(4 / 43) その生命に恋う (04)

あれから数日。
女は部屋の掃除をして、傍に控え、化学班の男を迎え入れる日々を繰り返していた。
殆ど隅に控える事の多い仕事が退屈だと思うことはある。
だけど、傍に教祖がいるのだ…毎日が幸せの日々であった。
ただ、流石に女も戸惑いが隠せなかった。


(教主様…私が世話役についてから一度も起きていらっしゃらないけど…どうしてかしら…)


世話役は教祖に疑問を持つことは禁じらえている。
しかし、こうも暇すぎると考えてしまうだろう。
教祖の世話を毎日しているが、女は教祖が起きたところを見た事はなかった。
起きた気配もなく、一日中ベッドで眠っているのだ。


(ずっと寝ていられるなんて可笑しいわ…本当はこの方は教祖様ではない…とか…)


不安を表すように、黒く靄のようなものが胸につっかえていた。
胃がどっと重くなるような気がして思わず胃のあたりを抑える。

ベッドにいる人間が教祖だと誰が言った?

確かに教祖の世話役として女は上司にここに案内された。
上司の男もこの部屋に入ってすぐにベッドに向かって跪いたし、教祖を相手にするような丁寧な口調や仕草を見せた。
しかし、本当にそれは教祖だからだろうか。
教祖だと言うが、その教祖は一言も声を発していないし、それどころか目を覚ましもしない。
そもそも、本当にそのベッドに人間は存在しているのか。
もしも。
もしも、人間はおらず空っぽだったら。
寝息を録音してリピートに流す事だってできる。
カーテンも透けていないのだから確認のしようがない。
一度疑問に思い疑ってしまうと、どうしても疑惑の感情が強くなる。
女はじっとベッドを見つめた。
無意識に足が動き、一歩、また一歩と足が前に進む。
その足はまるで重りをつけているように重かった。
その時―――


「みぃ!」


その声に女はハッと我に返る。
その場に立ち止まると、パッと突然現れたその姿に目を疑った。


「ポケモン!?」


目の前に現れたのはポケモンだった。
そのポケモンは全身が薄い桃色をしており、小さな体に長い脚と尻尾を持っていた。
青く大きな無垢な瞳には驚く女の姿が映し出されていた。
そのポケモンは宙に浮いており、驚く女を見て、まるで悪戯に成功したように口元を手で隠しながらクスクスと笑う。
その姿は愛らしく、野生のポケモンだというのに、女には警戒心がなかった。


「君、どこから入ってきたの?」

「みゅ?」

「まあ、分からないか…とにかくここは入ってきちゃ駄目よ…特に君は見た事のないポケモンなんだから捕まってしまうわ」


未発見のポケモンを発見したと発表すれば、女はたちまち有名人となり、逃げたとしてもその情報は金になる。
捕まえたとなれば、生態を調べたい人間から多額の金を積まれるだろう。
しかし、女は新種であろうと未発見であろうと、目の前のポケモンに手を出す気はおきなかった。
女は宗教に入って入るが、ポケモンを傷つけるほど心は病んでいないし、ポケモンを愛していた。
女は窓を開けてポケモンが逃げれるようにする。
しかし、ポケモンはその女の気遣いなどつゆ知らず、ポケモンは天蓋の中に入ってしまう。


「あっ!こら!」


ポケモンはこちらでいえば動物だが、こちらの動物とは違い、ある程度の意志疎通は可能である。
こちらの指示に従って技を出すのだから言葉だって通じている。
しかし、それとこれとは違うものである。
先程驚いた顔を見てクスクス笑っていたところから、このポケモンは悪戯好きなのだろう。
子供っぽいポケモンに愛らしさはあるが、天蓋の奥には触れてはならないものがある。
女は教祖を守るためにいるのに、一匹のポケモンに教祖のいる天蓋に侵入されてしまい、それを知られることを恐れ、顔を青ざめながら慌てて天蓋のカーテンを捲った。
恐らく、恐怖から判断が鈍っているのだろう。


「え…」


女は目を丸く開いた。
つい天蓋のカーテンを開けてしまったが、目の前に想像しなかった光景が広がっていたのだ。


「女の子…?」


天蓋の奥にあるベッドには、一人の少女がいた。
仰向けで目を閉じて眠っていた。


「みゅみゅ!」


ポケモンの声に、女はハッと我に返る。
ポケモンは眠っている少女の頭上に浮いて、少女を覗き込むように見つめた。
鳴き声を放っても少女は起きる気配はない。
ポケモンを止めなければいけないのに、女は少女を観察するように見つめた。


(教祖様…なのかしら…)


つい、もっと見たくて顔を覗き込むポケモンを抱いてどける。
ポケモンは逃げることなく女が触れることを許し、女を見上げながら小首を傾げていた。
女はそんなポケモンに気づかず、食い入るように少女を見つめた。


