鳥ポケモンの声で、女は目を覚ました。
目を開ければ、洞窟のでこぼことした壁が映っていた。
背中を怪我しているため仰向けにはなれず、そのまま肘をつき起き上がる。
すると傷が痛み、痛みに顔を顰めた。
後ろを向くと少女がポケモンとガオガエンに挟まれ、少女の傍らでは、ウォーグルがスヤスヤと眠っていた。
眠る少女の姿に女は無意識に微笑みが浮かぶ。
火が消えそうだったので、ガオガエンが拾ってきた小さな枝を入れて火を強く保つ。
外に出ると、ウォーグルと見張りを交代していたヌオーがいた。
「おはよう、ヌオー」
辺りを警戒しているヌオーに挨拶と共に、見張りをしてくれたお礼を言うと、嬉しそうに鳴いた。
朝ごはんとしてヌオーの分の木の実を差し入れとして持って行ったあと、洞窟に戻り荷物の整理をする。
その間にガオガエンとウォーグルが目を覚まし、その気配でポケモンも目を覚ました。
まだ眠たいのか、ポケモンは小さな手で目を擦りながら宙に浮く。
寝ぼけながらも、ポケモンは少女に甘えるように頬と頬をくっつけて頬ずりをする。
『みゅ、みゅ』という愛らしい声とその光景に、本来なら頬も緩むほど平和な光景なのだろうが、少女に心酔している女からすれば嫉妬の対象でしかない。
しかし、ポケモン相手に嫉妬して少女に失望されたくはないので、ここはぐっと抑える。
「朝食を食べた後、進みましょう」
とはいえ、だからと言って邪魔しないわけではない。
すりすりと少女に懐くポケモンに、女は適当な木の実を渡し邪魔をする。
当のポケモンは気づいていないが、長年相棒として一緒にいたガオガエンは気づいたらしく、女に呆れた目を向けていた。
女はその視線に気づき、気まずげに視線を反らし咳をして誤魔化しながらガオガエンとヌオーにも木の実を渡す。
勿論、少女には昨夜と同じく木の実の汁を与えた。
―――少しの休憩を終えた後、女は洞窟を出て森を進む。
進むと言っても、森を彷徨う気はないので、ウォーグルに乗って人がいる街を探した。
(早くどこかの街に降りないと見つかっちゃう…)
ウォーグルに乗ったのは、すでに一日経っているためのんびりと歩くのは危険だと判断したのもあるのだろう。
怪我さえ負っていなければ、あの時、夜通し進めたのだが、一日足止めされていたのは追われている身としては痛い。
とはいえ、あの雪山には高レベルのポケモンが生息しているため、あちらも降りるのには苦労しているだろう。
空にも高レベルのポケモンがいるので、空を飛んで降りることはできないはず。
(ここは多分古城に続く入口にある森だと思うから…方向としてはこっちであってると思うんだけど…)
基本、あの古城では自給自足で生活している。
肉類や生活必需品などは、月に一度護衛をつけてまとめて購入し保存している。
その為、降りられないわけではないのだ。
護衛は女も経験があるため、街への方向はうろ覚えではあるものの何となくだが、把握している。
そのうろ覚えの記憶に頼るしか今はなく、ウォーグルに方向を指示する。
ウォーグルが指示通りの方向へと体を傾けた時―――飛行ポケモンたちに囲まれてしまった。
「しまった…!」
ペリッパーを含む4匹の飛行ポケモンに囲まれ、身動きが出来なくなった。
上に昇ろうとも、相手も飛行なためウォーグルに合わせて飛ぶ。
女がウォーグルに指示を出す前に、ペリッパーが『ちょうおんぱ』を放ち、ウォーグルは飛んでいられなくなり落ちていく。
急降下していく中で、女は必死にウォーグルにしがみつき、少女が落ちないよう抱きしめる。
「みゅみゅみゅ!」
地面がすぐそこに迫り、女は来るであろう衝撃に目を瞑った。
しかし、ポケモンの声がしたのと同時に、ポヨンと間抜けな音を立ててウォーグルごと女が跳ねた。
痛みを予想していた女は痛みや衝撃が襲ってこない事に疑問に思い、恐る恐る目を開ける。
目を開けると、ピンク色のボールのようなものが女達を受け止めていた。
女が顔を上げて空を見上げると、桃色のポケモンが女達の前に立ち塞ぐように止まる。
ポケモン越しに見えたのは、あの男だった。
周りには信者達がおり、女は完全に包囲されたのも同然だった。
どうやらあちらは夜通し雪山を降りてきたらしく、空を飛んでいる女を見つけたのだろう。
陸ではなく空を選んだのは失策だった。
男たちが、ここまで早く追いつくとは読めなかった。
