呪詛師の少女達は信徒達がいなくなっても平伏し続け、小町から顔を隠している。
そんな少女2人を小町は冷たい眼差しで見下ろしていた。
「おもてを上げよ」
そう命じれば、やっと少女達は顔を上げた。
その顔は青ざめており、冷や汗が浮かんでいた。
「名は」
「は、枷場美々子です」
「枷場菜々子…です…」
名を聞いても小町はきっと忘れる。
名を覚えるほどの価値があるとは思えなかったからだ。
だが、この教団を頼った行動に興味が沸いた。
小町を信仰している教団などとっくに呪術師にマークされているだろう。
この少女たちがどれほどの使い手か、呪詛師としての立場がどれほどなのかは分からないが、呪術師に見つかるリスクを冒してでも教団を訪れた無謀な行動を称賛し、名を聞いた。
「何用で来た」
用件なども興味はない。
だが、用件を聞くことくらいはしてやってもいいと思うほど、小町は機嫌がいい。
その理由は小雛だ。
信者達の歓迎に小雛が喜んだ。
たったそれだけだが、小町の損ねた機嫌が治るのには十分すぎた。
「ある…男を、殺していただきたいのです…」
問われた美々子と菜々子は目配せする余裕もない。
目の前の、呪物が恐ろしい。
慕う男や慕う男の親友のような確かな強さは感じない。
だが、この肌に刺さる殺気に、本能が逆らうなと言っていた。
本当は利用するつもりだったのだ。
呪術界は小町の存在を軽んじている。
小町の術式に攻撃性がなく、生前だって教団あっての小町の勢力だった。
そのため、呪術師であろうと呪詛師であろうと、小町への認識は変わらない。
だから教団の勢力を利用してあの男を殺してやるつもりだった。
だが、いざ目の前に立ってみて実感させられた。
小町は確かに強い気配は感じられない。
しかし、強者のみに許されるプレッシャーと、見えない何かの気配が2人の周りに漂っているその不気味さに冷や汗が止まらないほど恐ろしさを感じていた。
その見えない何かとは『ソレ』である。
小町を呪いそして守る『ソレ』は、呪詛師の2人を見極めていた。
恐怖と緊張のあまり用件を問われてもすぐに答えることが出来なかった。
急かすでもないがそろそろ黙っているのも飽きてきた小町だったが、やっと答えることができた菜々子の言葉に、そっぽ向いていた視線を美々子と菜々子へと向ける。
向けられた視線に負の感情はなく、2人は内心安堵した。
「ある男?五条悟か?」
「いえ…名は知りません…ただ、その男の額には横一本の傷跡があり…長い黒髪に…袈裟を着ています…」
「額に傷跡」
菜々子の言葉に小町は考える素振りを見せる。
菜々子からの情報に身に覚えがあったからだ。
2人は考え込んでいる小町の邪魔をすれば、今度こそ機嫌を損ねると口を閉ざす。
静まり返る中、『ああ、あのクズか』、と小町は思い出した。
(確か…あの屋敷から小雛を攫ったクズだったな…)
菜々子から聞かされた特徴に一致する男を見つけた。
その男は、小雛をあの屋敷から攫った呪霊達と組んでいる呪詛師の男――夏油だった。
呪霊とつるむ呪詛師に、今まで忘れていたが特徴を言われて思い出す程度には強い印象を持っていた。
(あのクズは一切手を下さらなかったからのう…影が薄かったから忘れておったわ)
真人の影に隠れていた呪詛師など小町は興味もなかった。
実力を隠す術師など多く、小町も戦闘狂ではないから強者にしか興味がないわけではない。
あの時は体調不良もあって敵の認識よりも一刻も早くあの場所から逃げ出したい一心だった。
(実力が読めぬが……まあ、弱くはないだろう)
それは勘だった。
呪霊と手を組んでいる、イコール、呪詛師が強い――とは限らない。
言語を会得し、思考することを覚えた呪霊なのだから、言葉巧みに誘導され手を組むことだって可能だ。
だが、あの男は関わるべき人間ではない。
(あれは愚兄と同類だ…ゴミの中でも、クズの中でも…飛び抜けてイカれたゴミだ……イヤじゃ…あんなゴミクズと関りとうない…小雛に近づかせたくない)
どうするべきか、と小町は膝の上で頬杖をつき思考を巡らせる。
