―――それからどれほど経ったのか。
女は顔に何かが触れる感触に目を覚ます。
瞬きを何度かすると、意識もはっきりし始めたのか目の前に誰かがいる事に気づく。
目を開けてその人影を瞳に移した瞬間―――女は驚きに体を起こした。
「い゙…ッ」
驚いて体を起こした拍子に傷に触れてしまい、激痛が走る。
背中に血が垂れるのを感じながらも、それどころではない女は目を丸くさせながら目の前にいる人物を見つめた。
「アキ様…意識が…!?」
目の前には少女がいた。
少女は女の傍に寄り添い、痛みで脂汗をかく汗を布で拭っていた。
女はそんな少女を信じられない目で見つめていた。
眠って起きるだけしかできなかった少女が起きて何かを行動に移している。
それだけで驚きは大きい。
少女は飛び起きた女に驚いた表情もなく、布を持っていた手を下げ驚く女を見つめていた。
その瞳を見て女は少し落ち着きを取り戻す。
少女はまだ薬が抜けきれておらず、表情は相変わらず無感情を貫いていた。
それでも、女は喜びに心も体も震えていた。
震える手を女は少女に向けて差し出し、そして触れる。
「よかった…っ!よかった…っ!アキ様…本当に…っ!!」
ぎゅっと、離さないように少女の手を握り、女は喜びに震えていた。
まだ感情を失ったままだが、自分で考えて行動を起こす事が出来たという事は、いずれ感情も取り戻す事ができるだろう。
少しずつ。
少しずつでいい。
少しずつ本当のアキを取り戻せばいい。
「はぁ…すみません……まだ…体調が…戻っておらず…出発は、まだ、先です…」
安心したからか、疲労や痛みがどっと戻ってきた。
女の体は起き上がるのもつらいほど疲労しており、体を起こしてられず横になる。
起こした体を横たわる行動ですら、女の体に負担がかかっていた。
少女は横になった汗をかく女の顔を布で拭うのを再開した。
(アキ様…)
少女に汗を拭われながら、女は少女に見惚れていた。
少女にしたら汗をかいているから拭わなければという機械的な行動なのだろう。
しかし、少女が、狂信的に慕う人が、自分のために行動を起こし触れてくれている事が、女にとって重要であった。
体はつらく今にも気を失いそうであるのに、心は十分に満たされていた。
「どうか…アキ様…ずっと…私のお傍に…」
愛おしい。
目の前の少女がただただ愛おしかった。
強く、心から、少女を望む女を、少女は無言を返した。
女はすぐに眠りについた。
「………」
少女は眠りについた女をただじっと見つめ、しばらくするとまた女の汗を拭きはじめた。
病は気から、という言葉がある通り、少女の姿に女は安堵したためか疲労感や痛みが緩和されている気がした。
だから眠る事が出来たのだろう。
少女は女の汗をぬぐい終えると、外に出た。
「ピカ?ピカピカ!」
ヒトモシに扮したままのポケモンは、一人で外に出る少女を見てピカチュウに戻りながら追いかける。
眠っている間、雨も止み晴天が雲から顔をのぞかせる。
雨が降った後の澄んだ空気に包まれたワイルドエリアに出た少女は、テントの前で周囲を見渡す。
「ピ?」
少女が何がしたいのか分からないポケモンは首を傾げた。
そのポケモンの声を聞こえないように少女はポケモンに目もくれず、どこかへ歩き出した。
少女が心配でポケモンが追いかける。
ガオガエンも少女の事が心配だったが、体調を崩している主人も心配のためポケモンに任せてテントに残った。
ガオガエンに見送られながら、少女はゆっくりとした足取りで歩く。
長い間、寝たきりだった少女の脚力はそれほど強くはない。
しかしここ最近、女に手を引かれて歩いていたおかげで歩き方を体は思い出す事ができた。
それでも普通の人よりも遅い。
その足で向かったのは一本の木。
「ピカピ?」
少女はじっと木を見上げていた。
