(13 / 19) Novel (13)

その日、ハヅキは体調も良く、ウナスとイリスたちと共に、ある場所へ向かっていた。


「お父様、ご休憩なさったらいかがですか?」

「おお、ハヅキか…ちょうど休もうと思っていたところだ」

「まあ、よいところに参りましたわ」


ひょこり、とハヅキが顔を覗かせると、丁度会議も終わったらしい父が嬉しそうな顔で出迎えてくれた。
父が『おいで』と手を広げやれば、末娘はパッと笑みを灯し駆け足で父の元へと向かう。
まだ小柄な末娘を抱き上げて膝に乗せてやれば、更に嬉しそうな顔を深めた。
その笑みに、父王や側近たちも先ほどまでの険しい表情が解けていく。


「最近お父様はお仕事ばかりでお疲れでしょうから、今日はお父様の大好きな物を作ってもらったのですよ」


そう父に報告する末娘に、父であるネフェルマアトの頬は、あっという間に緩くなる。
最近は仕事続きで、時間が空いても妻に注いでしまうことも多く、娘に寂しい思いをさせているのではないかと心配していた。
近々ハヅキにもアイシスにもメンフィスにも、それぞれ時間を持とうと思っていたが、ハヅキの方が行動が早かったようだ。
父の隣に移り、運ばれてきた菓子と飲み物を共に父と楽しむ。


「ところで、お父様…タヒリ王妃とはどうなのです?」


口の中の菓子を飲み込み、口の渇きを潤したハヅキは、父に問う。
その問いに、父は『ん?』と笑みを浮かべながら小首をかしげた。


「あれほどお美しいお妃を迎えられたのですもの!惚気の一つや二つ、勿論ありますよね?」


コテン、と小首をかしげるハヅキの目はキラキラと輝いている。
父は愛娘の言葉に目を瞬かせたが、笑い声を零す。


「お二人の時のタヒリ王妃はどのような方なのです?」


興味津々なハヅキの問いに、父は苦笑いを浮かべながら娘に話せる範囲の妻との話を語った。
父は若い妻を迎え入れ、彼女が寂しくないよう傍にいてやった。
そのため、末娘との時間は短くなってしまっている。
タヒリを迎え入れることを考えた時、当然子供たちのことも考えた。
ただ、メンフィスもアイリスも、父が妃を迎え入れることに関して理解はあり、実際に父の考えた通りの反応が返ってきた。
だが、ハヅキは幼い。
16歳はこの時代では成人扱いされはじめる年齢だが、どうしても末姫や病弱というのもあって子供扱いしてしまう。
ましてや、父はハヅキの母を心から愛していた。
父や母や兄に愛情を注がれて育ったハヅキが、母以外の女性を娶ると知ればショックを受けるだろうと慎重になった結果、メンフィスに尻拭いをさせてしまったのだ。
そのため、ハヅキがタヒリの事を知りたがるのが、意外で、そして、嬉しかった。
父の口から奏でられる惚気話に、ハヅキは楽しそうに、興味津々に聞き、時々仲睦まじい父と義母の話に嬉しそうな声を零す。
心配していた末娘が嬉しそうにタヒリとの話を聞いてくれるのが嬉しくて、父はつい言葉を多くしてしまった。
気づけばすでに時間が過ぎ、話しすぎて乾いた喉を飲み物で潤した。


「しかし…ハヅキもそのようなことを聞きたがる年頃になったのだな…」

「あら、お父様ったら…ハヅキももう16歳なのですよ?」

「そうか、ハヅキももう16か…」


父は安堵と嬉しさを胸に抱きしめた。
安堵は、ハヅキの母を亡くした後にタヒリを迎えたという娘への罪悪感からなるもの。
嬉しさは、恋愛に興味を持つような年頃になったのだなという父親としてのものだ。
ハヅキは幼い頃から寝たきりとなり、あまり表舞台には出られない。
調子がいい日以外は、一日ベッドで過ごすことも珍しくはない。
兄や姉と異なり、社交の場には一切出れないため、友人や他人との接触もゼロだ。
話し相手と言えば、イリスやウナスなどハヅキを守り従うものだけ。
だから、恋愛の話にワクワクさせる末娘を見ると、感慨深く感じる。
娘の年齢を忘れているわけではないが、改めて末娘が16歳だと聞くと、父の脳裏にある言葉が浮かぶ。