女たちを受け止めていたボール状の膜が弾けるように消え、女達は地面に降りる。
目を回すウォーグルをボールに戻した後、少女を抱きしめながら前を塞ぐ男をキッと睨みつける。
しかし、男は女の睨みなど気にも留めず、涼しい顔で女を見下ろしていた。
「そろそろ諦めてください…分かっているでしょう?深手を負っているあなたでは我々には勝てない…その怪我ではいずれ死にますよ…あなたは教祖様を攫った大罪を犯したので本来なら処分でしょうが大人しくその方を返していただけるのであれば追放で勘弁してあげます…信仰深かったですし特別に街まで送ってさしあげますよ」
「断る!お前達に渡すぐらいなら死んだ方がマシだ!」
教団は組織が大きい分、規律に厳しい。
捕まれば裏切りは追放であるが、女は、教祖を攫った罪人として処分されるだろう。
その為、男が嘘をついていなければ、男の提案は破格な条件だった。
自分の命が大事な人間ならば喜んで少女を渡すほどの好待遇なのだろうが、女にしてみれば少女に比べて自分の命など軽すぎる。
女は言葉通り、目の前の男達に少女を渡すくらいなら本当に死んだって構わなかった。
女の言葉に男の目は冷たく鋭く変わり、目を細め女を見つめる。
静かな怒りを見せる男だが、女も腸が煮えくり返りそうだった。
「愚かな女だ」
男の静かな声を合図に、背後にいた部下のポケモンが動く。
先制したキレイハナが『ねむりごな』で桃色のポケモンを眠らせた。
『ねむりごな』を浴びてしまったポケモンはゆっくりと地面に落ちていく。
しかし抗っているのか、地面に倒れながらもポケモンは重く落ちていく瞼に必死に抗っていたが、結局『ねむりごな』には抗えず眠ってしまう。
鬱陶しいポケモンを眠らせて大人しくさせた男は、女へと視線を戻す。
女はすでに、ガオガエンとヌオーのボールを手に取っていたが、やはり傷を負って動きが鈍くなっているのか男に先手を取られた。
男の手持ちであるヨノワールが女に向かって『シャドーパンチ』を放つ。
「ぁ…、う"…ッ」
ヨノワールの『シャドーパンチ』は人間である女には到底避けられるものではなかった。
ポケモンの技をまともに受けた女は吹き飛び、その際傷に負担をかけてしまう。
ヤミラミから受けた『シャドークロー』の傷が吹き飛ばされて転がった事で傷に響き、激痛に息が詰まる。
顔を上げれば、少女が背中を向けて倒れているのが見えた。
倒れ伏す少女の小さな背中を見て、女は痛みに顔をゆがめながらギロリと男を睨みつける。
「あの方を傷つけるつもりか!!」
「それも辞さないつもりです…重傷さえ避ければ後でもいくらでも治癒できますからね」
「それでも教祖様の信徒か!」
「信徒?私が?」
ヨノワールが少女を避けて女だけに『シャドーパンチ』をしてくれたから良かったものの、最悪少女も怪我を負う事になっただろう。
教団幹部である以上、信仰深いはずだ。
その信仰の主である少女が怪我をしても心動かない事に苛立ちを覚える。
女なら、まず教祖である少女を傷つける方法は思い浮かばない。
少女を傷つけず、どう罪人から奪還するかを考えるだろう。
しかし、女の苛立ちの叫びに男は片眉を上げ、怪訝とした表情を浮かべた後、くつくつと笑い出す。
「私をお前達と一緒にしないでいただきたいですね」
「自分は特別だと思っているような口ぶりね…お前だって私と同じ信者の一人でしょう」
「耳が不自由なのですか?私を、お前達と、一緒に、しないでいただきたい、と言っているんですが?」
まるで自分だけが特別だと言わんばかりの男に、女は傲慢だと苛立ちを強くする。
だが、女こそ傲慢であった。
自分こそが、教祖の傍にいるべき人間なのだと本気で信じていた。
しかし、男には傲慢になれる根拠がある。
「私はこの方々に仕えるべく生まれました…私は代々教祖様に仕える一族の一人ですから…だから、お前達一信者と一緒にしないでいただきたい」
女を見下し、鼻を鳴らす男は勝ち誇った表情を浮かべていた。
女は男の言葉に、露骨に顔を顰めた。
男は少女に仕える一族に生まれた。
だからこそ、少女の傍にいるべきは自分だと疑っていない。
代々、少女の血筋に仕えてきた一族。
それが男を傲慢にしていた。
少女に尽くす一族の血を引く自分こそが、少女と共にあるべきなのだ。
しかし、女はそれを聞いても不快にしか思えなかった。
