朝食は五条が一番近いコンビニでパンとサラダとヨーグルトを購入し、それを朝食とした。
洋食にした理由は特にない。
理由を付けるのならば、ただ単純に五条が和食の気分ではなかったということだ。
小雛はパンを初めて食べる。
正確には11年ぶりだ。
しかし、10年も食べていなかったら味覚も忘れているだろう。
小雛はサクッとした触感とバターの風味が気に入ったのか、安いパンを笑顔で食べてくれた。
デザートとしてヨーグルトを出され、これまた11年ぶりのヨーグルトの蓋を嬉々として開ける小雛を愛でつつ、五条は小雛にあることを伝えた。
「悟様のお知り合い…ですか?」
五条もいつもの通り砂糖入りのヨーグルトの蓋を開け、追加でジャムをたっぷり注ぎながら首をかしげる小雛に頷く。
「まあ、知り合いって言っても僕の後輩と生徒なんだけどね…彼らは今後僕がいない間、雛の護衛をお願いしようと思っていていね、その為にお互い顔と名前を憶えてもらおうかなって」
本当はせっかくの全休に加えて可愛い可愛い将来のお嫁さんとの初デートを誰にも邪魔されたくなかった。
しかし、こればかりは仕方ないと諦めるしかない。
小町に、『二人の安全を保障する』・『1級以上の人間を血を与える』・『長期期間五条が小雛の元にいられなかった場合、特級呪術師、又は1級呪術師を代理として引き継ぐ』ことを約束させられている。
その約束事を守るには、どうしても五条以外の人間の協力が必要だった。
そして、五条がその場にいない際の緊急避難として、お互いの顔と名前を憶えてもらわなければならない。
本当なら、もう数人紹介したいが、一気には覚えられず小雛も疲れるだろうと配慮して二人にした。
「悟様が必要だと思われるのでしたら雛は構いません」
そうじゃないだろ―――そう言いたいが、小雛の本心でもあるのだろうと思い『そっか…ありがとう』と返した。
本心とは言ったが、恐らく、そこに小雛の感情はないだろう。
五条が望んだから、小雛はそれを受け入れただけだ。
元々小雛は空っぽだ。
そう育てたのは誰でもない、五条と小町だ。
だからそこに小雛の気持ちも感情もない。
だから、五条は何も言わなかった。
まあ、断っても何だかんだ理由を付けて頷かせていたので結局答えは決まっているのだが。
「そのお二人が来られてからお出かけするのですか?」
「いや、その二人とは外で待ち合わせする予定だからね…それまで僕と二人きりでデートだよ!」
ハートマークがつくくらいの甘い声。
普通ならば、女だけではなく男でさえ腰を抜かし惚れるような甘く美しい声ではあったが、如何せん、相手は常識を抜き取られた小雛。
五条の世界の秘宝ともいえる容姿や、美しい青い瞳を前にしても平然としていられる女である。
五条の甘い声も『なんだか悟様、機嫌がいいなぁ』くらいにしか思っていない。
だが小雛の世界は五条が中心になっている。
五条が機嫌がいいと、小雛も機嫌がよくなるのが小雛の世界の仕組みであった。
五条の機嫌がよくて嬉しい気持ちを隠さず、小雛は聞き慣れない単語に首を傾げた。
「でーと、とは何ですか?」
小雛が世界と繋がっていたのは3歳まで。
3歳ではまだデートという単語は聞いたことがなく、それから世界とは絶たれた小雛はデートという言葉を聞いたことがなかった。
勿論、それは五条も承知だ。
小雛に分かりやすいように説明してやる。
「デートっていうのはね、僕と雛がもっともーーーっと仲良しになるためのものなんだよ」
嘘は言っていない。
嘘は。
そこに友人と恋人との違いを伝えなかっただけで、嘘は、言っていない。
その足りない説明を小雛は信じ、五条ともっと仲良しになれると嬉しそうに破顔させた。
「悟様ともっと仲良しになれるのですか?雛、とても楽しみです」
「楽しみにしてくれるの?嬉しいなぁ…まあ、その楽しみも昼までだけどね……」
五条は昼からはお邪魔虫が二人ついちゃうけど、と続け『ケッ』とやさぐれる。
当然だが、小雛には気づかれないように。
遠くを見つめる五条に、小雛もしょんぼりと眉が下がってしまう。
