(42 / 49) 本編 (42)
『こちらです』と嬉々として最上階にある部屋へ、信者は小町を案内する。
案内されたのは、モデルルームのように綺麗に保たれた部屋だった。
部屋とは言ったが、どちらかと言えばマンションの一室だ。
扉を開けると玄関で出迎えられ、そこで靴を脱ぎスリッパに変える。
リビングに案内しようとする幹部の男を制し、小町は立ち止まる。


「小町様?」

「小雛がの、五条悟の自宅に連れて行かれた際に家を楽しそうに見て回っておったのじゃ」

「監禁されておられたので新しい場所を探索するのが楽しんでおられたのでしょう…愛らしいお方です」

「小雛を起こす…心配はしておらぬが小雛は妾の器じゃ…妾以上に丁重に扱え」


そう言って目を閉じた小町に、幹部達は頭を下げ見送る。
すぐに閉じられた目を開けると、小町の雰囲気があっという間に柔らかな小雛の雰囲気と変わった…いや、戻った。
幹部達は下げていた頭を上げ、瞬きを繰り返して周りを見渡す小雛に優し気な笑みを浮かべた。


「お久しぶりです、小雛様…私を覚えておられますか?」

「えっと……あっ!あの時に来られた方ですね!」

「はい…私の事は坂部とお呼びください」


目の前にいる幹部の言葉に、小雛は考える。
うーん、と記憶を辿るとすぐに思い出した。
目の前にいる幹部は、伏黒と七海との顔合わせの後、無謀にも五条に特攻をかけて小町を教団に招待するきっかけを作ったあの男だった。
思い出した小雛に、坂部と名乗った幹部は嬉しそうに笑みを深め頷き、名乗った後、後ろにいる他の幹部達を一人一人紹介する。
紹介を終えると、小雛が探索できるよう坂部達は道を開けた。


「どうぞ…ここは小町様と小雛様のご自宅になるはずだった場所です…いわばこの建物はお二人の所有物…ご自由に見て回ってくださって構いません」

「小町ちゃんと雛の…ですか?」

「はい…小町様に受肉なされた小雛様をあの呪術師モドキの男に誘拐される前にご用意しておりました物件です」


数百年もの間、呪物の小町を誰にも奪われず守ってきたのだから警備は完璧だった。
だが、流石に周囲の動きが激しくなる場合は別だったらしい。
小町が無事小雛の体に受肉し、更に小町の生活向上のためこのビルを土地ごと購入し最上階を小町の住居にリノベーションした。
その引っ越しでバタバタとしていた隙に小雛をあの呪術師もどきに奪われたのだ。
呪術師もどき、とは小雛を監禁し真人に燃やされた屋敷の主人だ。
主人はどこからか入手した情報から小町の器という幸運の壺をこの教団から盗んだ。
五条に『私達と共にいた』、『あなた方が攫った』という言葉は嘘ではなかった。
攫ったのは五条ではないが、呪術師が結託して小町を囲っていたと思えば五条も含まれる。
小雛は新しい場所に興味津々だった。
11年もの寂しい時間を過ごしてきたのだから、新しい場所に興味が湧くのだろう。
小雛の後を坂部と信者幹部が続き、小雛が問いかければそれに坂部が答える。
小雛は探索を終えると満足した表情を浮かべていた。
最後の探索を終えた小雛は坂部にリビングに案内されソファに腰を落とした。
すぐ快適に過ごして貰おうと思い、家主がいなくても家具は完璧に揃えている。
それも高級品ばかりで、小雛が座るソファだけでも数百万する品物だ。
テーブルを挟んで坂部が小雛の前に立つ。


「いかがでしたか?」

「はい、とても楽しかったです!」

「それはようございました」

「小町ちゃんに変わりますね」


小町が信徒達を『我が子』として可愛がっているのを知っており、教団も小町を数百年もの間守ってきたのも知っている。
だから、教団は自分よりも小町と時間を共にしたいと思っているし、小町も短い時間だからこそ信徒達と過ごしたいと思っている。
だから小町が許してくれた遊びも終わり、さっそく小町に変わろうとした。
それを意外にも信徒である坂部が止めた。