「だったら…この方に仕える一族だから…この方を傷つけてもいいということなのかしら…そんなの言い訳にもならないわ」
「……あなたは何も知らないからそんな事が言えるのです…この方は眠っていなければならない…それがこの方のためでもある」
「どんな理由だとしても!!非道であることには変わりないわ!!この方あってこその教団でしょう!!私たちがこの方の尊厳を犯すべきではないのよ!!」
女の叫びに、男は奥歯を噛みしめた。
初めて、男の表情が大きく崩れた。
ギリッと音が聞こえるほど歯を噛みしめ、男を責める無知な女に、男もまた声を荒げようとした。
しかし、男は憎悪に満ちたその表情を驚きに変え、後ろに控えていた信者達がどよめいた。
その変化に女は怪訝に思ったが…女もまた、驚いた表情を浮かべた。
―――教祖である少女が、目を覚ましたのだ。
女に背を向けて倒れていた少女の体がゆっくりと動く。
女は、肘をついて身を起こす少女に目を見開いた。
あれほど騒いでいても揺さぶられても、少女が起きることはなかった。
薬が効いていたからだ。
死なないように薬の効果を薄める代わりに、一日に一度の投薬を義務付けた。
その一日に一度の投薬を昨夜与えられなかったため、薬の効果が切れたのだ。
少女は、目の前にいる男を静かに見上げた。
「…っ」
闇のような黒い瞳。
この地方では珍しい色の瞳。
この瞳を初めて見た男は、少女の瞳に魅入られた。
今も美しい黒色の宝石に男は息を呑んだ。
「ユズキ様…」
女は確かに男が名前を呟いたのを耳にした。
誰の事を言っているのかと思い男を見れば、男は少女を凝視していたため、女はその名は教祖の名だと気づく。
女は男を見つめていたその視線を、少女…ユズキに向ける。
ユズキは背中を向けたまま振り返ることはなく、女ではなく男に視線を向けていた。
それが気に入らない。
しかし、男から少女を横から掻っ攫う事を、雰囲気が許さなかった。
男は見上げるばかりで動かない少女を見つめる。
少女は、恐らく寝ぼけているのだろう。
ぼうっと呆けており、男を見上げているのもただ目の前に男がいたからだ。
男が男であるからこそではない。
そもそも、少女の記憶に男が残っているのかも危うい。
それでも。
だとしても。
その黒い宝石に自分が映っているのは見ていて気分がよく、気持ちが高まる。
「ユズキ様…申し訳ありません……今すぐに安全な場所にお連れ致しますから…」
どうか、手を取ってください―――そう言って男は手を差し出した。
跪き、手を差し出しても、少女は動かない。
ただ、近づいた男を目で追うだけ。
しかし、その黒く美しい宝石のような瞳が、男から逸らされた。
その先を、男もつられるように目で追う。
そこには、眠っている桃色のポケモンがいた。
『まずい』
そう思った瞬間、少女がポケモンに触れた。
すると…
「みぅ…?」
落とされていた瞼が開けられ、ポケモンが目を覚ました。
ポケモンは寝ぼけているのか、何度も瞬きをしたかと思えば、目の前の少女を見るなり、まん丸な目をさらに見開いた。
「みゅみゅ!!みゅーっ!みゅみゅみゅっ!!」
ポケモンは少女と目が合った事で、少女が目を覚ましたのだと気づく。
体いっぱいに喜びを滲ませていた。
少女の目の前でくるくると回り、せわしなく動き回った。
その姿は愛らしいが、今は誰もポケモンに微笑みかける者はいなかった。
『――――』
少女は言葉を放った。
しかし、女たちにはその言葉の意味が分からなかった。
聞こえていなかったわけではなく、言語が異なっていたのだ。
だが、男は違った。
男だけはその言葉を理解したように、少女に向かって手を伸ばした。
しかし…
「みゅ!」
間に合わなかった。
少女に触れる寸前、女と少女の姿が男の目の前から掻き消えた。
「……っくそ…また…」
寸前で消えた少女に、男は心の底から沸き上がる悔しさと怒りに拳を握りしめる。
周囲には、すでに女の姿もなく、確認するまでもなくあの桃色のポケモンのテレポートである。
「まだ間に合うわ!追いかけるのよ!」
警備隊の女性が部下達に声をかけ命じる。
昨日も徹夜をしてはいるが、追いついた。
今回もそう思い、部下達もその命令に駆けようとした。
しかし、草むらからポケモンたちが現れた。
囲むように現れたポケモンたちは全て進化したポケモンだった。
