心配していた食事は問題なく、小雛は美味しいと食べてくれた。
やはり食事のレベルはガクッと下がったため、舌の肥えた小雛からは手放しで喜ばれてはいなかったが、無理に食べているわけではなさそうだった。
コンビニの弁当も食べれるのなら、家政夫の料理も食べえるだろうと思い、五条は家政夫にこれから食事も依頼しようと決めた。
他所の男(女も)の手で作られた料理を小雛の口に入れるという嫉妬はあるが、如何せん、休日すら満足に取れない自分では毎日料理する暇は作れないし、所詮独り身の男の手料理だ。
やはり小雛には美味しいものを食べてほしいため、元とはいえプロの料理人の料理の方が小雛は喜ぶだろう。
その後、五条も風呂に入り眠りにつく。
寝室は勿論一つしかないため――――と言いたいが、流石に五条自身の理性が持たないので五条はソファに眠り、寝室を小雛に譲った。
しかし、今思えば、普段使用している自分のベッドに小雛が横になり睡眠を取る…それってなんだかエッチなのでは…?と五条は逆に眠れなくなった、とは小雛には内緒にしておこう。
とりあえず、五条の脳裏のメモに小雛用のベッドを追加された。
「おはようございます、悟様」
幸せとはこの事を言うのだろうか。
五条は視界いっぱいに写る可愛い将来の奥さんの笑みに、そう思う。
中々(興奮して)眠れなかった五条とは違い、小雛は疲れもあったのかぐっすり眠れたようで、小雛の方が早く起きたらしい。
目を覚ましてみれば仰向けになっていた五条の顔を、小雛はソファの背もたれから顔を覗かせ見ていた。
目を覚ました五条の青い瞳と目が合うと嬉しそうに微笑み挨拶をしてくれる。
ここに小雛がいなければ、恐らく小雛がビー玉みたいと称賛してくれたその美しい瞳が涙で溢れ、胸元で手を合わせて拝んでいただろう。
しかし、目の前には小雛がいる。
世界で最も自分をかっこよく見てほしい人物だ。
「おはよう、雛」
五条がそうニコリと笑って返せば、小雛は頬を赤らめ嬉しそうに笑みを返した。
その笑みに釣られて五条も笑みを深める。
横になっていた体を起こしソファに座りながらテーブルに置いたサングラスを掛け、その隣に置いていたチャンネルでテレビをつける。
それと同時に、小雛がトコトコと五条の隣に移動し座った。
ちょこんと自分の隣に座る小雛が可愛くて五条はずっと頬が緩みっぱなしだった。
チャンネルでテレビをつけたものの、特別好きなチャンネルも番組もない。
いつもつけたときにやっている番組をそのまま見ることが多く、今日もそうだった。
丁度朝の天気の時間だったのか、天気予報士のお姉さんが映って全国の天気を説明していた。
東京は曇りのない晴れ。
『今日は良い買い物日和だ』と思っていると、隣に移って座る小雛の様子に気づく。
小雛のその表情はニコニコと上機嫌だった。
「どうしたの、雛…何かいいことでもあった?」
ニコニコ顔の機嫌のいい妻(予定)は可愛い。
ものすごく可愛い。
こちらを見上げてニコッと笑う姿なんて最高である。
しかし目を覚ましたばかりの五条には、可愛い妻(予定)の機嫌の良さに理由が見当たらなかった。
首をかしげる五条に、小雛は『えっと…』と照れたような表情を浮かべ胸元でもじもじと指を絡ませて恥じる。
「その…目を覚ましても悟様がいらっしゃることが嬉しくて…」
その言葉に、その表情に、その仕草に…全てに五条はズキュンとキューピットに矢を撃たれた。
…がよくよく考えればその矢は小雛と出会ってから何度も撃たれたので、もう刺さる場所がなかった。
なので、五条はその撃たれた矢を受け止め、自分の心臓に突き刺して無理やり隙間を作った。
それほど五条は小雛に夢中にさせられている。
胸を押さえて前屈みになる五条に、小雛は心配そうに見る。
「悟様?ご気分がお悪いのですか?」
「ううん、違うよ…雛がとーっても可愛くて胸が張り裂けそうなんだ」
「えっ!胸って…心臓ですか!?大変です!今すぐ小町ちゃんの子供達に治していただきましょう!」
胸、といえば心臓がある場所だ。
小雛はまさか五条が自分に萌えていると思いもせず、心臓病か何かと心配した。
小町の子供達、というと、小町の領域展開である『
刻刻供犠』を差す。
つまりは、ここで領域展開をすると言っているのだ。
五条は小雛の言葉にぎょっとさせ、両肩を掴んで慌てて止めた。
「それは駄目だ!絶対に小町の領域は使うな!」
小雛の呪力量なら、領域展開を一度二度しても支障はないだろう。
むしろ、小雛の呪力量ならば、通常使用しても問題はない。
それほど小雛の呪力量は多い。