ポケモンも木を見上げたが、少女が気にするようなものはないと首を傾げて少女を見る。
ポケモンが自分を見ていると気づいていない少女は、しばらく木を見上げていたが、何を思ったのか木に登ろうとした。
「ピ、ピカピカ!?ピカ!ピカ!!」
少女は女に少女らしいスカートを着せられていた。
丈は短くはないが、膝上までの丈しかないため、木を登ろうと足を上げると布が落ちて危うい場所に止まる。
まだ頭がはっきりしていない少女にとって羞恥はまだ思い出せず、本能のまま動いていた。
下着が見えても気にした様子はなく、しかし、登ろうとしているものの経験がないのか一向に登れる気配はない。
登れないのは、少女が木登りをするという危険な行動を防ぐためポケモンが背中に張り付いているためその重みもあるのだろう。
それでも少女はポケモンに気づかないように何故か木登りを続ける。
「何をやってるんだ?」
すると、後ろから声をかけられた。
声をかけられたポケモンと少女は後ろへと振り返る。
そこには、褐色の肌、蜜色の瞳、紺色の短い髪の帽子をかぶった少年が立っていた。
少年は首を傾げて不思議そうに少女を見つめている…が、それは仕方ないことかもしれない。
スカート姿の少女が木に抱き着いている姿(実際は登ろうとしている)を見れば誰だって不思議に思う。
しかし、少女がその疑問に答えることはない。
意志が戻ってきたと言っても、まだ機械的な感情は残っているし、何より…
「―――――」
「え?なに?」
少女はガラル語を話せなかった。
何か伝えたいのか言葉は発せはするが、少年にはそれが何を言っているのか意味が伝わっていない。
少女も少年の言葉が理解できていないように、無表情のまま首を傾げてはまた何か同じことを言っている。
だが、少年は分からない。
「もしかして君は外国から来た人?」
流石に子供でも少女がガラルで育った人間ではないと気づく。
外国人かと問うが、それも意味は伝わっていない。
相手が外国人だと気づいたため、意味が伝わっていないことに関しては別に驚きも今更ないが、だからこそ少女が何をしたいのか理解ができなかった。
そもそも、木に抱き着いている時点で普通の人は理解ができないだろう。
だが、少女は木に抱き着いているのではなく、木を登りたいのだ。
少女は木から離れ、周りをキョロキョロと見渡した後、少年を置いて別の木に移動する。
自分を無視する少女に、少年は困ったように見送っていた。
しかし、歩き方もぎこちなく言葉も通じていない外国人をどうしても放っておけなくなり、ついていく。
ついでに言えば、少し興味を持ったともいう。
少女は新しい木を見つけ、また片足を上げて抱き着く。
その奇行に少年はただただ首を傾げるばかりであった。
「何がしたいんだ?」
「―――――」
「うーん…何を言っているのか全然わからないんだぜ…」
少年は頭を悩ます。
関わり声をかけた以上、少女を置いていけない。
それに、見るからに少し年上であろう少女はジムチャレンジをしているようには見えないし、海外からきたトレーナーでもないようだ。
少女の服にぶら下がって止めようとしているピカチュウの他に手持ちはいないようだし、流石に放ってはおけない。
ここはワイルドエリアの中でもレベルの高いポケモンがいる場所。
そのレベルの差に、トレーナーはあまり寄り付かない場所でもある。
明らかにトレーナーではない少女を置いていくのは罪悪感を感じる。
決して迷子になったからではない。
決して。
「もしかして…木の実を取りたいのか?」
少女の奇行が二度三度と続けば、何となく彼女が何をしたいのかが分かってきた。
少女が登ろうとしている木の全てに木の実が実っているものばかりで、抱き着いていると思っていたのは木の実を採ろうと登ろうとしていたらしい。