この山は本来麓なら比較的弱い進化前のポケモンが多いが、男達を囲むポケモンたちはほとんど進化後の姿だった。
彼らは唸る声を上げ男達を睨みつける。
そんな形相は、バトルでも見たことがなく、信者達は鬼のような形相の野生ポケモンたちに怯え尻込みしていた。
しかし男だけは、真っ直ぐ他のポケモンよりも一歩前に出たモジャンボを睨み返していた。
恐らく、彼がこのポケモンたちをまとめているのだろう。
女性が部下達に迎え撃つよう指示を出したが、それを男が止めた。
男に止められた女性はキッと睨むが、相変わらず男は涼しい顔でポケモンを見つめていた。
「退きます」
「はあ!?ここで退く!?ふざけてんの!?早く追わないと教祖様が離れる一方なのよ!?」
「ではこれだけの数のポケモンを相手にしますか?」
「当たり前でしょ!私たちのポケモンが負けるとでも!?」
数はあちらの方が上。
しかし、こちらには人間の知恵があり、薬や技レコードも存在する。
本来なら覚えられない技を習得できる技レコードは、人間側の強みの一つだった。
しかし、女性は目の前のポケモンたちを理解しておらず、男は隠すのも面倒くさいと言わんばかりにため息をつく。
「負けますよ」
「はあ!?」
「このポケモンたちは守るべき方がいる…それがポケモンたちの強さになります」
「…意味が分からないんだけど」
男の言っていることが分からなかった。
呆れたような目で見てくる女性など無視し、男は一歩前に出ているモジャンボに向けて言葉を放つ。
「私たちは退きます」
たった一言、そう言っただけで、男はモジャンボに背中を向け歩き出す。
囲んでいたポケモンたちが、男の進む道を開ける。
信者たちは簡単に退いた男と、男の背中を睨むように見つめる女性を困惑しながら見つめた。
直接の上司は警備隊のトップである女性ではあるが、その女性よりも権力があるのは男だ。
信者たちが判断を仰ぐように女性を見ると、女性は苛立ちながらも退くことを選んだ。
上司二人が退いたため、信者たちも退きざるを得なかった。
「本当に追わないつもり?」
男の隣に立ち、女性は険しい表情をそのままに問う。
女性の問いに男は『追いません』と答える。
「ポケモンに邪魔されただけで追わないなんて…あなたいつの間に日和ったわけ」
棘のある言葉。
しかし、女性の言葉も分からなくはない。
男は教祖の事を信者の誰よりも大切にし、そして執着している。
同じ信徒である女性ですら、時々男の教祖への執着は恐ろしく感じることがある。
それこそ狂信者そのものだ。
女との会話で、男の教祖への執着の原点は分かったが、それほど教祖に誰よりも執着しているくせにポケモンに囲まれただけで退くなど、あまりにもあっさりしすぎて、男らしくはなかった。
女性の棘のある言葉に、男は視線も寄越さず根城である古城に向けて歩き続ける。
「あの謎のポケモンに指示を出したのはあの方ですからね…ならば、追っても追いつくことはできないでしょう」
その返ってきた言葉に女性は怪訝とさせた。
怪我を負った女と共に消えた時、一日かければ追いついた。
それは女が一日洞窟で足を止めていたからだが、それを除いても今回も追いつけないわけではないだろう。
正直、徹夜は厳しいが、教祖を思えば三徹四徹など苦ではない信者は多いはず。
だから男の言葉は理解どころか、腑に落ちない。
「どういう事?」
「愛し子の願いを叶えることこそ、彼らの喜びですからね。」
女性は男の言っていることが理解できない。
そもそも教祖を見たのが昨日が初めてで、正直教祖が何の変哲もない少女だったという事に驚いて戸惑っている。
今は半ば流されるまま攫われた教祖を追ってはいたが、本当にあんな小さな少女が教団の頂点に立てるのかを疑問視していた。
その疑念は男は気づいているが、教祖と自分に危害を加えない限り、放置することにした。
女性の怪訝そうな表情を横目で見た男は、女性の疑問など答える気はなく青々と広がる空を見上げる。
(アルセウスの血筋…現代まで薄まっていても、やはり血は健在というわけですか…)
空は憎らしいほど快晴だったが、心は重く曇っていた。
雨すら降っているだろう。
青々とした空を見たくなく、瞼を閉じる。
瞼の裏には"こちらに来た"ばかりの少女の姿が浮かんだ。
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