(12 / 19) Novel (12)

熱も下がったハヅキは、兄を探していた。
最近まで熱が続き、寝たきりだったので街に出かけたいと思っていた。


(お兄様が見つからなかったら、お忍びで行っちゃお!)


兄や父にお転婆だと言われるのも無理はないことを思いながら、一人兄を探していると話し声が聞こえ、ハヅキの足は自然とそちらに向かう。
そこは休憩所のような意味を持つパピリオンが建てられており、兄が横になって休んでいた。


「おにい―――」


兄の姿が見え、ハヅキは嬉しそうに兄の名を呼ぼうと手を上げた。
しかし――そこにいたのは兄だけではなかった。


(タヒリ王妃?)


そこには、父の妻となったタヒリがいた。
ハヅキは思わず立ち止まる。
タヒリが楽しそうに笑いながら、メンフィスに口づけをしたのを見てしまったのだ。
その瞬間、ハヅキの頭は真っ白になった。
声が出ないように手で押さえながら、ハヅキは思わず物陰に隠れて兄達の様子をうかがってしまう。


(どういうこと?タヒリ王妃はお父様の妻なのでしょう?なぜお兄様に口づけを?)


兄が美しい男なのは、妹であるハヅキも認める。
多くの娘達が兄の心を掴もうとしている姿もよく見るし、兄に付く侍女達がうっとりとした目で兄を見ているのも知っている。
タヒリは若い。
若い女が美しい王子に魅入られるのは、何らおかしなことではない。
―――その相手が義理の息子であること以外は。


(このこと、お姉様はご存じなのかしら…)


脳裏に、姉であるアイシスを思い浮かべる。
アイシスは弟であるメンフィスを深く愛している。
それゆえに、姉は…アイシスは、メンフィスを心から愛しているがゆえに嫉妬深い。
妹であるハヅキでさえ、その嫉妬の対象になるくらいには、アイシスの愛は海よりも深いのだ。
様子を見ていると、二人は身体を密着させ楽し気に会話をした後、タヒリが名残惜しげにしながらもメンフィスと別れた。
兄はパピリオンに残って休むつもりらしく、ハヅキはタヒリがいなくなったのを確認し、ムッとさせながら兄の元へと向かう。


「お兄様っ!」


目を瞑っていたメンフィスだったが、妹の声に瞼を開ける。
可愛い、目に入れても痛くないほど可愛がっている妹の姿に、メンフィスの顔に笑顔が灯る。


「おお!ハヅキ!起きていても体に障りはないのか?」


横になって休めていた体を起こし、妹を笑顔で迎え入れる。
だが、こちらに向かってくる妹の顔に怒りの色を見て、メンフィスは首を傾げた。
ハヅキは、ズンズンと怒りを見せつけるように足音を立てて兄の元へ歩み寄り、放たれた第一声は―――


「お兄様ったら!最低ですっ!」


否定の言葉だった。
珍しい妹の怒っている姿に、愛らしいと思うのと同時に、困惑してしまう。


「一体どうしたというのだ、ハヅキ…私は何かハヅキを怒らせることでもしてしまったのか?」


ハヅキは熱が続き、今日も午前は寝込んでいたため、メンフィスは見舞いに行った後は妹とは顔を合わせていない。
見舞いの時に妹を怒らせることでもしてしまったのかと思うが、思い返しても覚えがない。
メンフィスは首を傾げながらプリプリ怒る妹を抱き寄せ、膝に乗せる。


「お兄様!先ほどはなんですか!」

「先ほど?」


先ほど、と言われてもメンフィスは妹が怒るような記憶はない。
首をかしげるばかりの兄に、ハヅキは膨らんだ頬を更に膨らませ、抱き寄せる兄の胸元をポコポコと殴る。
病弱な少女の力では痛みは与えられない。
しかし、可愛い妹に殴られているという事実が、メンフィスに痛みを与えた。


「先ほどは先ほどです!タヒリ王妃はお父様の妻なのですよ!なのに!なのにっ!!お兄様ったら最低です!不潔だわ!」


ハヅキの言葉で、メンフィスはなぜ妹が怒っているのか理解した。
それと同時に、勘違いしていることに、メンフィスはつい笑ってしまう。
ハヅキとしては真剣に兄の不義を責めているのに、笑われて更にその怒りを膨らませる。


