小雛はあの屋敷から出たとしても、小雛の普段着は、着物となった。
五条がそう決めたのだ。
五条は別に着物が好きというわけではない。
ないのだが、着物は運動や乗り物に向かない服装だからだ。
着物だから動きづらいわけではないが、洋服よりは動きに制限がかかるのは確かだ。
小雛が自分を好いてくれるのは分かるものの、それでも小雛の想いを信じられない五条は、少しでも小雛が離れないよう必死だった。
それに、小雛の着物姿が好きというのもある。
「お昼は和食以外にしたから、楽しみにしててね」
身一つで放り出された小雛の為に着物と、小物や帯も合わせて数着購入。
一枚だけ店で着替え、美容院で髪を綺麗に整えてもらうと、あっという間にお昼時となった。
楽しい時間はあっという間に過ぎる。
お昼はすでに予約していたので、伊地知にそちらに向かわせた。
「和食?」
「雛が屋敷でいつも食べていた料理のことだよ」
「あれは和食というのですね…では、お昼はどのような食事を頂けるのですか?」
小雛は食べることにそれほど興味はない。
軟禁されていても食べ物に恵まれていたのもあるが、何より小雛は小町の食事…人間の血肉も取らなければならない。
昔に比べて嫌悪はないが、それでも罪悪感がないわけではない。
勿論、今朝のように美味しいと思う感情はあるし、一人で食事をとることが多かったためか人と食事をするのは好きだ。
だが、根本にある食事を楽しむ感情が欠落している。
恵まれているからこそ無興味なのか、それとも血肉も取らなければならないから単純に楽しめないのか。
恐らく、両方だろう。
小雛のテノプレの質問に、五条は何も気にせず答える。
「一応ジャンル的にはフレンチっていう料理かな…まあ、フレンチっていうよりは創作系に寄ってるけど…でも味は保証するよ」
五条の返答を聞いても小雛は興味すらわかない。
返す反応だって『そうなのですね、楽しみです』とこれまたテンプレの返ししかしない。
笑顔を見せているが、本心は興味のき文字もないだろう。
勿論、それは五条も気づいている。
気づいているが、絶食して痩せ細っていく姿を見てきた五条は小雛が自主的に食べてくれるなら食事に興味を持っていなくてもよかった。
それに味の薄い和食よりも味が濃くて様々な料理をこれから経験することになる。
今からでも食事を楽しむ機能を作り上げる事だって可能だろう。
だから、今は小雛に無理をさせたくはなかったのも本音だ。
「朝に言っていた護衛の二人とはその店で待ち合わせしているから、その時に紹介するね」
五条の言葉に小雛は目を瞬かせて五条を見る。
その言葉に小雛は朝の会話を思い出し『朝に仰られていたお二人ですね…会うのが楽しみです』と笑みを浮かべた。
しかし、その笑みが消えてしまう。
「あの…ですが……その…小町ちゃんの食事は…別々、ですよね…?」
五条を見つめる小雛のその表情は不安に染まっていた。
小町の食事には慣れたし諦めたが、それでも小雛は人前で血肉を食べる事に抵抗はあった。
本当は五条にさえ小町の食事をしているところを見られるのが嫌なのだが、何度言っても聞く耳を持ってくれないので諦めた。
それに、彼は小町の食事を美味しそうに食べる自分を目の当たりにしても引いたり嫌悪するどころか、温かい目で見守ってくれる。(実際は下心ありありで見てた)
過去に一度、小雛は人肉を拒み、そしてその結果、餓死しかけた。
小町の食事を拒むということは、小雛にとってそれは死と同義だ。
だから小町の食事を嫌悪せず受け入れてくれる存在は嬉しく有難いし、心の支えでもあった。
しかし、だからと言って他の人の前でも食べたいかと言われれば、勿論答えはNOだろう。
それは勿論、五条も承知の上だろう。
「そうだね…彼らとの待ち合わせ時間をズラしてあるから、先に小町の食事を取ろうか」
五条の言葉に小雛は胸を撫でおろす。