木の上にある物を採りたいのなら、木登りは正しい方法だろう。
だが、木の実を採る方法は他にある。
木に登って採るよりも、こちらの方が安全である。
「ちょっと待っててくれ」
「?」
木登りの経験がないせいで木に一秒も張り付けない少女を木から離す。
少女は何をしたいのか分からないようだったが、ジェスチャーで離れてほしいとお願いすれば、少女ではなく傍にいたピカチュウが理解したのか少女を離してくれた。
ピカチュウにお礼を言った後、少年は少女の代わりに木の実を採ってあげた。
木の実は揺すれば簡単に落ちる。
ただし、注意が必要だ。
「おっと…もうそろそろ危ないな…」
欲張って木の実全部を採ろうと揺すりすぎると、ポケモンが落ちて喧嘩を吹っ掛けられるのだ。
とはいえ、寝ていたり食事中だったり、ゆっくりしているところを揺すられれば誰だって怒るだろう。
何回か経験していれば、引き際は自然と覚える。
そろそろポケモンに怒られそうだと少年は揺するのをやめる。
振り返れば少女は少年に目もくれず木の実を拾っていた。
お礼を言わない事に引っかかりはないのか、少年は散らばる木の実を見て苦笑いを浮かべ頬をかく。
「いつもより揺らしすぎたかな…持っていける?」
拾っているといっても、少女はその場にしゃがみ、ピカチュウが一つ一つ少女に木の実を運んでいた。
少女は表情をピクリとも変化させず、甲斐甲斐しくピカチュウが持ってきてくれる木の実を膝の上に乗せるのを黙って見ていた。
少年もピカチュウと共に木の実を集める。
この辺りは気候の関係で木の実が育ちやすいのか、他の木よりも多く木の実を取ることができるし、珍しい木の実が多いため、穴場だった。
その為、少女の膝の上でも零れるほどなのに、まだまだ地面に落ちている。
言葉を理解できないと分かりつつもつい聞いてしまうも、やはり少女からの反応はない。
と、いうよりは、こちらの言葉が聞こえているのか分からないほど反応が薄かった。
何の反応もないため、一緒に運んでいいのか、それとも駄目なのか分からない少年は困ってしまう。
ならば、少女の保護者のようなピカチュウに聞こうとしたその時―――背後からドスンドスンと重い足音が聞こえ、少年は腰にあるモンスターボールに手を伸ばしながら弾かれたように後ろを振り返る。
「―――っ!」
振り返ればすぐ後ろにはゴルーグとゴロンダ、キテルグマがそれぞれ己の進化前のポケモンを連れて現れた。
驚くところは、彼らは他のワイルドエリアにいる同種のポケモンよりもレベルが遥かに高いというところだろう。
とはいえ、今の少年にとって負ける相手ではなく、少年は足音に気づいて顔を上げてポケモン達を見上げている少女の前に立ちポケモンを二体出した。
「リザードン!ドラパルト!」
光と共にボールからリザードンとドラパルトが出てきた。
既に最終進化済みの彼らは、心強くレベルの高いポケモンを前にしても堂々としており雄たけびのような声を出す。
主人と少女、そしてピカチュウを守るために彼らは殺気立っており、ピリピリとした空気が肌を指す。
「ピカピカ!!ピカ!!ピカ!」
進化前のポケモンはリザードン達を前に怯えてしまい、進化後のポケモンの後ろに隠れてしまった。
それでもゴルーグ達は少年と手持ちのポケモン達を威嚇せず、静観を決める。
あちらが攻撃してこない事に少年は疑問に思い、首を傾げて技の指示を出すのを戸惑う。
少年が指示を出す前に、少年とポケモン達の間にピカチュウが入り込み、少年に何かを訴えるようにジェスチャーをしだす。
ポケモンの言葉は分からないが、少年は目の前のポケモン達やピカチュウの様子から襲うために彼らは現れたわけではないと察し、体の力を抜く。
