの妻は小雛、本来の意味の妻は婚約者だという。
婚約者は強力な術式を持つ良家。
対して小雛は小町の器であり特級レベルの呪力や術式を持っていても所詮一般家庭の出身。
小雛が五条の同僚や友人であれば別だが、それが結婚…五条家の戸籍に入るとなると話は違ってくる。
基本、御三家は非術師を見下しているきらいがある。
五条家も例にもれず非術師を見下しており、小町の器であろうと非術師の家庭で生まれた小雛を影では見下している。
当主であるはずの五条が小雛に夢中だと分かっていても、彼等は本気にとらえていない。
だから平気で小雛以外の婚約者を勝手に連れて来て『両者の子供を作れ』と言えるのだろう。
それも婚約者と小雛以外にも女を作り子供を多く作れとも本人を目の前に言ってのける。
身内ながら本当に人間なのかとしか思えなかった。


(アイツに欲情とかないわー…むしろ小雛以外の女に勃つ気がしない)


そもそも、だ。
そもそも五条家の言う通り小雛以外と子供を作ろうとしたとして…本気の恋を知ってから五条は小雛以外の女に魅力を感じた事はなかった。
五条は外見だけは完璧な男だから、世間でいう男性が思う魅力的な美女に何度も鬱陶しいほど迫られた事はある。
だが、小雛への想いを自覚した時から、五条はその魅力的だと思われる女性に男心が擽られたことは一度もない。
それは婚約者も同じだ。


(早く婚約破棄したいなぁ…)


もう五条家当主として力を持っているため、童貞を奪った時のように無理矢理結婚させられることはないだろう。
彼女に対して愛情がないとはいえ、好意を持ってくれている小雛の耳に婚約者の話が入ってしまうのは、五条としても小雛としても気分のいいものではない。
この問題は先延ばしするべきではないとはいえ、何事にもタイミングというものがある。
そのタイミングがズレさえしなければ、小雛に婚約者の事を知られても勘違いされることはない。
だから今は婚約者の事は頭の端に追い込むと、タイミングよく温めが終わった音が鳴る。
レンジを開けて取り出せば、ほこほこと暖かくなったコンビニ弁当が出てきた。
この弁当は家入のところでは食べる前にこの家に連れてきたため、これは小雛が眠っていた間に購入していたものだ。
自分が戻ってくる間に食べさせるつもりだったが、小雛が眠ってしまったため食べるのに今になってしまった。
料亭の食事しか食べてこなかったため、そのまま出すのは味気ないと思い五条は皿に盛りつけておく。


「あとは小町の食事か」


小雛の食事の準備は終わり、後は小町の食事の準備に取り掛かる。
耳を傾ければシャワーの音がなくなったので、今は湯船に浸かっているのだろうと予測する。
ゆっくり入るようにと言ってあるのでまだ出てこないだろう。
その間に急いで小町の食事の準備を済ませておかなければならない。
小町は基本小雛の中に引っ込んでいることが多い。
それは体の主導権を小雛が強く握っているからだ。


(そう言えば悠仁もそうだったな…)


小雛と小町の両者を思い出すと、いつも虎杖を思い出す。
それは小町と宿儺、小雛と虎杖が兄妹だからというのもあるが、何より小雛と虎杖が呪物の器だからだろう。
同じ特級呪物の器として連想してしまうのは、確実に職業病だ。
いかんいかん、と頭を軽く振って目の前の事に集中する。


「あー…手袋…はあっちか…」


目の前には病院から持ってきた新鮮な人肉が袋につめられていた。
小町の食事は料理というには味気なさすぎるもので、ただ切って盛り付けるだけ。
それでも一応部位は表示する決まりなのか、袋には大雑把な文字で部位が書かれていた。
貰ってきたのは三日分。
何も入っていないとはいえ普通の食事を入れている冷蔵庫に人肉を入れる勇気は五条にはなく、クーラーボックスを高専から借りて今日はそこに保存することにした。
小雛もここに住むことになるため、人肉用の冷蔵庫は明日購入するとして一緒に買っておいた手袋を買い物袋から取り出す。
勿論、事故で開けないよう鍵をかけれるタイプを選ぶが念のために家政夫に人肉用の冷蔵庫には触れるなと言っておくのは忘れずに。
本来は密着するタイプのゴム手袋を用意したかったが、緊急だったためビニールの手袋で代用する。
まな板と包丁も別に欲しかったが、コンビニに寄って戻ってきただけだったため普段使っている(ほぼ飾りになりかけだが)包丁とまな板を使用することにする。


(人間用と小町用と新しいの買ってこなきゃ…)


流石に人肉を素手で触りたくないし、人肉を切ったまな板と包丁で自分と小雛の食材を切りたくない。
皿もコンビニに紙皿が売っているのでそれで代用する。
適当に、しかし小雛が一口で食べれる大きさに切り、紙皿に盛りつけたら袋に溜まっている血を少し垂らして乾くのを防ぐ。
家入のところで特級術師である自分の血を与えたのであと一週間非術師の血肉でも問題はないだろう。
それに、術師の血肉は高専の術師が死なない限り入手は困難なため暫くは五条か高専の中で協力を仰ぐしかない。
更には高専の人間の中でも小町に与えてもいい人間を選ばなければならない。
小町だけならいいが、適当な人間の血肉を小雛の口に入れたくない。
それが例え小町に行く栄養が小雛には無関係だとしても、食す行為を行うのは小町の体ではなく小雛の体だ。
せめて自分の知っている人間を選びたい。
幸いにも一級術師の知り合いも多い。
時々自分の血を与えてやれば小町も文句はないだろう。(別の意味で文句は言いそうだが)
人肉に触れていた使い捨てのスプーンや箸を不透明のビニール袋に入れた後に可燃のゴミ袋に入れる。
衛生的な問題もあるが、何より血だらけの皿や箸がゴミ袋から見えて通報されたら面倒なことになる。
一応警察と連携しているため、通報されても五条も小雛も逮捕はされないが、この家は出ていかなければならないだろう。
この家に思い入れはないが、小雛が落ち込んでしまうのは避けられない。
小雛だって好き好んで人肉を食べているわけではないので、理解のない周囲の棘のある言葉や態度に晒すのはあまりにも可哀想だ。
そう思いながらほぼ空のゴミ袋の中に手を突っ込んで出来るだけ血の付いた箸やスプーンの袋を他のゴミで隠そうと隠蔽する。
まあ、まだ血の付いた紙の食器などは出るが、後で一緒に入れるつもりでそのまま放置するのも嫌だった。

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