「まあ…お昼までなのですか?…残念です」
五条ともっともっと仲良しになれると小雛は嬉しそうにしていたが、それが昼までの限定だと知り小雛はしょんぼりとさせる。
眉を八の字にさせ、肩も落とす小雛に、五条は『僕も残念だよ』と頷くが、その内心は『雛が!雛が僕とのデートが昼までだって知って悲しんでいる!!!がわ゙い゙い゙!!!ずぎ!!!僕も残念だよ雛!!!あ゙−−−!!!なんで今日頼んじゃったかなあああ!!!なんで今日しか休み取れなかったのかなあああ!!腐ったミカンども滅べ!!!!』とのたうち回っていた。
それはもう、美形という言葉が粉々に砕け散る勢いで。
邪魔者と言うが、二人に今日任務を休ませて頼んだのは他でもない五条だ。
それも自分の都合に合わせてもらっている。
今日の全休は無理矢理入れたものだ。
動ける特級術師が自分しかいないため、任務は何日どころか何か月、下手をすれば半年・一年くらい先まで埋まっている。
小雛とは元々一緒に暮らす予定ではあったが、2年も早く前倒しになったのは流石に五条も予想外だった。
小町の器ということで今日だけ無理矢理に休みを許されたのだ。
そのため、五条もこれから顔合わせである二人も悪くはない。
とりあえず我が儘を言っても仕方がない。
邪魔されないデートは今度ゆっくりするとして、今日購入するリストを頭で整理していると、話が終わりヨーグルトに舌鼓を打っていた小雛が『あっ』と声を零し、五条は意識をそちらに向ける。
「お出かけは問題ないなのですが……その…雛、服が…なくて…」
なんだろうと思った五条は、『ああ』と声を零す。
伝えるのを忘れたといわんばかりの声だった。
「そうだね…僕の服を着る雛もとっても魅力的だけどいつまでも僕の服だけで過ごさせるわけにはいかないからね…だから、デートの前に服を買ってから僕とデートしよっか」
本当は家入に頼んで伊地知に届けさせるのも考えた。
しかし、せっかくなら他人を介せず自分が選んだ服を小雛に着させたかったし、その辺の大量生産された服を着させる気はさらさらない。
五条が服を選んでくれるという言葉に、小雛は嬉しそうに笑った。
―――迎えが到着したと知らせが来たのは9時半。
開店まで30分あるが、移動であっという間に過ぎるだろう。
「雛、迎えが来たよー!いける?」
パジャマ替わりにしていた服を着替える。
勿論、パジャマ替わりの服と同じく、五条のぶかぶかな服だ。
一応外に出ても可笑しすぎない服を選んだ。
準備と言ったらそれくらいか、歯磨きや髪などの身支度を整えるかだ。
しかしそれは迎えに来る時間前にすでに終わらせており、迎えが来るまで五条とテレビを見て待っていた。
そのテレビも国会会議などを生放送する局の教育番組しか見せていないという徹底ぶり。
外の人間と関わる以上、俗物となるものを必然的に知ってしまうのだろう。
だから、これは五条の悪あがきだ。
テレビを見るために欠かせないカードを抜くことも考えたが、流石に可哀想だとやめた。
外の世界を知り、万が一、億が一でも小雛がスレてしまったとしても、やさぐれた小雛も可愛いとしか思えなくなるだろう。
五条はそういう男である。
丁度、時間的に迎えがくるだろうと見越して飲み物をキッチンに置いた五条の携帯から軽やかな音が鳴った。
見てみれば予想通りの相手。
対面キッチンからそのまま顔を覗いて問えば、小雛からは『大丈夫です』と返ってきた。
子供向けの番組に夢中になっていた小雛は、ソファから降りてテーブルに準備して置いてあった荷物を持つ五条に歩み寄る。
トコトコと無警戒に自分に近づく小雛に『じゃあ、デートに行こうか』と言って優しく頭を撫で、小雛と共に家を出る。
フロントには、昨夜とは別の人間が立っていた。
交代の時間だからだろう。
しかし小雛はそんな事など知らず、『あれ、昨日とは別の人です』と疑問に思いかけるが、はっきりと不思議に感じるよりも前に五条に手を引かれ自動ドアを抜けて外に出た。
すると、マンションの前に一台の車に一人の男が立っていた。