その呪力量は六眼でさえ底が見えない。
それに、小雛と小町は深く繋がっているせいで、小町の領域展開も小雛は使用可能だ。
勿論、逆もしかり。
しかし、五条は小雛に領域を…小町の術式を使ってほしくはなかった。
その想いが強すぎて手の力も声の大きさも強く出てしまった。
「―――その汚い手を放せ
カス」
冷たく感情のない声が五条の耳に届く。
周囲には美しい声に聞こえても、五条にとってその声は聴いていて不快なものだった。
ペチンと手を叩かれた五条はハッと我に返る。
「……ならとっとと雛の中に引っ込んでてくれないかな」
なぜか今まで大人しくしていた小町が現れ、朝から五条は上機嫌だった機嫌を降下させられた。
五条の言葉に小町は鼻で嗤う。
「貴様が雛を怖がらせるからだろうが…可哀そうに…貴様の怒鳴り声で雛は怯えて奥に引きこもってしまったぞ」
嘲笑う小町の言葉に、五条は血の気を引かせる。
非形之誂は小雛が幼い頃に作り出した物だし、それを小町が勝手にスキルアップしてしまったが、小雛はまだ領域を会得していない……はずだ。
五条は小雛に術式を教えるつもりも、使わせるつもりはない。
小雛にはずっと呪術師も術式も関係なく平和に生きてほしい。
だから怖がらせるつもりはなかったが、その想いが強すぎてそれを小雛は五条が怒っているのだと勘違いしたらしい。
小町の器として生きて11年、怒られたことは一度もない。
それこそ五条には砂糖よりも更に甘く育てられ、五条にも怒られたことなど一度としてない。
だから驚いて引っ込んでしまい、可愛い器を悲しませた文句を言おうと小町が出てきたのだろう。
五条は肩を掴んだ手をそのままに慌てて弁解をする。
「ご、ごめん!ごめんね、雛…違うんだ…僕は全然怒ってないよ…だから、戻ってきてくれないかな…僕は小町よりも雛に会いたいよ」
『こいつ気色悪いな』と思いながら小町は五条の言い訳を聞く。
小雛を戻そうと必死になる。
それが滑稽で気持ちが悪い。
いつまでも五条の面を好き好んで見ているのも気分が悪くなるからか、小町は小雛と交代するため目を瞑った。
小町が目を瞑ると同時に気配が戻るのを感じた。
小雛は恐る恐る目を開ける。
怒っていると思っていた五条の表情は、小雛が戻ってくれたことに安堵した表情を浮かべていた。
怒っている様子のない五条だが、小雛はまだ五条が怒っていると思っているのか上目遣いで恐る恐る口を開く。
その怯えの現れか、怯えに耐えるように小さな両手が胸元で強く握りしめられていた。
「申し訳ありません…悟様…何か悟様の気に障るようなことを言ってしまったのでしょうか…雛…分からなくて…」
なぜ、五条が声を荒げたのか小雛は分からなかった。
小雛にとって小町は"善良の人間"だという認識だった。
世間の言う『幸運を呼ぶ物』でもなければ、同族を食べる『化け物』でもない。
だからどうして小町の術式を、小町の領域を使うことがいけないことなのか分からなかった。
そこに人間にとって重すぎる対価が存在していても、だ。
五条によって外界と隔たれた彼女にとって、常識は五条と小町で出来上がっている。
小町が己の術式に犠牲がつきものだと言えば、そうなのかと素直に納得し受け入れる。
人を人とも思わない小町の術式を簡単に受け入れ疑問も思わないところも五条は小雛のイカれた部分だと思いながらも、その無知で考えなしが愛おしく感じた。
「謝るのは僕の方だ…大きな声を出してごめんね…僕は何も怒ってないよ」
「怒ってないのですか?」
「全然、怒ってない」
怒っていないと見せるために笑みを浮かべ、五条は小雛をひょいっと軽々と膝に乗せた。
実際、食事管理されている小雛の体重は平均だったが、誘拐される前から食事に異変があったため痩せてしまっている。
痩せる前も五条にとって軽かったため、小雛の体を持ち上げるのに苦労はなかった。
お姫様抱っこをするように膝の上に乗せられた小雛は、無意識に五条の首に腕を回し傍にある五条の良すぎる容姿を見つめる。
サングラスであの美しい瞳が見れないのが残念だが、小雛は五条が怒っていないと安堵した。
小雛の表情が和らいだのを見て、五条もまた安堵の息をつく。
「あのね、雛…はっきり言うけど、僕はね、雛に小町の力も子供達も使ってほしくないんだ」
小雛は呪力や自分の力を五条から説明されてはいるが、その単語は説明されていない。
理由は小雛には呪術界とは無関係でいてほしいからだ。
だから術式を力、小町の領域を子供達という単語に変えた。
実際、あの屋敷にいれば必要なかった単語だし、できればこれからも不必要でいたい。