しかし、そんな小雛の気持ちを落とす言葉も、五条は同時に零した。
「今日は小町の食事は別々で取るけど…彼らの前でも小町の食事を取れるようにしないといけないよ」
「…っ」
嫌です!、と小雛は言いかけたが口をつぐんだ。
屋敷を出ることができ好きな人と一緒に暮らせるようになったとはいえ、それでも、小雛の立ち位置は変わらない。
小雛は器。
そして世界にとって重要なのはその中にいる小町。
小雛はオマケ程度なのだ。
そんな孤独の中、幸いなのは五条が小町ではなく小雛自身を見てくれているということだろう。
何もかも我慢しなければならない世界の中だが、小雛にとってそれだけでも十分すぎる幸せだった。
だから、これ以上の我が儘は言ってはいけない。
そう小雛は思い込み、口をつぐむ。
それは五条も気づいている。
「ごめんね、雛…本当なら雛の気持ちも汲んであげたいけれど…僕もずっと雛と一緒にいられるわけではないんだ…僕がいない間、僕の仕事場に雛を預けることになるから今から会う二人と硝子に雛の世話を頼んである…だから、嫌だろうけどその三人の前だけ我慢してほしい…他の人には伝えないし、雛も伝えなくていいから」
「硝子様方は…」
「うん、三人は口が堅いから大丈夫」
小雛の強張った表情がホッと安堵して和らぐ。
しかし、その感情は僅かな変化でしかないのを五条は知っている。
五条もできる事なら小雛の気持ちを汲んであげたいと思っている。
これは五条の我が儘だ。
本来なら屋敷と同じく結界内に閉じ込めなければならないほどの重要な存在の小町を宿す小雛を五条の我が儘で外に出している状態だ。
五条の家にも結界を張っているが、それでも全く足りない。
だから、護衛が必要なのだ。
「ここだよ」
五条が指定した店は、こぢんまりした店だった。
伊地知とはここで別れ、五条と小雛は半地下にある店に入る。
五条が扉を開けて入れば店長が顔を出してくれた。
どうやらここも常連らしく、五条の名前を親し気に呼んでいた。
「お久しぶりです、五条さん…今日はご予約いただきありがとうございます」
「今日はよろしくね…2人は後から来るから個室に案内してくれるかな?」
予約では4人になっていたが、来店したのは2人。
五条から遅れて来ると聞き、店長は『かしこまりました』と頷き二人を個室に案内する。
個室に入ると、4人分のフレンチシックな椅子が二人ずつ向かい合うように置かれていた。
部屋の端には観葉植物が置かれており、テーブルクロスが被せられているテーブルの中央には部屋に合った花がシックな花瓶で飾られている。
4人の予約というのもあり、食器は4つ綺麗に並んでいる。
それらを温かみのあるオレンジ色の照明が部屋を照らしており、ゆっくりと静かに食事を楽しめそうだった。
「料理とか来る前に小町の食事を終わらせておこうか」
五条と小雛は隣同士に席につく。
向かいに後から来る二人を座らせるのだろう。
その前に小雛には小町の食事を取らせようと、五条はカバンを膝に乗せる。
小雛は初めて訪れたレストランを興味津々に見ていたが、五条の言葉に気分が落ち込むのを感じる。
こんな素敵な場所だというのに血生臭い物を食べなければならないのか…と肩を落としていた小雛だったが、小町の食事を取らないという選択はないため拒むことはできなかった。
『はい』と目の前に置かれたものを見て目を瞬かせ五条を見上げた。
「流石に外だしお店で人肉は出せないからね…外にいるときは血だけになっちゃうけど…夜にはちゃんと肉も出すから安心してね」
目の前に置かれたのは、水筒だった。
500mlほどの水筒の中には、血がたっぷり入っていた。
『一級だからお腹も満たされると思うよ』というので、水筒の中の血は一級の呪術師の誰かが献血に協力してくれたのだろう。
一級の血という意味も理解できない小雛は首をかしげながらも、肉ではないことに安堵していた。