「お兄様なんて嫌いです!」


笑われたことで、兄は父の妻との不義を軽くとらえているのだと思った。
兄は確かに特定の女性を決めてはおらず、自身の妃も特に望む女性はいないと言っていた。
だからこそ、兄の妃候補に姉の名が当然のように挙がるのだ。
だとしても。
そうだとしても。
父の妻に手を出すのは、さすがにハヅキも許せなかった。
兄の腕から抜け出そうと暴れるも、ついさきほどまで熱に苛まれていた体は力が出ない。
そうでなくても男である兄との力の差があるのだ。
メンフィスはハヅキの『嫌い』という言葉に、やっと妹が本気で怒っているのだと気づき慌てる。


「落ち着けハヅキ!誤解だ!」

「何が誤解なのですか!私は見たのですよ!」


目に入れても痛くないほどの可愛がっている妹に、勘違いされた挙句に嫌われては自他共に認めるシスコンであるメンフィスは生きてはいけない。
顔を青ざめながら逃げようとする妹を抱きしめ、長椅子へ組み敷くように押し倒し、手首を掴んでシーツへ押さえつける。
ハヅキも自分を見下ろす兄をキッと睨むが、激情に駆られていてもさすがに兄の不義を大声で言うのは憚れることは分かっているのか、声を抑えてタヒリがメンフィスにキスをして二人は親密に身体をくっつけていたところを見たと兄に答えた。
その言葉に、メンフィスは『見られていたか』と、気まずげに妹から視線を逸らすが、妹の細い手首を掴む手は緩めない。


「ハヅキ、落ち着け」

「いいえ!落ち着きません!お兄様なんて嫌いです!」

「ゔ…す、すべて話す…だから、兄に向かってそのような言葉を口にしてくれるな…」


いつもなら、妹相手であっても怒りの感情が沸き上がるが、さすがに『嫌い』や『最低』と面と向かって言われてしまえば怒りは萎んでしまう。
とにかく、妹の勘違いを解きたい一心で言葉を紡ぐ兄の弱弱しい声に、ハヅキも冷静さを取り戻したのか、体から力を抜くが、その視線は鋭いままだ。
メンフィスは全て話した。


「そんな…タヒリ王妃がエジプトを…?」


ハヅキは兄から話に、怒りの表情が次第に驚いた表情へと変える。
メンフィスは最初からタヒリが怪しいと疑っていた。
その尻尾を掴んでやろうと思い、タヒリの誘いに乗った。
ハヅキの表情の変化に、メンフィスは妹からの誤解が解けたと安堵した。
妹からの『嫌い』がこれほどまでに、生きた心地がしないものなのかと肝を冷やした。
自分の言葉一つで兄の肝が凍りそうだったことに気づかないハヅキは、信じられないと言わんばかりに目を丸くさせる。
だが、そこに兄への疑念はなかった。
妹からの誤解が解けたと安堵したメンフィスは、安心し脱力するようにハヅキの隣に横になる。
自分の隣で片肘をつき横になる兄を、ハヅキは驚いた表情のまま見上げる。


「では…先ほどは…」

「タヒリを油断させるために必要だったのだ……言っておくが、あの女からすり寄ってきたのだぞ?私から言い寄ってはいないからな?共寝など断じてしておらんからな?」


メンフィスは決して、自分からタヒリを誑かしているわけではなく、言い寄ってもいないということを、妹に必死に、何度も、伝えた。
メンフィスにとっては何よりもそこが重要である。
しかし兄の必死さも妹には届かず、ハヅキは身体を起こし、心配そうに兄を見つめる。


「お兄様は大丈夫なのですか?そのような危険な真似をなさって…誰かに見られてしまっては…」

「大事ない…ミヌーエ達には伝えてある…そもそも、誰があの女の言葉を信じる?」


タヒリにハニートラップを仕掛けることは、ミヌーエ達には知らせている。
誰かに見られる危険も考慮し、事前に人払いはしてあった。
ハヅキはその隙を突いて入り込んできてしまったようだ。
だが、ハヅキでさえ気づかれずに目撃できたということは、誰にでも兄と王妃の逢瀬を見られてしまう可能性があるということでもある。
ハヅキが心配しているのは、兄の言われない疑いをかけられ、誤解されることだ。
不安そうに揺れるハヅキの瞳に、メンフィスは安心させるように笑みを浮かべ、メンフィスも身体を起こし不安に震えるその小さな身体を抱きしめてやる。
それでもハヅキの心配はぬぐえなかった。