「お待ちください、小雛様…小雛様のためにお飲み物とお菓子をご用意しております…そちらを召し上がってはいかがでしょう」

「でも…小町ちゃんと話せる時間が少なくなっちゃいます」

「はい…ですが私達は小町様だけではなく小雛様のお二人をお慕いしているのです…小雛様は我らが母、小町様が唯一お傍にいることをお許しになられた特別なお方です…小町様と小雛様…お二人が我らの神なのです」


小雛は坂部の言葉に目を丸くして驚いた。
その傍に控えていた幹部達を見ると、みんな坂部と同じく小雛を見守るような穏やかな笑みを浮かべ頷いていた。
教団は小町しか崇めておらず、小雛は小町のついでだと思われているが、それは違う。
教団は小町は当然、その小町の器として選ばれ小町に認められた小雛の両者を崇めている。
約千年、多くの人間の命を吸い取ってきた神が、唯一受け入れた人間が小雛だ。
崇め奉らない理由がない。


「あ、ありがとう、ございます…」


小雛は小さい声でお礼を言い、俯いた。
嫌だったわけではない。
照れていた。
その証拠に髪からチラリと見えている耳が真っ赤に染まっていた。
五条と主人の妻以外に会った、小町ではなく小雛自身を見てくれる人間がこんなにもいることが小雛は嬉しかった。
伏黒達も、小町ではなく小雛を個人として見てくれているのは分かっているし、小雛には彼らの優しさは届いている。
だが、彼らは呪術師だ。
きっと小町と自分が分裂して、両者が同時に危険に巻き込まれたとしたら―――彼らは小町を守る。
小雛ではなく、小町を。
彼らにとって小雛は重要ではないのだ。
小雛はただ単に器だっただけの人間にすぎず、彼らにとっては小町のオマケでしかない。
だから、信徒達に心を開いた。
彼らは小町も小雛も、同じ重さの命だと思ってくれるから。


「どうそ、小雛様」

「そのお飲み物はイチゴという果物だけを絞ったお飲み物でございます…小雛様のご出身であらせられる宮城県の苺を使用しております」

「屋敷では日本食を召し上がっておられたようですので洋菓子を楽しんでいただけるかと思い、ずんだを使用したロールケーキをご用意いたしました」


信者達が出したのは、小雛の生まれ、3歳まで育った土地である宮城名物の苺ジュースとロールケーキ。
どちらもわざわざこの日のために新幹線で宮城に向かい購入したものだ。
小町は人間の食事は栄養にならない。
そのため、これらは小雛のために用意したものである。
勿論、小町の所有権は教団にはなく、呪術師にある。
だから物で釣っているわけではなく、ただ単純に小雛を歓迎しているだけだ。


「とても美味しいです!」


ケーキなどの洋菓子は五条に保護されてから何度か食べたことがある。
日本食、和菓子しか食べたことがなかった小雛にとって洋菓子や洋食は食に興味のない小雛を食べる楽しみを感じさせてくれた。
小雛が嬉しそうに、そして美味しそうに食べてくれるのが嬉しくて、五条は小雛にお土産を毎日買ってきては食べさせていた。
特に小雛は子供の好む甘くて柔らかいお菓子が好きだった。
だから、苺の甘さのジュースと、柔らかく甘いロールケーキは小雛を喜ばせた。