素敵なレストランで人肉や内臓を食べなくてもいいことに安心した。
五条から紹介される二人がいつ来るか分からないのもあり、小雛は『いただきます』と言い水筒に入っている500mlの血を飲む。
「あの屋敷で飲む血より美味しいでしょ」
「はい…とても美味しいです」
一口飲んだ小雛の表情は、まるで絶品の料理を初めて食べた子供のように目の輝きが増した。
小雛は素直な性格故か、特に食事をするときは分かりやすい。
あの屋敷で出された小町の食事は、小町の力が戻らないように呪いが見えない非術師の血肉を提供されていた。
そのせいで小雛は小町の食事を美味しいと思ったことは極稀にしかない。
その極稀が、一級や特級の血肉だった。
だから、五条の問いに小雛は頬を赤らめて頷く。
(可愛い…一級の血でこんなに喜ぶなら僕の血を毎日あげたいなぁ…)
昨夜、小雛を保護した後。
緊急処置として小雛に特級である自分の血を与えた。
その時の表情と、今の表情には差があった。
一級の血も美味しそうに飲んでいるが、特級の血はさらに美味しそうに飲んでいたのだ。
頬ももっと赤く染め、目をうっとりとさせ、普段行儀よくゆっくり飲んでいるのに自分の血は一気とまではいかないまでもゴクゴクと勢いよく飲んでいた。
あれほど美味しそうに飲んで飲んでくれるなら、毎日自分の血を提供したいと思う。
だが、人肉でもなんでも、栄養の取りすぎは体に悪い。
食べることを拒んだ時の事。
無理矢理人肉を流し込んだ後、心配になって小町を完全復活をさせたくない上層部含めた周囲を無視して特級である自分の血を毎日与えていたら、逆に小雛の体調が崩れた事があった。
そのため、同族の血肉とはいえ何事にも適度というものがあるのだと五条は学んだ。
「ごちそうさまでした」
行儀よく手を合わせて小町の食事を終わらせた小雛は、蓋は五条が持っているのでそのまま返す
空になって返ってきた水筒の蓋をキュッと音をさせて閉め、軽くなった水筒をカバンに入れる。
「悟様…血はついていませんか?」
五条の知り合いが二人来るので、血がついていないか気になって五条に聞いた。
いつもなら自分で鏡を見て確認するが、ここには鏡はないため五条に聞くしかないと思ったのだろう。
トイレに行って確認するという行動はまだ小雛にはない。
小雛に問われた五条は『どれどれ〜』と小雛の頬に触れて覗き込む。
(無防備で可愛い…このままキスしたいなぁ…)
別に覗き込まなくたって見てすぐに分かる。
だが、これは小雛に触れるのにいい口実だと思った。
目の前にいるのがただの女ならば、ここでキスをしても平気だろうが、相手は小雛だ。
初心も初心。
キスという行為すら、全ての人間に劣情の感情が備わっているなんて知らないだろう。
小雛と話はしたことがないが、小町が余計なことを言っていないのであれば恐らく子供の作り方すら知らないはず。
(まあ、そう育てたのは僕なんだけど)
無知、そして無垢に育てたのは、五条だ。
そう育てたのは趣味や性癖というよりは、そちらの方が都合がいいからだ。
(まだ…まだ、我慢…)
頬に触れる指を撫でるように唇へと伸ばす。
荒れなど知らないその唇は誰にも触れられたことのない場所。
最初に触れるのも、最後に触れるのも、五条悟一人だ。
唇だけではない。
唇を含めた小雛という人間の体を自分だけが知り汚すことができる。
そう思うとゾクゾクする。
タイミングが悪いのか良いのか。
店長が連れが来たことを知らせに来てくれた。
店長の声に五条はハッと我に返り小雛から手を放す。
五条の手が離れたことに気づき閉じていた瞼を開け、声のした方へと視線を向けるとそこには―――二人の男性が立っていた。
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