リザードンとドラパルトの名を呼べば、彼らもポケモン達の様子で気づいたのか、殺気を引っ込め大人しく道を開け、ポケモン達はそのまま少女へと向かって歩み寄る。
少女はそれまでずっと木の実を見つめてポケモンや少年達の事に気づかないように視線すら向けることはなかった。
しかし、ピカチュウが声をかけるように少女に向け、少女はその声に気づいたようにポケモン達を見上げた。
少年は内心ハラハラと心配そうに見つめていた。
少女は明らかにトレーナーではない。
ポケモンもピカチュウしかおらず、ピカチュウだってレベルは高くはないようだった。
そんな少女が、いきなりゴルーグ達を見てパニックにならないか心配だった。
しかし、少年の心配をよそに、少女は巨体を持つポケモン達に囲まれ見下ろされてもパニックになったり、泣き出したりはしなかった。
キテルグマとゴロンダが手を差し出したのを、少女を首を傾げて見上げていた。
彼らの行動には少年も少女と同じく首を傾げていたが、ピカチュウが彼らの行動を説明するように何か鳴いていた。
その鳴き声の意味を理解したように、少女はスカートの裾を摘まんで立ち上がる。
「わわ…っ!」
裾を摘まんで立ち上がる少女に、少年は慌てて帽子のツバを目元まで下げてぎゅっと目を瞑り、更に駄目押しに背中を向けた。
少女は膝上までのスカートの裾を摘まんで木の実を落とさないようにしているのだろう。
しかし、裾を摘まんでいるせいで少女の下着がちらっと見えてしまっているのだ。
性に疎い少年でも流石に見たら失礼だと思ったのだろう。
背中を向けているのだが、なんだかキテルグマ達の責めるかのようなジト目が背中に刺さっている気がして、少年は『見てない!絶対に見てないぜ!!』と誰に向けているのか分からない言い訳を述べる。
それが功を奏したのか、ポケモン達からの批難の目は止んだ。
暫くするとピカチュウが鳴いたので、振り返る。
振り返るとゴルーグとキテルグマの腕には木の実が抱えられ、ゴロンダの片腕には少女が座って抱えられ、少女の膝の上にはピカチュウが乗っていた。
「ピカピカ!ピッカ!」
「あ、ああ…良かったな」
何て言っているのか分からなかったが、腕一杯に抱えられている木の実を指さしているところを見ると、これで問題解決したと報告しているのだろう。
その読みは当たっているらしく、ピカチュウは元気のいい声で返した。
すると、もう用は済んだと言わんばかりにゴグール達は少年に背を向けどこかに歩き出した。
「えっ!?ち、ちょっと!!その子も連れてくのか!?」
木の実だけではなく、少女を抱きかかえたままどこかへ歩き出してしまい、少年は慌てて追いかけようとしていた。
しかし、ゴルンダの肩に移りゴルンダの背中越しにピカチュウが少年に向かって手を振ったので、少年はその場に立ち止まる。
「えっと…いいのかな…あれ…」
ゴルンダ達も少女とピカチュウに危害を加えようとしていないのは先ほどの様子で分かったためか、追う事はなかった。
少しでも怪しさがあれば追いかけもするが、少女の手持ちであるピカチュウが笑顔で手を振り、少女も嫌がる素振りもなく、何よりゴルンダの少女に対する扱いが優しかったのを見て、何となく少女に彼らが危害を加えないと少年の勘が言っていた。
「…うーん……でも…いいのかなぁ…」
とはいえ、少女をこのまま見送ってもいいのか疑問に思う。
ゴルンダ達ならまだ手持ちや、知り合い又は家族の手持ちだという点も捨てきれないが、足元には彼らの進化前のポケモンも何匹かいる。
三体のポケモンを好んでいる一家なのかと無理に片すことは出来るが、少年はどうすべきか迷う。
しかし、少年が悩んでいる間に少女たちは消えてしまい、少年は追いかけるのを諦める。
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