小雛は五条の言葉にコテンと小首をかしげ、『なぜですか?』と答えた。
それは無知である小雛にも感じる当然の疑問だ。
「僕にとって雛は雛だからだ…みんな雛と小町を同一視するけれど、僕にとって雛は小町じゃないし、小町も雛じゃない…いくらお互いの力を使えても雛は小町じゃないんだから力は使ってほしくない…ごめんね…勝手だよね…でも、分かってほしい」
謝って、理解を求めているが、実質、これは命令に近い。
謝っているし、分かってほしいと懇願している。
だが、小雛はもう小町の術式を使うなと五条は小雛に言い聞かせて…いや、命じている。
場合によっては縛りだって五条は厭わない。
それくらい五条にとって小雛が小町の術式を、小町が小雛の術式を使うのが癪に障るのだ。
これは五条の我儘だ。
本来なら小町の術式ではあるが、小雛の体に刻み込まれているのだから小雛が使用しても誰も咎められない。
だから、小雛が断って小町の術式を使う選択肢は正しい。しかし、相手は五条が与えた世界しか知らない子供だ。
「分かりました…小町ちゃんの子供達にはお願いいたしません」
小雛も流石に考えたが、結局小雛は五条を選んだ。
とはいえ、小雛には小町の術式の他にも、小町の器となった恩恵が得られている。
「ですが…壁とあの子達は見逃していただけないでしょうか…」
その恩恵とは、壁とあの子達と呼ぶ『ソレ』。
小町の術式使用の有無は小雛の意思で可能となるが、自動的に発動される『壁』と、小雛と小町の意思とは無関係に動く『ソレ』は流石に五条と命に関わる縛りをしたとしても小雛に使用の選択することは不可能だ。
壁は、説明するまでもないだろう。
ただ、五条と似たように身を守る術式なのは確かだが、五条との違いは、壁は完全にオートだということ。
五条は自身の意思で無限を解除するのもしないのも選べるが、小町はそれができない。
さらに『壁』は小雛の底のない呪力量によって完璧な鉄壁と進化してしまった。
いくら小雛が許したとしても、小雛の本心が嫌だと思えば例え五条でも弾かれる。
不思議なことに、小町の術式だというのに、その時表にいる人格によって『壁』の判定は変わるらしい。
そして、『ソレ』。
『ソレ』は術式ではなく―――呪い。
子供達が小町にかけた、呪い。
そして、深すぎる、イカれた、異常なまでの愛情でもある。
『ソレ』に名はなく、姿もなく、意思もない。
『壁』同様、『ソレ』は主人である小町とその器のために動く呪い。
その正体は、雨や物さえも貫通する姿のない手だ。
五条の六眼でさえギリギリ半透明で見れるくらい凝縮された異常な感情から生まれた呪いだった。
小町と伏黒が出会ったあの領域の主、特級呪霊をおもちゃのように扱っていたのも『ソレ』だ。
「勿論、その二つは例外だよ」
五条もそこは当然心得ている。
最初に二つのそれを聞いた時、小町に対して『小町の奴どんだけヘタレなんだよwwww』と思ったが、今になってはその二つは小雛を守ってくれるありがたいものであった。
五条の言葉に、小雛は安堵し、胸を撫でおろした。
五条も、小雛が小町の術式をできる限り使わないことを口約束ではあるが約束してくれた事に安堵し、小雛の頭を優しくなでる。
小雛の髪は昨日お風呂に入ったおかげでサラサラだ。
五条の細く綺麗な指を、黒く美しい小雛の髪が撫でるように梳かれていくのを五条は上機嫌に見送る。
「朝ごはん、食べてちょっと休んだらお買い物に行こうか」
「お買い物、ですか?」
五条に撫でられるのは気持ちがよく、小雛は夢心地だった。
うっとりと目を細め五条に身を任せていた小雛だったが、『買い物』と聞き首をかしげる。
それに合わせて髪もサラリと流れ、その流れた髪を五条は手櫛で触れながら遊ぶ。
小雛も流石に買い物という単語は知っているし、その意味も理解している。
だが、なぜ買い物をするのかが分からなかった。
「そう、買い物…急のことだったからね…雛の物が一つもないのは不便でしょ?服とかベッドとか、色々揃えたいし」
なるほど、と小雛は思う。
そこで金額や罪悪感を感じないのは、この年になってまでお金に一度として触れなかったからだろう。
小雛は自分がするのではなく、されることが当たり前の世界に生きてきた。
そして、それ以上に我慢の世界でもあった。
生活の物を五条が自分のために揃えるのは至極当然だという認識であった。
そこだけは、慎み深く育った小雛の我が儘で傲慢な部分だろう。
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