「ごちそうさまでした…雛のために用意してくださってありがとうございます」

「お帰りの際は五条様や他の方々へのお土産もありますのでお帰りになった際に皆さまでお楽しみください」

「悟様や皆さまにも?楽しみです!ありがとうございます」


もう一人の神である小雛が喜び楽しんでくれた。
神からのお礼など信者にとってこの上のないものだろう。
頭を下げ感激に体を震わせる。
食べ終えた食器などを片すのを見送った後、小雛は小町と変わる。
目を瞑ると陽だまりのような気配が、極寒にいるような冷たい気配と変わる。
小雛は小町と変わった瞬間、深い眠りについた。
真ん丸な目が釣り目と変わり、ゆっくりと鋭い眼光ともとれる瞳を我が仔である坂部達信者に向けた。


「妾の雛が大いに喜んでおった…ようやった、褒めてつかわす」


完全に上からの言葉。
しかし、ここでは許されている。
腹を立てるどころか、信者達には心を震わせるほどの褒美だった。
小雛も神と慕っているとはいえ、やはり教祖であり神である小町の方が信仰は深い。
そんな神からの褒美に小雛にお礼を言われた時よりも心震わせた。
結局、ここでも小雛は誰も見てくれる人は見つからなかった。
フン、と恍惚とさせている信者に鼻を鳴らす小町の前に、コトリと赤い液体の入ったコップが置かれていた。


「1級相当の血でございます」


その赤い液体は『血』だ。
小町に捧げるのだから非術師の血肉を与えるわけにはいかず、しかし、かといって呪術師を狙うと完全に小町を奪われてしまう。
この血は、呪術師ではなく呪詛師の物だった。
坂部は元高専の1級呪術師だった。
小町を信仰している家系に生まれ、偶然呪力を持って生まれた。
一級として日々呪霊を祓い続けてきた坂部だったが、小町が教団から呪術師に奪われ、事実上呪術師所有となったと知った日、坂部は高専を辞めた。
そして、この教団の信者一筋に生きた。
そして、父と母と同じく幹部となり、そして父の跡を継いで教団のトップに立つことが出来た。
この教団での最高位は『教主』と呼ばれている。
トップと言っても教主は小町と小雛。
それは変わらず、坂部達人間の教主は表向きとなっている。
だから、坂部は呪術師と非術師を見分ける事が出来る。


「よい匂い、よい味…正しく保存されている証拠じゃ」


ワインのように匂いを確かめ、味を確認する。
ワインテイスティングのようにするのではなく、匂いを嗅いで口に含んで飲み込んだだけ。
それでも小町には分かる。
『特級にも等しい』とも評され、坂部は赤らめた頬を隠せなくなるほどの感銘を受けた。
一口一口大切に飲みながら、小町は視線だけを坂部に向ける。
その視線は我が仔達に向ける柔らかなものではなく、険しいものだった。


「それで…そこなカス共はなんじゃ」


その瞬間、その場のピリっとした雰囲気に包まれる。
感銘を受けていた坂部や他の信者達は恍惚な表情を一変し強張らせる。
小町に気づかれると思っていなかったのだろう。
坂部達信者は、この瞬間まで無意識に小町を見下していた。
信仰心は本物なのだろう。
だが、小町は自分達信者にただ守られるだけだと、無意識に見下していた。
なにせ坂部達が今まで会っていた小町は物言わぬ呪物だ。
器越しとはいえ、生きている小町と会ったのは今日が初めてである。
それに見た目が華奢な少女だからというのもある。
小町が生きていた千年前ならいざ知らず、人は忘れる生き物だ。
千年という時間は、人から信仰以外を忘れさせるのに十分な時間だった。
『カスを連れてこい』と命じられたので部屋に隠していた小町が察した二つの気配を小町の前に連れて行く。
小町以外が表情を硬くし、小町の機嫌を伺っていた。


「なんじゃ…女子ではないか」

「…っ」


信者が連れて来たのは、10代の少女2人。
1人は染めているのか金髪の髪をお団子に纏めており、前髪サイドをロールで巻いている。
その隣にいるのは、黒く長い髪を綺麗に揃えていた。
2人は異なるものの、制服を身に纏っているところを見るとまだ学生なのだろう。
2人も表情を強張らせゴクリと喉をならし、冷たく刺すような小町からの視線を受けながらゆっくりと平伏する。
平伏する2人を見た後、小町は同じく平伏する信者達を全員視線を向ける。