「そろそろお前にも婚姻を結ばせねばならないとは思うのだがなぁ…」


王族では10代前半からが結婚適齢期となっている。
ハヅキは16歳――すでに行き遅れかけていると言っていい。
本来ならハヅキにはすでに結婚はせずとも婚約者くらいはいてもおかしくはない。
だが、ハヅキは病弱体質であり満足に社交の場には出られず、身内以外の接点はほぼゼロ。
それでなくても、ハヅキに関する物事で阻む存在の壁が厚すぎる。


「あやつがなぁ…お前の結婚話になると荒れるゆえ、未だにお前に良い縁談を持っていけぬのだ…許せ、ハヅキ」


あやつ、とは兄であるメンフィスのことだ。
病弱であっても、ハヅキは王族としての役目を果たさなければならない。
ハヅキは王女として、血を絶やさないよう他者と契りを交わし、次代へつなげる役目をもっている。
ハヅキは知らないが、実は、ハヅキにも多くの縁談を考えていたのだ。
アイシスは昔からメンフィスと結婚すると言っており、メンフィス以外の縁談も全て跳ね返している。
メンフィスはこの国の後継者ということで、アイシスを含めた女性を慎重に選んでいる最中だ。
彼は妻など誰でもいいと言っており、妻になる女性に対して興味は薄いようだった。
だからこそ、正妃選びが困難になっていると言える。
ただ、この国では近親婚が行われているものの、メンフィスはハヅキだけは妻にしないと断言している。
それは嫌っているからではなく、他国との繋がりを作るための道具とするつもりもない――むしろその逆だった。
メンフィスはハヅキを溺愛している。
それこそ、同じく彼女を溺愛している父以上の愛を、メンフィスは妹に注いでいる。
それゆえに、メンフィスはハヅキを異性として見ることができない。
次期ファラオからそれほどの愛を注がれているのだから、当然、妃の名に真っ先に名が挙がったのはアイシスではなく――ハヅキだった。
だが、メンフィスは妹として愛おしすぎるがゆえに妻にはできないのだとはっきりと言い放った。
そして、その感情は、ハヅキの未来を狭めていた。
父の謝罪に、ハヅキは首を振って返す。


「いいえ、お父様…お兄様のご判断は正しいのです…この身体では、結婚しても子を宿せるかも分かりませんし…仮に授かったとしても、この弱さを背負わせてしまうでしょう……それでも…できることなら他国ではなく…この国で…お兄様の傍で生きていたいのです…」


ですのでお気になさらないでください――そう言うハヅキの笑みは穏やかで微笑みにも等しい。
しかし、父にはどこか悲しげに感じた。
女としての幸せをハヅキは諦めているのだろう…そう思ってしまうほどに。


「ハヅキよ…父は、そなたにも幸せであってほしいと思っているのだ…そなたがこの国で生きたいというのなら、ここで共に歩める者を探そう…そなたを心から慈しみ、支え、幸せにできる者を…わしは必ず見つけてみせるぞ」