美々子と菜々子が緊張した面持ちでこちらを見ていてもお構いなしに考える。
どう断るか。
「殺せと申すが…お主達、肝心のその傷の男の居場所を知っておるのか」
頬杖を突きながら美々子と菜々子を見て1つ問う。
小町の問いに2人は恐る恐るコクリと頷いて見せた。
無言でクイッと顎をしゃくり続けろと示す。
「10月31日…渋谷で…傷の男は何か計画をしているようです…」
「その日に殺せというのか」
「はい…どうか小町様のお力で夏油様を救ってください…」
小町は片眉を上げて怪訝そうに深々と頭を下げる2人を見た。
小雛の記憶で見た傷の男の名と、2人が呼んだ名前が同じだった。
2人の頭が狂っているからか、それとも同姓同名か、何か裏があるのか。
分からないが、元々受ける気はない小町にはどうでもいいことであった。
「私達は兄君の指を持っています!」
小町が受ける気がないのは隠していないため当然2人にも筒抜けだった。
だから、小町が断る前に菜々子が叫ぶように言った。
小町が絶対に頷くモノを持っているからだ。
それが、宿儺の指。
2人は宿儺の指を持っている。
宿儺と小町が兄妹だと2人も知っている。
「ほう、兄の指をか」
小町は一瞬ピクリと片眉が上がった。
だが、2人に気づかれないようすぐに隠す。
2人は宿儺と小町が兄妹だと知っている。
そう…知っている、だけだ。
宿儺の名に反応し興味を向けた小町を見て、2人はホッと安堵の息をつく。
それを見て小町は『まだまだ子供よの』と思う。
「も、もし傷の男を殺していただけたのでしたら…兄君の指を差し上げます…それが足りないのでしたら…私たちは死ぬまで小町様の手となり足となります…」
『どうか…どうか、夏油様を救ってください』、と縋るように見つめ、頭を下げる2人を小町は頬杖をついたまま見つめる。
小町の言葉を聞かない限りは頭を上げるつもりもこの場を去ることもしない覚悟なのだろう。
だが、必死の美々子と菜々子に反して小町は無感情に彼女達を見下ろす。
(10月31日…ふむ…呪霊と手を組む呪詛師がやらかすことだ…大掛かりな計画なのだろう…そうなれば呪術師となった愚兄の器も派遣されるはず…)
小町は宿儺の器であり小雛の兄である虎杖が生きているのに気づいている。
いつまでも隠しておける問題ではないので、菜々子達が言っていた10月末までのどこかで復活した虎杖のお披露目をするだろう。
そもそもあの
カスが上層部の嫌がることを控えるとは思えない。
「そこの…美々子と申したか」
「は、はい」
「坂部を呼んでこい」
「かしこまりました」
返事ではなかったが、小町に声をかけられ美々子は恐る恐る立ち上がり部屋の外に待機しているであろう坂部を呼んだ。
美々子とともに戻ってきた坂部は小町の前に立ち、美々子は菜々子の隣に戻る。
「お呼びでしょうか、小町様」
「兄の指を持っておるか」
「宿儺様の指でございますか……1本だけですが教団が所有し厳重に保管しております」
「持ってこい」
「畏まりました」
呼ばれたばかりの坂部は一体何の話かと疑問に思ったが、例え教団のトップとはいえ小町に問う立場ではないことは先ほどで嫌ってほど理解した。
問われたことを答えただけの坂部は小町の続けられた命令に何の疑問もなく即答で従った。
「お待たせいたしました小町様…こちらが兄君の指でございます」
急いだのか、すぐに指は小町の前に置かれた。
何重もの札を張った重箱が置かれ、その札を丁寧に剥がせば中には丁重に指一本を納めていた。
生前の呪物と化した兄の指を小町は手を伸ばし、改めてマジマジと見る。
小町…小雛の白く細い愛らしい指には似合わぬ悍ましい兄の指。
グッと力を入れても特級呪物である指はびくともしない。
(変わらずゴミもカスも小心者しかおらんのか)
小町は美々子と菜々子がいなければ嘲笑を送っていただろう。
嘲笑を送るのは勿論、封印の札を何重も張り指ごときに恐れをなす人間にだ。
小町は兄の指に向けていた視線をそのまま菜々子達へと流した。