(なんて美しいの…この子が私の教祖様…)


ゴクリと女は少女を見て喉を鳴らした。
少女の見た目は大体10代前半ほど。
黒い髪に、黄白色の肌。
黒いシーツに包まれているその姿はまるで幼い頃に両親に読んでもらった物語のお姫様のようだった。
普通の人間が見たら、少女は見惚れるほどの美しさはない。
しかし、元々宗教に心酔するような人間ゆえに思い込みなのか、女には少女が誰よりも美しいとさえ思ってしまう。
とはいえ、少女は美女とまではいかないまでも、確かに愛らしい容姿であるのは間違いはない。
ただ、誰もが見惚れるほどの美しさはない。
女はそっと女の頬に触れる。
天蓋の厚いカーテンと暖炉のお蔭で、触れた少女の頬は冷たくはなかった。
しかし、本来なら年相応にふっくらとした頬のはずが、痩せこけてはいないものの肉付きはあまりよくないように感じられた。
閉じられた瞼の奥にある目を見てみたいと思った。
どんな色をしているのだろうか。
もしかしたら髪と同じ黒色のだろうか。
そう想像を駆り立てられていた女だったが、ふと、気づく。


「…!」


女は少女の腕を見た。
少女の腕にはいくつもの針が刺された跡があったのだ。
女はもう片腕も見る。
そこにはやはり注射痕がいくつも残されていた。
まるで薬物中毒者のように皮膚が修復し終える前に新しく傷ができるため、完治できていない。
女は思わず手で口を覆う。
そうしなければ、きっと声を出してしまっていただろう。
いくら人の気配がない教祖の部屋とはいえ、声を上げれば警護の人間がその声に気づいてしまう。
そうすれば教祖を見てしまった女は、この職務を外されるか、始末されるかのどちらかだ。
女は証拠を隠蔽するためシワになったシーツを整えようとした。
女は見なかったことにしようとしたのだ。


(なんなの…!なんなのこれ…!!)


女の脳裏に、化学班の男は浮かんだ。
それと同時に動かしていた手を止める。


(あいつ…毎日この子に注射をしていたってこと…?何のために?この子は教祖様ではないの…?そもそもこの注射痕はなんなの…血を抜いてる?薬を注入している?…なんにせよ…こんなの異常よ…)


腕にもう一度視線を向ける。
何度見たって現実は変わらず、少女の白い腕にはくっきりと縁を赤く染める注射痕が残されていた。
一つではなく、いくつも。
注射痕と言っても用途は様々だ。
献血だったり、注射だったり、点滴だったり。
でも、中毒者でないかぎり、傷が治る前に新しい傷を残すようなほど頻繁には注射しない。
しかし、化学班の男は毎日来ていた。
毎日訪れて、この少女に針を刺している。
その事実を、女は目の当たりにしているのだ。


「…………」


女は黙り込んだ。
その姿は考え込んでいるように見えた。
そんな姿をポケモンは女の傍に浮かびながら首を傾げていたが、女を見るのに飽きたのか眠っている少女の傍に近寄る。


「みゅ?みぃ」


ぺちり、と小さな手で少女の頬に触れる。
ぺちぺちと叩いて少女を起こそうとしていた。
しかし、少女は深い眠りについているのか起きる気配はなかった。
起きない少女に、ポケモンは寂しそうに鳴き、少女の胸元に擦り寄るように降りた。
すりすりと甘えるようにポケモンは少女に擦り寄るも、やはり少女は起きない。
だが、呼吸する度に動くのが楽しくて愛おしくて、ポケモンは青い瞳をそっと閉じた。


「ねえ、あなた…どこから入ってきたの?」

「み?」


うつらうつらとしていると、女に声をかけられポケモンは顔を上げて首を傾げた。
『なぁに?』と言っているように鳴くポケモンに、女はもう一度質問をする。
言葉が通じているかは分からないが、ポケモンは何となく何が言いたいのか察したのか少女の胸元から離れパッと姿を消し、そして少女の後ろにパッと現れ『わっ』と驚かせた。


「あ、あなたテレポートが使えるの?」

「みゅ!」

「そう…テレポートが使えるの…」


そう呟いただけで女は黙り込んだ。
ポケモンから視線を反らし何かを考え込んでいる女に、ポケモンはジッと見つめる。
恐らくそう時間はかからなかったが、短い時間ではなかった頃、女はポケモンへ視線を戻す。
その表情はどこか覚悟を決めた表情を浮かべていた。


「お願い!私とこの方を…いいえ!教祖様をここから逃がして!」


女は覚悟を決めた。
少女から目を反らすのではなく、少女を助けるための覚悟を決めたのだ。
女の言葉はポケモンに通じたのか、ポケモンは笑顔で愛らしく鳴いた。

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