「お父様…」


我が子が幸せな道を歩んでほしいと願う想いは、王であっても変わらない。
父は、ハヅキの肩に手を置き、その決意を告げる。
ハヅキは目を見開き、驚いたように父を見上げる。
肩に置かれた手に、わずかに力がこもるのを感じて――その決意の固さを悟った。
ハヅキ自身、いずれは結婚すべきなのだと分かっている。
異国の血を引く身でありながら、この国の人々は姉と変わらぬ愛情を向けてくれた。
この時代、王族の女は嫁ぎ子供を産むことが仕事だ。
この国は女王を認められてはいるが、ハヅキ自身、女王の器ではないのは理解している。
その器は姉にあり、自分はどちらかと言えば道具がお似合いの器だ。
だから、国と国を繋げる道具となり、この国に恩を返したいと思う気持ちもある。
しかし、この国で生きたいという願いも、偽りではなかった。
寝台で過ごすことが多い自分を、父も兄も、この国の者たちも、変わらず愛してくれた。
その温もりから離れたくないという、子供じみた想いもある。
結局、どうするかはハヅキ自身に決定権はない。
父の決意が勝つか、兄の想いが勝つか。
それのどちらかだ。
その時はいつか訪れる。
その時のために、ハヅキも覚悟をしておくべきだと感じた。
『はい』と頷こうとしたその時―――父の表情が、ふと歪んだ。


「きゃあ!お父様!!」

「陛下!!」


喉を抑え苦しむ父の口から血が溢れた。
倒れる父の白色の衣服は、吐き出される血であっという間に真っ赤に染めていく。
倒れる父に、ハヅキは驚愕の表情を浮かべながら慌てて駆け寄る。


「誰か!!医者を!!」


父の顔がみるみる血の気を引かせ、苦しげに顔をゆがめるその姿を見て、ハヅキはすぐにそれが『毒』だと気づく。
誰か父に毒を盛ったのか。
どのような毒なのか。
しかし、とにかく、まずは父の治療だ。
騒然とする周囲に医師を呼ぶよう叫ぶのと同時に、ハヅキの叫びに気づいたメンフィスたちが駆け込んでくる。


「父上!!父上どうなさったのです!!」


ハヅキの悲鳴に駆け込んだメンフィスは、ハヅキではなく父が倒れている姿を見て駆け寄る。
末娘の腕に抱かれながら苦しむ父は、世継ぎである息子のメンフィスを見つめ、苦しみの声で途切れ途切れに答える。


「メ…メンフィスか……油断した…毒を盛られた…」


吐血するような病気は持っておらず、そもそも、王族は暗殺が身近にある。
自身に毒を盛られたと判断した父王は、駆け込んできたメンフィスにそう告げる。
その言葉に誰もが息を呑む。


「怪しい者の出入りを調べろ!!」


医師はすでに妹の指示で呼ばれているため、あとはその医師を持つことと、毒を盛ったであろう者をあぶりだすだけ。
しかし、それを止めたのは何者でもない父王ネフェルマアトだった。
父は声を荒げる息子を一喝するように、息苦しい中伝えた。


「狼狽えるなメンフィス!…もう間に合わぬ…」

「父上…!」

「よく聞け…わしの亡き後…お前が王だ…見苦しいさまを見せてはならぬ…!」


恐らくは、時間差の毒だ。
でなければ自分だけが毒におかされるのはおかしい。


「ハヅキよ…そなたは…大事、ないか…」


先程まで楽しく会話をしていた娘の顔は、涙で濡れていた。
父としての問いに、ハヅキは言葉を詰まらせ、コクコクと何度も頷く。
第二王女であり病弱な王女では脅威にはならないと思われたのか、幸い、末娘は毒を盛られていなかった。
それだけは、消えゆく命の中、安心できた。


「体を…起こしてくれ…メンフィス…」

「はい…父上…」


病弱の娘では身体の大きい父を抱きこせない。
メンフィスは妹と共に父の身体を起こす。
目の前には繁栄し続けるエジプトの象徴の一つとも言える美しいナイルが広がっていた。


「我が富めるエジプト…愛するタヒリを得てこれからというときに…」


若く美しい妃を迎えたばかりだというのに。
なのに、暗殺される自身を恨めしい。
しかし、エジプトの未来を父は心配していなかった。
まだ未熟ではあるものの、すでにメンフィスは王として育ち、息子が王の座を継いでエジプトを導いてくれると確信していた。

――――王は息子に妃であるタヒリを頼み、妃と子供たちに見守られながら…息を引き取った。

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