「私が心配しているのはお父様です…あれほどタヒリ王妃にお心を奪われているのです…このことをお父様が知ったら…きっと、タヒリ王妃を信じてしまいます」


父は自分達を愛してくれている。
それは今でも自信をもって言えるし、実感ができている。
だが、新しく迎えた妃に心を奪われていることは、ハヅキでさえ感じていた。
溺愛されているとハヅキでも感じているほど、父王は若く美しい妻を愛している。
だからこそ、ハヅキは父が兄と妻の逢瀬を知ってしまうことを恐れた。
父を疑っているわけではないが、妻への想いを見せつけられてしまえば、周りの言葉ではなくタヒリの言葉を鵜呑みにしてしまうのではないかが気がかりだった。


「心配するな…私達の父は愚かではない…最初こそあの女の言葉を信じてしまうかもしれんが、すぐに虚言だと気づいてくださるだろう」


兄の言葉によって、重く沈んでいたハヅキの心が軽くなる。
政にそこまで関りのないハヅキでも、父が王としてどれだけ素晴らしい人なのかは分かっている。
穏やかな人ではあるが、王としての威厳も備わっており、彼の采配によってこの国は更に栄えた。
異国の血を継ぐハヅキが王女として姉と遜色なく扱われているのも、父や兄の力あってのことだ。
そんな父がいくら深く愛している妻とはいえど、周囲の言葉に耳を貸さないことはありえないだろう。
ハヅキの不安や心配は完全に拭えないが、それでも、兄の言葉によってかすかだが安堵することができた。
ただ、一つだけ、気になることがある。


(お姉様は知っているのかしら…)


姉であるアイシス。
ふと、姉を脳裏に浮かべたハヅキは疑問に思った。
兄は姉からの深い愛情をただの家族愛としか思っていないようにも感じられる。
兄の本心まではさすがに分からないが、ハヅキから見れば姉の片想いとしか思えなかった。
姉は恐ろしい女性だ。
兄に近づく女は、例えハヅキであっても容赦はしない人だ。
だからこそ、兄が父の妃と逢瀬をしていると姉に知られることがハヅキは恐ろしい。
―――その時、ハヅキの脳裏に、金色の何かが輝いた。


(…なにかしら…なんだか、懐かしいような…)


金色といえば、黄金だが、幼い頃から何不自由なく暮らしているハヅキにとって黄金は懐かしさを感じるほど思い入れはない。
女としてアクセサリーや服などは嬉しいし買い物も楽しいとは感じるが、ふとした瞬間に思い出すほど黄金に魅入られてはいない。
なのに、一瞬だけ輝いた黄金のそれに、ハヅキは懐かしさを感じた。
そして、同時に、寂しさも。
思い出せないのに、思い出さなければならない気がした。
己の感情に首をかしげていると、妹の様子に気づいたメンフィスが『どうした?』と心配そうに声をかけてきた。
どうやら熱が上がったと心配しているらしい。


「ねえ、お兄様…お兄様がタヒリ王妃とお会いしていることをお姉様は…」

「ああ、知っている…数日前、休んでいる時に姉上がいらしたのだ…その際、口づけを受けたのであの女かと思い、ついタヒリかと答えた…姉上がすぐに立ち去ったから事情を話すことはできなかったが…」

「ええっ!?」


兄の返答に思わず、ハヅキは身を引かせて兄を見る。
妹の反応に、メンフィスは『なんだ、どうした?』と怪訝とさせる。
兄の姉への反応を見ていて、兄がどう思っているのか分からなかったハヅキだったが、これで確信を得た。
兄は姉に対して家族愛以外の想いはない、と。
あれほど姉からの熱烈なアピールを向けられながらも、姉の深い愛をただの姉としての愛情だと思っている鈍い兄に、ハヅキは驚愕の表情を隠せなかった。


「信じられない!お兄様ってば男として最低です!」

「な、なんだ!誤解は解けただろう!!」

「もーっ!さすがにお姉様が可哀想だわ!」

「なぜそこで姉上の話が出てくるんだ!」


犬猿の仲とはいえど、さすがに同じ女として姉に同情してしまう。
まだ恋をしていないハヅキだが、それでも、結婚を望むほど愛してやまない男性に口づけをして自分以外の名が出てくれば誰だって深く傷つくだろうことは分かる。
『お兄様のにぶちん!』とポカポカと叩きはじめる妹に、メンフィスは困惑しか浮かばない。
その騒動に、ハヅキを探していたイリスとウナスが駆けつけ、ミヌーエ達もその姿を見せた。
その時にはすでに、ハヅキはあの光り輝く金色の存在を忘れてしまっていた。

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