「傷の男には妾も借りがある」
「!――では…!」
「たまには大暴れするのも面白そうじゃが、妾では無理じゃ」
「…と、いいますと…」
傷の男…夏油には借りがあった。
器を屋敷から解放してくれたこと。
そして、小町ごと器を利用しようとしてくれたこと。
二つの借りがある。
なんとも腹立たしいことか。
利用しようとするゴミカスどもも――そして人間を食さなければ生きられないこの体も。
「妾は今カスどもに力を制御されておる…恐らく今の妾ではその男を殺すことは叶わんだろう」
「………」
小町の言葉に2人は何も言えなかった。
『そうですね』も、『そんなわけがないですよ』とも言えなかった。
きっとどちらも小町の機嫌を損ねると思ったからだ。
黙って聞く美々子と菜々子に、小町は『だが』と見下ろして続ける。
「忘れてはおらぬか…妾は両面宿儺の妹ぞ」
2人は小町に断られると思い目の前が真っ暗となり、顔を俯かせる。
あの男の実力を見せられ、自分たちでは叶わないが分かってしまった。
だからこうして下げたくもない頭を下げ、呪物に頼った。
なのにその呪物はあの男を殺すことさえもできないと断言したのだ。
絶望し失望して当然だ。
だが、一本の光を小町は与えた。
小町の言葉に2人はハッとさせ弾かれたように顔を上げる。
見上げる小町は居住まいを正し、自慢げに美々子と菜々子を見下ろし笑みを浮かべていた。
「妾が言うのもなんだが…
兄様は妾を愛してくださってな…生前は兄様に囲われていた時期もあった」
「はい…」
「兄様は妾の我が儘を全て聞いてくださった…自慢ではないが兄様は妾の我が儘を無下にしたことは一度としてない」
昔を思い出しているのか、遠いどこかを見つめ穏やかな優しい笑みを浮かべていた。
その表情を見ただけで、兄を慕っていると2人は感じさせた。
だからこそ、兄の指を伝えたことは正しかったと思う。
そんな2人に過去を馳せていた小町は持っていた兄の指をそのまま菜々子へ投げた。
「え…」
宿儺の指を投げつけられた菜々子は反射的に受け取った。
特級呪物であるはずの宿儺の指を投げた小町に、小町以外が固まる。
手の中にある指を恐る恐る見下ろした菜々子は、小町を見た。
小町は唖然としている3人を気にも留めず目を細め笑みを深めた。
「その指はやる…お主達の持っている指は兄様の交渉の際に利用するとよい」
「し、しかし…この指は…」
チラリと坂部を見た。
この指は、小町の兄の指ではあるが、その所有者はこの教団だ。
宿儺の指はその強大な呪力から魔除けとしても使われており、その唯一のお守りを勝手に受け取っていいのか悩んだ。
菜々子の言いたいことを察したのか、坂部は無言でコクリと頷いて指の譲渡を承諾した。
そのやり取りを見た後、小町は続ける。
「呪霊と組むほどの計画じゃ…兄様の器もいつまでも隠しておけぬだろうから参戦させられるだろう…隙をついてその指を兄様の器に飲ませるといい…器が呪物を取り込んだ際、一瞬だけだが隙が生まれる…妾の顔を見れば一時的じゃが主導権を奪えるだろう―――妾がお願いでもすれば話くらいは聞いてくださるはずじゃ…あとはお前達が兄様と交渉しなさい」
小町は兄に話を聞くよう言うだけで、2人の願い事は一切関与しない。
そう言っているが、それだけでも2人の安全度がグンと上がる。
表へと出た宿儺とは2人は初対面だ。
宿儺と自分達の間には果てしない力の差が存在している。
宿儺に愛されている小町が話を聞くよう頼んでくれるなら、他の人間よりは話は聞いてくれそうだ。
「ありがとうございます!小町様!」
無茶なお願いだというのは2人も承知の上だった。
もしかしたら機嫌を損ねてしまうかもしれない、と。
最初はそうだったが、小町は話が分かるタイプの呪物だった。
心からの礼を告げ、頭を下げる2人に小町は微笑みを向ける。
―――その笑みはまさに慈母そのものだった。
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