「いつからここはカスごときが容易に潜り揉めるような場所になった?いや…貴様らはここを妾と小雛の住まいと申したな…貴様らも共犯か」

「ッ―――いえ!いいえ!!違います小町様!!」

「ならば話せ…妾は小雛と違い気が短いぞ」

「…ッ」


兄の宿儺に比べて小町は気が長い方ではあるが、所詮大差のない差だ。
11年も孤独と窮屈に耐えた小雛と比べると誰だって気が短い人間となる。
よりによって神である小町に裏切りを疑われ、坂部は慌てて平伏し、誤解を解こうとした。
深々と頭を下げる我が仔と呼び愛でる信者を小町は冷たく見下ろす。
その表情からは慈しみは感じない。
坂部の声は恐怖に震えていた。


「この者達は呪詛師でございます」

「ほう、クズの方だったか…それで、そのクズと結託して貴様らは妾に何をしようとしていた」

「け、結託など滅相もないことでございます…この者達は小町様と小雛様にお願い事があると参ったのでございます」

「願い事のう……貴様はよほど妾を馬鹿にしておるようじゃな」

「ば、馬鹿になどしてはおりませぬ!!!私達は全てを小町様に捧げることも厭いません!今すぐに死ねと言うのであればこの命など貴女様に捧げ――――」


坂部の言葉が途切れた。
上から『ソレ』が平伏する坂部を掴んで持ち上げ、床からもう一体の『ソレ』が顔を鷲掴みして口ごと封じた。
不愉快だと、小町が感じたからだ。
そして、それは『ソレ』も同じ。
『ソレ』の中には坂部の先祖がいるだろう。
だが、『ソレ』となってしまえば、個の意思は消える。
ただただ小町を愛し憎む『ソレ』となるだけだ。
ただ、信仰していた全ての信者が『ソレ』になれるわけではない。
小町を愛しても許される唯一の存在。
『ソレ』は信者達の憧れ、そして『ソレ』に選ばれるために生きていると言っていい。
小町は一口、血を飲んだ後、コトリとテーブルにコップを置く。
静まり返るその場にはその音がいつもよりも大きく聞こえる。


「誰が、いつ、死ぬことを許可した」

「―――」

「貴様らの生き死には妾と小雛が決める…例えその体の主であろうとも貴様らに選択などありはせん」

「―――」

「もうよい…降ろせ…見下ろされるのは不愉快じゃ」


腹が立った。
神と信仰し器との自宅を与えておきながら、その家に信者ではない呪詛師を入れ、その存在を隠していたことが。
確かに、小町は千年から呪物となり長い間信者の前に現れることはなかった。
そのため信仰は続いても、現代の信者は小町への敬畏を忘れてしまった。
それが気に入らない。
しかし、仕方ないと思うしかないのも分かっている。
だから殺さなかったし、疑わなかった。


「も、うしわけ…ありません…」

「もうよいわ…初めからお主達を疑ってはおらん…ただ妾達への通達を後回しにしたことが気に入らなかっただけじゃ…気にするでない…おもてを上げよ」

「…ありがとう、ございます…」


『ソレ』から解放された坂部はそのまま床に落下した。
受け身を取らなかったのは、小町への謝罪のつもりなのだろう。
痛みに呻く坂部を気遣うでもなくただ淡々に答える小町は、立ち上がる信者達に下がるよう命じた。
理由を問いたかったが、これ以上、機嫌を損ね見限られれば信者達は狂ってしまう。
たかが少女だと人は言うだろう。
だが、相手は信仰している神である。
神を信じる者に、その神に見捨てられて正気を保つことができようか。
坂部も黙って退室し、残ったのは小町と2人の呪詛師だけだった。

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