男は小雛と目が合うと静かに頭を下げる。
五条は男を『伊地知』と小雛に紹介する。
「雛の送迎を頼むから名前と顔を憶えてね」
送迎担当の一人にされた伊地知は緊張した面持ちだった。
当然だ。
五条は慣れたが、目の前の少女は腐りきっている上層部でさえ特別待遇をする少女だ。
それも宿儺の妹を宿し、五条でさえ少女の呪力量の底が見えないと言わしめた相手だ。
更に言えば、自分と家入にだけだが五条が守秘義務をガン無視して惚気るほど愛されすぎている相手。
緊張しないはずがない。
「よろしくお願いいたします、潔高様」
しかし、会って話をしてみれば拍子抜けをした。
良い子だったのだ。
五条にすべての愛情を注がれていたと思えないくらい、小雛は素直で良い子だった。
五条の過去の彼女やもう一人の婚約者とも何回か会った伊地知は、その彼女達を想像していたのでホッと胸を撫でおろす。
流石に私生活で伊地知をパシりにはしていない。
過去の彼女達とは別れ話が拗れて五条に彼女が特攻した際に、婚約者は実家から仕事中に呼び出されて送るついでに五条を実家に運んだ際に会っている。
過去の彼女は様々な女性ではあったが、会う時がいつも別れが拗れたときのせいか、オブラートに包んでも難ありな女性だなと言えない性格ばかりだった。
婚約者は帰る際、五条がついでだから送ってあげてと何度か車に乗せたことがあったが、その際の二人の会話でなんだか気難しそうな印象を持った。
とはいえ、気遣いはできるらしい婚約者は元カノに比べると印象は悪くはない。
ただ、無理矢理決められた関係のわりには二人の仲は伊地知が見る限り悪いとは感じなかった。
「伊地知〜、分かってるよな?雛は僕のお嫁さんだってお前分かってるよな?」
小雛に聞かれないように、五条は伊地知の肩に腕を回し少し小雛と離れる。
『ちょっと待っててね』と言われたのか、離れる二人を小雛は健気に待っていた。
寂しいな、早く悟様戻ってこないかな、お二人はどんなお話をしているのでしょうか、と待てを命じられた犬のように待つ小雛を伊地知は五条から日頃与えられるストレスゲージを回復させる。
だが、その回復が追い付かない程度のストレスと恐怖を五条から新たに与えられた。
伊地知は五条の言葉に何度も頷いて見せる。
「はっ、はい!!!それはもう!!十分に理解しています!!!小雛様に不埒な思いも視線も向けません!」
「で、僕と雛が一緒にいるときはー?」
「空気です!!お二人を乗せている間、私は空気です!!空気!私は空気!!」
五条は伊地知に今日来るよう夜中に連絡したのと同時に、デートを邪魔するなと釘を刺していた。
五条以外から見ても小雛は愛らしいタイプの少女だが、五条が心配するほどの美少女ではない。
それでも伊地知相手にも心配し釘を刺すのは、愛故だろう。
五条は、家入の他にも、小雛の惚気を伊地知にもしていた。
だから伊地知は五条がどれだけ小雛に入れ込んで、どれだけ本気で小雛を想っているのか分かっている。
五条から散々惚気られてきた伊地知は、勿論彼の機嫌を損ねないよう小雛を褒めたこともあった。
だが、伊地知が小雛を褒めると『は?お前に雛の何が分かるんだよ』と高校生時代を彷彿とさせるドスの利いた声と表情で絡んできた。
小雛が絡んだ五条はこの世で最も面倒臭くなるのを、伊地知は知っている。
運転している後ろでイチャつかれるのは正直勘弁願いたいが、空気でいるだけでいいので楽だと思うことにする。
「待たせてごめんね雛〜!」
釘を深くまで突き刺して満足した五条は、それまでの893顔をパッと隠し小雛の元に戻っていった。
両手を広げて近づき、命じられた通りジッと待っていた小雛の小柄な体をその大きな腕で隠すように抱きしめる。
五条が戻ってきた事が嬉しいのか、小雛は五条の胸元にすり寄る。
伊地知の耳に『はわ…かわ…かわ…』と不可解な言葉を漏らす美声が届いたが、聞こえなかったことにし、宣言通り空気に徹した。
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