タヒリは心が躍っていた。
人目を避けある場所へと駆け足で向かう。
その足取りは軽やかで、期待がにじんでいた。
葉の隙間から求める人影が見え、タヒリの顔には笑みが浮かぶ。
しかしその笑みは愛らしい笑い声によって曇ってしまう。
「お兄様、今度はあちらのお花がいいです」
誰かに指示を出すその声は、とても楽しげだった。
少女の他にも人がいたらしく、少年も楽しそうに笑い声を上げていた。
2人の楽しそうな声にタヒリは無意識に眉を顰める。
葉の間から覗き込めば、花が咲き乱れる池に少年が入っており、縁では少女が座っていた。
少女の腕には数本の花が摘まれており、池や少女の周りには護衛や侍女たちが微笑ましそうに2人を見ていた。
「あんな顔のメンフィス…初めて見たわ…」
少年の表情を見て、タヒリは思わずポツリと呟いた。
少年はこの国の王子、メンフィス。
彼は、女であれば誰もが心を奪われるほど整った容姿をしている。
その女ならば誰もが恋焦がれる彼の腕には、次々と少女の指示で花が摘まれていく。
その少女とは、エジプトの王家の末姫であり、メンフィスの妹であるハヅキだ。
ハヅキは体が弱く病弱で、王妃となったタヒリであっても嫁いだその日以来会っていないほど、ほとんど自室から出てくることはない。
最近は体調がいいのか、ハヅキと会うことはなくとも楽しげな声を聞くことも時折あった。
その時は必ずと言っていいほど傍には兄であるメンフィスがいた。
遠目で見ることもある2人はとても楽しそうで、タヒリには決して見せないメンフィスの顔が覗く。
王や臣下の話では、メンフィスは妹であるハヅキを目に入れても痛くないほど溺愛しているらしく、彼の気性の荒さはハヅキの前では鳴りを潜めているらしい。
信じがたい話ではあったが、タヒリは妹を溺愛する兄の姿をこの目で見たことがあった。
実際に今もタヒリの目の前で、王子であるメンフィスが兵や侍女に任せることなく、自ら池に入り、妹のために花を摘んで甘やかしているのだ。
「………っ」
無意識にグッとタヒリは拳を握り締める。
あの小柄な少女が悔しく、憎らしい。
その感情が溢れてしまったようだった。
(メンフィス…なぜハヅキ王女のように愛おしい目で私を見てくれないの…)
タヒリはあの日。
彼と出会ったあの日からメンフィスに心を奪われてしまった。
エジプトという大国を狙って年老いた国王を誘惑し王妃にまでなった。
しかし嫁入りしたその日に美しい王子に出会ってしまい、タヒリは王子に…義理の息子に一目恋に落ちてしまった。
失態だと思うほど、彼に恋の炎を燃え上がらせてしまった。
だが、その許されないはずの恋は報われる恋に変わった。
メンフィスと想いを通じ合ったのだ。
だが、タヒリは国王でありメンフィスの父の妻。
許されない恋なのは変わらず、メンフィスと逢引きをしながらも国王の妻としてエジプトで暮らしている。
そんな秘めた関係であっても、メンフィスから妹姫へ向けるような愛おしく慈しむ視線を向けられたことはなかった。
エジプトでは近親婚が行われているが、メンフィスとハヅキの間には家族愛以外に存在しない。
とはいえ、それを理解していても、メンフィスの異性への愛情は全てハヅキへ向けられていると勘違いしてしまいそうになるほどだ。
(ハヅキ王女…絶対に許さない…!)
影から二人を見つめるタヒリの目には、今にも爆発しそうな激情が渦巻いていた。
ハヅキという存在は、メンフィスに心を奪われた女性にとって高く厚い壁となっていた。
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